終章
何者かに狙われていた。どうにも腑に落ちない侍は、また例の古井戸へと出かけた。だがそこには…。これで完結です!
昨夜の襲撃事件から一夜明け、拙者はまた”例”の古井戸へ出掛けた。
どうしても童に聞かなければならないことがあった。
『お前達は何が目的なのだ』と。
古井戸が見える位置まで来ると、何者かが井戸の中を覗きこんでいるのが見えた。
…童ではないな…
そこには”左腕に傷”を負った、町人姿の男が立っていた。良く見ると着ている物は小汚く、ひどく痩せていた。
…む。あの傷は――…
「もし。井戸の中に何かあるのかい?」
背後から声を掛けると男は体をビクつかせ、震えながらこちらへ振り返った。
「こ、これはお侍様。いえね、少し気分が悪くなったので休んでいたのです」
唇を震わせながらそう答えた。やけに挙動不審だ。
「ほう、気分が悪いのは”その傷”のせいか?」
拙者はかまをかけるように訊ねた。
「ア…、いえ、この傷は昨日の野良仕事の時に怪我をしてしまいまして。へへ…」
その刹那、拙者はその男が嘘をついていることに気付き、関の孫六兼元の柄に右手を掛けた。
「おまえの”手”を見れば判る。農民ではないだろう、野良仕事などしていない。そして、その傷は太刀筋によるものだ」
そう言いながら、スラリと関の孫六兼元を鞘から抜いた。美しい三本杉の刃文が陽の光に反射した。
すると男の顔はいっきに強張り、額から汗が流れ出した。
「なな、何をおっしゃいます、お侍様…。どうか刀をお納めくださいまし」
「昨夜、拙者の屋敷へ忍び込んだのは貴様だな。その傷と、先ほどの嘘で確信した。覚悟は出来ているだろうな」
拙者は男を威嚇するかのように、じりじりと歩み寄った。
「お侍さま!!」
その時、背後から童の怒声が響いた。
振り返ると、そこには怒りに満ち溢れた表情の童が立っていた。
「嬢ちゃん…」
「お侍さま。仇を討って!」
童は怒りに任せ、吐き捨てるように訴えてきた。
「なに、仇?仇だと?」
「そいつが、あたいのおっ母を殺したの!そいつを探していたの!」
「なんだと?!」
拙者は男を睨みつけた。
男は童の顔が目に入るやいなや、がたがたと肩を震わせながらうめき声を上げた。
「わわわわ…童ぇぇぇ…!ななな、なぜここに…!おぬしはあっしが”この手で確かに”…な、なぜじゃ!ななな何故じゃぁぁぁああ!」
まるでこの世の者ではないものを見たような、狂気に満ちた表情になり、数歩後ずさりした。
「オマエがおっ母を殺したんだ!殺してその井戸に捨てたんだ!!」
童は顔をぐしゃぐしゃにしながら泣き叫んだ。
―チャキッ
拙者は太刀先を男の顔に向けた。
「おい、正直に申せ。さもないとこの場で斬り捨てる」
男の血走った眼は童の顔を一心に見つめ、まさに恐怖の頂点へ達していた。
「ばばばば、化け物じゃぁぁぁ…。化け物じゃぁぁぁあああ!!!」
そして、こちらが気負いしてしまいそうなほどの絶叫を上げた。
男は慌てて後ずさりしたため井戸の淵に足をつまづき、そのまま背中から闇の中へ落ちてしまった。
「おいっ!」
拙者は駆け出して井戸の中を覗き込んだ。
「助けてくれ!手が!女の手がぁぁぁ!!ぅぅううごごぉぉ」
その刹那、深い井戸の底で”白い女の手”が見えたような気がした。
男は意味不明な事を叫んでいたが、すぐに”その声”は聞こえなくなった。
「ありがとう」
背後から童の声がしたので振り返ったが、そこに童の姿は無かった。
その後、佐衛門が取り仕切る奉行所の者の手により、井戸から男の遺体が引き上げられ、身元が判明した。
男の名は、弥吉。
数年前に忍びの里を破門になった元下忍で、この街に町人として移り住んでいたそうだ。
佐衛門の調べによると、一年前に田島という侍に女房を斬られ、気がふれて行方不明になっていた”夫”というのは、その弥吉であった。
田島への復讐を果たせなかった弥吉は、夜な夜な町の女に斬りかかり、女の右腕を切り落としては、”侍の屋敷”へ無差別に送りつけていたという。
ある日、弥吉が古井戸の傍で斬った女には娘がおり、犯行を目撃されたため、その娘の首を絞め、母親と一緒に井戸の中へ投げ捨てた。
冷たい井戸の中で母子の”無念”が残り、弥吉を暗い井戸の底へ導いたのかもしれない。
気がふれて激痩せする以前の弥吉は、背格好が拙者とよく似ていたらしい。
その夜、童とその母親と思われる町人姿の女が手をつなぎ、楽しそうに笑い合いながら何処かへと歩いて行く夢を見た。
去り際に、女がこちらを振り返って呟いた。
『ありがとう』
それ以後、例の古井戸の傍に花が咲くようになり、その周辺には甘い香りが漂うようになった。
―完―
貴重なお時間を割いて最後までお読みくださり、誠にありがとうございます!
初めて創作した文章です。
色々とご指摘やご感想などいただけましたら、今後の参考や励みになります!
また何か新しい物語を書いていきたいと思いますので、どうぞ今後ともよろしくお願い致します。