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くそっ

夜は深く、冷たい風が吹きすさぶ。


イワーヌシュカの心はそんな外の世界の風のごとく騒がしかった。




彼は軍の粗末な寝台に身を横たえ、天井を見つめたまま、己の浅はかさを呪っていた。


なにやってんだ俺は。


ニニアンに診てもらったのは仕方がない。猫の爪と牙による傷を放置すれば、軍医どころか聖職者の手を借りねばならぬ事態にもなりかねなかったのだから。




ドクター・プレヴィン。


聡明で、冷静で、優しく、そして時折見せる微笑みが妙に柔らかい。あのとき、消毒液の冷たさが染みる瞬間、ニニアンの手がそっと触れた。


薄い手袋越しだったが、確かにその手の温もりが伝わった。




優しかった。




淡々とした仕草の中にも、確かな気遣いがあった。まるで壊れ物に触れるように慎重で、それでいて確かな技術をもって治療を施してくれた。


(……それは別におかしなことじゃない。ドクターは軍医だ。患者の体に触れるのは当たり前のことだ……)


それなのに、なぜ……


なぜ、思い出すと妙な気分になるのか。




「……くそっ」


イワーヌシュカは寝返りを打ち、毛布を頭からかぶる。痛み止めの軟膏を塗ったはずなのに、妙にむずむずするような気がする。いや、それだけではない。


なんとなく、不安だった。不安というのも妙な話だが、なんというか、落ち着かない。




ふと、気づけば手が、勝手に動いていた。己の大事なところを、まるで守るようにそっと握っている。


「……っ!」


我に返り、慌てて手を離す。だが、離したところでむずむずは収まらない。むしろ、その感覚がじわじわと広がるようだった。


(気のせいだ……気のせいに決まってる)


ニニアンが笑いをこらえていたような気がしたのも、ただの思い込みだ。彼は真剣だった。いや、実際、笑ってはいなかったはずだ。


(……そうだ、気のせいだ)


だって、傷を消毒する手つきはあんなに優しかったのだから。あの温もりは確かにあったし、ニニアンは誠実に自分を診てくれた。




そう、誠実に——あの温もり——




「…………」




その記憶を思い出した途端、イワーヌシュカは己の体の変化に気づいた。




むくむくと、大事なところが熱を持ち、血が巡りはじめる。皮膚の下で鼓動が響き、じわりと熱が広がる。


(……何を考えてるんだ)


けれど、そう思えば思うほど、意識してしまう。


その結果——


「……いっ……!」


鋭い痛みが、まるで針で突かれたように走った。


(くそっ……傷が……!)


痛みがぶり返す。そして、情けなさが襲ってくる。


(俺は……何をしてるんだ……!)


イワーヌシュカは毛布の中で膝を抱えた。


そして、静かに泣いた。




***




翌朝。


イワーヌシュカは歩くたびにわずかに足をすぼめ、ぎこちない動きをしていた。




ちんちんが痛ぇ。




ニニアンの手当てを受けたものの、痛みはまだ残っていた。傷そのものは深くないものの、場所が場所なだけに違和感がすさまじい。それでも、訓練を休むわけにはいかなかった。


(くそ……こんなことになるなら、猫なんか寝床に入れなきゃよかった……)


イワーヌシュカは昨夜の出来事を思い返し、深く後悔した。


あのもふもふの誘惑に抗えず、つい油断してしまったのが運の尽きだった。甘い喉の音を響かせながら、ふみふみ……ぺろぺろ……からの……


あの時の痛みは思い出すだけで泣ける。イワーヌシュカは顔を引き攣らせ、股間をそっと押さえた。


「おい、イワーヌシュカ」


肩を叩かれ、振り返ると、同じ隊の仲間たちが立っていた。


彼らの顔には、なんとも言えぬ訝しげな表情が浮かんでいる。


「なんか……さっきからちんちんばっか気にしてねぇか?」


「……し、してねえよ!」


イワーヌシュカは思わず叫び、周囲の兵士たちが一斉にこちらを見る。その視線に耐えきれず、彼は赤くなった顔をそらした。


どうしたんだとあちこちから視線が集まる。


「いや……その……ちょっと、ちんちんを……ケガして……」


「え?」


周囲の兵士たちがざわめいた。心配の視線が奇異なものを見る目に変わっていく。


さすがに、猫にちんちんをふみふみぺろぺろされて、あまつさえ噛まれたなんて言ない。絶対に、言えない。


イワーヌシュカは必死に誤魔化すため、適当に言い繕うことにした。


「いや……えっと……あれだ。昨夜、ちょっとした……戦闘があってな」


「戦闘?」


「そ、そう! ちょっとした乱闘みたいなもんで……まあ、ほら、不意打ちってやつだ……」


「……股間に?」


「そ、そういうこともある!」


「敵は?」


「え、えーっと……」


「誰にやられたんだ?」


「…………」


「まさか、女か?」


「!!!!!!!」


イワーヌシュカは大きく目を見開いた。そして、そのまま何も言えなくなった。


それを見た仲間たちは、一瞬沈黙した後——


「お前……昨日大騒ぎしてたのって……まさか本当に!?女を連れ込んでたのか!?」


「相手はどこの娘だ!? 貴族の令嬢か!? それとも娼館の看板娘か!?」


「いや、そもそもそんな相手に股間をやられるってどういう状況だよ!!」


「す、すまねえイワーヌシュカ……俺、お前のこと誤解てた……」


「違う!! それこそ誤解だ!!」


イワーヌシュカの叫び声は、軍営の朝の喧騒に飲み込まれた。

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