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その2

 ルーエは、ひょろっこい子供だった。

 八歳になっていたが、同じ年の子供より頭半分小さくて細かった。

 ルーエは、アミエリウス王国の南部に位置する交易都市サザン=プトのロダン商会の三男坊で、第二夫人の忘れ形見で、褐色系のなかでも人一倍、黒い肌だった。

 南部の人々は総じて褐色の肌が多かったが、近年、北部との往来が盛んになってきてからは、薄い色の褐色肌の人が増え、ルーエのような昔ながらの黒い褐色肌の人間は疎まれることもあった。

 ルーエの父親は、名目上『会頭』だったが、ほとんど家に寄り付かず、商会は隠居の大ロダンと長子エ・ルドリッド嬢が仕切っていた。ルーエにとっては歳の離れた姉は父親以上に怖い存在だった。

 交易都市は長い間、独立した扱いで、アミエリウス王国とは一線を引いていると思われていたが、アルバート王が隣国との戦争に踏み切るとサザン=プトもどちらに舵を切るかを迫られていた。

 隣国ヴィーデルフェンも戦時体制のため、物資の調達をサザン=プトに依頼してくる。主国のアミエリウスも同様だった。

 それゆえロダン家のご機嫌伺いに双方の代理人がひっきりなしにやってきている。

 ルーエは、子供だから詳しいことはわからない。

 だが、祖父に取り入ろうとする輩が彼にも媚びを売ってくる。

 大人の卑屈な所ほど醜いものは無い。

 そのくせ、上手くいかないと子供に当たり散らしてくる。

 さっきまでご機嫌取りに来てた奴が、帰りにはルーエに舌打ちする。

 そいつらの子供は、決まってルーエの黒いのをなじり、いじめてくる。肌の黒さなんか人の価値を決める理由にはならないのに。

(だから、ガキは嫌いだ!)

 ロダン家は広大な敷地にいくつかの離れを持ち、それぞれに夫人と子供たちが住んでいる。

 ルーエの住まいも海側の崖近くの離れだ。

 母親は彼が生まれて間もなく亡くなっており、一人で暮らしてルーエ・ルドリッドの命で家庭教師も兼ねたバーマンがついている。

 寂しくはないが年の近い友人もいないからいつも一人だ。

 商会を訪ねてくる連中は、ルーエに近い歳の子供たちも連れてきて、ロダン家の子供らのご機嫌取りまでさせている。

 子供らの中には、金持ちのルーエをやっかんでいるのも多い。

 今日もついてきた子供がルーエに石を投げてきた。多分、親がうまくいかなかったのを当たり散らしているのだろう。

 頬をかすった石が地面に落ちた。頬にツゥとした痛みがした。手をやると赤いものがついている。

「!」

 ルーエが石を投げた子供に殴りかかった。

 相手は彼より頭一つ大きい。ルーエは手を交差して襟元を掴み、頭を顎の下に入れて、力いっぱい相手を押し上げた。

 グフっという音が漏れると相手の顔が赤黒くなる。

「えー!」

 近くにいた別の子供が慌ててルーエの身体にしがみつき離そうとする。ひとりふたりと増え、四人になるとやっとルーエの身体を引き剥がした。ルーエはその勢いに押されて地面に転がってしまった。

「こいつ!」

 転がった身体に何度も蹴りを入れられた。

 まあ、よくあることだ。

 ルーエは身体を丸めて嵐の過ぎ去るのを待つ。

 いつものことだ。

 だが、

 いつもと違うことがあった。

 彼らは、ルーエの服を掴むと引きずって、崖から落とした。

(え!)

