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キャッチポール卿

 トロンでのめまぐるしい取引を見ながら、固唾を飲んだのは税務署長のキャッチポール卿だ。


 税を撤廃したことで経済が回るのは当然、ここまではいい。だが、その税を撤廃したことが問題なのだ。トロンでどれだけ商品が取引されようが1セレスも税金にはならないわけで、このままでは辺境城塞都市トロンは緩やかに死を迎えるだろう。


 だというのにアベル王子と令嬢は関税の増税を急には行わずに関所を増築し、警備の兵を訓練するばかりだった。従来の関税はかかっているので税収がゼロというわけではないが、それでもやっぱり不安である。


 ここが生命線なのだ。

 もし、関税が増大したことで行商人たちがトロンへの興味を失い、別の都市での取引を選ぶようになったら大損でしかない。


 アベル王子が提案した兵役免除の人頭税は支払いがまだだいぶ先である。トロンから活気が失われ、人がいなくなったら。誰も税を払うものがいないではないか!


 悪夢の中、廃墟となったトロンでキャッチポール卿は月を見上げていた。ああ、やっぱり滅んでしまった。あんなめちゃくちゃなことをしてはいけなかったんだ!


 こうしてキャッチポール卿は夜にうなされ、昼にうとうとする生活を余儀なくされた。

 言いようのない不安に駆られて、やっぱりやめましょう。元に戻した方がいいはずですよと直訴してみたこともあったが、無駄だった。


 あの冷徹な幼い令嬢は「あんたなんか嫌いよ! ふーんだ!」ととりつく島もないし、アベル王子に至っては、何が面白いのか爽やかに笑うだけである。


 会議の一件で令嬢の機嫌を損ねたのは大きな失敗だった。最近は世界各地の珍しいお菓子を送るなど、地道な努力を積み重ねているところだ。


 間に合わない、絶対間に合わない。

 亡命したほうがいいかなァ。でも、せっかくの爵位を捨ててまで……。


 そんなことを考えていたある日、運命がやってきた。


 増税の日である。




「え、は? 高すぎませんか? 何かの間違いでは?」

「トロンではこんなやり方がまかり通るのですか」


 行商人たちは関税の高さに抗議したが、兵は取り合わない。

 会話は平行線になっているようだった。


 関所の奥で男が一人、息を飲む。 

 ざわつく行商人たちの前に税務署長キャッチポール卿がにこやかな顔をして現れた。


 この日の為に鏡の前で練習した渾身の笑顔である。


「この税務署長キャッチポールが皆様に説明をさせていただきます!」


 ストレスで激太りした身体の前に肥えた五指を開いて、包容力を見せつける。


 平民に対して貴族がこのような対応をするなどありえないことだったので、行商人たちは「話を聞いてみるか」と居住まいを正した。


 キャッチポール卿は本当は逃げ出したかった。何もかもかなぐり捨てて、どこかへ行ってしまいたかった。


「だって、こんな重責おかしいじゃないですか。なんで私がトロンの命運を背負わなければならないんですか。私はただの男爵なんですよ。そこまで重大な責任を負う義務なんてないはずだ」


 そう言って、アベル王子に泣きついたこともある。


「それはお前が適任だからだ」

「私のどこが適任なんですかァ~~!!」


 身悶え、頭を掻きむしるキャッチボール卿。

 口をひらいたのはあの幼い令嬢だった。


「あなたほどトロンを愛している者が他にいないからよ」


 少し前に献上されたハチミツ菓子のキューブを口に放りながら、令嬢が続ける。

 本当は口もききたくないが、渋々という風だった。


「あの会議の中でトロンが滅ぶ可能性を指摘したのはキャッチポール卿、あなただけなの。王族や公爵家に逆らうことになるとわかっていても、爵位を褫奪されるかもしれなくても、あなたは声をあげずにはいられなかった」


 本当は既得権益を守ろうとしただけとは言えない。

 王子が元平民だったから舐めていたとか、令嬢が幼いから怒鳴れば言いくるめられるだろうと思っていたとも言えない。言えるわけがない。


「ま、他にも色々ゲスな感情はあったんでしょうけど。どうでもいいわ、もう興味ないもの」


「ぎくっ」


 脂汗をかくキャッチポール卿の心を見透かすように、令嬢はまっすぐに言葉を投げた。


「でも、それでも。あなたの愛は本物です。愚かで蒙昧で、目上の人間に舐めたことをしてしまうどうしようもないところもあなたですが、トロンのことが心配すぎて寝不足になっちゃうのもあなたなのです」


 そう言われたキャッチポール卿の目の下には立派なクマができていた。

 ハチミツ菓子が小さな口に放り込まれる。


 確かに、言われてみればそうだった。逃げようと思えば逃げることだってできたのだ。なのに今もキャッチポール卿はトロンにいる。トロンをどうにかしようとして、令嬢に貢ぎ物をし続けている。


 それは何もかもトロンの為なのかもしれなかった。


「今回はいい学びになりました。ひとって意外と自分の物語のことをよくわからないでいるのね」


 その一言でキャッチポール卿の物語は完全に書き換えられた。

 本来のキャッチポール卿は怠惰でずるく、責任を他人に押しつけるばかりのどうしようもない男だった。


 それが今や、辺境城塞都市トロンを守る名士のような誇り高さに包まれている。

 

(やるぞやるぞやるぞやるぞ!)

 

 大股で去って行くキャッチポール卿の後ろ姿を見ながら、令嬢は確信していた。


 人の心は。

 人が持つ物語は改竄できる。

 

 本人が元々持っている側面を増幅させることで、人格は書き換えることができる。


 優しい言い方をするなら、人は変われるのだ。





 行商人たちの前でキャッチポール卿は逃げ出したい自分を押さえつける。

 

(大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫ッ!)


 鏡の前で散々練習してきた税制変更によるメリットの説明はもう身体に染みついている。声色も仕草も完璧だ。怯えても恐れても、それが顔に出ることは絶対にない。


 課せられた責任がキャッチポール卿を急激に成長させていた。

 そこに一切の怯えはなく、むしろ絶対的な自信があふれ出しているように見える。


 ここまでくるとちょっとダンディにすら見えた。


「ご安心ください。こちらは保険も兼ねているのです」


 保険という言葉に行商人達が耳を立てる。

 ただ税を取られるだけではないのなら、話は大きく変わってくる。


「この関所からトロンへ着くまでの間、あらゆる、すべての暴力から我々がお守りいたします」


「狡猾な野盗からも! 理不尽な嵐からも! 国家間の戦争からもです!」


 も、もし、守れなかったらどうするつもりなんだ!

 不安げな行商人の声にキャッチポール卿は不敵な笑みを返す。


「その際には全額をトロンの城主、不在卿が保証いたします!!」

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