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全ての終わりに微笑みを  作者: 橘樹儚椛
8/12

8、忘れ草

 いつもと変わらない放課後、そこに一台の救急車の音が鳴り響いていた。

 その音は校庭近くを掃除していた俺の耳にも届くほどで。

 突如その救急車のサイレンが学校付近で止まったことにより、部活動真っ只中だった生徒たちは嬉しそうに騒ぎ出していた。


「誰か倒れた?」

「おい、見に行こうぜ」


 顧問が留守にしていた部活動の生徒たちは数人ずつで固まって皆音の方へと走り出していた。

 その波に便乗し、掃除をしていた俺も何気なく音の方へと近づくように歩いて行っていた。




 俺が救急車の停まっていた正門側に着いた時、そこにはすでにたくさんの生徒たちが正門を埋め尽くすように集まっていた。

 そんなやけに騒がしい野次馬の先で、俺の目にも誰かが運ばれていく様子が見えた。

 部活中に誰か倒れたのか。俺には関係のない誰か……

 だいぶ涼しくはなってきてはいたものの、部活動というのは大変なのだなぁと俺は他人事らしく思っていた。


 そういえばこの正門前も涼しくなってきた気候の影響から枯れ葉が多くなってきていた。

 それは正門前にある立派で大きな木が関係していて。

 その木は季節によっていろんな移り変わりを見せてくれるが、この季節に降る枯れ葉は俺の掃除を悩ませるほど大変なものだった。

 けど今ここの掃除を始めるにしても人が多すぎるな……

 この騒がしい生徒たちがいなくなってから始めようと思い、俺は様子を見ながら少しの間は待っていた。けど、


 まだ戻る気配はない、か……

 一度部活を抜け出して来た生徒たちがその場からなかなかいなくなることはなく、痺れを切らした俺は端の方から少しずつ枯れ葉の掃除を始めていくことにした。






 しばらく学校に滞在していた救急車がやっとのことで学校から出ていくと、騒がしかった生徒たちは忽ちそれぞれに散らばっていき、正門前にはまた静かな空間が戻ってきていた。

 やっといなくなったか……

 生徒たちがいなくなったことで、正門前の枯れ葉の多さはより目立っていた。

 とりあえずは枯れ葉を一箇所にまとめてから袋に入れるのがいいよな……

 俺はさっきまでいた救急車のことなど忘れたようにただ掃除に没頭していた。



「はぁ……」

 どれだけ掃いても無くなることのない枯れ葉に思わずため息が出てしまっていた。

 俺が腰を曲げて掃除をしているこの間にも、目の前の大きな木からは風が吹く度たくさんの枯れ葉が落ちていて……

 何年も使い回され続けている箒では追いつかないほどになっていた。

 いつまでかかるんだろう……

 先の見えない枯れ葉集めに俺のやる気は削がれていく一方だった。


 それでも負けじと俺は地面を掃き続け……

 そんな努力がどこかの誰かに届いたのか、吹きっぱなしで止む気配もなかった風が少しずつ止んできていることに気付いた。

 よし、今のうちに……

 俺のやる気は風の勢いがが弱まると共に上がっていっていた。



 大体は集めたかな……

 終わりの見えそうになかった枯れ葉集めに何とか終わりが見え始めていた頃……

「うわっ……」

 俺が少し目を離した隙に、集めていたはずの枯れ葉が四方八方へと舞い散っていた。

 その一瞬で何が起きたのか……

 また強く風が吹き返してきたのか……?

 そう思いはしたものの、俺にはその風を感じることがなかった。

 ただ目の前の光景に呆気に取られ、俺は舞い散った後の枯れ葉を見ては茫然としていた。

 そんな俺がふと顔を上げた時、学校からどこかへと正門を抜け急いで走っていく藤波の姿が見えた。

 それを見た時、俺の集めた枯れ葉が舞い散った理由……

 それが藤波が走っていく勢いに伴ったものだとすぐに分かった。


 あんなに焦って、藤波はどこへ行くつもりだ……?

 まだ時間的にも部活を早退したとしか思えず、通り過ぎていった藤波の手には鞄が握られていた。

 ただ帰っただけ……?

