愛駅 [Love juice]
前書き
華海弓也が、痴漢の容疑で逮捕された。
彼は大学一年生であった。彼は大学までの通学に電車を利用していたのだが、しばらく利用している内に不思議な事に気づいた。と言うのも、自宅の最寄り駅と大学の最寄り駅までに存在している計六駅の内、自宅の最寄り駅から数えて四番目の『猪高ノ陀』駅で乗車してくる人々の中に、彼にとって魅力的な女性が必ず存在していたのである。そして彼女らは一度会えてしまうと、もう二度と会う事が出来ないのであった。この事から、どうやら偶然同じ時間、同じ車両を頻繁に利用しているから出会えたという訳ではなさそうである。だからこそ彼は不思議に感じていたし、それにより一層の優越感を得ていた。
そんな駅を、彼は皮肉交じりに、『愛駅』と呼称していた。
これは、そんな彼が逮捕されるまでの間、電車通学中に出会った数々の女性を記録していたメモの内容である。
※本作においてのメモの記述は、正式な文章になるよう後から修正を加えたものです。また、文として成立していなかった箇所は、華海弓矢の供述を元に再構築しています。
Day 1
2019年6月10日 午後0時
茶髪のポニーテールの女性。服装は、カーキ色のMA-1と、細い黒のボーダーが入ったシャツ、それから細い黒のパンツという、ボーイッシュな装いであった。雨が降っているという事もあって、傘を所持していた。残念な事にビニール傘であった。何故残念に思ったのかと言うと、傘の色や模様は、下着の趣味と酷似すると言われているのだが、ビニール傘の場合、その推測をする事が出来なくなってしまうからである。靴は、ポニーテールに気を取られ過ぎたため、目線をハッキリと下に送る事が出来ず、確認し損ねてしまった。いやはやあれほど美しいポニーテールを見たのは生まれて初めてだ。それが揺れる様は、騎乗位をしている女性を連想させた。最も、彼女自身が騎乗位の似合う女性なのだが…。
俺は男らしい性格の女性が好みであった。これは、俺自身が極めて女性的性格を有している事に起因する。臆病でマゾヒストな一面のある俺は、よく頭の中で、長女気質の性格を有する年上の女性に甘えて過ごす生活を想像していた。まぁ俗に言うヒモになってみたかったのである。さらにはサディスティックな行為を、性行為中に行ってくれるような事も想像したりした。サディストとはよくよく考えてみれば、もの凄く優しい人たちである。なんせ自分勝手に責任転嫁をするマゾヒストを受け入れ、彼らの欲望を満たしてあげているのだから。いくら自分達も欲望を満たせているとは言え、リスクを負っている事には変わらない。こう言う優しさと、勇敢さが、俺はたまらなく好きなのだ。
話を戻すが、今日出会った彼女は、これらの想像を完璧に具現化したような外見をしていた。
彼女はおしゃれな飲み物を手に持っていた。透明なケースに大きめのストロー…。まさに今時の女子学生と言う感じである。飲む時にストローに覆いかぶさる唇の動きは、外見に見合わずとてもおしとやかであり、それがより一層、彼女の魅力を引き立てた。いわゆるギャップ萌えと言うやつである。
《あぁ、ストローが俺の男根だったらなぁ…。》
彼女が、飲み物を僅かに飲んだ。
やはり、棒状の物と女性の組み合わせはとても神秘的だし、否が応でも性的連想をしてしまうものである。同じ細い形質であるにも関わらず、一つは無機質で、もう一つは可憐な生命体。硬直物と柔軟物。あぁ、実に調和が取れている。
今日は三限目からの登校なので、通勤ラッシュを避ける事が出来た。車内は空いており、着席する事は容易であった。そのため、俺は座席の一番端に座っていたのだが、彼女もまた、開いているもう片方の端の方に腰を下ろした。俺と彼女の間には、人が三人座っていた。つまり計五人の人が、横一列に並んでいたのである。彼らの自由気ままな足は、まるでピアノを演奏する指のようであった。即ち私と彼女は、親指か小指のどちらかである。親指と小指…それらはおそらく、どんな指遊びをする時もくっつく事は無いだろう。だからきっと、俺たちも同じ運命なんだろうと感じた。
そんな感情に飲まれ悲嘆する中、俺は彼女の足元の辺りが濡れている事に気づいた。俺にはそれが愛液に見え、彼女が俺に対して、欲情を抑えられずにいるのではないかと思い、興奮した。やはりあらゆる幸福は、不幸あってこそ成立するようである。
