12話 旅立ちの朝
――カイ視点
夜明け前の薄い霧が砦周辺を包み込み、空はまだ濃い藍色を帯びている。カイは布団の上でゆっくりと目を開けた。昨夜の戦いの疲労と痙攣する筋肉の痛みは、いつまでも消えることなく身体に残っている。それでも、彼の心には新しい朝への期待が満ちていた。明日はついに魔王アズラエル討伐の本格的な遠征が始まる。砦を出発するこの朝の空気は、希望と緊張が混じり合った独特の澄んだ香りを放っている。
「……今日が本番だな」
カイは小声で呟き、剣を手に取りながら布団を蹴って立ち上がった。剣はまだルクスの瘴気を帯びており、その冷たい鼓動がカイの掌に強い感触を与える。昨夜、ガロンやマギー、リリアナ、ジークたちと共に最後の打ち合わせを終えた後、眠りにつくまで心を休めることはなかった。今やっと、遠征の出発に向けて身体と心を整えるひとときが訪れたのだ。
部屋の隅には、昨夜リリアナが用意してくれた回復用の薬草と秘薬の小瓶が置いてある。カイはそっと薬草を取り出し、水で湿らせて包帯に挟み込み、傷口を保護する準備を整えた。その手つきは静かで慎重だが、その手の平から伝わる意志の力は揺るぎない。彼は剣を腰に差し込み、軽く深呼吸を繰り返した。
「ガロンが待っているはずだ。急がないと」
カイは足元の草に足を取られそうになりながらも、襟を整えその場を後にした。廊下を静かに進むと、東翼の訓練場の方角からすでにガロンの声が聞こえてくる。甲高い金属音がし、訓練兵たちが槍や剣を調整する音が混ざり合っており、まるで戦いの前の静けさを引き立てているかのようだ。
■ ■ ■
――ガロン視点
夜の残照がまだ残る訓練場に立つガロンは、カイの足音を感じ取り、視線を向けた。彼の甲冑は昨夜の戦いの傷痕で一部が焦げ、鉄の表面に血の痕がうっすらと残っている。それでも、ガロンはその鎧を誇らしげに着こなし、胸に誓った使命を胸中に抱いている。訓練兵たちは整列し、槍先を天に向けて武器を見つめていた。彼の声が低く響き渡る。
「カイ、来たか。準備は整っている。仲間たちも全員揃えておいた。行く前に一言、励ましの言葉をくれ」
ガロンはそう言い、剣を静かに納めた。カイは深くうなずき、彼の隣に立つ。
「ありがとう、ガロン。お前がいてくれるからこそ、俺は安心して先に進める」
カイは頬に微かな笑みを浮かべながら言い、ガロンの肩を軽く叩いた。ガロンは短く笑い、再び視線を訓練兵へ向けた。
「みんな、よく聞け。これから森を越え、魔王アズラエル討伐の本陣を目指す。闇が深い道だが、それ以上に我々の意志は強い。恐れるな、仲間と共に前へ進め!」
ガロンの号令に応えるように、訓練兵たちは剣を構え、槍を突きつけ、弓をぶるう。甲冑の鎖音が響き渡り、彼らの目には緊張と覚悟が刻まれている。やがて、皆が低い声で返事をし、砦の中央広場へと向かう整列を始めた。ガロンはカイを見つめ、カイもまたガロンに深い信頼を寄せていた。
「俺たちが守るのは、あの空に笑い声を取り戻すことだ」
カイの声が静かに響き、ガロンは鋭くうなずいた。
■ ■ ■
――リリアナ視点
聖女の部屋から抜け出し、リリアナは廊下の影に身を潜めて周囲を見回している。薄明かりの中で、仲間たちが遠征に向けて最後の準備を整えているのが見える。リリアナの胸には緊張と期待が交錯し、まるで鼓動が高鳴るかのような感覚がある。彼女は杖に手を添え、次に唱えるべき祈りの言葉を反芻しながら心を落ち着かせている。
「神聖なる光よ……どうか彼らをこの旅路の先で守り導き給え」
