6、悲しみの響き
浦瀬と青い鳥を探しに行って以来、浦瀬との共通の話を広げたいがためか俺も少し鳥に興味を持ち始めていた。
電柱に止まっている鳥や、目の前を横切っていく鳥。
どこか遠くを見ては切なそうに鳴いている鳥など、見た目も種類もそれぞれな鳥が俺の日常に映り込んでくる度、その鳥の名前やどんな鳥なのか特徴が知りたくなって携帯で調べてみたり、浦瀬に話そうと写真を撮ったりと何気ない穏やかな時間を過ごしていた。
今までの俺の人生にはなかったであろう時間……
そんな平凡とも言える時間がただ幸せで、いつの日かの俺が求めていた時間に近かった気がした。
善人にもなれないけど悪人でもない。
そんな誰の目からも逃れられるゆっくりとした時間をただひたすらに味わえること。
今まで普通ができなかった俺にとっては夢のような時間だった。
浦瀬と出会ってから少しずつ変わって見える世界。
俺には浦瀬の悲惨な未来を変えることはできるのだろうか……
俺には誰かの人生を変えてあげられるような力なんて実際にはない。
でもきっと今の日々はもうじき終わりを告げる。
善人になるのか悪人のまま流れていくのか、俺にはきっと選択しなきゃいけない時が来る。
それでも俺は、過去をもう一度見返すことで見えたこの日々が一日でも長く続くこと。ただその望みだけを思っていた。
俺の道は決まっている、過去の自分から逃げないこと。
逃げないその先で浦瀬の未来を明るいものにさせてあげること。
自分が拒絶し続けていた過去の自分を受け入れるのはとても怖い……
けど今はそれ以上に怖いものもある。
だから俺は逃げたくない。
過去の自分に立ち向かっていくことをまた今日心に決めていた。
「お疲れ様です。」
「お疲れ様」
俺は今日も清掃を終え、何事もなく今日という日が終わったことに安堵していた。
「あ、三靏さん」
門を出るとそこにはすでに帰ったはずの浦瀬の姿があった。
「え、何で?
もうとっくに帰ったはずじゃ……」
「はい、帰ろうとはしました。
けど今日は万旺が休みで、学校側は集団下校を促していたので……
それで三靏さんと一緒に帰ろうって思ったんです!」
浦瀬は底なしの明るさでそう言い、俺たちは一緒に帰ることになった。
「あ、そういえば……」
歩き始めてから俺は今日写真に撮った鳥のことを思い出し、浦瀬に見せようと携帯を取り出した。
「これ、今日見たんだけど綺麗だなって思って。」
「あ、私も今日この鳥見ました。
これはですね、確かえっと……」
浦瀬は名前を度忘れしてしまったのか、自分の携帯で調べているようだった。
え……
そんな浦瀬の腕にはいくつかのアザがあるのが見えた。
これって……
「ねぇちょっとさ」
「はい……」
俺の急な声のトーンに浦瀬は窺うように返事をしていた。
「ここに立ってみてくれない?」
「ここ、ですか……?」
浦瀬は不思議そうにしながらも俺の指示を聞いてくれていた。
俺は立ち止まらせた浦瀬から少し離れて浦瀬のことを見てみた。
ここにもアザがある……
街頭の下に立ち止まらせた浦瀬の足にも腕と同じようなアザがいくつかあり、
「これ、どうしたの……」
俺は浦瀬に聞いた。
「あぁ、これですか……
あの、私ってちょっと情けないところがあってすぐに転んでしまうんですよ。
これもこの前転けてしまった時の怪我で……」
浦瀬は嘘もつけない純粋な人なんだろうなと思えるほど、俺には見え透いた嘘だった。
「あの……
お父さんには言わないでもらえませんか?」
浦瀬はとてもそのことを気にしているようだった。
「先生に?何で。」
「お父さん、きっと心配してしまうと思うので……
こんなのすぐに治ってしまうような些細な怪我ですし、余計な心配ばかり増やしたくなくて……」
「分かった、言わないよ……」
言わないんじゃない。言えない……言えるはずがなかった……
ずっと毎日のように清掃作業をこなしてきてはいたものの、学校というのは広いもので……
俺が浦瀬のことを見守たいがためだけに教室の前ばかりを掃除するわけにもいかなかった。
その上いじめ自体も毎日のものではないみたいだし、俺がたまに教室の前を掃除できた時には何もないことの方が多い。
現にその場を目撃したのは一回程度……
でも過去に俺はこんな傷を浦瀬に負わせていたか?
