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不等価交換

作者: 政子ちゃん

 溶けあって反響し区別のつかなくなった人々の話し声と、子どもの金切り声が入り混じる雑然とした空間。めずらしく休みがかぶり、夕飯を二人でとなった俺たちは近所のファミリーレストランに来ていた。しかし目の前の彼女はそんな手軽な食事に不服なのか、とがらせた口でストローを咥えウーロン茶を啜っている。

「ホンットうるさいんだけど。アタシ子どもマジで嫌い、一生いらんわ」

 奇声を上げ通路を走り回る小さな兄妹を見て、毒を吐く彼女は言葉とは裏腹に、ボックス席のソファーに立ち上がり、俺の背後からこちらをのぞき込む幼児に微笑みかけ小さく手を振る。なぜここまで悪態をつきながら、真逆の表情を浮かべられるのか。コイツなら満面の笑みで人を殴り殺していても何の違和感もないだろう。

「かわいい彼女をファミレス連れてきて恥ずかしくないわけ?」

 デートってわけでもない、普段の食事の延長でしかない外食、しかも例によって俺が払うと決め込んで財布を持たずに出てきているのに、不平不満を漏らすのがこの女。かわいいなんて自分で言っておきながら、服もメイクも遊びに行くときのように気合など入っておらず、部屋着より多少マシな格好をしているだけ。本人もそういうもんだとわかっているだろうに、何か文句を言わなければ気が済まないのだ。

「オメーがメシ作りたくねえだの、着替えんのがめんどくせえだの、あんま歩きたくねえだの、食いてえもんも決まってねえだの言うからだろうが」

 普段家でメシを食わない俺だが、別にたまには彼女の手料理が食いたいなんてアホみてえなことは言わない。作りたくねえやつに作らせず、こうして外に連れてきてやってるだけでも感謝してほしいくらいだ。それに、彼女がここまで並べたわがままに対して、近所のファミレスという選択は間違っていないと思うし、そもそもこんなときに小洒落た店なんか行くと言ったら、支度が面倒だの移動が嫌だからタクシーを呼べだの、また別のクレームが入るに決まっている。本人だってこれが最適解だと考えているはずなのに、俺の選んだものは全て間違っていると言わなければならないと思っているかのようだ。

「はぁ~皿も洗わない奴がなんか言ってるし……」

 コイツのわがままは大抵金で解決できることだ。愛だの恋だのわけのわからないことで、女に癇癪を起こされるのは仕事だけで十分だし、大体根が田舎くさい女にかかる金なんざたかが知れている。それに俺だって皿を洗わされるくらいなら毎食を外で済ませたって構わないのだから、安飯くらいいくらでも食わせてやったらいいと思う。だがしかし、それはそれとして俺の財布を自分のものだと思い、さらに感謝の一つもねえ女の減らず口にはうんざりするのだ。

「つーかお前どんだけ食うつもりだよ。奢られる気満々で腹いっぱい食おうとすんじゃねえ」

 散々文句をたれておいて、遠慮なく注文を重ねる彼女の面の厚さにはもはや尊敬すらしてしまう。和風ハンバーグの定食と一緒につまんでいるポテトとからあげは、すでに大半が彼女の皿に確保されている。俺と分けると言っていたのは何だったんだ。それに野菜不足の俺に食わせるという名目で頼んだシーザーサラダは、俺が苦々しく不味そうに食っていたせいか、彼女がほとんど一人でたいらげてしまった。しかも俺はパスタと共に食っていたピザをすでに二切れ奪われ、彼女が交換だからと言って俺の皿に乗せたハンバーグは、本当に一口サイズ。

「うっさいなあ、ケチな男はモテないよ」

 そう言って彼女はグラスを片手に席を立つ。ドリンクバーに行くなら新しいグラスを持ってくればいいのに、彼女は今飲んでいるものを律儀に飲み切ってから、同じグラスに違う飲み物を入れてくる。これだけ頼んでいても食事を残すことはないし、ストローや手拭きだって使う量は最小限で、そのゴミも一か所にまとめ汚れた部分は隠すように折りたたんでいる。良く言えば慎ましい、悪く言えば貧乏くさい彼女の一面は、きっと昔から染み付いたものなのだろう。そんな彼女を見つける度に、なぜ俺にだけはこうも傲慢で悪辣で容赦がないのかとため息が出る。他の奴が知っている彼女は、温厚で生真面目で人当たりの好い、そう例えるなら誰も見ていない深夜の赤信号を待つような人間で、きっと誰もが俺に向かう彼女を信じない。猫を被るとか二面性なんて生やさしい言葉じゃ表せないほど、別の人間が一つの身体に存在していた。

