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第七話 好きな匂い

 ――いたたまれねえ……。


 放課後、女の園――ドラッグストアのコスメコーナーで俺はそわそわとしていた。隣に夕愛がいるとはいえ、女性用の商品売り場はなんとなく居心地が悪い。


「誠汰くんはどの色が好き?」


 夕愛の手の甲には五色の色が乗っている。レッド、オレンジ、サーモンピンク、ピンク、あと薄いピンク。


「口紅にもいろいろあるんだな」

「これ色付きリップだよ」

「……なにが違うんだ?」

「基本リップクリーム。くちびるを保湿するやつね。それにうっすら色がついてる」

「こっちの濃いやつは?」

「それは口紅。でもそれは保湿成分も入ってる」


 ――むっず……。


 コーヒー牛乳とカフェオレみたいなものだろうか。


「それで、どれが好き?」

「ええと……」


 凜奈に似合うのは薄いピンク……。


 ――じゃない!


 ゲームから離れろ。目の前にいるのは夕愛だ。


 なんだっけ、イエベとかブルベとかいうやつ。髪や瞳、肌の色などの傾向から似合う色がわかるとかなんとか。前に母さんが話していたのを聞いた覚えがある。


 俺は夕愛の顔を見た。血管すら透けて見えそうな透明感のある肌だ。多分ブルベ――ブルーベースだろう。


 ――まあそれになにが合うかはわからないんだけどな!


 こうなったら自分の感性を信じるしかない。夕愛に一番合いそうなのは――。


「このピンクかな」

「ローズピンクね。了解です」


 夕愛は手の甲をバッグからとりだしたクレンジングシートで拭く。


「わたしも誠汰くんはこの色が好きなんじゃないかなあって思った」

「いや、俺が好きっていうか――」


 夕愛に似合うと思っただけなんだけど。


 そう言おうとしたら、


「そうだ、ハンドクリームも見ていい?」


 と、さっさとスキンケアコーナーのほうへ歩いていってしまった。


 ――自由だな、おい。


 夕愛のあとを追う。彼女は棚の前にしゃがみこみ、真剣な表情で吟味していた。俺も彼女の隣にしゃがむ。


「どれがいいと思います?」

「いやわからん。というか、そんなの使わなくても手きれいだと思うぞ?」

「けっこう頑張ってケアしてますから。きれいな手のほうが好きでしょ?」


 そりゃ嫌いではないが。


 夕愛はテスターのクリームを手の甲に乗せてすりこむ。


「う~ん、ちょっともったりしすぎかなあ……」

「そのほうが保湿力高そうだけど」

「でもしばらくスマホを触れなくなるじゃないですか」


 乾燥したらとにかくニ○アを塗りたくる俺にはない観点だ。


「誠汰くんも試してみて」


 そう言って夕愛はテスターのクリームを俺の手に搾りだした。


 拝むみたいに手を擦りあわせる。


「ダイナミックな塗り方」

「いつもこうだけどな」

「むらができちゃいますよ? ――そうだ。正しい塗り方、教えてあげましょうか?」

「正しいとかまちがいとかあるのかよ」

「ありますよお。ほら、手を出して」


 促されるままに手を差しだすと、夕愛はもう一度ハンドクリームを俺の手の甲に乗せた。


 そして手のひらでやさしく撫でるように広げる。


「こうやって指先にも行きわたるように、丁寧に」


 ――ぅ……。


 開始してすぐにこれはやばいと気づく。俺の手の上を這い回る夕愛のしなやかで少し冷たい手。くすぐったいような快感が手先から全身に駆け巡る。


「そして爪の際をマッサージするみたいに塗りこむんです」


 夕愛は俺の指をつまみ、親指の腹でぬるぬると指先を揉む。


「あ、あのさ!」

「なんですか?」

「こ、これは、過度な接触じゃないかな……!」

「ええ? どこがですか?」

「だって、なんか――」


 俺ははっとした。


 夕愛がにいっと口角をあげて俺の顔を覗きこんでいる。


 ――こいつ……、わかっててやってやがる……!


