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短編・童話集

落書き――秘密の遊び――

 少女はいま、落書(らくが)きをしていた。

 決していいことではない。

 落書きというからには、本来書いてはいけないところへ文字を書きつけていたのである。


 コトの起こりはもう二ヶ月ほど前、理科室での授業中のことだった。

 少女はあまりその授業が好きではなく、教科書を読むふりをしながら別の考えごとをして退屈を紛らわせていた。

 そして机の端に何気なく目をやったとき、その文字を見つけたのだ。

 鉛筆で書かれていたその落書きは、理科室特有の黒い机のせいで判別はしづらかったものの、確かにこう読むことができた。

 

「この時間はいつも退屈だ。誰か相手をしてくれないかな」


 同じ様なことを考えている人がいる。

 少女は最初にそう思った。

 それから、ふと、イタズラ気分が首をもたげてきた。

 少女は授業中にこっそり、その文字の下に、同じように落書きをした。


「仕方がない、わたしが相手をしてあげよう。何の話題がいいかな? 好きな食べ物あたりでどうだろう」


 少女はワクワクしながらその日の授業を終えた。

 翌日は理科の授業がなく、少しだけ残念に感じた。

 そうしてなんだか残念なのを自分でも驚いた。

 理科の授業に対してそんなことを思ったのははじめてだったから。


 落書きをして二日後、少女はまた理科室にいた。

 何の変化もないことだって予想していたのだけれど、起こったことは、少女の期待通りだった。


「ぼくはオムライスが好きだ。子どもっぽいと思われるかな。でも、こんなところでウソをついたって仕方がない。じゃあ、きみが好きな食べ物は?」


 『ぼく』というからには、男の子なんだ。

 文字を読んだ少女ははじめにそう思った。


 彼が前に書いた落書きは消えていた。

 そして少女が前回書いた分は残っていた。

 少女も自分の文字を消し、返事をかいた。


「オムライスは決して嫌いじゃない。だけど焼肉の方が好き。ガッツリ食べなきゃパワーもでない。さあ、今度はあなたの番だ。何か話題があるかしら」


 少女はそこでシャープペンシルを置いた。

 明日の理科の授業が、また楽しみになっていた。



   ※※※



 こうしてはじまった落書きを通じた間接的な会話は、徐々に長くなっていった。

 少女と落書き相手の授業時間は、どうも噛み合せがいいらしい。

 少女の書いた言葉には必ず返事があった。


 落書き相手の彼はオムライスが好きで、A型で、雨の日がけっこう好き。

 野球はよく観戦するけど部活はしていない。

 授業は数学が一番得意で、体育はもっとも苦手だ。

 その他諸々、少女は彼についての知識を徐々に増やしていった。


 そうして少女はいつのまにか、この『謎の彼』に対する共感を、もっといえば好意を抱いていた。

 何しろこんなくだらない遊びに付き合ってくれているのだ。

 それにほとんどの彼の落書きは素朴で、大して面白くもなかったけれど、どこか誠実な人柄が感じられたのだ。


 それでも少女は、彼の正体を詮索しようとはしなかった。

 これは秘密の遊びで、非公式なものだ。

 このつながりを、自分の学校生活のその他の部分につなげてしまうのは、まあ、なんだか違うのだ。


 しかしあるとき、悲劇が起こった。

 理科の中間テストは、理科室で実施されることになったのだ。

 少女が彼と落書きをはじめてから、二ヶ月目のことだった。

 その結果、理科室では中間テストの準備が行われ、カンニング防止のために机が改めて検査され、目立たなかったあの落書きも、完全に消されてしまった。

 そして中間テストの後で、少女のクラスでは席替えが実施されることになった。

 つまり理科室の席順も変わる。

 少女が同じ席に戻れる可能性はほとんどなかった。



   ※※※



 数日後、少女は中間テストを受けた。

 テストを一通り書き終えてしまうと、綺麗になった机をじっとながめた。

 自分と彼、二つの言葉が同時に消えてしまうと、なんだか今まで積み重ねたものが全部なくなってしまったように思えていた。

 あの遊びはもう出来ないんだろうな。

 少女はさびしかった。


 意外なことが起こったのは、その日の放課後のことだった。

 なんだかやるせない想いを抱いたまま、少女は昇降口へと歩いていた。

 友達とうまく予定があわず、その日少女は一人で帰る予定だった。


 玄関につながるホールへ出たとき、廊下の向こうにある、特別教室の集まる校舎の姿が目に留まった。

 そこでふと思いついた。

 そうだ、今日でテストは終わりだ。

 あの遊びはもう続けられないけれど、最後ぐらいあの机に、これまで付き合ってくれた謎の少年に向けた、感謝の言葉でも書き記そう。


 早足で理科室へと行き、扉へ手をかけた。

 見知らぬ男子生徒が、理科室にあるもう一方の扉から出てきたのは、ちょうどそのときだった。

 二人の目があった。

 その瞬間、少女は理解した。

 向こうもきっと勘付いたはずだった。


 この人が、彼だ。


 二人は同時に目を反らした。

 少女は考えた。

 きっと、向こうでもこう思っているはずだ。

 あの秘密の関係が外部の世界に漏洩するのは、それはなんだか違うのだ、と。


 しかし、少女はその後にすぐ悩むことになった。

 少女が向かったいつもの机にはすでに落書きが書かれていて、そこにはこうあった。


「ここにあった落書き、テストのせいで消されてしまったね。残念だ。残念ついでに、実は、そのうちぼくらのクラスでは席替えがある。理科室の席順も変わる。つまり、この遊びはもう続けることが出来ない。……だけど、それが残念すぎて、何とかならないものかと悩んでいる。ルールを破るようだけど、どうにかして一度、きみと直接会って話が出来ないかと考えている。また、ぼくの相手をしてくれないかな」


 そんなわけで、少女はいま、落書きをしていた。

 決していいことではない。

 それにまだ、続きをどう書けばいいのか悩んでいる。

 でも、最初の言葉は、もう決めていた。


「仕方がない、わたしが相手をしてあげよう。……」

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