第一章
はじめて創作した物語です。
侍が体験したこの奇妙な出来事には理由があります。
つたない文章ですが、最後までご覧いただけるとしたら、これ以上の幸せはありません!
よろしくお願い致します☆
時は戦乱の世。
戦に明け暮れる武士どもが、我が物顔で往来を闊歩する時代。
その街は交通の要所であり、大多数の公家や商人・町人たちで賑わっていた。
拙者はその街を拠点とした大名家にお仕えしている侍だ。
ある日、いつものように剣術の腕を磨くため、四丁目にある道場へと足を運んでいた。
四つ角に差し掛かったあたりで、ふと前方に目をやると、そこには苔のびっしり生えた古井戸があり、その中を真剣に覗きこんでいる童がいる。
童は井戸の淵に小さな両手を置き、落ちるのではないかと思うくらい身を乗り出し、顔を暗い井戸の中につっこんでいた。
「やあ、嬢ちゃん」拙者は何気なくその童に声をかけた。「そんな汚い井戸の中に何があるんだ?」
「あっ。お侍さま!」
童は振り返り拙者の顔を見ると、無垢な笑顔で愛想を振りまいた。
黒ずんだ紅色の小袖を着た、八歳くらいの少女だった。
「何かその中に落としたのかい?」
拙者は童の隣に並び、右手を井戸の淵に置いて中を覗きこみながら訊いた。
「なにも落としてないわ。ほら、あそこに”手”があるの」
「手だと?」
突飛な事を言うので、思わず童の横顔を見直した。
…身投げか?… あえて言葉には出さなかった。
童はカビ臭い暗い井戸の中を指差している。
拙者はその指先を眼で追って”手”とやらを探した。
「嬢ちゃん、侍をからかうのはよせ。手など無いではないか」
「からかってなんかないわ。井戸の底から生えているの」
「底から生えているだと?どんな手だ?」
童の戯言だとわかっていながらも、拙者の好奇心がそんな質問をさせた。
「右手よ。白い女の人の手が肘あたりから生えているの」
「女の腕? 暗くてよく見えないが、腕など見当たらんぞ」
「そう…。時々その腕が手招きするの。その時だけ甘い香りがするわ」
くだらないと思いながら童の顔を睨むと、童の眼はいたって真剣なのがわかった。
その大きな瞳は、じっと井戸の中を見つめている。
「よし、下僕(屋敷の使用人)を呼んできて下へ降りさせよう。そうすれば底に何があるかわかるだろう。嬢ちゃん、そこで待っていてくれ。井戸に落ちるなよ」
童はこちらを見て微笑んだあと、すぐにまた井戸の中へ視線を戻した。
拙者はそんな童を尻目に自分の屋敷へ下僕を呼びに戻り、そしてすぐに太助という名の小柄な体の男を一人連れて、また井戸へ向かった。
井戸の近くまで来るとすぐ異変に気付いた。遠目からでも井戸のそばに童がいないことがわかった。
…落ちたのか?!…
慌てて井戸まで駆け出し、中を覗き込んだ。しかし童どころか、虫一匹見当たらない。
…なんだ帰ったのか…
しょせんは童の言うことだと自分に言い聞かせながらも、少しだけ落胆してしまった。
尋常ではないあの真剣な眼差しに、好奇心を抱いてしまっていた。
なんとなく気になったせいもあり、せっかく太助を連れてきたのだからと、念のため縄梯子を下ろして太助に井戸の底を調べさせた。
「どうだ太助ー。何か落ちてないか?」
拙者は暗い井戸の中を覗きこみながら訊ねた。
「旦那さまぁ!小さな水たまりがあるだけで、なんにもありゃしませんぜー!」
わずかに陽の光が差し込む深い闇の底から太助の声が響いた。
使われていない古井戸のため水はほとんど無く、地面がむき出しになっていたそうだ。
縄梯子を伝って登ってくる太助に手を貸していると、ふと彼が奇妙なことを言った。
「しかし、なんでしょうね」
「うん?何がだ?」
「いえね、妙に甘い香りがしたんです」
「ほう、それは童も言っていたな。だが拙者はカビの臭いしかしなかったぞ」
「ええ。最初はカビの臭いだけでしたが、底へ降りるごとに甘い香りが強くなったんです。何かの花のような…」
それにしても童はどうして勝手に帰ってしまったのだろう。童の言っていた『白い手が井戸の底から生えている』、というのがどうにも気になる。なぜか戯言のようには思えなかった。
あの後、道場へ行くのを止め、童がどの家の子なのか調べてみたが、皆目見当がつかず名前すら判明しなかった。
草木も眠る丑三つ時。深夜独特の静寂が広がっている。
拙者、いや侍の魂とも言える自慢の大業物、”関の孫六兼元”を床の間に置き、真新しい畳の香りがする寝室で浅い眠りについていた。
―ピチャン ピチャン
障子の戸を隔てた庭のほうから、水の滴る音が聞こえる。
…雨か?…
小さな雫の落ちる音で目を覚ましてしまった拙者は、足元に何やら違和感を感じた。
冷たい何かが足首に巻きついている感覚。
左足首に…。
月明かりに照らされた部屋で一人、じっと掛け布団を見つめた。
意を決して掛け布団をめくり上げ、足元を見た刹那、背筋が凍り悪寒が走った。
女の白く細い右手が拙者の足首を掴んでいる…。
恐怖のあまり、しばらく”それ”を凝視したまま体が固まっていた。
すると”それ”が這うように足元から上ってきた。
…こ、これは何だ?!童が言っていた”手”なのか?!…
這い上がってくる手を叩き斬ってやろうと、床の間にある関の孫六兼元を取りに立とうとするが、体が動かない!
”それ”は、爪で拙者の体を引っ掻くようにしながら這いずり上がってくる…。
良く見ると、肘までしか無かった。胴体などは一切無い。つまり”腕”のみなのだ。
やがて”それ”は拙者の首をつかみ、怪力とも言えるもの凄い力で絞めつけてきた。
―声が出ない
”それ”を引き剥がそうと試みるが、あらゆる剣術や体術の修行を積んだ男の力でさえ、それを成し得ることは至難の業だった。
そのまま拙者は意識を失ってしまった。
第二章へつづく!