事件
ロイはラウルが帰り、ひと眠りすると、望遠鏡の手入れをするために外へ出た。もちろん、ヴィーも一緒だ。ヴィーはロイの頭にのっている。ヴィーは肩にのせるには少し大きすぎるのだ。
望遠鏡は家の後ろにある、小さな丘の上にある。身長165cmほどのロイよりも高い望遠鏡はアウリラによって作られた。一体、どうやって、あんなに細くて柔らかな少女がこんな大きな望遠鏡を一人で作ったのだろうか。ロイは不思議でたまらなかった。
ロイは丸太を抱えて、丘を登る。望遠鏡は木で造られているので、風雨にさらされるとすぐに脆くなってしまう。そのため、ロイはアウリラのつくった枠組みに支え木をつけたのだが、それもすぐに脆くなってしまう。今日はその支え木を交換しにいくのだ。
丘を登れば、標高3000mの頂上からは黒々とした針葉樹林の美しい森が広がっているのが見える。あの少し拓けている場所は、ラウルの集落だ。あそこまで下ると、ここより少し気温が上がり、育つ作物も増え、住みやすくなる。
(さて、今日は荒れるんだっけな。)
嵐が来ると分かれば、対策をしなければ。しかし、こんな大きなものは非力なロイは動かすことなどできない。ロイは一通り望遠鏡の補強を終えると、ヴィーに大きめの麻布を渡した。
「ヴィー、これ。」
ヴィーは麻布を鉤爪に引っ掛けると、ひらりと舞い、丁寧に麻布を望遠鏡にかけた。まったく賢い鷲である。
「じゃあ、次こっち。」
次に渡したのはた太めのロープ。それも鉤爪にひっかけ、ゆっくりと望遠鏡に引っかかっるように垂らした。それをロイは望遠鏡の下で巻き付ける。最後に重石で望遠鏡の脚の部分を固定すれば完了だ。
「これで、倒れなければいいんだけど。」
アウリラがいなくなって、初めて嵐が来た時はろくに備えることができず、望遠鏡が倒れてしまったことがあった。そのときは仕方ないので、ラウルの父親と兄に来てもらい、どうにか起こしてもらったのだった。
(ほんと、ラウルの家族にはお世話になってるよなぁ。今度来た時は、お礼になんか贈ろう。)
お礼には何がいいだろうか、なんて考えながら丘を下りていく。前は刺繍をしたラグを贈った。なかなか良い出来であったので、喜ばれた。今回は何か実用的なものがいい。組み紐なんかどうだろう。あそこの家族は皆髪が長いし、くせっ毛だから、あったら便利でいいだろう。ラウルなんかは布の端布で結んでいたから、うん、良いかもしれない。
ロイは家にあった糸の色を思い出し、組み紐の色を思案した。
皆赤色の髪だから、赤色はいけない。それから淡い色も。髪色に負けてしまう。ラウルの父親と兄はラウルより少し暗みのある赤であるので、深い青と緑がいいな。ラウルの母親には、紫なんかどうだろう。
ラウルのは、そうだな、黄色がいい。温かみのある黄色。少し青色なんかも編み込んでみよう。その方が彼女の髪が綺麗に映える。
(決まりだな。)
ロイは一人少し微笑んで、家の中に入った。
ここまでは、いつも通りの、何の変哲もない日常だった。
***
「、、、ふぅ。」
ロイはラウルの父親と母親、兄の3人分の組み紐を作り終えると、ひと息をついた。
集中したら、随分早くできてしまった。どれも綺麗に編むことができた。
(あとは、ラウルのだけだ。)
そう思って、黄色と青の糸を手にしたとき、視界の端に茜色に染まった窓が映った。
「うわぁ!もう、こんな時間か。まずいな。」
もう、すっかり日暮れ時だった。
急がないと一回目の星読みに間に合わない。
星読みは1日に3回行われる。一回目が日の入りの直前に、二回目が深夜、三回目が日の出の直前にだ。
星読みは時間厳守だ。少しでも遅れると、いつもと星の位置がずれてしまう。そうなれば、長年つけてきた記録に傷がついてしまう。それだけは避けたい。それに、「星読みは時間厳守」というのは姉との約束の一つだった。