 でもそしたら浦瀬は……

 いつも一緒に帰っているはずの浦瀬を置いて藤波が一人で帰る理由が俺には見当たらなかった。

 それにどこか藤波の焦って帰っていくあの様子が俺の中で妙に引っかかってしまい、集めた枯れ葉を撒き散らされた怒りなんて俺には既になかった。

 ただそんな怒りや疑問よりも、俺の中では浦瀬の心配だけが膨れていくばかりで……

 浦瀬は今、どこで何を……

 俺は集め切った枯れ葉だけを急いで袋に詰め、教室へと向かって走っていた。




「浦瀬……?」

 この前とはまた違い、教室には浦瀬どころか浦瀬の荷物さえない……

 でも浦瀬が帰ったところなんて正門前にずっといたはずの俺は見ていない……

 なら浦瀬はどこに消えてしまったんだ……


「どうしたんすか?清掃員さん」

 背後から聞こえた陽気な声…… 

 冷や汗を感じ始めていた俺に掛けられたその声が、額に滲んでいた汗を滴へと変化させていた。

「もしかして浦瀬のこと、探してます?」

「浦瀬なら病院ですよー。

ちなみに藤波も、藤波の姉さんもね」

 相変わらず俺を馬鹿にしたように話し出す口調……

 話しかけて来た二人は前に俺を監視していた仲間と同じ二人だった。

「藤波と、藤波のお姉さんも……」

 浦瀬とその姉妹二人が同じ病院にいるという意味が、まだ聞いただけの俺には理解できなかった。

「あれ?もしかしてさっきの救急車、見てないっすか?」

「藤波の姉さんが運ばれたんだよねー、その救急車でさ」

 さっきの救急車……さっきのって……

 それは俺が関係ないと他人事のように思って見ていたあの救急車……

 それが藤波のお姉さんを運ぶために呼ばれた救急車だったと言っているのか……?

 でもそういえば……


『お姉ちゃん、昔から体がすごく弱いんです。

発作とかも頻繁に起こして、そんなお姉ちゃんが心配で……』


 前に藤波が言っていたことを思い出した。

 けど何で藤波のお姉さんがこの学校に……?