リリアナは静かに囁き、杖を掲げて小さな光の粒を生成した。その粒は次第に大きくなり、淡い蒼光を放ちながら天井の小さな亀裂を照らし出す。まるで祝福のように、微かな輝きがリリアナの心に安らぎを与えた。その間も、遠くからカイやガロンの声が聞こえ、リリアナは安心して笑みを浮かべた。
「カイ……あなたは必ず生き延びて、仲間と共に笑顔を取り戻すわ」
リリアナは呟くと、部屋の隅に置かれた回復用具を軽く撫でて祈りを終えた。その瞬間、マギーが部屋の扉を静かに開け、息を整えながら入ってきた。
「リリアナ、準備はいいか? もうすぐ出発だよ」
マギーは小声で尋ね、リリアナは頷いて杖をしまった。マギーは手に持った巻物を広げ、その情報を書き込んだページを指先でなぞった。
「ベルナールの動向も把握したわ。でも今はこの先の険しい道へ備えるべきよ。みんなが揃うまで少しでも魔力を温存しておかないと」
マギーはそう言い、リリアナの肩を軽く叩いて笑みを見せた。リリアナは軽く笑い返し、二人は廊下を歩いて仲間たちのもとへと向かった。
「一緒に戦う日はもうすぐね」
リリアナは小声で囁き、その言葉が次の祈りの力となって心に刻まれた。
■ ■ ■
――カイ視点
砦の中央広場に集合したカイたちは、すでに馬に跨り、出発の合図を待っている。朝靄のかかった空の下で、燈火のようにちらちらと灯る小さな光が、砦の影と木々を幽玄に照らしている。ガロンは先頭に立ち、傍らには騎士団の面々が並んで剣を構えている。訓練兵は槍や弓を持ち、整列したまま出発の時を待っている。カイは剣を握りしめ、馬の手綱を軽く引き締めた。
「皆、気を付けて行こう。これから先は魔物や魔術師団の襲撃が予想されるが、我々は共に戦い、共に生き延びる」
カイの声は低く、しかし確かな意志を含んでいる。その言葉に応えるように、ガロンは剣を掲げ、仲間たちは武器を空に向けて叫んだ。
「魔王アズラエル討伐! 我らが意志、揺るがず!」
その一声が響き渡り、砦の山門がゆっくりと開かれる。馬は蹄を鳴らし、砂埃を巻き上げながら山道へと進む。カイは馬上から仲間たちを見渡しながら、深く息を吸い込んだ。背後には砦の石壁が薄く霞み、その上にはまだ数人の見張りが影を落としている。彼らの視線は、カイたちの背中を追いながら祈るように見送っている。
「行くぞ、皆!」
ガロンの号令がかかり、旅団は一斉に動き出した。馬の蹄音が山道に刻まれ、遠くからは小川のせせらぎが聞こえてくる。春の花が咲き始めた木々の間を抜け、緑の新芽が静かに揺れる。風が頬を撫で、カイはまるで世界が祝福しているかのように感じた。
馬上で剣を抜き、薄明かりの中で剣先を大地に向けた。かすかな光が剣身に反射し、金属の冷たさが彼の意志を引き締める。遠征の道程は険しい。険しい山道、濃霧に包まれた峡谷、荒れ果てた平地──そのすべてが試練だ。だが、カイは仲間たちの顔を思い浮かべ、その一つ一つの試練を乗り越える決意を胸に刻んでいる。
「俺は……必ず戻る」
カイは低く呟き、その言葉を胸に刻んだ。仲間と共に歩む道は、これから約束された未来への道標だ。砦を抜け、森を越え、魔王アズラエルが待つ地へと進むその先には、苦難と悲劇が待ち受けているかもしれない。しかし、同時に希望と共に笑い合う未来が待っているとも確信している。
馬が山道を上り、夜明けの光が彼らの顔を徐々に照らし出す。緑の木々が朝日に輝き、花々の香りが風に乗って運ばれる。世界は再び眠りから覚め、命の息吹を取り戻す。カイたちの旅路も、今まさにその第一歩を踏み出したのだった――希望の光を胸に秘めて。
12話終わり
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