俺には初めて見るような傷跡ばかりで……
それに誰にもバレないよう陰湿ないじめばかりを繰り返していたはずの俺が、こんなにも目立つような証拠を残していただろうか……
「あ、見てください!可愛い〜」
浦瀬は帰り道の途中で通るペットショップ屋さんの方へと近づいて行った。
「フクロウ……?」
そのペットショップの中にはフクロウが展示されていて、そのフクロウは俺たちがいる外の方に目線を向けていた。
「実はフクロウも私たちが探していた鳥と同じで、幸運の鳥って言われているんですよ」
「幸運の鳥、フクロウが……?」
「フクロウはいろんな理由から幸運の鳥だと言われています。
それにフクロウは夜行性でもあって、夜でも目が利く鳥なんです。
私たちもいつか、そんなふうになれるといいですね」
「なるって?」
「暗い道を抜けた先で、明るい未来が見れるような。
その未来はお父さんと万旺と、そして三靏さんと一緒に私は見たいです」
俺も一緒に……
「俺は、そんな未来にできるかな……」
「できるかどうか、ですか?
それは分からないです。
それを知ってるのは未来が見える人だけですから。
だから未来が見えない私たちは信じましょう、私たちが見たい未来を」
「何で君は、そんなにも……」
「三靏さんがいるからです。
私のそばには三靏さんがいてくれるからです」
負けたくない……
希望を捨てようとする自分なんかには、絶対……
俺がメモしてきた3つ目の出来事……
<期待できる未来の前兆>
この日をきっかけに浦瀬の身に変化が起きることになると書かれていた。
変化……?
あれ、どんな変化が起きたんだっけ……
なぜだろう。浦瀬のことを少しずつ知っていくことで、俺が知っていた浦瀬のことを忘れそうになっていっているような気がした。
でも仮に俺がそれを覚えていたとしても、それはもうあまり意味がないのかもしれないな……
変わったと思っていた過去も、また携帯に残したメモと同じで俺が歩んできた記憶に寄り添うように進み出していた。
けどそう分かっていても、細かい日付や人間関係、内容まですべてが同じというわけではない。
俺の記憶からは大幅に外れるところもあって、最初の頃のようにメモに沿って動くということも難しくなっていた。
この世界で起こることが予想しづらくなった今、俺は次にメモされていた内容を常に頭に置き、学校の清掃中やそのほかの時間も浦瀬を気にかけることでどうにか乗り越えられればと思っていた。
今日はメモの示した日付から三日前を指す日。
内心不安でいっぱいなところはあるものの、メモの内容に意識を置いてから数日が過ぎて俺の集中力も切れてきたのか、今日も何も起こることはないだろうという甘い考えも持ち始めるようになっていた。
いっそのこと、もう未来が変わっていて何も起きないであってほしいとも……
ここ最近、俺は常に過去のことに集中していたのもあってかこの数日で学校が前ほどの綺麗さをなくしているように思えてしまった。
このままでは俺の清掃の仕事に支障が出てくるかもしれない。
ちゃんと集中しないとな……
俺は今日こそ清掃の方に力を入れようと、気合いと共に腕をまくって掃除を始めた。
過去を変えることは俺にとって第一のこと。
それでも今、目の前に任せられた仕事も俺にとっては大事な一つだった。
俺はここ数日後回しにしてしまっていた隅の方まで今日はしっかりと掃除をし、自分でも驚きの集中力を発揮できたおかげかその時間は1時間もかからなかった。
よし!次だ……
俺は溜まったごみ袋を持って次の掃除場所へと動き出した。
「一人でこんなに、すごいですね」
俺が持っていた大きなごみ袋を見て警備員さんは感心してくれていた。
「最近ちゃんと掃除ができていなかったので……」
俺はごみが大量になってしまったのは、ここ数日の緩んだ掃除のせいなのだと正直に話した。