 藤波のお姉さんであるということは、すでにこの中学を卒業した身であるはずということにも間違いはなかった。

 それなのにそのお姉さんが持病で倒れたにせよ、ここから運ばれて行ったということに俺の疑問はより深まっていた。

 その上、浦瀬までもが俺の気付かぬ間に同じ病院にいるということも……

 浦瀬、藤波、藤波のお姉さんに何があったのか。

 今頃3人がいる病院先で何事もなく過ごせているのなら、俺はそれでいい……

 けどこいつらの言い方から、この話がそんな簡単に終わるわけじゃないということ。それを薄々俺は感じ取っていた。

「浦瀬に、何があった……」

 二人が俺の質問なんかに素直に答えてくれるかは分からない。

 けど今の俺には、ただ聞くことしかできなかった。


「え?浦瀬のことだけ心配するんっすか?」「普通なら藤波の姉さんのこと一番に聞くくなーい?」

「まぁでも、清掃員さんって勘が鋭いんっすね。

浦瀬を気にすることは確かに正解かもしれないっすけど、あいつなら救急車と同時に責任感じて自分から走っていったっすよ」

 救急車と同時……

 俺がちょうど野次馬を嫌に思っていたあの時、浦瀬もその野次馬に紛れて正門から抜け出していたということか……

「つまりうちらは何もしてないし、あいつが勝手に行動してこうなってんだから。

それまでうちらのせいにしないでよねー」

 あくまでも自分たちは関わっていないと仲間は言いたげだった。

「浦瀬が、自分から……?何で……」

 それに浦瀬は何に責任を感じたって……

「そんな顔しないでくださいよ。

慌てなくても清掃員さんにだけは、俺らも端っから教えてあげるつもりなんすから」

 嫌な笑みを浮かべて言う仲間の一人……

 本当ならそんな仲間の思う壺にはなりたくなかった。けど……

 浦瀬のことを思うと、一刻も早くこの二人から真実を聞くほか術はなかった。


 なぜ卒業したはずの藤波のお姉さんがこの中学校にいたのか。

 なぜお姉さんが救急車で運ばれ、そのことに浦瀬が責任を感じて自ら病院へと走り込んでいったのか。

 なぜ藤波は俺が集めた枯れ葉を撒き散らせたことにも気付かないほどに焦っていたのか。

 俺の中に残る数ある疑問の中で、目の前の仲間二人が面白げに話していくことが俺の脳内で望まないままに鮮明になっていくのが見えていった。




 すべては今日一日、それも午後の出来事に過ぎなかった……

 午前の授業が終わり、昼休みも終えて午後の授業が始まろうとしていた頃。

 浦瀬は自分の鞄に入っていたはずの携帯がなくなっていることに気付いた。

 学校への携帯の持ち込みは校則上で禁止されてはいたが、学校に申請さえすれば誰でも持ち込み可能だった。

 浦瀬もそのうちの一人で、普段から学校に携帯を持って来ていた。

 けど浦瀬は自分の携帯を無くしたことに気付いていながら、それを誰かに相談できるような人ではなかった。

 そして午後の授業も終わった放課後、浦瀬は無くしてしまった携帯を校舎中一人で探し回っていた。



 藤波のお姉さんは、歳は藤波の一つ上にあたる16歳で今年高一になったばかりだった。

 そんなお姉さんも中学の時は藤波と同じ吹奏楽部に入部していたらしく、今日は高校の休校日だったこともあって藤波たちの引退コンクールが近い中お姉さんが先輩としてアドバイスをしに来ていたらしい。


 そんなことが重なっていた今日の放課後、浦瀬が携帯を探して校内の廊下をゆっくりと歩いていた時、浦瀬は同じ道の廊下を通りかかった藤波のお姉さんと遭遇していた。

『あ、結乃ちゃん!』

『……香麻紀かおりさん?

どうしてここに……』

 藤波のお姉さんが今日この学校に来ているということを知らなかった浦瀬は、急に声を掛けてきた藤波のお姉さんを見てただただ驚いているようだった。

『今日は高校がお休みだったの。

だから久しぶりに吹奏楽部がどうなってるのか見に来てみたんだけど、音楽室に万旺がいなくて……

それでさっきからここら辺を探して歩いてるんだけど、結乃ちゃんはどこかで万旺のこと見かけなかった?』

 吹奏楽部の活動場所は主に音楽室だった。

 場合によって音楽室が使えない場合には体育館なども拠点に使うことはあったが、この時期は運動部も多く使うためそれもないだろう……

 それにこの前までは音楽室の大規模な修理が行われていたため音楽室が一時使えないなんてこともあったが、その修理も夏休みが明けると同時に終わっていたはず。

 つまり藤波が音楽室にいないということは、それは藤波自身の理由以外には考えられなかった。

 藤波のお姉さんはそんな理由も分からず音楽室にいない藤波のことを心配し、不安を抱えたまま校内を歩き回っていたようだった。


『万旺ですか?

私も無くし物をして校内を探し回ったりしていましたけど、万旺のことは見かけなかったですね。

音楽室に万旺がいないってことは、何か委員会の集まりでもあったのかな……?』

 この時になぜ藤波が音楽室にいなかったのかは分からない。

 きっと藤波が一瞬いなくなった教室を見て、お姉さんがここにはいないと勝手に判断してしまったとか……

 でもこのちょっとした会話をきっかけに、後々大きな勘違いや誤解。

 それと共にそれぞれのすれ違いにまで発展していくこととなってしまった。


『そっかぁ、ならしばらくすれば戻ってくるかな。

それで?結乃ちゃんは何を探しているの?』

 藤波のお姉さんは浦瀬が言った無くし物という言葉に引っ掛かっていた。

『あ、いや。大したものではないので……』

 浦瀬は探し物のことを聞かれても、相変わらず相談しようとはしなかった。

 けど藤波のお姉さんはそんな浦瀬のことをよく分かっていた。

『結乃ちゃん、またそうやって一人で抱え込んで。

私なら見た通り暇だし、万旺のことも探さないといけないからさ。

万旺探しと一緒に結乃ちゃんの探し物も手伝うよ!』

 藤波のお姉さんは俺とは違った。

 俺だったら浦瀬に大丈夫と言われた以上なかなかそこから踏み込むことは出来ないし、たとえ勇気を出して踏み込んで何かを言ったところで俺は浦瀬の気分を悪くさせるようなことしか言えない……

 藤波のお姉さんは、それなりに傍にいるはずの俺よりもずっと浦瀬のことを知り尽くしているようだった。

 そんなお姉さんの言葉に浦瀬も、

『すみません……』

 そう言って話し出す気になっていた。

 きっと浦瀬の中でも今日中に見つけ出したいという思いはあったからだろう……

 こうして浦瀬と藤波のお姉さんは一緒に無くし物を探して回ることになった。



『携帯!?

