チュートリアルだ! 初めてのボス戦だ!
「格闘家って……なに?」
『素手でモンスターを倒す職業だ』
「倒せるの?!」
『倒せているだろう』
よく考えてみれば、確かに無茶である。なぜわざわざ素手で戦うのか。
賢はゲームの常識として『格闘家は素手でモンスターと戦うもの』と思っていたが、ルーシーの周囲にそんなのはなかったわけで。
『武器を手にして戦う職業もあったが、今武器も防具もないだろう? 素手で戦うしかないんだ』
もちろん、そこいらには武器になりそうなものはあるが、『賢の力』で戦えば簡単に壊れてしまう。結局、素手で戦ったほうが早い。
「うええ……魔法が良かったな……」
(君が魔法を使ったら、制御できずに街が吹き飛ぶと思うんだが……)
まだ幼い少女が、素手でモンスターに触るのは抵抗があるだろう。というか、大人だって嫌なはずだ。
だが状況はそれを許さない。背後でいまだにおびえているルーシーの友人を助けるためにも、とにかく戦わなくてはならなかった。
そして、事態のひっ迫を伝える轟音が、ルーシーの耳に入った。
「さ、サイクロプスが街の門を壊そうとしているぞ!」
「と、止めるんだ! なんとしても止めろ!」
この街の門を破壊されれば、そのまま街は壊滅である。
それを悟ったルーシーは、その音の方へ走り出す。
「門にいかなくちゃ!」
『ああ、急ぐんだ! 今の君なら、この街の壁ぐらい飛び越えられる!』
一歩、前にでる。
それだけで、ルーシーは狼のように駆けていた。
他の子供同様に、元気がいいだけで早くもなかった足が、馬よりも早く動いている。
その衝撃を実感する間もなく、目の前には数体のゴブリンが立ちふさがっていた。
駆け抜けてやり過ごすこともできる。だが、それをするまでもない。
「倒すよ!」
『ああ!』
鎧こそ着ていないが、まさに鎧袖一触。
走りながら拳を振るう、ただそれだけでゴブリンたちを仕留めていく。
気づけば彼女の体は熟練の格闘家のそれになり、脇を締めて適切に踏み込みながらゴブリンを打ち砕いていた。
(動きはよくなったが、力加減はできてないな。だがそんなことを言っている場合じゃないか)
格闘家のLV100ともなれば、その拳は戦車砲にさえ匹敵するだろう。つまり、街中で戦車砲をぶっ放しているに等しい。
ゴブリンを殺すにはあまりにも過剰であり、飛散したゴブリンの死体が家屋を壊してさえいる。
だが既に避難は済んでいるはずだし、そもそもそんなことを考えている場合ではない。
ある意味火事と一緒である、被害を怖れて駆除が遅れれば、結果的に被害は増すだけなのだ。
今はなによりも、時間が惜しかった。
「な、なんだ、子供か?!」
「ウチの子の友達のルーシーだ! なんでここに!?」
「も、戻れ!」
門の前で、大人たちが門を維持するために重石を増やしていた。
だが、門そのものが持たなくなりつつあった。
巨大な木の扉が、だんだんひび割れていっている。
「だああああ!」
そんな大人たちをまたいで、ルーシーは跳躍する。
六メートルはあるであろう大きな壁を、たったの一歩で飛び越えた。
その彼女たちを壁の上の大人たちさえ見上げ、彼女と賢はサイクロプスを見下ろした。
見下ろしながら通り過ぎて、街から離れた道に着地する。
「お、大きいよ!?」
四メートルの巨大な一つ目の鬼、サイクロプス。
その握りしめた拳で、がんがんと城門を叩いている。
それは正に、巨大な脅威そのものだった。
『そうだな』
「そ、そうだなじゃなくて!」
『大丈夫、俺がついている。俺の話を聞きながら戦うんだ、いいね?』
「う、うん!」
『まずは引き離そう、あのままだと門が持たない! 注意を引き付けるんだ!』
ルーシーはともかく、賢には戦闘経験がある。
目の前の巨体を見て、ゴブリンほどたやすく倒せる相手ではないと察していた。
おそらくは攻防を、『戦闘』をしなければ倒せない相手だ。
初心者であるルーシーでは、かなり困難な強敵である。
「ど、どうやって?!」
『近くの大きなものを投げるとか、大きな声を出すとか……いや、その必要もなさそうだ』
サイクロプスは、呆れるほど単純な理屈でこの街を襲っていた。人間を食べるためである。
人間の巣から飛び出してきた美味しそうな女の子を見つけ、ゆっくりと振り向いていく。
「わ、私を食べる気?」
『慌てないで大丈夫だ。相手は動きが遅いし、なにか特別な能力を持っているわけでもなさそうだ。離れていてれば大丈夫だよ』
「そ、そうだね、私足速くなったもんね!」
『ただ、離れすぎるとまた街を襲うだろう』
「じゃあどうすればいいの!?」
『ゆっくり後ろに下がるんだ、いいね?』
ゆっくりと後ずさるルーシー。
その彼女へ、歩み寄っていくサイクロプス。
しかし、その距離は確実に縮まっていった。
『もうちょっと早く下がらないと、追いつかれる!』
「う、うん……でも……」
ルーシーは、まさに見上げる巨人を相手にしている。
先ほどまでの万能感はなく、委縮してしまっていた。そして、サイクロプスの拳が届く間合いになってしまっていた。
無造作に、巨大な腕が振りかぶられる。
無言で振り下ろされる、巨大な拳。
それは虫をつぶすような悪意のなさで、ルーシーの小さな体に迫っていた。
