惚れていたのは、なにも1人だけではない
わたしはその日、バイトだった。飲食店のバイトとなると、色々な客がいる。
「おい、このドリアに髪の毛が入っていたぞ!!」
例えばこんな風に難癖をつけてくる面倒な客。
50代半ばくらいのおじさんは、3センチくらいの髪の毛をつまみあげ、呼びつけたわたしに不機嫌そうに言う。
スタッフの誰かの髪の毛が本当に入っていたらのなら大失態だ。
だが、うちの店で髪の毛が入るなどありえない。何故ならわたし以外、全員——スキンヘッドだから。
このカフェはわたしの従兄弟が経営している。こういったクレームが絶対にこない、いや……言わせない面白い店だ。
「お客様。当店わたし以外のスタッフは残念ながら髪の毛がございません」
店内からは常連客のクスッと小さな笑い声。厨房から「別に自分で剃っているんだから髪がないわけじゃないぞ〜!」などという声が聞こえる。
冷静に対応にあたっているものの、正直、わたしも笑いを堪えている状態。
中年の男は顔を顰めたものの、わたしに指差して、
「じゃ、じゃあお前の髪が入ったんだ!」
「失礼ながらお客様に料理を運んできたのはあちらのスキンヘッドですが」
わたしに手を向けられたスキンヘッドの店員もとい、遊正兄さんはグッと手を差し出した。
周りの客の微な笑い声が店内に響く。
「ということでお客様自身から落ちてしまった髪の毛かもしれません。ですので——」
「うるさいうるさいうるさい! 客が髪の毛が入ったと指摘してるんだ。さっさと料金タダにして詫びろ!!」
依然として引くつもりないようだ。
料理をタダに……これが狙いだな。
「おら、早くしろ! 髪の毛が入った状態の写真は撮ってるんだぞ! 早く詫びて料理代をタダにしないと……この写真をSNSにアップしてやる。ほれ、ほれ、あとはボタンを押すだけだぞ〜」
開き直って脅し作戦。全く……いい年した大人が何をしてるんたか。
店内もピリッとした空気が漂う。
従兄弟が丹精込めて作った料理に自分で異物を入れて騒ぎ立てて……さすがのわたしも頭にきた。そろそろキレて——
「そんなに文句言うなら、僕が払ってあげましょうか?」
そんな声が聞こえてきたと思えば、中年の客の右隣の席に座っていた男の子が立ち上がり、伝票を取った。よく見ると、同じ学校の制服だ。
——そう、それが涼夜との出会いだった。
「……あん? なんだオメェ」
「この店のコーヒーが好きなただの客ですよ。……1000円ねぇ。この金額のために彼女は1時間も働いている。バイトは単純じゃない。アンタみたいな迷惑客の対応も含まれている」
「俺が迷惑客だと!?」
中年の客がその男の子の胸ぐらを掴んだ。
男の子はビビる様子もなく淡々と言う。
「ええ、貴方は迷惑客ですよ。自分の髪を料理に入れて、異物が混入していると騒いでいる迷惑客」
「はぁ!? 俺の自作自演って言いたいのか! し、証拠を出せよ! 証拠をっ!」
そう言われて、男の子は黙る。それを見て客はニヤリと。
「……へへっ、証拠ねぇだろ? じゃあ謝れよ。でしゃばった真似してすいませんって土下座——」
「証拠ならあります。この携帯に」
彼はポケットからスマホを取り出す。
「実は、貴方の独り言が背中合わせに座っていた僕には聞こえていて……。それで怪しいと思って音声を録音していました。……では今から大音量で流しましょうか。せっかくなのでスピーカーにでも繋いで——」
「お、おいおい待て待て! 俺が悪かったからやめろ!」
中年の客が慌てる。どうやら計画的犯行だったらしい。
「え、なにアレ。ださー」
「どう考えてもあのオジサンが悪いでしょ」
「てか、この店で料理に髪の毛が入るとかあり得ないだろ、くぷっぷっ……あのオッサン自分から自白してるもんじゃん」
客の視線に晒されて、さすがに居心地が悪いと思ったのか、1000円ちょうどを置いて、中年の客は早足と店から出ていった。謝らなかったのはムカついたので、後から従兄弟たちがどうにかあの人を見つけ出してくれるだろう。
ふぅと一息つき、男の子の方を向いた。
「はぁ〜〜〜〜!」
瞬間、どでかいため息。隣にいる男の子からだ。胸に手を当てほっとした様子。
「はぁ、危なかった……もしバレたら僕が恥ずかしい思いをしたかもだね」
あはは、と疲れた笑顔を見せた。
どうしてか……それが、胸にきた。
話を聞くと、音声を録音したのいうのは嘘だったらしい。嘘でも早口で言葉を詰めれば、大抵の人はああやって引き下がるからやっただとか。
あんな不器用な方法で――ううん、たぶん、あんな不器用な方法だったからこそ惹かれたのかもしれない。厄介ごとに横槍を入れるということは、助けるというのと同時にリスクを負う。それは誰にでもできる行動ではない。
そして……誰かに助けられるなんて久々だ。