それって結構大事だよね……?』

『はい……』

 浦瀬が今に至るまでの経緯を藤波のお姉さんに話すと、まさか探している物が携帯だとは思っていなかったのか、お姉さんは大きめの声で驚いていた。

 けどそのお姉さんの反応はごく普通の反応だと俺は思った。

 逆に携帯を無くしていたことに半日ほど前から気付いていたにも関わらず、今の今までずっと黙っていた浦瀬の方が普通ではないと……

 そのお姉さんの驚きに対し、浦瀬は少し不甲斐なさそうに頷いていた。


『落とした場所に心当たりはあるの?』

『心当たり……』

 浦瀬は少し考え込んだ後、

『携帯を自分の鞄に入れて家を出たところまでは覚えてるんですけど、学校で取り出した覚えがなくて……

けど気付いた時にはなくなっていたので、多分鞄から落ちたか何かかと……』

『そっかぁ。

下の階はもう探した?』

『まだです……』

『なら行ってみよ。

こうなったら手当たり次第探していくしかないからね!』

 藤波のお姉さんは浦瀬を励ますようにガッツポーズをし、浦瀬の肩を軽く叩くと笑顔でそう言った。


 藤波のお姉さんの協力のもと、浦瀬と藤波のお姉さんは階段のある方へと向かい歩き始めていた。

『あ、それ万旺とお揃いのやつじゃない?』

 歩き出してすぐ、藤波のお姉さんは浦瀬の手に握り締められていたストラップの存在に気付いた。

『はい。ずっと携帯に付けていたんですけど、携帯を鞄から落としてしまった際にこれだけ取れてしまったみたいで……』

『そっか……

なら早く見つけてまた付けなきゃね。

万旺ね、結乃ちゃんとお揃いの物はこの世に二つしかない物がいいんだって、このストラップ頑張って手作りしてたんだよ』

 藤波のお姉さんは浦瀬の手の中にあるストラップを指差し、優しい笑顔でそう語った。

『そうだったんですね、嬉しい』

 浦瀬はストラップに込められていた藤波の思いを知ると、親友である証のストラップを見ながら小さくも嬉しそうに微笑んでいた。

『だからそんな万旺のためにも、これからも大切にしてあげてね』

『はい』

 藤波のお姉さんからのお願いに、浦瀬は嬉しそうな笑顔と共に頷いていた。

 浦瀬は頷いてからもう一度ストラップに目を向けると、その姿はどこかストラップを通して藤波との今日までの思い出を重ねているようだった。


 そうして藤波のお姉さんと浦瀬の会話に区切りがついた時、二人はそれに合わせたようにちょうど下り階段の上へと着いていた。

 でも実はその時、階段近くには過去の俺たちの姿もあって……

 俺たちのことを知らない藤波のお姉さんがそのことに気付くことはなかったが、普段からいじめの対象となり怯えて生きてきた浦瀬がその存在に気付かないわけはなかった。

 気付いた浦瀬は過去の俺たちを見て目を見開き、その目の奥は震えているような……

 俺たちの姿を見ただけで恐怖に苛まれてしまっているようだった。

 そんな浦瀬の様子は、それを見ていた誰もが気付けるほどあからさまな動揺で。

 けどそれなのにも関わらず、藤波のお姉さんだけはその様子に気付いてはいなかった。というより気付けなかった……

 いくら俺たちのことを知らないとは言っても、不気味に階段近くで屯っている過去の俺たちを見たら、更にはそれを見て怯えているような人が隣にいたならば、誰しも不審に思う点はあるだろう。

 それなのになぜ視界に入ったはずの俺たちの存在、隣で凍りついている浦瀬の様子に藤波のお姉さんが気付けなかったのか……


『香麻紀さん……?』

 それは藤波のお姉さんは下り階段に浦瀬と到着したと同時に、

『香麻紀さん!』

 浦瀬の隣で発作を起こしていたからだった。

 さらに運が悪いことに藤波のお姉さんが発作を起こした場所は下り階段の頂上部分で。

 発作を起こしたことをきっかけに意識を失ったまま階段を転げ落ち、その転げ落ちた階段下で頭から血を流して倒れていた。

 浦瀬は周りが見えなくなるほどに過去の俺たちに怯えていたのかもしれない。けどその只事ではない階段を転げ落ちていく音に、俺たちに気を取られていた浦瀬も我に返って現状に気付き始めていた。