しかし、それの正体は雨水であった。彼女の立てかけた傘から垂れていたものだ。
雨とはどうして悲しい事しか連想出来ないのであろう。こんなレッテルを雨に植え付けてきた過去の表現者たちを、俺はひどく嫌悪した。全く、この奇跡の出会いが台無しである。
さらには、先述した『ピアノを演奏する指』と言う比喩も相まって、雨がひどく鬱陶しい曲を奏でていたように聞こえた。
今日の女性は、私という駅を通過した。私は、いつかやってくる各駅停車の車両を、これからも待ち続ける。
Day2
2019年6月11日 午前10時
黒髪のショートボブの女性。服装は、ピンクのシャツに黒のワイドパンツというラフな格好であった。彼女自身の心身を俺に、いや世の人間全てに委ねているような恰好が、男の性的欲求を高めないはずがない。端的に言えば破廉恥なのである。襲っても許してくれるような、そんな親密な関係に既になっているような気を起こさせるのだ。
靴は、夏を先取りした黒のサンダルを履いていた。今日は、昨日と打って変わってとても暑かったので、先取りするにはうってつけの日であった事だろう。そしてこの事から、彼女は流行等に敏感な女性だと推測出来た。
《流行だけじゃなく、身体も敏感なのかなぁ…。》
先の推測だけでも、彼女が非常に性的欲求の強い人物だと分かる。なぜなら流行に敏感という事は、周囲の視線を気にし、良い女(交際するに差し支えない女)に見られようとしている証拠であり、これは裏を返せば自らを売春婦として売り出しているのとなんら変わりないからである。きっと、安全な女に見せたいのだろう。出来る女に見せたいのだろう。しかしそんな思いとは裏腹に、その哀れな心だけが透けて見える。きっと、男に飢えて仕方が無いのだろう。愛に飢えて仕方が無いのだろう。そしてこの哀れさは、余計に女性を可愛く見せるのであった。言うならば、『可哀そう』とは『可愛い』の見えないアクセサリーなのである。
俺は、性的欲求の強い女性が好みであった。これは、俺自身の性欲の強さに起因する。俺は、俺自身の有り余るほどの性衝動と同じ熱意の相手が欲しいのだ。温度差のある性交など御免である。この感情を例えるならば、勝つ事を目的として結成されたスポーツチームの中に一人だけ、楽しむ事を目的としたプレイヤーが存在する時の、チーム内に生じる摩擦感であろう。
彼女は、俺の向かいの座席に座った。サンダルから見える足の指たちはとても健気であり、その一つ一つに性教育を施したいほどであった。そんな彼らに見惚れている時、突如視界から彼らが消え、彼らとそっくりな、別の足の指たちが現れた。初めは動揺したが、何も不思議な事では無かった。単に、彼女が足を組み直しただけの事である。
しかし彼女は、その動作を何回も披露してきた。これには、さすがに違和感が残った。残念ながら彼女はスカートやショートパンツではなかったので、太ももの内側や下着を捉える事は出来なかったけれど、この動作だけでも俺を興奮させるには十分であった。なぜなら、その動作によって股に刺激を与えているのではないかと想像出来てしまうからである。股に刺激を与える理由など、性的欲求を抑える事が出来ていないからに決まっている。一応、単に尿意を催している可能性もあったが、表情が穏やかであったため、考えにくいだろう。生理現象に対する抑制は表情に表れるが、性的興奮に対する抑制は表情に表れにくい。むしろ行動に顕著に表れるのである。何はともあれ、可愛らしい女性が俺自身に対して性的興奮を覚えたというこの状況が、俺にとっては幸福そのものであった。昨日の失望により生まれた穴を、彼女が埋めてくれるような気がした。
そんな期待が俺の心の中に生まれたまさにその時、彼女は何かに気づいたかのように横を向き、にっこりと微笑んでいた。何者かに、彼女の関心を奪われたような気がした俺は、持ち前の強い嫉妬心を遺憾なく発揮し、急いで彼女の視線の先を追った。するとそこには、一人の赤ん坊とその母親がいた。彼女は、主に赤ん坊の方に視線を送っていた。初めは、家庭的な一面を俺に見せる事によって、結婚までも考慮に含んだ愛を披露してくれていると考えていたが、次第に、一つの悲しい真実が浮き彫りになってきてしまった。その真実とは、
『男を愛した女は、やがて愛の結晶として子を産むと、男を捨て子供を愛すようになる。』
というものであり、これは言うならば、正当な理由に塗り固められた不倫である。そしてこれに気づいた時、俺は子を持つ事に対して強い嫌悪感を抱いた。