昔から従兄弟と過ごすことが多くて、どちらかというと男っぽい性格をしていた。容姿も相まってか、友達や他の生徒から『王子様』なんて呼ばれたり。王子様は助けられたりしない。むしろ助ける側。
実際、いつも誰かのサポートに回っていることが多かった。ちょっと教えてもらえば大抵のことはこなせてしまうし、周りからもそう見られている。
柚子なら大丈夫、よく言われた言葉だ。
あの中年の客を撃退することはわたしであれば容易くできたし、従兄弟やお客さんだってそう思って見守っていた。
そんな事を知ってから知らずか……彼は助けてくれた。わたしは助けられたのだ。それが普段の自分があまり経験したことないことで……でも嬉しかった。
「兄ちゃんありがとよ! でもうちは防犯カメラがついているから、あのオヤジが自作自演ってのは分かっていたぜ!」
「止めに入ろうかと思ったが、君が入ってくれたから見守っていたよ。勇気ある行動カッコよかった! コーヒーサービスしちゃうよ!」
従兄弟たちからそう言われて恥ずかしそうに俯く彼に、わたしは声を掛ける。
「え、えっとね? さっきは、ありがと……。まず、それを伝えたくて……」
ドキドキして、普通に話すことが難しい。こんな調子じゃ、変なふうに思われてしまう。いつもは冷静沈着さはどこへいった。……わたしらしくない。
その理由は言うまでもなく初恋だから。
初めての恋に戸惑っているから普通に振る舞うことができない。
彼の名前は千世涼夜というらしい。同級生で隣のクラス。うん、覚えた……。
それからも千世くんは定期的に店に足を運んでくれた。会話もするようになった。
2年でクラスが一緒だった時は嬉しかった。
席替えで近くになれれば嬉しいし、視線が合えば、胸が暖かくなる。話しかけられれば、距離が近くなった気がする。
呼び方も千世くんから千世。そして涼夜……と変わっていった。
柚子に案内され、たどり着いたのはカフェ【Mii】ここは柚子の従兄弟が経営しているお店だ。
「涼夜ってよくうちに来てくれたよね」
「ここのコーヒーがすごく気に入ってね。最近はちょっと行けてなかったけど」
ここはコーヒーも美味しいけど、セットのサンドイッチも美味しいんだよね。
「おお、涼夜じゃねぇか!」
「なに!? 涼夜だと!?」
「随分顔見せないうちにおっきくなったなぁ〜」
店を切り盛りする美咲三兄弟に見つかってしまった。
苦笑しながら、軽く会話を交わす。
実は柚子と初めて会ったのは、彼女がバイトをしていたこの店だった。ある日、偶然迷惑客に居合せ、僕がオジサンを撃退した経緯で知り合い、仲良くなった。
僕自身もまさか横槍を入れるとは思ってなかった。
店の美味しい料理に異物を入れてSNSに投稿し、評判を落とそうなんぞ脅すオジサンが許せなくて首を突っ込んだんだっけ。でも実際はお節介で少し恥ずかしい思いをしたけど、今となっては柚子と従3兄弟と仲良くなるきっかけになって良かったと思っている。
「柚子! ちょっと手伝ってくれよ!」
「わたしお客として来てるんだけど?」
「頼むよ〜。可愛い従兄弟の頼みだろ」
「えー……」
柚子が困ったとばかりの顔を僕に向けてくる。そんな彼女に僕は「行ってこい」と背中を押した。
艶やかな青緑色ショートの髪をまとめあげると、三角巾に仕舞いこむ。細い腰にエプロンを締めて、よし、と気合いをいれると柚子は、友達ではなく、制服を纏う店員に変身。
手慣れた様子で接客など、すばやい手さばきで作業を進めていく。
皿を片付け、あちこちを拭いて、備品を補充して……柚子が動くと、みるみる店は磨かれていく。
この感じ、懐かしいな……。
そんな柚子を見ながら、コリコリとコーヒー豆が挽かれる音をBGMに、時間は流れていく。
「終わった終わった。ごめんね涼夜。待たせて」
そう言い、柚子が戻ってきたのは店に来て30分後だっあ。
「全然待ってないよ。久々に柚子の仕事ぶりを見て懐かしくなった」
「そうかい? 少しでも目の保養になったのなら嬉しいよ」
「十分癒されました。それで話ってなんだ? もしかして……秘密話?」
柚子があんな事言うなんて珍しいからな。よっぽど大ごとなのだろう。
「秘密話か……ふふっ、確かにそうだね。気になる?」
「う、うん。気になるけど……僕が聞いても大丈夫なやつ? 他の人に言っちゃダメだよってなら言わない方がいいぞ?」
「そんなに身構えなくて大丈夫だよ。リラックスして聞いてほしい」
「分かった。じゃあ……お願いします」
「うん、じゃあ言うね……うーん……やっぱりやめよっかな〜」
「え、なになに? そんなに溜め込んで。怖いよ」
「ふふっ、なんかいざとなって言うと恥ずかしいなーと」
「ほう?」
「ねぇ涼夜。わたしの話、気になる?」
「そりゃこんなに貯められたら気になって眠れないよ」
「そっかそっか。やっぱり気になるよね——《《わたしが涼夜のことが好きって話》》」
「え……」