『香麻紀さん、香麻紀さん……』

 浦瀬はすぐ階段下に倒れていたお姉さんのところへと駆け寄り体を揺すって必死に声をかけていたが、藤波のお姉さんがその声に反応を示すことはなかった。

 その後、救急車を呼ぼうとしたのか浦瀬はポケットを探り携帯を探しているような素振りを見せていたが、その携帯は今無くしている最中の物……

 自分が救急車を呼ぶことができないんだと分かると、浦瀬はさらに焦りを見せているようだった。

 浦瀬は手元に携帯がないことで救急車を呼ぶのを諦めると、辺りを見渡し過去の俺たち以外で誰かに助けを求めようとしていた。

 でも放課後の皆が帰った後の廊下に都合よく誰かがいるわけもなく、過去の俺たちもただ見物客のようにその様子を見ているだけで助けることはなかった。

 そんな中で浦瀬がきっとこの状況を一番に伝えにいかなきゃいけないと考えた人……

 それは倒れたお姉さんの実の妹である藤波のはずだった。

 浦瀬はまだ学校内にいる藤波に今の状況を伝えに行こうと動き出し、さっきのお姉さんとの会話もあってか音楽室の方とは反対側に向けて走り出していた。

 そんな浦瀬に、

『藤波なら音楽室じゃね?』

 馬鹿にし、嘲笑うような言い方で過去の俺は走り出した浦瀬にそう言った。

 その声に一瞬止まったように見えた浦瀬……

 けど浦瀬がそんな過去の俺の言葉を信じるわけもなく、そのまま藤波のお姉さんだけをその場に残し音楽室とは反対に続く道を走り続けていた。

 過去の俺は分かっていたはず……

 本当のことを伝えようと浦瀬が俺の言葉なんて信じないということを。

 分かっていたはずなのに、あえて伝えていた……



 そして過去の俺は浦瀬がその場からいなくなったのを見計らい、申請していた仲間の携帯から救急車を呼んだ。

 救急車が来るまでの数分の間、音楽室にいる藤波の元へも仲間に伝えさせに行き、その間に過去の俺は血を流している藤波の姉に最低限の手当てだけを施しておいた。

 浦瀬ではなく自分たちこそが命の恩人なんだと。そう思い込ませるために……

 手当を終えた過去の俺が再び立ち上がり倒れている藤波の姉の方へと目を向けてみると、そこにはさっきまで浦瀬たちが話していたストラップが姉の近くに落ちていた。

 それを見た過去の俺は、そのストラップを拾い倒れている藤波の姉の手に握らせた。

 これじゃあまるで……

『浦瀬がこの場から逃げ出したことを証明してるみたいだな』

 過去の俺にとって浦瀬が藤波のお姉さんを見捨てたように見せるには好都合でしかなかった。


 でもそもそも藤波のお姉さんが倒れた時、何で過去の俺たちが都合よくその場にいたのか……

 それは携帯を無くしたと思い込んみ、ずっと校内を探し回っている浦瀬を鼻で笑うためだった。

 過去の俺は浦瀬が学校に申請し、毎日学校に携帯を持ち込んでいることを知っていた。

 どんないじめにも屈しない浦瀬……

 そんな浦瀬が裏で抱えていた思いなど知らず、呑気に笑って生きているところだけしか見えていなかった過去の俺は、浦瀬の希望の一つとなっている藤波の存在を汚らわしく思っていた。

 浦瀬をもっと痛い目に合わせるため、過去の俺は浦瀬から藤波を引き離す方法を考え始めていた。

 そしてその一つとして、過去の俺は浦瀬の鞄から携帯を盗むことにした。

 その際、付いていたストラップを邪魔に思った過去の俺は、携帯からストラップだけを取り外し鞄に残した。

 最初は浦瀬の携帯から何か藤波との仲を引き裂ける方法でも見つけられればと考えていた。

 けどその浅い考えはパスコードロックによって無残にも散り、その後携帯を戻すタイミングを失っていた過去の俺は、放課後になって無くなった携帯を探しに浦瀬が教室を出て行ったのを見計らい、仲間の一人に浦瀬の鞄の中へと戻させていた。

