11話 暗躍するベルナール
――カイ視点
夜の帳が砦を覆う中、カイは新たな脅威を感じて目を覚ました。昨夜の疲労が全身に残り、睡眠不足から瞼が重いが、彼の心は覚醒している。剣を手にする感触が、深い眠りから引き戻した。カイは薄暗い部屋の中でそっと剣を抜き、柄を握りながら窓の外を見つめた。月光は裂けるように雲間から差し込み、砦の石壁と遠方の森を淡く照らしている。
「……何かが動いている」
カイは低くつぶやき、剣を地面に突き立てた。胸の奥でルクスの鼓動が高まり、暗黒の力が静かに息づいている。あの魔王ベルナールが、再び暗躍し始めたという噂が、昨夜マギーから渡された報告書に記されていた。彼は魔術師団を再編し、砦の奪還を狙っているという。カイは剣先に力を込め、鋭い目を細めた。
■ ■ ■
――ベルナール視点
古びた塔の最上階で、ベルナールは呪文の詠唱を続けていた。その部屋は闇の瘴気で満たされ、窓には分厚い黒布が張られている。彼の後ろには、闇の魔獣が二体ぬっと立ちはだかり、鉤爪が床を引き裂くような音を響かせている。ベルナールの瞳の奥には冷酷な炎が燃えており、手にした黒い魔導書から放たれる魔気が部屋中を渦巻かせた。
「ふふ……あの砦がどれほど堅牢でも、私の術を前にすれば無力よ」
ベルナールは低く笑い、丸い机に並べられた古文書を一枚ずつ開いていく。その中には、異界の瘴気を引き寄せる禁忌の呪文が記されており、彼は狂気と信念をもってそれらを学んでいた。
「カイ……生かしておくのもいいかもしれぬが、その命を誘い出すにはどうすればよいか」
ベルナールは杖を振り、黒い霧を魔導書の上に注ぎ込んだ。紙はたちまち焦げ付き、異界の瘴気が魔導書に深く浸透していく。瘴気の渦が渦巻き、闇の魔獣が低く唸りをあげる。
「砦の裏道に密かに潜入し、情報屋のマギーを始末する。それだけで仲間たちの士気は一気に崩れるだろう。さあ、我が術よ、蹂躙の炎をもたらせ!」
ベルナールの詠唱は次第に高まり、瘴気の結界が部屋中に張り巡らされた。それはあたかも古代の封印を破るかのような規模で、闇の力が収束し、やがて一つの黒い球体へと結晶化した。
「いざ、行かせよ」
ベルナールは両手を広げ、球体を吹き飛ばした。瘴気の球はまるで生きた怪物のように闇夜を裂き、砦へ向かって飛翔していった。その形状は目にも留まらぬ速さで闇を切り裂き、魔獣を伴走するように闇の瘴気を拡散しながら進んでいく。
■ ■ ■
――カイ視点
砦の中庭には、既に警戒態勢が敷かれていた。ガロンは剣を構え、槍兵たちが槍を突き出して並び、弓兵は矢羽根を一瞬で矢倉に詰めていた。夜露に濡れた地面を踏みしめながら、カイは仲間たちに目を配った。ガロンの鋭い視線は東門の方向に注がれ、マギーは魔法陣を素早く描いて瘴気を監視している。リリアナは宙に立つ光の球を放ち、魔力の気配を探知している。ジークは影に紛れ、壁沿いに身を潜めながら待機している。
「――瘴気の気配が近づいている。マギー、どこから来る?」
カイは低く問いかけ、霧の中にゆらめく魔力の影を探した。マギーは白い息を吐きながら、魔法陣を覗き込み、詠唱を始める。掌から放たれた蒼い光が瘴気を炙り出し、その軌跡が中庭をかすめる。カイは剣を構え、天を仰ぎながら息を整えた。
「東の山道を越えた先、砦の裏手から侵入を試みるようだ。しかも、複数の瘴気の渦が合流している。かなり強力な術師の手引きがあるはずだ」
マギーはそう告げると、カイは剣先を低く突き立て、地面の湿気を感じ取りながら前進した。闇の中でゆっくりと開く門――そこから漏れ出す瘴気はひんやりとした冷気を伴い、カイの頬を刺すように襲いかかってくる。
「ガロン、準備は?」
カイは振り返り、ガロンの頷きを確認した。ガロンの額には汗が滲み、鍔を握る手に力が宿っている。その背後には槍を持つ兵士が整列し、長弓を構える弓兵が闇夜に潜む標的を狙い定めている。
「おう。異界の瘴気は見た目以上に重い。その一撃を受ければ、まともに立っていられない。お前が引きつけたら、俺たちが真っ向から迎え撃つ」
ガロンは低く断言し、その言葉にカイはしっかりと頷いた。その瞬間、一陣の風が闇を切り裂くように駆け抜け、瘴気の渦が中庭へと突入してきた。
「来た! 準備、構え!」
カイは叫び声をあげ、両足を踏みしめて剣を構えた。瘴気の渦は不気味にうねりながら迫り、まるで生き物のように形を変え、まわりの石畳を腐食させ始めている。青白い稲妻が瘴気の渦から放たれ、周囲の闇を瞬く間に照らし出す。
「ガロン、斥候を捕まえなければ! 瘴気の本体を叩くチャンスを作る!」
カイは間髪入れずに号令を飛ばし、槍兵たちは一斉に槍先を瘴気の渦へ突き立てた。槍先は瘴気の中で蒼く光り、一瞬にして刃先が黒く腐食する。瘴気は苦悶の声のようなうめき声を上げ、槍兵たちは剛毅な態度を崩さずに剣と盾で身を固めた。