「ハンドクリームの塗り方を教えてるだけですよ? それとももしかして……、変なこと考えてます?」

「ぜ、全然!」

「ならいいじゃないですか。つづけますね?」


 指を一本一本、丁寧にさすっていく。


「指のあいだも」


 と、まるで恋人つなぎをするみたいに指を指の股にぬるりと滑りこませた。


「っ……!」


 背筋がぞくぞくとする。


「最後に手のひらも」


 握手をするように手を握り、指先のほうへ滑らせた。


「しゅ~りょ~。どう? まんべんなく塗れたでしょ?」

「はい、ありがとうございます……」


 なぜか敬語になってしまった。ぐったりする俺の顔を見て夕愛は「ふふふ」と嬉しそうに含み笑いをする。そして耳元でささやくように言った。


「言ってくれればいつでも教えてあげます」


 温かい息がかかり、また快感がぶり返す。


「い、いや、しばらくはいい……」

「ふふっ」


 夕愛は立ちあがり、ハンドクリームの吟味を再開した。俺はしゃがんだまま棚の下段を探すふりをする。今はちょっと立ちあがれない。


「前に使ったことのあるやつにしようかな」


 そう言って夕愛はテスターを何個か俺のほうに差しだした。


「どの匂いが好き?」


 色の次は匂いか。


 というか、前から感じていたが夕愛の評価軸はちょっとおかしい。いや、軸がないと言うべきか。評価が自分ではない外側――俺に依存している。


「夕愛はどれが好きなんだ?」

「……わたし?」


 以前、してほしいことを尋ねたときみたいに難しい顔になる。


「わたしは、べつに……。誠汰くんの好きなやつをつけたいし」

「ハンドクリームって日用品みたいなものだろ? 俺がいないときだって使うんだし、自分の気に入ったやつのほうがいいんじゃないか?」

「でも」

「匂いを嗅いでみて、夕愛の気分が一番あがるのはどれ?」


 夕愛は不満げな顔をしながらも、テスターの蓋を開けて一個一個匂いを嗅いでいく。


「あ、これ……」


 夕愛が反応を示したのはハーブ系の香りがするハンドクリームだった。


「それが気に入った?」

「う、うん。でも、花とか果物系のほうが……」

「でも気に入ったんだろ?」

「うん……」


 俺は棚からそのハンドクリームをとり、レジに向かった。


「え、ちょっと誠汰くん」

「弁当を作ってもらったし、お礼をさせてくれ」

「あんなの全然お礼をされるようなことじゃ……」

「俺にはたいしたことなんだよ」


 前に自分が言ったセリフを引用されて、夕愛はさすがに黙らざるを得なくなったようだ。


 会計を済ませ、夕愛に手渡す。


「あ、ありがとうございます……」


 うつむき、顔を赤くしてぼそぼそと礼を言う。そこにはついさっき俺を手玉にとった小悪魔の面影はなかった。







 朝、登校すると、玄関で立ち話する夕愛を見かけた。隣にいるのは以前の夕愛のようなごりごりのギャルだ。


 その子の目がちらっとこちらに向けられた。


 まずいまずい。ひとがいるところでは他人のふりをしたほうがいい。俺は何気ない素振りで上履きに履きかえる。


 ふたりの話し声が聞こえてくる。


「なんか今日の夕愛の匂い、よくない?」

「わたしの匂い……」


 夕愛は自分の手を撫でるような仕草をした。


「……そっか、わたしの匂いだ」

「なに言ってんの? 当たり前でしょ」

「だよね。――わたしの匂い、いいでしょ?」

「なにそれ」


 友だちはぷうっと吹きだした。


 ふたりは俺の前を通りすぎる。そのとき夕愛と目が合った。


 彼女は嬉しさと少しの照れくささが混じったような大きな笑みを浮かべた。


 俺はスニーカーを下駄箱に入れる姿勢のまま固まってしまった。


 恥ずかしい言い方をすれば、夕愛の笑顔に心を射抜かれた。それは今まで見たことのない、彼女の心からの笑顔に見えた。


 どくどくと自分の心臓の音が聞こえる。


 ――いや、これは、違う。


 惹かれたとかそういうんじゃなくて、ただちょっと不意打ちを食らったというか。あんなかわいい子に笑顔を向けられたら誰だってときめくだろ。それだ。


 そう自分を納得させる。しかし鼓動はなかなか静まってはくれなかった。

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