 にも関わらず、未だに必死になって探している浦瀬は作戦が失敗した俺たちにとっては良い見ものになっていた。


 当初の俺たちの目的はそれで、ここまでで終わるはずだった……

 でも浦瀬が藤波の姉と遭遇し、その後すぐに藤波の姉が倒れたことをきっかけに俺の目的は最悪な方へと姿を変え、この結果を招くこととなった。

 過去の俺からすれば、浦瀬と藤波の仲に亀裂が入るきっかけになるような喜ばしいことだったのかもしれない。

 けど今の俺からは違う、全く違うはずなのに……何でだ……

 過去の仲間が話していくことはとても鮮明な映像となり、仲間が深く話さなくても俺にはその続きが分かってしまうような、そんな感じたことのない怖さがあった。

 今の俺の記憶にはない、過去の俺がしたことでしかない。

 それなのに、まるで俺が当事者だと感じてしまうような……

 そんな罪悪感が俺の中にはあった。




「ってな感じなわけで。

どうです?この完璧な流れ」

 話終わった仲間の言葉で、俺は頭の中の鮮明な映像から現実へと戻ることができていた。

「浦瀬は今、どこの病院だ……」

 これまでの状況は把握できたものの、学校を出てからのことはまだ何一つ分かっていなかった。

 浦瀬が今どこの病院にいるのか。浦瀬は大丈夫なのか……

 俺は一刻も早く現状を知りたいと願っていた。


「ここら辺で一番でかい病院っつたら一つしかないでしょ」

 ヘルメス病院か……

 仲間が言ったその一言だけで浦瀬が今どこにいるのか理解できた。

 場所を知れた俺は、未だ楽しそうに笑っている過去の仲間を横目にその病院まで無心になって走っていた。






 ここか……

 俺が病院に着いた時、病院内には人気のない空気が漂っていた。

 浦瀬は……

 俺は入り口から続いていく案内板だけを目印に、浦瀬がいるであろう待合室へと向かった。


 案の定、そこには浦瀬が一人で項垂れるように座っていた。

「浦瀬……」

 俺がそんな浦瀬を見て小さく出してしまった声は浦瀬の耳に届いていなかったのか、浦瀬がその声に振り向くことはなかった。

 けど俺がもう一度声をかけ直そうとした時……

 目を逸らした先にいた過去の自分たちの存在に、搾り出そうとした声も掻き消されてしまっていた。

 どこか壁の陰に隠れてこちらの様子を窺っているような過去の俺たちからの視線……

 もしかして浦瀬はその視線にも気付いていないのだろうか……

 一人座っている浦瀬は心なしか弱っているようにも見えた。

 そういえば藤波はどこだろう……

 お姉さんと一緒に病室にいるのか……?

 今がどういう状況なのか、俺自身もなかなか把握できずにいた。

 ただどういうわけか過去の俺と仲間の数人は、浦瀬から少し離れた場所で不気味にこちらを見ているようだった。


 俺がここに来るまでの間、浦瀬に何があったのか。

 それともここに来るまでのことが今の浦瀬に影響を及ぼしているのか……

 状況が分からない俺は浦瀬に聞くこともできないまま、そうこうしているうちに待合室に一番近い手前の病室の扉が開いた。

 その扉が開くと同時に項垂れ座っていた浦瀬も立ち上がり、開いた扉の病室からは藤波が一人で俯くように出てきていた。

「万旺、お姉さん大丈夫……」

 浦瀬は出てきた藤波にすぐさまお姉さんの容態を聞きに行ったが、聞かれた藤波の顔は悲しみと怒りの感情が混ざったような複雑に見える表情だった。

「ねぇ何で……

何ですぐに助けてくれなかったの……」

 浦瀬に返って来た藤波の声は、怒りよりも悲しもの方を強く感じた。

「それは、万旺を探しに行ってて……」

 藤波の悲しそうな声を聞いた浦瀬は、助けるという選択があの時の自分にはできなかったことをどこか辛そうに答えていた。

「私を探しに?

私ならはいつもの場所にいたし、だけど結乃は来なかったじゃん!