外套を着込んで急いで出ていく。だが、帽子は忘れない。急いで丘を駆け登れば、太陽が今にも沈まんとしていた。
「、、、はぁっ、はぁ、」
肩で息をしながら、ロイは望遠鏡を覗き込んだ。
(よし、大丈夫だ。まだ、いつもと同じ位置にある。)
そのことに少し落ち着きを取り戻すと、ロイは大きく息を吸い込んだ。
闇に織らるるは 燃ゆる石
七つがまあるく 並んでる
グリムに フィーニー ヘッグと ラスク
フレッグ スレイに ムィンとフィン
彼らは宵に隠れて
そこまで歌ったとき、ロイは違和感に口を噤んだ。
(、、、輝き方が、おかしい。)
いつもなら歌いだしてすぐ、光を周囲から吸い取るように燦々と輝き出す星が今日は全く反応しない。それどころか、一番西にある星、グリムの星はなぜだか点滅し始めた。
(なんだ、これは。)
こんな輝き方は見たことない。少なくとも、姉と星読みの番を変わってからは経験したことない。急いで日記を捲り、確認するが過去の記録にもない。
「、、、何が。」
ロイは呆然と空を見上げた。ロイは「変化」に慣れていない。特定の少ない人物との関わりしかなく、静かな山の上で暮らしていたロイは、それを経験した回数があまりにも少なかった。故に、今目の前で起きている未知なる星の変化、星読みができないという日常の変化、その「変化」たちがロイを大きな不安で襲った。
どうか、何も起こらないでくれ、そう必死に心の中で願うが、それも虚しく、星は更にロイを追い詰めるように点滅を早くしていく。
ちかっ、ちかっ。
茜色の光が山々に細い線を残し、消えていこうとするそのとき、グリムの星は一瞬強く光を放った。
ちかちかっ。
茜色は更に細く、細くなり、その存在を山々の間に存在を消して行く。
そして、地から明かりが消えるとき、
ちか。
グリムの星も、光を消した。
***
「そんなっ、、、」
ロイは縋り付くように望遠鏡を覗き込むが、目の前の状況は変わってなどくれない。ロイは目の前の出来事に理解が追いつくことができず、呆然と望遠鏡から手を離した。
(どうしよう、どうしたら、、、)
両手で顔を覆い、俯いた。
「っ、歌、歌を、、」
はじかれたように頭をあげると、ロイは少し早口で歌を歌い始めた。
闇に織らるるは 燃ゆる石
七つがまあるく 並んでる
グリムに フィーニー ヘッグ ラスク
フレッグ スレイに ムィンとフィン
彼らは宵に隠れてる
明けには姿を現さん
だが 千に一度は明けにも消ゆ
星に時間が迫れるぞ
されば 宿り木をもって時を取り戻せ
今は 静かに目覚めんか
だが、やはり変わらない。
「どうして、、、。」
ロイは今度はゆっくり丁寧に歌った。だが、やはり変わらない。ロイは諦めず何度も何度も歌った。
「闇に織らるるは、燃ゆる石、七つがまあるく、並んでる、グリムに、フィーニー、ヘッグとラスク、フレェッグ、スレイに、ムィンとフィン、、、彼らは、宵にかくれてる、明けにはすがたをあらわさん、、だが、千にいち、どは、あけにも消ゆ、ほ、しに、時間が、、、」
だんだんその声は掠れていき、ついにロイは望遠鏡の前で膝をつき、手で顔を覆った。
いつのまにかロイのそばにはヴィーが心配するように首を傾げて寄り添っていた。
「、、、なんで、なんで、、」
そのままロイは前に倒れ込むように、蹲り、そして、静かに呟いた。
「、、、姉さんと約束したのに、」
ロイにとっては、それがすべてだった。
一度に起きた様々な未知なる変化もどうでもよく思えてしまうほどに、ただ、姉との約束を守れないこと、その変化がロイにとっては何より恐ろしかった。
ロイにとって、約束だけが、いなくなってしまった姉と自分を繋げる唯一のものであったから。
***
どれくらいそうしていただろう。
