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とある王子の死

 アベル王子が検問を封鎖しても、フェーデとガヌロンは掴まらなかった。

 仲間と思われる男が捕まったが、白状した逃走経路は偽物で無駄足を掴まされたのだ。


「なぜだ……!」


 あの貴族然としたガヌロンが一瞬の隙をついてフェーデを攫う? 公爵の地位にいる男が強盗のようなマネを働くなど、ありえない。


 ましてフェーデを抱えて、なぜ逃げ切れる。

 フェーデが協力していたという兵士の言葉は事実だというのか。


 フェーデがいなくなってから、すでに十日が経過していたが、何も手が着かない。


 

 『あなたとの生活はもううんざりです。実家に帰らせていただきます。


 フェーデ・ヴィドール』



 フェーデが残した別れの手紙を見返しては落ち込んでしまう。これは、ガヌロンがフェーデに書かせたものだと確信しているが、それでも傷つきはする。


 思えば、フェーデはずっとそばにいてくれた。

 食堂でも執務室でも、遠出する時もついていきたがった。


 だが、今はフェーデはいない。

 どこに行くにもついてきて、怖くなるとぴたっとくっついてきたフェーデはいない。


 まるで心の一部が切り離されたような気分だった。

 心が痛むとはいうが、本当に痛い。絶え間ない激痛が心を摩耗させていく。


 フェーデは今、無事だろうか。

 そう思うと気が気ではなかった。



「アベル殿下、いらっしゃいますか?」


「アンナか、今は一人にさせてくれ」


「そうはいきません、私はあなたの妻になるのですから」


 アンナは傷心の隙を突いて心の隙間に入り込もうと近づいていたが、すぐに見透かされていた。


 初日はあれだけ怯えていたアンナも、今ではだいぶ必死になっている。

 そこにはそれだけの理由があるのだが、傷心のアベル王子には気づけない。


「僕が愛すのはフェーデだけだ」


 何を言ってもなびかないアベルに、情で訴えても仕方が無い。

 アンナは方針を変えた。


 ああ、このひとは。

 本当にフェーデのことを愛しているのだ。


 なんということだろう。

 恐ろしいが、ここでアベルを止めなければ。もっと恐ろしいことになる。


 死にたくない。

 ただそれだけが、アンナの行動原理だった。


「アベル様、これは政略結婚なのです。愛や恋で考えることではありません」

「フェーデと結婚する? それはどうやって?」


 ただ、事実を指摘するアンナにアベルは憮然として言った。


「停戦条約のことを言っているならただ何があったかを説明すればいいだけのことだ。ヴィドール家は批難されるだろうが、間違いしたなら頭を下げるのは当然だろう? 謝罪して説得すればいい、何がおかしい」


 ああ、このひとは本当にただ正しいだけなのだ。

 これまで、すべてそれでうまくいってきたのだろう。


 そんなこと、何の意味も無いのに。


「そう、あなたにとってはそうなのね」


 どこか諦めたようなアンナの言葉に「どういう意味だ?」と詰めた。


 ああ、やはりそうだ。

 ひとは都合の悪いものを見ようとしない。


 そっと目を逸らして、気づかないフリをするのだ。


「仮に、ヴィドール家が罪を認め。私でなくフェーデを送り込んだことを認めたら、それはランバルドからフリージアへの侮辱に等しいですよね」


 そうだ。だから謝罪を。

 アンナは怯えながら続けた。


 超えてはならないラインを、踏み越える。


「謝罪して、許して貰えるとお思いですか? 公爵家と言えど、貴族はヴィドール家だけではありません。なぜ、不祥事を起こしたヴィドール家を取引に使うのです? 他の貴族でも構わないのに? また裏切るかもしれないヴィドール家を誰が信じるのです」


 言われてみれば確かにそうだった。

 なぜ今まで気づかなかったのか。


 いや、気づかないようにしていたとしか考えられない。


 気づいてしまえば、フェーデと共に過ごす時間は仮初めのものとなるからだ。別れがやってくるからだ。愛したかった、愛されていたかった。そんな日々がずっと続けばいいと思っていた。やがて来る終わりを認めることができなかった。


 希望が判断を鈍らせたのだ。



「私達は当初、あなたがヴィドール家をフェーデ共々潰すつもりだと思っていました。だって、そうでないと辻褄が合わないでしょう?」


 フェーデが嫁ぎに来たことを告げれば、それだけでヴィドール家の地位は地に落ちる。そうなればフェーデと結ばれることなどできるはずもない。他の貴族の娘があてがわれるだけだ。


 アベルとフェーデが結ばれる未来など、最初からどこにも存在しなかったのだ。


「謝罪しても許して貰えないのに、なぜ謝罪する必要があるのですか」


「どうせ許されず、報われないのなら、せめて騙しきってその場を乗り切ろうとするのは、当然ではないですか。それしか手立てがないのですから」


 謝罪して説得しろと言われたガヌロンの心中は、一体どのようなものだったろう。

 今思えばあれは公爵としての死刑宣告に等しい。


 ガヌロンが話し合いを諦め、強行策に出ることを決めたのはあの時だったのかもしれない。


「その通りだ……」


 正しくあることが、間違いになることもある。

 認めるのはアベルの方であった。



 アンナは続ける。


 これは政略結婚です。

 あなたが私を選んでくれさえすれば、すべては丸く収まる。


 そんなにフェーデのことが好きなら、また会えるように手配もしましょう。私のことを愛してなんてくれなくていい。別の人を愛していたって構わない。


 ただ私は。

 私は死にたくない……。


 

 平民出の若き王子はようやく、その重責と目が合った。

 もはやその身は自身のものにあらず。


 その心も愛も、血の一滴至るまで政治に消費されるのが王族という機構なのだ。


 人の呪縛に捕らわれたまま、アベルは選択する。

 その意味を理解したアンナは心の底からぞっとした。

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