でも警備員さんは、
「そんなことないですよ。
日に日に掃除の技術も上達していますし、最初の頃よりも手際が良くなっていることくらい毎日のように見ている私には分かりますよ」
と優しい声で言ってくれた。
それは自分では気付かなかったことで素直に嬉しかった。
さらに俺を最初の頃から知ってくれている警備員さんに言われたということに、俺はより嬉しさを感じていた。
警備員さんの一言で、俺はまた気分良く1時間ほど集中しながら掃除をしていた。
あ、そうだ……
掃除に夢中になる一方、教室の近くを掃除していた俺はせっかくなら浦瀬の様子でも見に行こうと思い、教室の方へと掃除を続けながら向かうことにした。
もはやこの時の俺は浦瀬の心配をしているというより、俺にとっても唯一この世界で話せる存在の一人となっていた浦瀬と話したいという思いの方が強かった。
ただその気持ちが続いたのも数分のことで、教室に近づくいていにつれ重い空気を感じ始めるようになっていた。
嫌な予感がしながらも教室を覗いてみると、
嘘だ、本当に俺が……
さっきまでの明るかった俺の心情は、過去の世界と同じ暗さを取り戻しつつあった。
教室の中には浦瀬と過去の俺の姿、仲間が数人……
その状況は浦瀬のアザを俺がやったと裏付けるような、過去の自分の行動にも関わらず言葉にもできない状況だった。
俺は、こんなことしてない……
記憶にない過去の自分の行動に、俺は戸惑いを隠せなかった。
過去の俺に何を言われようと言い返しもせず、顔色一つ変えないで耐え続ける浦瀬の姿は今の俺に強く響いた。
「何で……」
もしこの状況が何日も前から、数週間、数ヶ月、俺が浦瀬と一緒に帰宅したり出掛けたりしたあの日からも起きていた出来事だったとしたら……
何で浦瀬は何も言わなかったんだ……
相談してくれなかったんだよ……
「あ?清掃員?」
俺が不意に出してしまった言葉に、教室にいた過去の俺は気付いてしまっていた。
窓の外にいる俺の存在には気付くのに、何で浦瀬のことに気付いてあげられないんだ……
きっと浦瀬がこんなにも明るく優しく強く、未来を照らしてくれるような笑顔の持ち主だということを過去の俺は知る由もないだろう。
ただ浦瀬が俺に生きている意味が感じられないと言ったあの瞬間、俺には浦瀬が敵にしか見えず、浦瀬に対して怯えた心を持っていたのかもしれない……
自分で自分を制御することなんて出来ない。
何が正しいとか正しくないとか、ただどの道を選んでも俺が間違っていると言われる事なんて分かっていた。
だからこのいじめに気付いた誰かが俺を責めて、止めて、全てを終わりにしてくれるんじゃないかって……
ただ存在することもない人に甘えていた。
でも初めてだったんだ……
この世界に来て浦瀬に会って、過去では憎んでいたその相手が俺なんかに、俺なんかのために、俺がいるからって、俺と未来を見たいって……
俺は……俺は……
過去の俺とその仲間は俺の存在に気付いたところで動揺など一切せず、苛立ちまで見せていた。
そんな状況に俺は窓の外からその場にいたすべての人物に悲しみを抱いていた……
そしてその感情はいつしか悲しみから呆れへと変わっていき……
「入月陸七、何でお前は……」
俺が呆れた果てに発したその一言に、過去の俺と浦瀬を除いた者だけが動揺を見せていた。
「今、入月陸七って言ったよな……」
「おい陸七、お前の知り合いなのか……?」
動揺する仲間たちは一切顔色を変えることのない過去の俺に尋ねていた。
「いや、知らねぇ。」
過去の俺が言った一言で仲間はさらに動揺を見せていた。
「陸七だけじゃない。
淳希も、南帆も……何で誰も……」
自分たちの名前が次々と挙げられていく現状に、焦り始めている仲間もいた。
でもそれはやけに落ち着きがある過去の自分と、しゃがみ込んだまま全く動きのない浦瀬以外の話で……