「オイ、俺のも」

 そんな女にそれなりに付き合ってやってる自分が馬鹿らしくなるときもあるが、なんだかんだ俺の方でもコイツに遠慮などしていないのだ。傲慢で悪辣で容赦がないのはお互い様だって自覚も、ないわけじゃない。

「は? 自分で行けば?」

 一言一句、一挙手一投足が売り上げや面子に関わる女とは違う。どんなに雑に扱ったって機嫌を損ねたって、そしてなにより、もしそれでこの女が俺のもとを離れたとしても、俺は何も失わない。有り体に言えば、何の煩いもなく素でいられることは認めざるを得ないと、二人で過ごす短い時間にはいつも思う。

「うるせえよついでじゃん。コーラな、氷入れるなよ」

「チッ」

 まだ中身の残る自分の手元のグラスを渡すことなく、俺が投げ捨てるように言うと、女にあるまじきドスのきいた舌打ちを返しながら、彼女はドリンクバーコーナーに向かって歩き出す。片っ端からボタンを押してジュースを混ぜ合わせているガキを器用に避ける彼女は、やはり一歩俺から離れるとまともな女にしか見えない。そんな背中を見て俺は、嫌と言わなかった彼女の機嫌が思いの外いいことを悟る。悪態や暴言の数と機嫌の良さが一致しない天邪鬼は、一体何を考えて生きているのだろうか。

 今のうちにポテトとからあげを食べておかねえと俺の分がなくなる。そう思い俺は、フォークでからあげを突き刺し口に運び、続いて反対の手でポテトを数本まとめてつまむ。最初の一口はケチャップをつけてかじり、次の一口はからあげについてきたマヨネーズに。舌に触れる酸味の向こうから、脂っぽくしょっぱいポテトが現れる感覚がたまらなく旨い。

「はい」

 戻ってきた彼女から手渡されたグラスに入った黒い液体を、俺は見もせずに受け取りストローで啜る。しかし俺の口に飛び込んできたのはコーラではなく苦く焦げ臭いコーヒー。甘ったるい砂糖水に申し訳程度の炭酸、そんなジャンクな味覚を想像していた俺の舌と喉は、青天の霹靂とばかりにむせ返った。

「おう……んぐ!? ゲホッ……! ゴホッ! うぇっ……オイこれコーヒーじゃん!」

「うん、アイスの無糖ブラック」

 悪びれもせず彼女は答える。しかも彼女の手にあるスマホからは、俺がコーヒーを吹き出す声がくり返し流れていて、抜け目なく動画まで撮っていたことがわかってしまう。

「なぁ、俺コーラって言ったよな!?」

 コーラとコーヒーじゃ雲泥の差だ。シロップもミルクも入れていないコーヒーなど、ただ苦いだけで飲めたものではない。こんなもん飲んでるやつはカッコつけたいかマゾのどっちかだろう。

「アタシコーラ持ってくるって言ってないもーん」

 清々しいまでの屁理屈。自分を顎で使うとこうなる、とでも言いたそうに、得意げな笑みを浮かべ喜々として彼女は言う。

「クソが……チッ、泥みてぇな味すんじゃん……」

 俺は口と机を紙ナプキンで拭い、まだ少し残っていたぬるいオレンジジュースを一気に飲み干した。大して旨くはないものの、慣れない味に毛羽だった舌をなだめるのには十分な甘みとほどよい酸味が、口の先から喉の奥まで流れ込んでいく。

「つーかいい年してコーヒーも飲めないわけ? ダッサ」

 当初の不機嫌など嘘のように楽しそうな彼女の側には、自分のために持ってきたメロンソーダが置かれている。真緑の液体の中を小さな気泡が踊るのを見ているうちに、自分だけ甘い飲み物を用意している彼女にじわじわと苛立ちが湧いてくる。

「ふざけんなよそっちよこせ」

 さっきの動画を満足そうに眺めている彼女からグラスを奪い取り、薄紅のグロスがついたストローも取り替えることなく自分のものにしてしまう。たとえコイツの飲みかけでもコーヒーよりはマシだろう。

「あっ」

 スマホに気を取られていたからかめずらしく反応が遅れた彼女は、どんどん減っていくメロンソーダを見つめ、訴えるように机の下で俺のスネをコツコツと蹴る。いつものパンプスではなくラフなサンダルで、しかも加減をしているのだろう、そう痛くはないが、揺れで手元が狂い上手くストローを咥えていられない。

「オイやめろや。つーかマジお前これさぁ……自分で飲めよホントに」

 飲む気にもならないコーヒーを彼女に押し付け、もうだいぶ冷めてしまったパスタの残りを口に運ぶ。底に溜まったソースの絡む塩気のきいた麺を甘ったるいメロンソーダで流し込み、口の中の水分をケチャップ味のポテトで吸い取っていく。