真夜中の星読みも、日の出の星読みもせず、沈んだ太陽が再び昇ったあとも、ロイは変わらず、そこに蹲り、呆然としていた。もしかしたら、半分は寝ていたかもしれない。それも分からなくなるほど、ロイは思考を完全に放棄し、暗闇に陥っていた。
「、い、おいっ、ロイ!」
そんなロイを誰かが急に後ろから引き起こした。
ずっと目を瞑っていたせいで、朝日で目が眩む。覚束無い、白い光に包まれたロイの視界を彩ったのは、種類の異なる2色の赤色。そこにはラウルとその父親がいた。
「ラウル、おい、大丈夫か!?いつから外にいた!?おい、凍え死ぬぞ!ラウル、お前はヴィーを抱えてこい!」
「分かった。」
ラウルの父親に声をかけられ、返事をしようとしたとき、唇が震えて上手く動かなかった。ロイは初めて自分が凍えきってるのを知った。
ロイはラウルの父親に抱えられる。どうやら、ヴィーも凍えきっているらしい。どうしてだろうか。
「ラウル!暖炉に火をつけて、湯を沸かせ!ヴィーは蒸布巾で暖めろ!それから、、、」
毛布にくるめられ、体を大きな手でさすられる。ようやく、手の先に感覚が戻ってきた。
「、、、ビョルトンさん」
「おぉ!大丈夫か?喋れるか?」
ラウルの父親、ビョルトンはロイの微かな声を聞き取り、笑顔を向けた。
ビョルトン、この国、スノルト王国の公用語では「熊」を表す名の通り、彼は熊のような巨体の男だった。だが、その割には威圧感は少なく、ラウルのように明るい性格で、優しい笑顔を浮かべる人だった。
「、、す、みません、ほんとうに。」
未だ少し呂律が回らないが、こんな短時間でよく回復した方だ。もともと寒さに強いのと、処置の適切さのおかげだろう。
「なに、気にするな。しかし、いくら寒さに強かろうと、長時間そんな頼りない服装で外にいるもんじゃない。おそらく、昨日の日の入りあたりからずっといたのだろう?全く、一晩そんな格好で過ごすなんて、正気の沙汰じゃないぞ。」
確かに、もともとロイの着ている外套が良いものでもないうえに、昨日は急いでいたので、防寒具はくたびれたニット帽くらいしか身につけていなかった。それに夕飯も口にしていない。よく一晩もったものだ。
「ラウルが昨日の夜、星々様の異変に気づいてな。夜が空けてからすぐに向かったんだ。ロイ、一体何が起きた?」
夜が空けてすぐの山は、寒いし、暗く、危険だ。それにもかかわらず、駆けつけてくれたビョルトンとラウルにロイは静かに感謝した。だが、その温かな思いも昨日ロイを襲った変化を思い出し、すぐに冷めきってしまう。
「、、、消えたんです、グリムの星が。」
その声にビョルトンは勿論、湯沸かしに奮闘していたラウルも息を呑んで、ロイを見つめた。
「グリム様が、、、。」
「なんてことだ。」
ラウルは顔を青くして両手で口を覆い、ビョルトンは額に手をやり、途方に暮れた。
「他の星も、歌に反応しなかったんです。こんなこと、過去にもないんです。一体、どうしたら、、、」
ロイも悲観的に毛布の中に顔を埋めようとした、そのとき、ビョルトンが勢いよく顔を上げた。
「おい!一度あったぞ!星が消えた日が!まだ、アウリラがいたときだ!」
「え?」
「お前がまだ、4つくらいのときだ。覚えてないか?フレッグ様の星が消えたんだ!」
4つ、姉さん、フレッグの星、その3つがどうにか当てはまる記憶を辿っていくと、なんとか1つ見つかった。
「夜中に、ビョルトンさんが駆けつけたときか、」
「そうだ。村がフレッグ様が消えてしまったと大混乱でな。アウリラに助けを求めて夜中に来たんだ。ロイ、アウリラがそのとき、何したか覚えてないか?」
「えっと、」
何せロイはまだ幼かった。やっと、そんなことがあったとぼんやり思い出したばかりで、記憶があまりはっきりしない。
「舞だよ!舞!アウリラは丘の上で舞を踊ったんだ!」
「舞?」
ロイは目を瞑り、必死に記憶を手繰り寄せた。