しかしそうなると、俺の性欲は一体何のためにあるのだろうか…。今日の夜は、絶対に自慰行為を行えない気がした。
今日の女性も、私という駅を通過した。私は、いつかやってくる各駅停車の車両を、これからも待ち続ける。
Day3
2019年6月12日 午前10時
茶髪のセミロングの女性。服装は、胸より上部のボタンを外した状態の、水色で且つ白い花柄のボリュームスリーブシャツと、その開いた胸元から僅かに見える黒いシャツ。それから、紺色のデニム生地のワイドパンツと、白いローカットのスニーカーという装いであった。
彼女は、入って来るや否や俺に目を向けると、髪をかき上げて見せた。髪に覆われていた事による熱で、やや赤味を帯びた状態になっている可愛らしい耳が姿を現した。その赤色はまるで、自らの初恋を自覚した時の乙女の頬のようであった。
そして彼女は、そこから座席に座るまでの僅かな移動の間に、両手の指と指を絡ませるという、いやらしい手遊びを数回行って見せた。その指の動作はとても艶めかしく、性行為中の男女の身体を表現しているかのようだった。
《左の指が俺で、右の指が彼女の身体だったらなぁ…。》
そして、これら誘惑のような素振りから、彼女は俺に好意を抱いてくれているのではないかと考えた。
彼女は俺と向かい合う形で、俺の座っている座席とは反対側の、一番端の座席に座った。すると、どこからか大変汚らしい男が現れ、空いていた彼女の隣の席に座った。その瞬間、彼女の顔がくしゃっと歪んだ。おそらく、隣の男から発せられる臭いに驚いたのだろう。そして彼女は、俺のほうに助けを求めるかのような視線を送ってきた。その目からは、男に対する嫌悪はもちろん、恐怖のようなものも感じられた。なるほど、その恐怖故に席を移動出来ずにいるのだろう。もしくは、単に俺の元を離れなければならない事が悔やまれるだけかもしれないが。
この時、俺の心の中に二つの気持ちが芽生えた。一つは、彼女を救うヒーローとなり、それを機に彼女と親密な関係になりたいという気持ち。そしてもう一つは、このまま苦しむ彼女を見て、性的興奮を味わいたいという気持ちであった。
迷ったあげく、俺は彼女が苦しむのを観察する事にした。これによって、相手から俺の方に助けを求めて欲しかったのである。視線という静的行動だけではなく、言葉や動的行動によって。
もしそうなれば、俺は喜んで彼女を向かい入れるだろう。なぜなら、これら一連の事が現実に起きれば、俺の独りよがりの恋でない事が明確化され、俺も彼女を愛する事を躊躇なく行える事が出来るからである。
そもそも、なぜ俺の方から彼女を受け入れに行かなければならないと、俺は思い込んでいるのだ。困っているのは彼女の方だろう!何故男が何もかも主体的に行動せねばならないのだ!そんなの、男が全ての責任を背負わなければならないではないか!そんなリスクを押し付けておいて、男尊女卑だ何だ言ってるとは…。
さらに言ってしまえば、人の心など、どうして信用できるのか!この駅の存在に気づいてから幾度となく良いチャンスはあった…あったんだ!前の子も!前々の子も!あったはずなんだ!なきゃおかしいんだ!しかし思い返してみれば、全てこの疑問に帳消しにされてしまっていた。見えないものを信じるには、行動を見してもらう必要がある。しかし女は決まって行動しない。そして、俺も行動しない…いや出来ない。故に、チャンスを逃す…。あぁ、どうして俺は男に生まれてきてしまったんだ。
結局、彼女は最後まで助けを求めてはこなかった。だから、俺も彼女を助けなかった。あんな女など、もうどうでも良い。不潔な男に犯され、悲しみ、苦しみ、そしてそのまま死ねば良い。いや、死んでくれ。
そう思いながら、俺は窓から外を眺め続けた。彼女を視界から殺すために…。
やがて、線路沿いに咲く紫陽花が見えた。この時、人生で始めて花に恋をした…気がした。
今日の女性も、私という駅を通過した。私は、いつかやってくる各駅停車の車両を、これからも待ち続ける。
しかし、今回現れた女性は今までとは少し異なり、俺の身体的好みには合致していても、精神的好みに合致しているようには見えなかった。そのため俺は、「愛駅」そのものを疑い出し始めた。俺は一体…何を信じたら良いのだろう。
Day4
2019年12月21日 午前8時
