にゃーん
静寂に包まれた冬の夜。月光が霜を帯びた窓辺に降り注ぎ、粗末な兵舎の壁を淡く照らしていた。遠くでは、かすかに風が吹き抜ける音がし、低くうなっている。
その夜、下級兵士イワーヌシュカ・スクリアビンは寝台の上でうつ伏せになり、疲れた体を休めていた。戦場から戻ったばかりの彼の身体は、幾度となく繰り返された戦いの重みを背負い、鉛のように重かった。それでも、この束の間の静けさの中では、心も幾分穏やかだった。
突然、かすかな気配を感じ、イワーヌシュカは半ば夢うつつのまま目を開けた。窓辺に影が落ちている。そっと顔を上げると、闇に溶け込むような小さな黒い影が窓枠にしがみついていた。
にゃーん
猫だ。
黒々としたぽわぽわ毛並みに、青色の瞳が夜の光を受けて輝いている。その小さな体は冷え切っているのか、小刻みに震えていた。
「おお、寒かったか……?」
イワーヌシュカは窓を開けゆっくりと手を伸ばし、小さな猫を抱き上げる。その体は氷のように冷たく、冬の厳しさがこの小さな生き物を容赦なく苛んでいたのがわかる。
動物を兵舎に連れ込むことは禁止されていたが、イワーヌシュカは、思わず猫を自分の胸に抱き寄せ、寝台の毛布の中へと招き入れた。
猫はすぐにゴロゴロと喉を鳴らし、イワーヌシュカの温もりに身を委ねた。その小さな頭を彼の頬にすり寄せ、前足でふみふみと甘えるように動かす。
「なんだ、お前、甘えん坊だな。」
イワーヌシュカはくすりと笑い、猫の柔らかな毛を撫でた。幼い頃に、近くの広場にいた猫の記憶がふと蘇る。穏やかだった故郷の日々。陽を浴びて丸くなっていた猫の温もり。遠い過去に置き去りにした、懐かしい日常の一片。
寒さのせいか、猫は一層深くイワーヌシュカの体に寄り添ってきた。毛布の中で身を縮め、まるで体ごと溶け込むように密着する。
「おいおい、そんなにくっつくと動けなくなるぞ……」
そう呟きながらも、イワーヌシュカは猫のぬくもりを愛おしく感じ、まどろんでいった。
——しかし、次の瞬間。
何やらモゾモゾとした感触が、太腿のあたりで動き始めた。
(……ん?)
猫が、小さな体をくねらせながら、イワーヌシュカのズボンの中へと潜り込んできたのだ。もふもふとした毛が肌をくすぐり、ひんやりとした鼻先が内腿をつつく。イワーヌシュカは反射的に体をこわばらせた。
「お、おい、そこは……!」
しかし猫は気にする様子もなく、狭い布の中を器用に移動しながら、更に奥へともぐり込んでいく。ズボンの中に完全に入り込んだ猫は、まるで自分の寝床を整えるかのように、前足でふみふみと踏みしめ始めた。
その位置は——まさに、男の急所。
「ぬぁっ……!?」
イワーヌシュカは絶叫しそうになるのを必死にこらえた。
猫のふわふわとした肉球が、無邪気に柔らかく、しかし確実に、そこを押しつぶしている。優しく揉みしだかれるような感触。
「こ、こらっ……やめろ……っ!」
必死に体をよじるが、ズボンの中でもぞもぞと動く猫は容易に出てこようとしない。むしろ、居心地がよくなったのか、より一層熱心にふみふみを続ける。
イワーヌシュカは必死に毛布の中で猫を掴もうとするが、猫は素早く身をかわし、さらなる布の奥へと潜り込んでしまった。全身を覆う戦慄、額に滲む冷や汗。戦場ではあらゆる危機を乗り越えてきたイワーヌシュカだったが、今、この瞬間ほど危険を感じたことはない。
「頼む……それ以上は……!」
しかし、猫は聞く耳を持たない。
ゴロゴロと喉を鳴らしながら、満足そうにふみふみを続ける。まるで、この場所こそが自分の定位置であるかのように。
甘く柔らかな刺激が、じわじわと体を包み込んでいく。猫の喉のゴロゴロという振動が伝わり、さらなる快感を呼び起こす。
——これは……まさか……
イワーヌシュカの意識は、未知の恍惚へと誘われていった。
猫はさらに体をすり寄せ、ズボンの中でゴロゴロスリスリしながらふみふみを続ける。その感触に、イワーヌシュカは完全に陶酔してしまった。
「くっ……なんだ、これは……」
目を閉じ、身を任せる。
戦場の疲れ、戦友たちの死、果てしない戦いの日々……すべてが一瞬、遠のいていく。
猫は、まるでイワーヌシュカを慰めるように、優しく、愛おしげにふみふみし続けた。
生まれたばかりの子猫が母猫の乳を求めるように、執拗に、丹念に。
——しかし。
突然、痛烈な衝撃が走った。
「ぐあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!!!」
全身が硬直し、血の気が引く。
猫が——イワーヌシュカの股間に爪を立て、さらに牙を突き立てたのだ。
「い、いでぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!」
猫特有の気まぐれ。先ほどまで愛らしく甘えていたかと思えば、突然じゃれつくように牙を立てる。
しかし、イワーヌシュカは猫のその性質を知らなかった。彼にとって、それはまさに突如として訪れた悪夢であった。
絶叫が兵舎中に響き渡る。
隣のベッドで寝ていた兵士たちが飛び起き、何事かと慌てふためく。
「なんだ!? 敵襲か!?」
「イワーヌシュカ、貴様、何をしている!!!」
部屋の明かりが灯され、仲間たちが次々と駆け寄る。イワーヌシュカは寝台の上でのたうち回り、股間を押さえて悶絶していた。
「ね、猫が……! 俺の……!」
だが、彼が何を言おうと、誰もその惨劇を理解できない。
「馬鹿なことを言ってないで、さっさと寝床に戻れ!」
「夜中に騒ぐな!!」
上官まで駆けつけ、イワーヌシュカは烈火のごとく怒られた。
「戦場での緊張が解けたからって、奇声を上げるんじゃない!!」
「軍規違反で営倉送りにするぞ!!」
「いや、違うんです、猫が……!」
必死に弁解しようとするイワーヌシュカだったが、その猫の姿はどこにもなかった。
そう、すでに黒き影は窓の外へと飛び去り、夜の闇へと溶け込んでいたのだ。
イワーヌシュカは床に崩れ落ち、頭を抱えた。
「……くそっ……あの猫め……!」
——こうして、一人の兵士の静かな夜は、忘れがたい痛みとともに幕を閉じたのだった。