 宙に浮いた身体は、手を伸ばしても何も掴めない。青い空が遠くなっていた。

 背中から海に落ちていくと青く透き通ったものに囲まれ、やがて黒く大きな影に蓋をされてしまったのだった。


 ◇◇◇


「あの大きくて黒い塊が『クジラ』という生き物です。」

 案内人の若者がヒューバートに説明した。

 ヒューバートは馬から降りて崖の上から海を眺めた。歩を進めて崖のふちまで寄る。

 海面までは、人の背丈で十人分ほどだろうか。覗きこむには結構に高い。従者のグレンは怖がって崖のふちまで来ない。

 吹きあがる風がヒューバートのまっすぐな短い銀髪を逆立てた。肩のマントも逆立っている。

 彼は王国内をよく訪ねているが、南部地方は初めてだった。

 そこに住む人々は、日差しの強い影響か肌が褐色系だ。

 北部出のヒューバートの色白の銀髪姿は変えって特異に見える。

 案内人の示す海の向こうに黒く大きな生き物が顔を出していた。大きく裂けた口には数多くの歯が見える。少し離れた漁船がとても小さく見えるので、本当に大きいのだと思う。

「人に害をなすものではないのか?」

「北の方のいう『魔獣』とは違います。

 たいていは、もっと遠くの海にいるのですが、大潮のときは陸地の近くに来ます。

 理由はわかりませんが。」

 案内人が困った顔をした。

「…。」

「何か悪さをするわけでもなく、ただ泳いでいるだけなので、私たちも見ているだけです。

 では、お屋敷のほうへ。」

 案内人に促されて、馬のもとへ戻ろうとしたが、大声に足をとめた。

「子供が落ちた!」

 ヒューバートが海へ目をやると、彼から少し離れた崖の端から子供の姿が宙に浮いて見えた。子供はそのまま海に落ちる。

「ヒュー様っ!」

 従者のグレンの叫び声が背後で聞こえたが、ヒューバートは反射的にマントを脱ぎすて、帯剣を外して放り出すと勢いよく海に飛び込んだ。

 海水は重い。河で泳いだことはあるがここまで水を重くは感じない。

 ヒューバートは手を伸ばし、子供の身体を捕まえた。細身の身体に白髪の髪が絡んでいた。

 子供を抱えて海面に出た。子供の顔も海面に出す。気を失っているようだが、ゲホッと一度、水を吐き出したから大丈夫だろう。子供の顔を上げて片腕で水を掻き、上がれそうな場所を探したが、それらしき岸は見えない。

 急に海が震え、クジラの尾びれが海面を叩いた。

 それとともに海面が上昇し、二人は波頭に乗せられて流されてしまった。


 ◇◇◇


 ルーエは、頬に何かが触れたのを感じて目を開けた。

 崖から放り出されて海に落ちたはずだ。静かにしていれば、潮の流れで岩場にたどり着く。何度かそういう目にあったから、もうついていると思った。だが、辺りは暗い。

「大丈夫か?」

 知らない男の声。

 ルーエを覗きこむ顔は、白い肌に白い髪。大人の男。父さんよりずっと白い。

 ルーエが顔を横にして咳き込んだ。口に残っていた海水を吐き出す。

 覗きこんでいた男が背中をさすってくれた。それで楽になる。

「痛むところは、ないか?」

「…大丈夫。

 海に落ちるのは何度もある。」

 ルーエは身体をおこすと目を開いたり細めたりして周りを見た。

(ここ…)

