第二章
童に出会ってから、不可解な事が起きるようになった。
いったい童とは何の関係があるというのだろうか?
第二章です。
―チュン チュン
十一月早朝の寒気と共に、障子戸の隙間から、かすかに”臭い”が入ってきている。
味噌の香り…。女中(屋敷の使用人)が朝食を作っているようだ。
小鳥のさえずりと心地よい味噌汁の香りで意識がハッキリとしてきて、むくりと布団から起き上がった。
…昨夜の”あれ”は何だったのだろう…
昨夜、寝ているときに起こった出来事を思い返してみた。
足首に手形も付いていないし、体に爪の傷跡も、首の痛みも無い。
…夢だったのか。悪い夢。しかし味噌の香りと共に室内に漂う、この甘い香りは何だ…
戸を開き、朝の陽の光を浴びながら両手を天にかざし、”う~ん”と伸びをした。
振り返り室内を見渡したが、何も変わったところは無い。
部屋の奥には書棚が並び、その横には書き物机、床の間には”関の孫六兼元”が威風堂々と置かれている。
「ふん。やはりただの悪い夢だったのだ。あんな物の怪のような光景が実際にあるわけがない。ははは!」
しかしこの安堵の気分は、その後すぐ、かき消されることになった。
顔を洗いに庭の井戸へ行こうとすると、向こうから太助がやってきた。
「おう太助、寒いのう!昨夜はぐっすり眠れたか?ははは」
拙者は自分にしかわからない冗談を含みながら声を掛けた。
乾いた庭の砂地を草鞋で踏みしめる音が近づく。
―ザッザッザッ
太助は俯いたままこちらへ歩いてくるが、拙者の声には何も反応しない。
良く見ると、青白い顔をしている。
…?…
左脇には古布で何かを包んだ物を抱えていた。
「太助?おい」
「…あっ? ああ、旦那様…。おはようございます」
太助はまるで白昼夢から覚めたかのように、驚いた様子でこちらに顔を向けた。
「どうした?」少し心配になり拙者は太助の顔を覗きこみながら言った。「顔色が悪いようだが」
「ア…、ええ。実はそのことでご報告をしなければと…」
「報告?こんな朝っぱらから、そんな青い顔をして、何を報告するというんだ?」
太助はまた少し俯いて、意を決したように話し始めた。
「き、昨日、旦那さまにご同行して調べた古井戸なのですが――」
「あぁ、太助に底へ降りて調べてもらった井戸か。」
「ええ。旦那さま、おっしゃっていたではありませんか。”井戸の底に女の手が落ちている”、と」
「あぁ、うん。童の戯言を少し気にしてしまったまでだ。あの事はもう忘れてくれ」
「いえ、それが…。と、とにかくこれをご覧くださいまし…」
太助は強張った顔をこちらへ向け、震えながら左手に抱えていた包みを差し出した。
「何だこれは?」
受け取った包みは妙に冷たかった。
その冷たさは、早朝の寒気にさらされて冷えたのではなく、包まれている中の”物”そのものが冷たいのだと感じた。
包みを縁側廊下の床に置き、指先でつまむようにしながら開いた。
「うっ!これは!」
そこには、血の通っていない青白く不気味な”女の手”が現れた。
肘から先が無い。昨夜”悪夢”の中で見た、”それ”と同じだった。
「太助!こ、これは…!これをどこで…!」
「い、井戸です。空が白みがかってきた明け方に、庭にある井戸から水を汲むと、これが一緒に上がってきたんです…」
「なんだと?!この屋敷の井戸から出てきたと言うのか?!」
「は、はい…。とにかく旦那さまにご報告しなければと、懐に入れてあった布に包み、お目覚めになるのを待っておりました。」
「しかし、何故この屋敷の井戸に…。昨夜は無かったんだろう?」
「は、はい…。昨夜汲み上げた時は、何も異変はございませんでした。もしかすると深夜の内に、”誰かが投げ入れた”のでは、と…」
…誰かが投げ入れた?…
まったく意味がわからなかった。誰が何のために、我が屋敷の井戸へ投げ入れたというんだ?
つまり昨夜、何者かが敷地内へ忍び込んだというのか?そして井戸の中へ”血の抜けた女の手”を投げ入れたと?
冷たい”手”を凝視したまま、しばらく考え込んでいた。遠くから、「お食事のご用意が出来たから、旦那様をお呼びしてさしあげて」と、小さく女中の声が聞こえた。
だが朝食など、どうでもよかった。しばらく自問自答していたが、答えなど出るはずもなかった。
「太助、奉行の佐衛門を呼んできてくれ」
「へ、へえ」
奉行の”近山佐衛門”は殺人事件の専門家で、これまでいくつもの難解な事件を解決してきた人物だった。
わけがわからない拙者は、とにかく、その道の専門家にも考えを絞ってもらうことにした。
なぜうちの井戸に女の手が?!
第三章へつづきます。






