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【完結】死に戻り令嬢、敵国の王子に溺愛される  作者: 間野ハルヒコ


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ノンフィクション

 劇は愛しげに赤子を抱く夫婦から始まった。

 まるで一枚の絵画のような幸せな光景、赤子を慈しむ二人はすぐに引き裂かれることとなる。


 つまるところ、この話はほぼ、令嬢の人生そのものである。

 産後の肥立ちが悪く死亡した母、残された娘をよそに再婚する父。


 爵位は公爵家ではなく、成り上がりの男爵が武功を重ねて陞爵した伯爵家になっている。細部は違うが概ね同じだ。


 この台本において、父が娘を忌み嫌う理由はその愛故だった。

 愛していたからこそ、妻の死と引き換えに産まれた娘に憎しみを募らせる。


 愛そうとした。

 妻の忘れ形見だと、大切にしなければと自分に言い聞かせた。


 しかし、父の激情は薄れることなく心を蝕み、歪ませていく。


「お前さえ生まれてこなければ」


 そう思わずには居られない。


 父親役を演じる座長は昔、妻の出産の際に妻子を失い。それから独身を貫いていると言っていた。それが事実かどうかはわからないが、演技に籠もる熱量は本物だ。


 再婚した継母と連れ子はいけすかない性格をしていた。そもそもが財産目当ての結婚なのだ。だというのにこのままでは財産を得るのは直系の娘になる。どうにか阻止しなければ。そう考えた継母と連れ子は事あるごとに娘を殺そうとする。


 娘に危機が迫る度、一匹の猫がミルク瓶を倒して床を汚したり。藁の紐をかみ切って積み荷を台無しにしたりして、悪人の気を逸らすのだ。


 猫は素早いので怒って追いかけても、すぐに逃げられてしまう。

 そんなこと本当にありえるの? ありえるのである。


 この猫は本物を使っている。

 実際に目の前で起こっているものだから、もはや信じる他ない。


 世間では本来、猫に芸を仕込むことはできないと思われているが、黒猫一座の猫は別である。犬の群れと一緒に育てると、猫が犬のように振る舞い、芸を覚えることがあると知っていた。


 一度芸を覚えさせてから猫らしい動きを仕込めば。猫役者の完成だ。この猫はへたをすると人間の役者より人気がある。なんてったって猫はかわいいからだ。この猫たちは黒猫一座の目玉のひとつなのだと、裏方のおばさんが自慢げに語っていた。


 もちろん他の一座で同じ事はできない。どうやって芸を仕込んでいるかは長年の秘密である。

 

 猫に屋敷を引っかき回されて悪い継母が慌てふためく度、劇場では笑いが広がった。自分よりもえらいものを馬鹿にしたいという後ろ暗い欲望を、黒猫一座は叶えていく。


 時は進み、娘が成長する。

 ここで観客達は驚くことになる。


 成長した娘はこれまでの舞台で散々見てきた令嬢を演じた役者だ。前回の主役が次の劇でも主役を張ることはよくある。よくあることだが、ひょっとしてこの娘とこれまでの令嬢は同一人物なのではないか? そんな気持ちにさせる。


 衣装はボロ布だが、化粧は似ている。もしかしてあの悪役令嬢の過去編ってこと? いいや、どうかな? でもでも、この台本(ほん)を書いたのは本物の令嬢らしいぞ。じゃあ、あるかもな。


 そんな言葉がまことしやかに広がっていく。

 すべて計算のうちである。令嬢役のマリーはたっぷりと間を取り、ざわめきが収まるのを待つと、いじわるな継母の嘘によって、地下に閉じ込められていると歌う。


 ここの演出が上手かった。劇場を暗幕で包み、魔力灯の明かりを落とすことで暗さを出す。暗くしている間に役者達は音もなく前のシーンで使った大道具を片付けていく。


 暗闇の底から響く歌が盛り上がりはじめたその時、魔力灯がともった。

 何もかもが入れ替わり、舞台は暗澹とした地下室の様相になる。


 床には石のような模様と、家畜小屋のように撒かれた藁がある。

 物は動かせても床を張り替える時間はないはずだ。


 魔力灯の表面に模様を描いた薄紙を張ると、模様部分が光を阻害し、光で模様をつくっているのだが、大多数の観客にはわからない。ただ驚くばかりだった。


 ちなみにただマネしようとすると、魔力灯が熱をもって爆発する。猫と同じく正確な手法は一座の秘密である。


 コツコツと石床を歩く音がした。

 娘は猫を抱きかかえ、地下牢の隅で縮こまっている。


 投げつけられる皿、飛び交う罵声。

 皿は空だが中身があるという設定らしい、猫役の猫が見えない食事を舐めていた。


 心優しい娘は自分の食事をとられても、ただ猫を撫でるばかり。

 そんな姿に継母は歯ぎしりをし、父と連れ子にあることないこと吹き込みまくる。


 あの娘は欠陥品だ。あの娘はどこかおかしい。あの娘は壊れている。あの娘は危害を加えようとした。あの娘に殺されかけた。あの娘にあの娘にあの娘に。


 もとよりそう言って地下に閉じ込めさせたのだ。似たような事を繰り返していると訴えても、疑われることはない。


 娘に与えられる罰は日々苛烈になっていく。


 殴られ、蹴られ、毒を盛られ。

 もちろんそれらは演技なのだが、見るに堪えない光景が続く。



 ここまでくると観客たちも薄々気づき始める。

 これは本当に空想か?


 何不自由なく生きた年若い令嬢が、このような凄惨を劇にする意味は何だ? この生々しさは何だ? なぜ令嬢はこの台本(ほん)を書いた?


 いやいやまさか、ひょっとして。

 これは本当にあったんじゃない?


 実物の闇を前にして観客達が息を飲む。

 これは令嬢の人生そのものなのかもしれない。


 だったら、トロンに嫁いだあの令嬢は……。




 劇は偽物だ。

 ハリボテの背景と演者の嘘でできている。


 だからこそ。

 そこに真実が見える時、劇場は輝きを増すのである。

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