あれからというもの、良い女性には巡りあえていなかった。私の疑いによって、この駅の魔法が解けてしまったかのようだった。魔法は信じなければその効力を発揮出来ないというのは、幼少期の頃に学んでいたはずなのに、どうやらすっかり忘れてしまっていたらしい。
そしてそんな日々が続き、気づいたら冬になっていた。そう、一年が終わろうとしているのである。そしてそれと同様に、私の何かも終わりを迎えようとしているような気がしてきて、少し怖くなった。これだから冬は嫌いなのだ。いや、冬そのものではなく、冬に貼り付けられた押しつけがましい終焉に嫌悪感を抱いているのかもしれない。
しかし今日だけは、今だけは、冬を好きになってみたいと思った。というのも、およそ半年ぶりに、良い女性が現れたからである。俺はとっくに、冬の寒さを忘れていた。
年齢はおそらく、20歳前後であろう。服装はスカートとニーソックスが印象的であり、正常位よりもバックで犯したい様であった。また俺と同様、服全てを黒色で統一しており、まるで喪服のように見えた。髪型は、美しいツインテールだった。本来は「可愛らしい」と形容するのが相応しいと思われる髪型だが、彼女のクールなルックスによって、「美しい」へと変換されていた。同年代以上の他の人物であればきっと、「可愛らしい」から「哀れ」へと変換されてしまっていた事であろう。
俺はすぐさま彼女に視線を送った。すると女は、ちらとこちらに目を向けた…かと思うとすっと回転し、俺に背を向けた状態となり、扉横の手すりによりかかりながら何かを読み始めてしまった。俺は、一瞬でも目が合った事にとても興奮したが、ここでうぬぼれてはいけないという事を、これまでの経験で既に学習していたおかげで、彼女が俺に好意を持ってくれていないという客観的事実に対する落胆を軽減する事が出来た。
これによって冷静さを取り戻されてしまった俺は、仕方なく窓を眺める事にした。外は真っ黒な雲が棚引いているので、窓には自分がハッキリと映っていた。そこに写る自分の顔は、まるで死化粧をしているかのように見えた。
しばらく経ち、電車は愛駅の次の駅で停車した。そして扉が開き、大勢の人々が電車に流れ込んできた。俺は彼女が少し心配になり、彼女の方を再度見つめた。俺が他人の心配をするなんて、おそらく初めての事ではないだろうか。
彼女は乗車してくる大勢の人々に気づくと、俺のいる連結部分の方へとやってきた。きっと、扉側にいるのは邪魔であると判断したのだろう。俺は進行方向左側、彼女は右側の連結部分付近で、互いに進行方向を向きながら立っていた。俺と同様、死化粧をしながら乗車している人々のほとんどが、スマートフォンを凝視するため、いや、厳密には他人と目を合わせないために下を見ているという状況下において、俺たちの様は極めて異質であった事だろう。しかし、異質の共感というものは、何とも心地が良い。人間、とりわけ日本人である間は、決して味わえないと考えられていた快楽が俺を襲った。それと同時に、俺の死化粧は解け、息を吹き返していった。
さて、電車が再び進み始めた。するとその時、発車時に生じる揺れによって、俺と彼女の二の腕がぴたりと触れ合った。どうやら今回ばかりは駅だけでなく、電車そのものも俺の味方をしてくれているようである。というのも、不本意な身体接触が発生した際、本来ならばお互いが離れようとするので、肌は弾くように反発しあう。しかし今回は違った。俺の肌は彼女の肌という大地に馬乗りになり、そして水のように広がっていった。これは、お互いの身体が触れ合ったとしても、離れようとせず、体を支えてもらおうと思い合わなければなし得る事の出来ない肌の形質変化であった。俺はこの瞬間勃起した。
俺の傍の座席で座っていて、丁度俺の股間の位置に顔があるくらいの背丈の老婆にこの事がばれないようにしなければと反射的に考えてしまった。こんな事にシコウの時間を奪われている事に、少し腹が立った。
それと同時に、この車内全ての人々から、今の俺たちの状態がどう思われているのかが気になってきた。連結部分のドア前で、黒服の二人が八の字のように寄り添っているその様は、さながら遺影に付ける黒リボンのようであった事だろう。…と、ここまで死を連想してしまうと、死と性の円環的作用に一定の理解を示せてしまうのと同時に、ある欲望が俺の脳裏をよぎった。
《俺と彼女以外の全ての人類が消えてくれたならなぁ…。》