「どうやら、あそこからここに流れ込んだようだ。」

 明るい方を見て白い男が言った。男もずぶ濡れだ。商人ではない。白い騎士服の襟が開いている。王国の『騎士』の服だ。商会の店で見たことがある。アミエリウスの騎士服。

「外に出られる道があるといいのだが。」男が呟いた。

 二人のいる場所は、洞窟の段になっている所だった。少し下は海面。

「『クジラ穴』だ。」

 ルーエがぼそりと言った。この海面の高さでは満ち潮の時刻に近い。

「『クジラ穴』?」

 白い騎士が聞き返した。

「皆、そう呼んでいる。

 海から見るとクジラの口の開いたのに見えるからだ。」

 まだ子供の甲高い声。騎士の男に笑みが浮かんだ。

「君はここを知っているのか?」

「まあな。」ませた返事の仕方。

「…隠れ家だ。」

「?」

「おっさん、もう一段上がらないと、

 そこだと溺れるぞ。」

 子供の指摘に騎士が立ち上がった。海面がそこまで来ていた。

 子供が先に階段状の岩場を上がった。洞穴に差し込む明かりが下になり、周りが暗くなる。

「こっちに出口が?」

「ちがう。

 クジラ穴の出入り口は海の方だけだ。これから満ち潮になってもっと海水が入ってくる。

 これ以上、濡れたくないだろ?」

「そうだな。」

 騎士の声は穏やかだった。暗い中でも銀色の騎士は目立つ。少しの明かりでもキラキラに見える。

 ルーエのあとを追って彼も上の段に移ってきた。

「空気が澱んでいない。

 風が通り抜ける道があるのか。」

 騎士が呟いた。

「朝になって、潮が引けば穴の外壁に階段が出てくる。

 そこしか上にいく道がないんだ。」

 ルーエが言った。

「詳しいのだな。」

「何度も、海に落とされた。

 海には流れがあるんだ。海に落ちるといつもこのクジラ穴のところに着く。壁の階段を昇れば崖の上だ。」

 そういってルーエがくしゃみをした。

「火を起こせればいいのだが。」

「火?」

「身体を乾かせたほうがいい。

 灯りもないと困るだろう。日が暮れてくる。穴の口からの明かりが無くなれば真っ暗だ。足元も危ない。」

 騎士は周りを見回した。かなりの暗さの中でわかるのは石が転がっていることと白い棒が所々に落ちていることだった。

「わかった。

 ちょっと待ってろ、おっさん。」

 ルーエが壁にしがみついて、よじ登った。騎士の背より高い所で足場が狭いのか、つま先で横に移動しながら手を伸ばした。岩場の隙間に手を差し入れると何かを引っ張り出す。

「あ!」

 ルーエが足を滑らせてしまった。慌てて騎士が抱きとめた。

「…えっと、ありがと。」

 ルーエを下ろしながら、騎士が微笑む。

 ルーエが包みをひろげると中から火打石と白い塊や乾いた木切れが出てきた。

「それは?」

 騎士が珍しそうに白い塊を指さした。

「クジラの脂だ。蝋燭の代わりに使う。」

「クジラの脂?」

「クジラ穴には、クジラの死骸が流れてくる。

 死骸は小さな魚や海の虫が喰う。

 骨に残った油のところを集めて固めると蝋燭みたいになるんだ。」

 ルーエが白い塊に木切れを立てると火打石を打ち付けた。が、なかなか点かない。

 騎士がルーエから火打石を取ると、一度で大きな火花が散り、木切れに小さな炎が灯った。炎が白い塊に届くと急に酷い臭いがした。騎士が袖で鼻をおさえた。

「クジラの脂は、臭いのがいやだ。」

 ルーエが怒ったように言った。

「身体につくと三日はとれねぇ。姉ちゃんにいつも怒られる。」

 不機嫌そうにルーエは言うと火のそばの岩に座り込んだ。

 クジラ脂は、時々、ぐつぐつという音をさせたが安定した灯りになっていた。

 彼らが流れ込んできた穴の入り口が暗く閉ざされ、聞こえてくるのは波の音だ。

「薪とかは無いんだ。

 薪を持ってきても、海の水で湿気てしまうから、役に立たない。」

 ルーエが申し訳なさそうにいった。

 騎士は濡れていた自分の上着を脱ぐと大きく振った。その上着をルーエの背中にかける。

 そして、ルーエの隣に座った。

「え?」

 不思議と上着の内側が乾いている。ルーエは自分の背中が温まるのを感じた。

「おっさん、何で? 

 落ちたのはオレだろ? おっさんも落ちたのか?」

 騎士を見上げながら、今更ながらつまらない質問をしたとルーエは思いながら訊いてしまった。

 えっという顔をしたのは騎士の方だ。

「…君が海に落ちたのを見て、思わず飛び込んでしまった。」

「バカだな!」

 言われた騎士に苦笑が浮かぶ。

「おっさん、泳げるのか!

 溺れたらどうすんだ!」

「水には強い方なのだが。」

「オレは海に慣れている!」

 ルーエが口を尖らせた。

(さて、どうしたものか…)

 困ったのは騎士の方だった。ルーエに上着を貸したので、彼は白シャツだけになっていた。濡れている身体に張りついていて、鍛えられている筋肉の線までシャツを通して浮かび見える。