「マギー、援護を頼む!」
カイはリリアナのもとへ駆け込み、杖を取り出させた。リリアナは静かに魔導陣を描き、煌めく光を瘴気の渦に放った。その光は瘴気を貫き、ゆらめく瘴気を一瞬で吹き飛ばした。瘴気の結界が崩れ、渦は解かれて瘴気の粒子が地面に散りばめられた。
「よし、瘴気の本体が露出した! 今だ、行くぞ!」
カイは叫び、剣を振りかざした。瘴気の本体は巨大な黒い眼のようにカイを睨み、細かく震える触手を無数に伸ばして抵抗を試みる。カイは一跳びで触手をかわし、剣を高く構え直した。剣先からは冷たい鼓動が放たれ、ルクスの力が身体中を駆け巡る。
「魔剣ルクス、我が身を照らせ!」
カイは力を込め、瘴気の本体へ向かって一閃した。その瞬間、剣先から蒼黒い光が炸裂し、瘴気を渦巻く闇に深い傷を刻んだ。瘴気は裂け、渦は崩れ落ち、闇の触手が蒼い火花と共に粉々に砕け散る。闇の本体は呻き声を上げながら後退し、瘴気の痕跡を力なく振り払った。
■ ■ ■
――ベルナール視点
砦の裏山に設えられた小規模な隠れ家で、ベルナールは苦悶の表情を浮かべていた。瘴気の本体を使役しようとしたが、カイの剣がそれを切り裂いたのだ。闇の魔獣も同様に斬り伏せられ、ベルナールの計画は大きく狂い始めている。彼は杖を握りしめ、深いため息をついた。
「カイ……お前がその剣を持つ限り、我が願いは叶わぬか……」
ベルナールは呟き、杖を天に掲げた。杖から放たれた瘴気は剣光を貫けず、宙で散華した。ベルナールの瞳には絶望と怒り、そして一抹の執念が漂っている。
「しかし、まだ終わりではない。彼らの心に希望など持たせてはならぬ。奴らの背後を撫では、その絆を引き裂いてやるのだ」
ベルナールは邪悪な決意を込めて呪文を展開し、自らの体に瘴気を纏わせた。その瘴気は漆黒の鎧のようにベルナールの身体を覆い、周囲を暗い影で染め上げた。彼は痛ましいほどの笑みを浮かべ、静かに夜風に消えていった。
■ ■ ■
――カイ視点
瘴気の本体を討ち破ったものの、砦の裏手に潜むベルナールの野望はまだ完全には消えていない。カイは剣を鞘に収め、仲間たちの無事を確認した。ガロンは剣の柄に血を拭い、槍兵たちは武器を磨きながら次の命令を待っている。マギーとリリアナは瘴気の痕跡を浄化するために魔法を放ち、ジークは壁沿いにパトロールを行っている。
「皆、大丈夫か?」
カイは仲間たちに声をかけた。ガロンはうなずき、リリアナは少し疲れた表情で微笑んだ。マギーは筆を置き、地図を見直している。
「瘴気は消えたが、ベルナールの動向は不明のままだ。倒すべき相手はまだ生きている。奴が次にどんな手を打つか、予断は許さない」
マギーは冷静に報告した。カイは深く頷き、剣を再び握りしめた。
「そうだな。明日の夜明けまでは砦を厳重に守る。もし再度瘴気が現れたら、我々がすぐに動けばいい。だが、一番の対策は、奴の根拠地を突き止めて先手を打つことだ」
カイは仲間たちを見渡しながら言った。その言葉には揺るぎない覚悟と決意がこもっていた。
「了解した。俺は外郭を見回ってくる。異変があれば即座に知らせる」
ジークが答え、闇夜の中へと小さな体を消していく。ガロンは剣を握り直し、カイに向かって頷いた。
「お前は砦の中心を守れ。俺が敵を見つけたらすぐ報告する。お前の剣があれば、俺たちは負けない」
ガロンは低く告げ、そのまま夜の闇に消えた。リリアナは杖を抱えながらゆっくりと頷き、カイに寄り添った。その温もりがカイに一瞬の安らぎを与えた。
「カイ、あなたは自分を責めすぎないで。ルクスの呪いと瘴気の傷は深いけれど、あなたは仲間の光になる存在よ。失敗などない」
リリアナの声は静かで、しかし確かな力を持っていた。カイはリリアナの目を見つめ、深い感謝を込めて頷いた。
「ありがとう、リリアナ。お前の言葉がある限り、俺はどんな闇にも立ち向かえる。明日を生き延びて、また共に笑おう」
カイは剣をゆっくりと下ろし、天を仰いだ。月明かりはまだ強く、空には幾つかの星が瞬いている。その光は、まるで明日への希望を予告するかのようだった。
「さて、俺も外郭を歩いてくる」
カイは足元の剣を握り直し、マントを翻して夜の砦廊下へと歩みを進めた。背後には仲間たちが静かに見守っている。彼らの信頼が、カイの心を強くしている。
こうして、砦の夜は更けていった。魔王アズラエル討伐のための最終決戦を前に、カイたちはそれぞれの覚悟を胸に抱え、静かな時間を過ごしている。だが、闇の中でうごめくベルナールの影は、再び彼らに試練を突きつけようとしていた。「光を取り戻す」ための戦いは、まだ終わらない――。
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