この時ほど、犯罪者の到来を望んだ事はなかった。しかもその犯罪者は俺と彼女だけを殺さずに、残りの全員を殺害した後に自害するという、何ともご都合主義的な展開を思い描いてしまった。
とは言え、もしこれによって二人きりの世界が誕生したならば、俺は今すぐ自分の耳にこびりついたイヤホンを外して、彼女に告白する事だろう。この行為によって、さっきまで流れていた『KISSから始まるミステリー』が聞こえなくなるのは、少し皮肉な話である。
人様には見えない脳内世界であるにも関わらず、俺自身で犯行を行わず、さらには神のような上位の存在ではなく、殺人犯という同格の人間における最下層の存在を選択しているところが、ズルくて臆病な自分らしくて気色悪かった。
さて、こんな妄想を抱いているのが自分だけという事が腑に落ちなかった俺は、彼女の方へと首をくるりと回した。彼女の表情を伺いたくてたまらなかったのである。彼女は本を必死に見ており、時折自分の指をその本の上で動かしていた。おそらく、何かを覚えなければならないという状況下にあるのだろう。その指の舞踏に、自慰行為の仕草を見て取った俺は、徐々に魅了されていき、目が離せなくなっていってしまった。
そんな最中、彼女の指の動きが俺の理想と一致した…ような気がした。「あなたの事が好き」となぞられたように見えたのだ!一致したのだ。俺と彼女の心が!あぁ、なんと一致というものは心地が良いのだ。もし身体も一つになれたのならなんて幸福か!あぁ、もうなんか、電車の連結部分すらもいやらしく見える!そこに男と女がいるなんて、さながら子宮における精子と卵子のようではないか!もう我慢できない!かn
メモはここで止まっていた。その後彼、華海弓也は、最後の日記に記されている女性に向かって性的暴行を行ったとして、車内で乗客たちに取り押さえられ、その後駅員方の協力もあり、我々警察が連行するに至った。
驚いたのが、まずその容姿であった。一般的に、痴漢等の犯行を行う者というのは、異性からの愛に飢えている。つまり失礼を承知で申し上げるなら、不細工が多いのである。しかし、彼の容姿は極めて美しかった。もしかしたら冤罪ではないのかと、目を疑ったほどであった。
けれどもこの印象は、彼の供述を聞いていく内に間違っていたと認識する事となる。まずこの日記からも明らかなように、彼は極度の誇大妄想を抱いている。実際、このメモと現実の状況とは少々異なっていた。被害者曰く、日記に記されているような行為の一切を行った記憶がないと言う。また、目撃者も同様の事を口にした。それはまるで、目撃者と被害者が共犯関係に見えたほどだった。
ともかくこれによって、彼の異常性が明確化された結果、彼に精神鑑定を行うべきであるという判断が下された。そしてその鑑定の結果、彼の誇大妄想の根本的原因は、ナルシシズムにあると推測された。鑑定士曰く、彼は自身の容姿が美しい事を自覚しているのだそうだ。しかし、世間の女性たちがその美しさに見とれていない事によって生じるギャップが、彼の異常性の根幹にあるらしい。
ただ私は、これを異常性という言葉で安易に決めつける事に対して、やや抵抗を感じていた。というのも、どうも私は彼の中にとてつもない才能を感じ取り、それこそが皆の言う彼の異常性の正体の気がしてならないのである。警察官なら、犯人に肩入れするなという皆さまの考えはごもっともである。しかしどうか冷静に彼を見つめて欲しい。皆が嫌う、満員電車にさえ幸福を見いだせる彼の想像力は、現代人が失ってしまった、古代日本人のあり方のようではないだろうか。この事から私は、日々の警察という職務、即ち現実と向き合う中で、彼のような創造的感性を失ってしまっていたという事実を、半ば暴力的に暴かれてしまったのである。
結局、彼は精神疾患があるとして罪には問われず、精神病院での療養が行われる事となった。私は、彼が警察署を後にする日に、軽い雑談を交わす事にした。
「もうそろそろだな。」
「…はい。」
「これで最後だが…あんまり現実を悲観的に捉えるなよ。」
私はこの言葉を、彼に何度も発していた。これが今日で最後になると考えると、少し寂しくなった。勝手に親目線になっている自分に嫌気がさす。
「ええ…。」
私は、彼が発した最後の言葉が女性口調である事に悲壮感を覚えた。しかし同時に、ある種の神秘性も感じられた。私はとっさに、冬の寒さに気づかされた。この体の震えは、何によるものなのだろう…。
遠くから微かに、踏み切りの音が鳴り響いていた。
完