俺が一番響いて欲しいと願っていた肝心な奴は、
「面白い。」
ただそれだけを言い残し、鼻で笑うように焦る仲間たちと教室から出て行った。
なぜだろう……怖い……
過去の自分のその様子が、俺のすべてを見透かしているとでも語っているような……
何とも言えない恐怖がそこにはあった。
ずっと下を向いて固まったままでいた浦瀬は、過去の俺やその仲間がいなくなってもしばらく動き出そうとはしなかった。
「あの……」
浦瀬に聞こえるか聞こえないかの境目に出た俺の声。
無反応でいる浦瀬も俺の存在には気付いているはず……
それなのに浦瀬から俺に対しての言葉はなく、また俺もそれに続けて言えるような言葉が見当たらなかった。
こんな時、何て声をかければ……
「あっ……」
ずっと下を向いていた浦瀬は少しすると立ち上がって廊下の方へと歩き出そうとしていた。
それとは反対側にあたる窓の外にいた俺は、浦瀬のその行動がすぐには理解できなかった。
またいつものように笑ったり、何事もないように俺に話しかけてくれる……
そんな淡いことをこんな時まで期待していたのかもしれない……
未だ俺に気付いていないというように、いじめられていることがなかったかのように教室から出ていこうとする浦瀬に俺は焦った。
俺の方を一切見ようとはせず、その姿は俺のことを避けているようにも見えた。
何か言え、浦瀬が教室から出ていく前に……
早く言えよ、俺……
「話なら、聞くから……」
俺の声に浦瀬は一瞬だけ足取りを止めてくれていた。
「ありがとうございます……」
少しして背を向けたまま返ってきた言葉は、暗く重い声に包まれていて……
あの明るかった人からの声だと信じたくはなかった。
浦瀬からはこれまでにも何度もありがとうという言葉を貰ってきた。
けど今日までに何度も言われてきた言葉と同じとは思えないほど、その言葉はまるで違う意味を示しているようにも感じてしまった。
それはもう、俺が知ることのできた浦瀬とは別人の姿で……
もしかしたら昨日までの浦瀬が夢だったのかもしれないと、現実を見失いそうにもなった。
そのまま浦瀬は俺と目を合わせることもなく、教室から出ていこうとするその歩みを止めることはなかった。
あと先のことを何も考えず、ただ一時の感情に任せて過去の自分へと出してしまった言葉……
その後で浦瀬にかけてあげられる言葉なんて、今の俺にはあるはずもなかった。
その日以来、俺は浦瀬から少しずつ距離を置かれているような気がした。
浦瀬に避けられるような行動を取られた時、俺は初めていつも浦瀬から俺に歩み寄っていてくれていたんだと知った。
元々人見知りも強く、やっとのことで話せるようになっていた浦瀬の雰囲気も変わってしまい、もはや今の浦瀬に俺は初対面と同じような感覚でしかなくなっていた。
でもそんな浦瀬だって未だに本当の俺のことは知らないはず、なのに浦瀬はそんな俺を良い人だと決めつけていつも話しかけてくれていた。
実際俺が話しかけることよりも、浦瀬から話しかけてくれることの方が多かったくらい……
そうだったのにも関わらずこの状況……
明るかった浦瀬にさえも戸惑いつつ何とか話せていたくらいの俺が、まるで別人のようになっていく浦瀬に話しかけることなんて至難の業でしかなかった。
二度目の人見知りのような症状を起こしてしまっていた俺は、また浦瀬が何事もなかったような飾らない笑顔で話しかけてくれる日を心のどこかで待っていたのかもしれないと思えた……
でも以前とはまるで違う一日を過ごそうと、時は早いように過ぎていくばかりで……
今までにメモしてきた3つの内容は大まか当たっていると言える。
次にメモされていた4つ目の内容、またこの悲惨な未来を予言するような内容を示す日も刻々と迫ってきていて、ただじっとしている時間もないのだと携帯の中に記された文字が告げているようだった。
