女の香り。上書き上書き、キスマーク
(希華side)
「すいません、先生。保健室をお借りして」
「いいのよ、希華さん。気分が悪くなったら遠慮なく保健室にきてちょうだい」
保健室のベッドから起き上がり、先生にお礼を言う。
先ほどの授業は化学で、ちょっとした実験をした。その時に、わざとらしく男子が手に触れたり、横を通り過ぎたり……という事があり、少し気分が悪くなってしまったのだ。
あのニタニタした下心丸出しの笑み。
トラウマのおかげ……いや、トラウマのせいで私は相手がそういう目的かどうかの感覚が鋭くなった。
触れられたいと思うのはスーくんだけなのに。
私の唇も肌も、全部全部全部全部……。今度はスーくんから私たちに——
「失礼します〜」
ガララと扉が開く音と男子生徒の声。
この声は……スーくん?
カーテン越しなので、顔は見えない。シューズを履き、隙間から覗く。
「あら、確か貴方は1組の千世君と、その後ろにいるのが美咲さんね」
「はい、先生。美咲の奴が授業中に相手と衝突して足を捻ったのに、そのままにしてまして……」
「足を捻ったのならすぐに冷やさないと。相手の体重が掛かったならなおさらよ」
「あはは、いけるかなーと思ったけど、ダメでした〜」
スーくんと女の子の楽しそうな会話が聞こえる。
先生は冷蔵庫から氷を取り出したり、ポリ袋を用意したりする。その間にスーくんはおんぶしていた女の子を丸椅子に下ろした。
「わたしはここまででいいから。涼夜は次の授業に遅れないようにいきなよ」
「そうする。先生、後はお任せしますね」
「千世くんわざわざ美咲さんを来てくれてありがとうね」
「いえいえ。それじゃ」
どうせなら一緒に帰れば良かったと去っていくスーくんの背中を見て思う。
「……ふーん」
「……っ」
ふと、美咲さんと目があった気がした。私は一歩、後ずさる。
思い出した。この子は美咲柚子さん。
よくスーくんと一緒にいる女の子で、女子の間でも人気で……。
まさか、スーくんの事が好き……とかないよね?
そんな事を思いながら、私は第一ボタンを閉めた。
昼休み。生徒たちが思い思いの場所で昼食や会話を楽しんでいる中、僕は翔吾と食堂にきていた。
ここの学食は安く、ワンコイン以内で食べれるのがほとんどだ。料理を作れず、購買部か学食で小遣いを減らされる学生の身としてはありがたい。
それぞれ料理を受け取り、席に着く。
「涼夜、お前のののの姉妹のどっちが好きなんだ?」
「へ?」
チキン南蛮を食べようとした時、翔吾がそんな質問をしてきた。
「……なんで急に?」
「いや、俺も急に気になった。だって、仮に付き合えるとしてもどっちか1人だけだぜ? 2人ともと付き合うってなると……学校中の失恋を買うだろ」
「まぁ、確かに……」
一緒に登校してきてあの注目度だからな。付き合ったら相当……。
『スーくんは私の事好き……?』
希華から不安げに聞かれた言葉。
それから2人に頬、顎、首、鎖骨とキスを落とされ、首筋の根元には2つのキスマーク……。
その、少しは期待してもいいのかな……。
「んで、どっちが好き……こう聞くから答えにくいのか。どっちが好みなんだ?」
対して変わらないと思うのは僕だけかな?
「えと、乃寧さんも希華さんもどっちと魅力的で……選べないかな。あはは……」
「まぁお前ならそう答えると思っていたよ。全男子がどっちかと付き合えるならOKって思ってるし」
「確かに……」
2人のどちらかと付き合う。
誰もが憧れて——
「私を恋人にしてくれないんだ」
「つ!」
唐突、背後から声がした。
その声にびくりと肩が跳ね、反射的に振り返るとそこには──
「のののの姉妹!?」
僕が先に言うより、翔吾が驚きの声を上げる。
「はい、のののの姉妹です。こんにちは〜」
乃寧は愛想のいい笑顔を浮かべ、希華は乃寧の後ろに隠れ控えめにお辞儀。食堂という大勢の生徒が集まるとなると、希華も人見知りを発揮してしまうのだろう。
今日は食堂で食べるのか、料理が乗ったトレイを持っていた。そういえば、さっき少し騒がしくなったのは2人が来たからか。
「涼夜、隣で食べていいかしら」
「いいけど……」
空いているのは僕の左側。しかし、さっきまで席は1つしか空いておらず、2人は座れないよなーと思ったが、座れた様子を見て、言葉を止めた。
先ほどまでその席で食べていた女子生徒たちが席を移動したようだ。
「私たちの話題が上がっていた気がしたのだけど……気のせいかしら?」
「あ、いや……なななんでもありませんよ!! なっ、涼夜っ!」
「う、うん……」
さすがに本人たち前じゃ言えない話題だ。
「貴方は涼夜と仲良くしてくれている滝谷翔吾くんね。うちの涼夜がいつもお世話になってるわ」
「い、いえこちらこそ……。きょ、恐縮です……」
翔吾の奴、すっかり威勢がなくなったな。
でも僕も幼馴染じゃなかったらこうだったのだろう。
「ねぇねぇ、スーくん」
首をちょこんとかしげ、希華がこちらを覗き込んでくる。ぐっと近づく彼女の揺れる胸が当たる。
透明感のある瞳はこちらをじっと見つめ、希華は僕にだけ聞こえるように話す。
「お姉ちゃんに言われなかった? "さん"付け禁止って」
「い、言われました……」
そうだった。いつもの癖でつい……。
「そうだよね。じゃあ……お仕置きだ」
え? と疑問の声を上げる前に、情けない声を上げそうになり、我慢した。
翔吾は乃寧に話しかけられているので、そっちにしか意識がいかないだろう。
食堂にきている生徒の目もあるが、テーブルの下で行われている事にまでは目が届かない。
つまり、希華のやりたい放題。
身体を更にぐっと密着された。
片足が腹部に絡み、ふくらはぎの辺りで下腹部を刺激されている。
「う……」
すりすりと微妙に擦られると……感じてしまう。さらに人目がある。
こんな事バレたら……早く止めてもらわないと。
「ふふっ。声を我慢してるスーくん……可愛いなぁ」
こちら思考を邪魔するように、身体を襲う刺激が徐々に艶めかしさを増していく。
時折、耳元に吹きかかる吐息が妙にくすぐったい。
「ねぇ、スーくんちゃんと反省してる……?」
「ああ、ちゃんと反省してる。次からは呼び捨てで言うから……だからっ」
漏れそうな声を我慢するように拳を握る。
カラン
その震えた拳が箸に当たってしまった。箸が床に落ちる。
「あ、ごめんっ」
乃寧と翔吾もその音でこちらに注目した。
慌ててテーブルの下に転がった箸を取るため、身体を曲げる。
希華の行為も止まったし、これで——
「私にはスーくんしかいないからね」
「え……」
——ちゅ
首筋に温かい感触。
いつの間にか、第一ボタンが外されていた。左側というと、希華がキスマークを付けたところ。
「新しいお箸貰ってくるね」
希華は何事もなかったように席を立つ。
翔吾が希華ちゃんと優しいとだらしない顔をしている中、僕はボタンを閉じ、急いで箸を取った。
希華は人見知りって聞いたけど……僕には結構、積極的だよな……。
私にはスーくんしかいない。
だから、他の女の子に目移りしないようにしないと。色々と……上書きも……ね。