 ルーエのおかげで灯りはできたが、服を乾かすところまではいかないようだ。それより臭いが酷すぎる。表情を変えない鍛錬を積んでいるが、眉間に皺が寄ってしまう。

「おっさん、よく我慢できるな。」

 ルーエが騎士を見上げて言った。二人は火の側に並んで座っている。

「脂の臭い、酷いだろ。

 フツーの奴は耐えられなくて吐いたりするぞ

 我慢してるの、凄いな。」

 騎士の顔に少し笑みが浮かんだ。

「『どのような状況でも平然としろ』と習ったから、かな。」

「…どこで?」

「騎士見習だ。」

「騎士見習?」

「『王立』の騎士養成機関だ。そこを修了すると『騎士』になれる。

『騎士』は、王国の騎士団に所属して、国の中枢を担っている。」

「中枢って?」

「国を支える大事な仕事をしている、ということだよ。」

「ふーん。

 おっさんは、『騎士』なのか。」

「まあ、そうだ。」

「『騎士』って、

 …稼げるのか?」

「え?」

「だって、稼ぎがないと生活していけないだろ。国の仕事をしてたって、ご飯は食べないといけないし、服も買うだろ?」

「そうだな。生活をするだけの俸給はもらえるよ。」

「…うちは、大きく稼ぐのが偉いって、姉ちゃんに言われてる。

 生活する分のだけじゃ、ダメだ。」

「?」

「うちは商人なんだ。」

「…。」

「儲けを出して、初めて価値があるって認めてもらえる。」

「商売って…。

 君はいくつなんだい?」

「いくつって… 歳か? 八さいだ。」

「…そうか。」

「なんだよ、

 おっさんはいくつなんだ?」

「…二十八。」

「…な、なんだ、本当におっさんなんだなっ!」

 フッと騎士が笑った。

「名前を聞いても?」

「…ルーエって呼ばれてる。」

「私は、ヒューだ。」

 ルーエと名乗った子供が膝を抱えて黙ってしまった。

 洞穴の入り口から光が消え、小さな灯りだけが二人を照らしていた。

 波の音が規則正しく聞こえる。

「…おっさんは、なんでオレを助けようとしたんだ?」

 子供の声は小さかった。少し、困ったようにも聞こえる。

「…息子を思い出してしまった。」

「子供がいるのか…」

「今年で、三歳になる。」

「ふーん。」

「その子が河に落ちたことがあって。」

「河?」

「ダーナ河だ。この街の郊外にあるだろう。」

「落ちてどうした!」ルーエがヒューの袖を掴んだ。

「沈んでしまって、浮いてこなかった。」

「死んじまうじゃねぇか!」

「すぐに飛び込んで、助けたよ。」

「よかったな!」ルーエの声が弾んでいた。本当にそう思ってくれているようだ。

「…君もそうならないかと、思った。」

「ならねえよ。

 オレは泳げるんだ!」

 ルーエが胸をはった。

 ヒューも笑顔を浮かべた。

「おっさんの子供って、やっぱり、白いのか?」

「え?」

 ルーエがヒューを覗きこんでいた。

「おっさんは、この辺の人じゃないよな。

 こんなに()()()()のは『王都』の人だよな。

 オレとは違う…」

 そう言ったルーエは南部特有の褐色系の肌。日に焼けすぎたのか十分に黒い。髪が白髪なので、余計に感じる。

 クジラの蝋燭の明かりでもその違いは判る。

「白いのはいいよな。

 綺麗だって、皆に好かれる。」

 ルーエがため息をついた。

「オレは黒すぎるからな、みんなに好かれていない。

 だから、海に落ちてもほっておかれる。」

「そんなことはないだろう。」

「…オレ、」

「?」

「…家族にも好かれてない。」

「…。」

 ルーエの言葉にヒューが困惑する。

「姉ちゃんは怒ってばかりだし、父さんは帰ってこない。

 南部じゃ、黒すぎる人間は『魔物返り』っていってすごく嫌う。」

「『魔物返り』って聞いたことがないな。」ヒューが呟いた。

「大昔、勇者様とかがいたとき、この辺は真っ黒な魔物がいたんだってさ。

 勇者様が退治して、黒い魔物を手下にしたから、黒い人になったって。

 オレは黒すぎるから、そいつらと同じなんだってさ。」

 ルーエが口を尖らせた。

「人のこと、化け物扱いしやがるんだ!」

「…そんなふうには見えないな。」

 白いヒューがクスクス笑った。

「なんだよ! 笑うことないだろ!」

「そんな話は聞いたことがないからだ。」

「へ?」

「南部にいた人々は商才にたけた優秀な人々だと聞いている。勇者様の入り用な品を調達して助けたそうだよ。

 だから、勇者の末裔から自由都市を認められてこのサザン=プトを治めている。」

「…。」

「私の家ではそう聞いている。」

「…。」

 また沈黙になる。

「それに、色白だからってみんなが好かれているわけではない。

 私は確かに銀髪で色が白いが、自分の息子には嫌われている。」

「息子だろ?」

「笑ってくれたことがない。」

「そんなもんじゃないのか?

 オレだって、父さんにいつもへらへら笑っているわけじゃない。

 腹立てているほうが多い!」

 ルーエのほうがムキになっていた。

 苦笑いを浮かべて、ヒューは何も言わず、洞穴の向こうを見た。

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