「まぁアタシは誰かさんと違って大人舌だし?」

 彼女は俺が押しやったグラスを手に、また一つ余計なことを言いながら気取ってコーヒーを飲む。酒も大して飲めねえような奴が大人だなんだうるせえと言いたいが、そこで俺はふと思い返す。そういえば彼女は炭酸ジュースなど好きだっただろうか。飲んでいるところを見たことはあるから、飲めないことはないだろうが、俺のように好き好んでドリンクバーで選ぶほどではなかったはずだ。コンビニに行ったときだって、いつも紅茶や果物のジュースを手に取る彼女は、見た目に反してあまりジャンクな飲み物を好まない。彼女が好きでもないメロンソーダを持ってきた真意を思い、俺は目の前の女の奇怪さを再認する。

「……なんなんだよ……あっコラ俺のだっつってんだろそれ」

 様々なことが頭を巡るうちに、俺のピザがさらに一切れ彼女の口に消えていく。

「んっとによぉ……」

 理解はできない。できてしまってはいけないのだろう。彼女が俺に与えるものにはいつだって意味などないと、そうでなくてはならないと思う。

「いいじゃん、あとでケーキ一口あげるからさ」

 そう言いながら彼女は再びメニューを手に取り、デザートのコーナーを開く。季節のフルーツをあしらったパフェやケーキ、定番のアイスクリーム、和風スイーツも充実している、ファミレスならではのページを彼女はにこやかに眺め、一つに決めかねている。ここでそれぞれ違うのを頼みシェアしようなどという殊勝な言葉が出てこないのがこの女だ。悩んだものは両方頼んで、微々たる一口を俺に渡し、残りは全て自分で食べてしまうのだろう。

 いつも、食べても太らない体質だからと、世の女を敵に回すようなことを嘯いてはいるが、俺は知っている。俺の奢りのときは好きなものを好きなだけ、なんでもかんでも吸い込んでいくこの女は、普段自腹で食うときはままごとみてえな弁当箱と水筒を持ち歩き、毎日自炊をして買い食いなんざ滅多にしねえような吝嗇家。それにこんだけ食った後にはきっと、俺の見えないところで運動の一つでもするんだろう。なぜそんなことをしてまで俺の金で馬鹿みてえに食いたがるのか。本当にやることなすことが不合理だ。

「はぁ……」

 まだ重なっていくであろう伝票にため息をつき、それが枚数に似合わず大した金額でないことを思う。綺羅びやかに夜を彩り虚栄心を満たす高価な酒と、不衛生な機械から吐き出される数百円で飲み放題のソフトドリンクと、何の違いがあるのだろうか。味の違いなどわかるわけがないこの女には特にそう。しかし他の女がいくら金を積もうと、このわけのわからない痛みに満ちた時間は、性根が芋くさく安上がりなこの女以外手にすることはできない。俺が口先で騙った愛を酒で流して得たものは、大衆的でチープな味と糞の足しにもならない罵倒に変わりここにある。

「あんま食うと腹壊すぞ」

 なかば諦めてしまった俺は、残りのピザを頬張りながらまだデザートを決めかねている彼女を投げやりにたしなめる。無駄だとわかっていても、つい何か言いたくなってしまうのは俺も同じ。

「元気な証拠でしょ。アンタも好き嫌いしてないでいっぱい食べなさいよ」

 憎まれ口を返す軽快さも、何を言っても手応えのない軽薄さも、その全てが彼女であり、そして俺はこのろくでもなく無意味で無価値ながらくたを持て余している。俺たちが日々を消費するこの生活は、ある日突然無くなったとしても明日終わりが訪れても、何の不思議もないと思えるほど不確かなものだった。実体など感じられず、誰にも触れることのできないゆらぎに飲まれた俺にとって、ハッキリとしているのは彼女から与えられる毒々しい棘の痛みだけ。一方俺が彼女に与えているのは、五感にのみ働く即物的な快楽と金で、およそ女が恋人に求めるような曖昧模糊でロマンチックなものなど俺たちの間には必要なかった。

 つくづく割に合わない関係だ。夜毎降りかかる感情と欲望の渦を耐え忍び、得るのはこの世でもっとも確かなもの。そしてそれを惜しみなく手放す見返りは、やわらかにザラつき荒れた安寧。こんなにも理不尽な日常を、どうして自分から終わらせることができないのだろう。

「なぁ俺にもメニュー見せて」

「これ美味しそうじゃない? これにしたら? でさ、ちょっとちょうだいよ」

 酔いも毒も、回ってしまえば狂気と大差ない。気が触れた俺はくだらない女一人切り離すことすらできなくなってしまったのだ。

「……俺こっち食いてえんだけど」

 でもまぁそれならそれで構わない。いずれ消えるものならば、急いで捨てる必要もないのだから。いつ訪れるとも知れぬその時まで、この酔いに飲まれてみるのも悪くない。


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