それに救急車も呼んでくれないなんて……お姉ちゃんは……」

 浦瀬は確かに藤波の元へと向かおうとはしていたものの、結果的には藤波の元へ辿り着くことは出来ていなかった。

 その結果しか見えていない藤波からすれば、自分の前に一切姿を現さなかった浦瀬が自分を探し姉を救おうとまでしていたということ……

 それは嘘話のように聞こえていたのかもしれない。

「救急車なら、私だって呼ぼうとしたよ……

けど手元に携帯が無くて……無くしてたの……」

「でも今、その手に持ってるのは携帯でしょ?」

「これは……その……」

 藤波の言う通り、この時の浦瀬の手には無くしていたはずの自分の携帯が握り締められていた。

 多分ここに来る途中で鞄の中に戻されていた携帯にやっと気付いたのだろう……

 それも浦瀬にとっては無くしたはずの物が探した場所から出て来たという不自然さ。

 もしかしたら過去の俺たちにいじめの一環として携帯を盗まれていたということにも薄々勘づいていたかもしれない。

 でもそのことを浦瀬が藤波に正直に言えるはずもなかった。

 だからこそそれを知らない藤波はきっと、藤波のお姉さんが倒れた直後に浦瀬が怖くなって逃げ出したんだと思っている……

 それは過去の俺の思惑通りで、過去の俺が作っていたシナリオ通りの展開になってしまっていた。

 その後もただ浦瀬と藤波の仲に亀裂が入りそうな会話だけが続いていき、そんな会話に過去の俺たちは陰から嬉しそうに聞き耳を立てていた。


「それに私があげたこのストラップ、結乃はいつも携帯に付けてたよね?」

 藤波は浦瀬にあげたストラップを手に浦瀬に聞いた。

「うん……」

「ならもう嘘はやめてよ……」

「嘘……?」

「何で手元に携帯がないって言ってたのに、携帯に付けていたはずのこのストラップを運ばれたお姉ちゃんが握ってたの……?」

「え……?」

 浦瀬もそのことを今知ったのか、なぜそうなったのかの経緯を知らない浦瀬は藤波の言葉を理解するだけで精一杯のようだった。

「本当は携帯を持っていたけど呼ばなかった。とか……」

 浦瀬に対する藤波の疑いは止まらず、ありもしない想像まで膨らまし始めていた。

「そんなわけな……」

「でも結乃っていつも何か隠してるし。

何を考えているのか、何が本当なのかももう分からないよ……

入月がいなかったら、お姉ちゃんは今頃……」

「入月……?」

「そうだよ。

入月が逃げた結乃の代わりにお姉ちゃんの手当てして、救急車も呼んでくれて……

医者の人も入月がいなかったらお姉ちゃんの命は危なかったかもって……」

 浦瀬が自分の代わりにいじめの対象となり犠牲になっているなんて考えたこともない藤波に、ここに至るまでにあったことを理解できるはずもない。

 確かにあのまま過去の俺たちが救急車を呼んでいなかったら、藤波のお姉さんがどうなっていたかなんて分からない。

 けどそういう状況に導いてしまったのも過去の俺たちに変わりがないこと。

 ただ誰の目にも俺たちの悪い面なんか映ることはなくて……

 過去に藤波自身が過去の俺たちからいじめを受けていたとしても、今の藤波には心を入れ替えた命の恩人にしか見えていなかったんだと思う……


「……」

 浦瀬はこのことをどこまで知っていたのだろう……

 藤波の口から入月という名前を聞いた浦瀬は言葉にもできないような表情になっていた。

 きっと待合室の隅でこの様子を笑いものにしている過去の俺たちの存在にさえ、浦瀬のこの感じではまだ気付いてもないのだろうな……

 浦瀬の中で偶然が重なっていると思っていた不運な出来事がすべて必然であり、過去の俺たちの計画通りに進んでいたということを今この瞬間に知ってしまった。そんな様子だった……