俺はどうしたら……
浦瀬に聞こうと、浦瀬は頑なにいじめのことを言おうとはしない。
それが何でなのか分からない俺……
浦瀬が今何を考え何を思っているのか、一番に分かる人はただ一人しかいないと俺は思った。
先生……
浦瀬が留守の時間帯、そして先生が休みだった唯一の日を狙って俺はまたも先生宅へと足を向けていた。
<次の土曜なら空いてるけど、結乃がいない方がいいなら買い物にでも行かせておくよ>
先生から連絡をもらった俺は土曜日の正午を少し過ぎた頃、先生の家へと晴れた道の中を歩いていた。
浦瀬が話していたように先生は受験シーズンに近づくにつれ忙しくなっていっているのが分かった。
現に先生にメールをしてから返信がきて今日に至るまで、優に一週間以上は費やしていた。
<インターホンの音>
「はーい、ちょっと待ってて」
少し前には何の反応も返ってこなかったインターホンも、今日は一回鳴らせば先生が応答して玄関を開けてくれていた。
「久しぶりだな」
そう言った先生の笑顔に俺の心も久しぶりに少しだけ温かくなれたような気がした。
俺は居間へと足を運び先生の用意してくれたお茶を一口飲んだ後、浦瀬が帰って来る前にと早速本題を話し始めることにした。
「俺、浦瀬に避けられてるような気がするんです……」
「え?結乃がお前を避けてるって?」
先生はその悩みが俺の勘違いではないのかとでも言うように聞き返してきた。
「はい……
何か俺のことで言ってませんでしたか?」
「さあなぁ……
俺の前では特に変わった様子はないけどなぁ……」
「そうですか……」
先生に聞いても分からないという状況に、俺はまた行き詰まってしまいそうだった。
「何だ?結乃と喧嘩でもしたってことか?」
先生の言葉を聞いて沈むような顔をしていた俺を見てか、今度は先生から俺に聞いてきていた。
「いや、そういうわけじゃなくて……」
「じゃあ何だよ。
俺の前でうじうじしてたって何も分かんねぇぞぉー」
先生は呆れたように伸びをしながら俺にそう言った。
「その、先生には……」
「ん?何だ?」
躊躇いながらも話し始めた俺の言葉に先生は耳を傾けてくれていた。
「先生にも、知られたくないことってありますか?」
「知られたくないことか……
お前にはないのか?」
先生は当たり前のように俺に聞いた。
「俺?俺には……」
俺にだってある。でもそれは俺にしかないもので……
「あるんだな。
人間誰しも生きてればそんなもん一つや二つはあるだろ、もちろん結乃にもな。
なるほど、それをお前が知ってしまったかなんかしたってことか」
先生はこれまでの現状を少しずつ悟っているようだった。
「でも、それは隠すのがおかしいことっていうか。
浦瀬自身は何も悪くないことで……」
「いじめってことか。いじめが始まったって……」
先生のトーンはさっきまでより暗くなっていた。
「え、あっはい……」
俺は正直に答えるしかなかった。
「そうか、まぁでもその件に関してはあの日お前に託したからな。」
先生はあまりその話に触れようとはしなかった。
「俺に何ができるって……
俺なんかに、託さないでください……
浦瀬の気持ちさえ何も分からないような俺に何ができるって言うんですか。」
「それでも俺はお前に託すんだ。
俺がそう望んだままに……」
「浦瀬は、俺に頼りたくないんです。
俺に知られることをずっと避けて、知ってしまった今の俺には前のように話してはくれなくなって……」
「それは、結乃にとってお前がそういう存在だったからじゃないのか?」
「え……どういう意味……」
やけに落ち着いて淡々と話していく先生、それに置いていかれるままでいた俺との温度差は広がっていく一方だった。
「結乃はすごく家族思いでいい子だ。
でもそんな父親である俺にも結乃は何も言ってこない。