「もう、結乃とは仲良くできないと思う……ごめん……」

 そう言い残し、藤波はおまた姉さんのいる病室へと戻っていった。

 すべてが過去の俺たちの仕業であったのかもしれないと気付いてしまった浦瀬に、目の前から去っていく藤波を引き留めるような気力なんてもう残されてはいなかった。

 陰からその全容を見ていた過去の俺は、自分たちが望んでいた展開に満足したのか笑顔で病院から立ち去っていき、待合室には俺と浦瀬の二人だけが残されていた。


 藤波という大切な存在を失った浦瀬は、時が止まって死んだようにその場で立ち尽くしていた。

 そんな様子を俺もただ立ち尽くしながら眺めていることしかできなかった。

 きっとここに至るまでのすべてを理解できてしまったのであろう浦瀬の顔色は、時間と共に青ざめていく一方だった。






 それから数日経とうと、浦瀬と藤波が話すことはなく無情にも時だけが過ぎていった。

 浦瀬と藤波が以前のような親しい関係に戻れることは、もうないのかもしれない……

 俺は、何のために過去へ戻ってきたのだろう……

 結局何も止めることができない自分をただ責めることしかできなかった。

 けどもし仮に浦瀬と藤波がもうこのまま戻ることのない関係になってしまったとしても、浦瀬の唯一の親友だった藤波にだけは本当のことを知っておいて欲しかった。

 だから俺は、真実のためでも一向に口を開こうとはしない浦瀬の代わりに放課後、藤波を呼び出すことにした。




 俺が藤波に声を掛けると、藤波は終礼が終わってすぐ俺の待つ校舎裏の方へと足を運んでくれた。

 俺と藤波が話せる時間は、藤波の部活が始まるまでのわずかな時間しかなかった。

 俺は短い時間ですべてを伝え切るため、まだ着いたばかりの藤波にすぐさま話を始めていた。

「忙しい時に呼び出したりしてごめん……」

「それはいいんですけど、伝えておきたいことって……」

 藤波はすでに俺が明るい話をしようとしているわけではないことは分かっていた。

 ただそれがどういう話なのかはまだ掴めてはいなかったのか、不安そうに伝えたいことがあるとだけ言ってきた俺に改めて聞いてきていた。


「浦瀬は誰よりも君と、君のお姉さんのことを思っていたよ……」

「それって、どういう意味ですか……?」

「他の誰でもなく君だけには、本当のことを知っていてほしい……」

 そう言って、俺はあの日に起きたすべてのことを藤波に話した。

 俺はそれが浦瀬ではなく、すべては過去の俺のせいであったことを藤波に知っておいて欲しかった……

 そんな俺の話を、藤波はずっと黙って聞いてくれていた。



「これが、あの日にあったすべてだよ。」

「でも、そんな……何で……

何で入月はそんなことをしたんですか?

もしかして、私がいじめられていたことと何か関係が……

私のせいってこと……」

 自分が知っていたこととは違い、実際の悪者は浦瀬ではなく過去の俺。入月だったこと。

 それを知った藤波はただ動揺しているようだった。

 そしてそれが何でなのか、藤波の中でもすぐに思い当たったのがいじめというワードだった。

 自分の代わりに浦瀬がいじめられている……

 そこまで藤波が気付けているかは定かではなかったが、自分も多少何らかの形で関わっているのかもしれないとは思っているようだった。


 本当はそうだよと、俺の口から言いたかった……

 今までの浦瀬の苦しみや辛さをこの目で見返してきた俺は、ただ頷きたかった……

 けど実際の俺は、

「それは違うと思うよ……」

 そう言っていた。

 藤波が原因で浦瀬が今も苦しんでいるなんて、俺の口からは口が裂けても言えるはずがなかった。

 俺は浦瀬の今までの苦悩を見て来たと同時に、なぜ浦瀬がそこまでして仲の良かった藤波に打ち明けなかったのかも知っている。

 その努力を知っている俺が、この一瞬だけでそれを無駄にすることなんて出来るはずがなかった……

 浦瀬が藤波を助けてしまった日。

 あの時、浦瀬が藤波を助けなければ浦瀬がいじめられることはなかったのかもしれない。

 でも藤波を助けたことで浦瀬は親友という大切な存在に出会い、その親友とかけがえのない時間を過ごすことができたのもまた事実で……

 浦瀬はきっと藤波を助けたこと。今日まで一度も後悔したことはないんだろうな……

 俺は目の前の自分のせいかもしれないと気にする藤波に、

 悪いのは藤波ではなく、すべては俺のせいなんだと言ってあげたかった……


 でも言えないまま時は過ぎ、俺と藤波の会話が止まった時。

 俺たちの近くを通り過ぎて行く浦瀬の姿が見えた。

 いつもは藤波のことを待って一緒に帰っていた浦瀬が、今日は部活を待たずして一人で帰ろうとしている……

 藤波は俺から話を聞いたばかりでまだ動揺も残っている中、そんな浦瀬の方へと歩み寄って行き、

「結乃、本当のこと話してよ……」

 それは久しぶりに藤波が浦瀬へと話しかけた言葉だった。

 多分俺の口からだけではなく、本人の口からも真実を聞くことですべてを信じたいと思ってくれていたのかもしれない。

 でもそんな藤波の気持ちに対し浦瀬は……

「……」

 立ち止まりはしたものの、それに対して何かを答えることはなかった。


「私たち、友達だったんじゃないの……?」

 それでも藤波は萎れず浦瀬へ一方的に話し続けていた。

 藤波の口から出た友達という言葉、俺はそれを聞いて藤波はまだ浦瀬のことを友達だと思ってくれていたんだと嬉しく思った。

 けど藤波にとってはもう親友ではなく、友達になってしまっていたこと……

 少し安心したような、まだ可能性があるのかもと思ってしまっていた俺は、

 その言葉の意味がもう可能性はないのだと物語っているように感じ、どこか悲しく思った。

 それでも藤波が浦瀬のことをまだ友達だと思ってくれていることに変わりはない。

 そんな藤波は今できる精一杯で浦瀬に寄り添おうと、立ち止まった浦瀬の後ろ姿へ切なくも最後まで叫んでいた。

 でもその声が浦瀬に届いているのかいないのか……

 そのまま何も言わずに歩き去って行く浦瀬の姿は、

 意思の表れというより、一部の記憶を無くしてしまったような……

 藤波への感情、あるいは人間的感情がなくなった浦瀬という名の抜け殻のようでしかなかった。

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