結乃にとってお前も家族と同じように大切で言えない存在だった……とかな。
昔から結乃は帰り道に転けて血だらけで帰ってきたとしても、自分からそれを俺に言うことはなかった。
それで俺は怒ったこともあるくらい……
でもその時の結乃は、」
『お母さんに比べたら、こんなの全然大したことないもん。
お父さんは私の心配なんてしなくていいから、お母さんのことだけを考えてて』
「まだその時、結乃は7歳だったんだぞ……
結乃は昔から変わらない、変わってない。
いじめというもので大切な存在であるお前に迷惑をかけたくなかっただけなんじゃないのか。
それに、あいつにだってプライドはある……
日頃あんなに強がって笑っている子が実はいじめられてましたなんて、あいつのプライドが許さなかったとかな……」
「そんな……
迷惑なんかじゃないし、そんなプライドのために……」
俺は思ったままに口に出していた。
「お前にだって結乃に言えていないことがあるだろ。
お前が後悔してるって言ってた過去の世界のこと、その世界を知らない結乃に少しでも話したことはあるのか?」
「それは、ない……です…………」
きっと目の前の先生すら知らない。
俺が浦瀬どころか先生にさえも本当のことを話せていないということを……
浦瀬には、その先生以上に何も話せていなかった。
「結乃もお前が話せないその理由と同じだよ。
きっとお前もその事情を結乃に知られた時、今の結乃と同じ行動を取るだろうな。」
誰かに相談するということで浦瀬が責められることはない、話したくても話せない俺とは違うんだと思い込んでいた。
浦瀬の気持ち……
俺は浦瀬の未来を変えること、それだけがすべてだと思っていた。
それ以外の感情なんて、浦瀬がどう思っているかなんて考えたことはなかった。
あの日、俺が過去に来て利根川三靏だと名乗って以来すぐに俺のことを信じてくれていた浦瀬。
でも本当はあの時すでに、俺の嘘や違和感に気付いていたのかもしれない。
それでも何も聞かずに普通に接してくれていたのだとしたら……
それを俺は当然のことのように思い、今日まで過ごして来ていた。
俺は聞かないこと、話さないことを自分の意のままにしか使ったことがなかった。
過去の俺も、今の俺も、人のことを思える優しさはないままだったってことか……
これから先、浦瀬にどう接していけばいいのか。その悩みは増えていくばかりだった。
「でもな、三靏のおかげか結乃は転校してすぐの頃より今では笑顔も増えてさ。
お前といることで結乃は前よりも明るくなった気がするよ。
それは俺の力ではどうにもできないことだった。」
「俺の、おかげ……」
「少しずつかもしれない。困難かもしれない……
それでも三靏なら未来を変えられるって、そう信じているよ。」
言葉にはしない。けど心の中では信じないでほしいと、ただそれだけを思っていた。
先生がどこまで知ってるのかは知らないが、もうすでに浦瀬は傷だらけだ……
俺は浦瀬や先生に、無傷で終われる未来を見せてあげたかったのに……
俺なんかに未来を変えられるような大層な力なんてない……それなのに……
「だから考え過ぎんなよ、三靏。」
悲しそうな笑顔で先生は俺にそう言い続けていた。
先生の優しいその言葉が俺には苦で、俺に思考力がなければどれほどいいだろうと思った。
ただ俺が人間である限り、そんな願いが叶うことはない。
でもだからこそ俺は毎日の夢の中でさえ考えたくなくてもずっと考えてしまう……変わらない未来のことを……
俺はもう解放されたい、自分という存在から……
そう思いながらも上にも下にも行動できず、ただ時に身を任せることしか出来ない俺。
考えても答えの出ない日々と安心したい気持ち、良い情報だけを捉えていたいという人間的な思いから、
「はい……」
先生の優しい言葉だけを信じようとしてしまう自分がいた。