『避けろ!』
「きゃあああ!」
賢の言葉を聞いて、迫る拳を見て。
委縮しきった彼女は先ほどまでのように、頭を抱えてうずくまってしまった。
当然、それは回避ではなく現実逃避であり、迫る拳の前には無力だった。
サイクロプスの拳は、ルーシーに直撃する。
地面をへこませて、彼女自身をも打ちのめしていた。
「あああああ!」
そう叫んだのは、街の城壁で見ていた大人たちだった。
サイクロプスに殴られてしまえば、人間など死ぬしかない。
そう理解して、絶叫していたのだ。
『ルーシー! ルーシー!』
賢が召喚された世界では、『職業』というものが存在していた。
それは一般的な意味での職業とは異なる、あくまでも戦うための資格であり洗礼だった。
特殊な神殿で職業を授かれば、モンスターと戦うことによって職業に応じた力や魔法を得ることができる。
それは人間の限界を超えて、ありえないほどの力を授かることもあった。
格闘家。
それは前衛とされる、直接攻撃によってモンスターと戦う職種の中では、一番防御が弱い職業だった。
どれだけモンスターを倒し、どれだけレベルを上げても、他の前衛職業には及ばなかった。
『聞こえているか、ルーシー!』
防御するのではなく、回避する。それが格闘家の基本であり、直撃した場合は魔法であれ物理であれかなりのダメージを負う。
よって、ルーシーはダメージを受けていた。
「い、痛い……!」
そう、ダメージを受けていた。死んではいなかった。
「し、死んじゃうよ……」
『大丈夫だ、まだ戦えるし耐えられる! 一旦逃げよう!』
「うん……!」
泣きべそをかきながらも、ルーシーは走っていた。
その彼女を間近で見ながら、賢はいよいよ彼女を乗っ取るべきかと考えてしまう。
そして、いったん走り出せば極まった格闘家に追いつくのは簡単ではない。
特に、鈍重なサイクロプスでは、どうあがいても追いつけるものではない。
また、お世辞にも頭がいいとは言えないサイクロプスは、頭が悪いなりに困惑していた。
確かに拳が当たったはずなのに、なぜ死なない。
もしかして、当たっていなかったのか。
いやそもそも、逃げてしまった。
足が速い、追いつけない。
困惑して、正しい決断をする。つまり、飽きて諦めた。
飽きること、諦めることは極めて知的な判断であり感情である。
同じ行動を繰り返して無駄を悟り、別の手段を探ったり新しい目標を考える。
それができなければ、意味があるかどうかもわからない行動を繰り返し続けてしまうだろう。
サイクロプスの判断は適切であり、つまり人間にとっては脅威だった。
街の壁で状況を見守っていた大人たちが、サイクロプスの接近を見て再度叫ぶ。
弓矢を射かけ、槍や石を投げていた。しかしそれが通じる相手ではない、うっとうしそうにしながらも前進していく。
さながら、蜂に刺されながら巣を壊す熊のように。
「もうだいじょうぶ? 追いかけてきてない?」
『……ああ、街を襲っている。追いかけてきてはいない』
高速で走りながら、しかし泣きじゃくるルーシー。
彼女は途中で足を止めて、背後を見る。
小さくなってしまった街と、それに向かっているサイクロプスを見る。
「……街が」
『……』
「お父さんもお母さんもいる街が……」
ここでわき目もふらずに逃げられるなら、いっそ彼女は幸せかもしれない。
例え野垂れ死にすることになったとしても、自分の身の安全だけ考えるだけならよかった。
しかし、ルーシーはそうではないと、賢はよく知っている。
「……ねえ、今の私は強いんだよね?」
『ああ』
「じゃあさ、一回えいってやったら、倒せるかな?」
『それは無理だな』
「そ、そっか……」
『だが、何度もやれば倒せるさ』
もう、ルーシーは泣くのをやめていた。
涙をぬぐって、再び走り出す。
それはどんな駿馬をも抜き去る、覚悟の疾走。
大地をえぐりながら、土煙を置き去りにしての爆走。
「だあああああ!」
恐怖を叫びでごまかしながら、サイクロプスの背面に向けて跳躍する。
お世辞にも筋肉質とはいいがたい、分厚い脂肪に守られた肉体に小さな拳が命中していた。
おおおおお?!
鈍感なサイクロプスは、拳が命中して肺から息を出して、ようやく自分が攻撃されていることに気付いていた。
大きくのけぞり、激痛を感じ、たたらを踏んでなんとかこらえる。
ゆっくりのっそりと振り向いて、後ろにいるはずの敵を一つしかない目で探そうとする。
「うりゃあああ!」
再び、背後に一撃。
「だあああ!」
次いで、太い両足に鋭く一撃ずつ。
俊敏に駆け回るルーシーを、サイクロプスは捕らえることができない。
「やった、全然大丈夫だ!」
『ああ、そうだ。それでいい、普通に戦えば負ける相手じゃない』
なんのことはない、サイクロプスの長所は巨体相応の頑丈さと腕力である。
しかしその頑丈さを超える攻撃力さえあれば、残るのは鈍重であり低い知性という弱点だけ。
小柄なルーシーが相手の死角を意識して高速移動しながら立ち回れば、元より苦戦するわけもない相手である。
『このまま走りながら戦うんだ! 一気に倒す必要はない、このまま痛めつければ……』
「痛めつければ?」
『うまくすれば、逃げてくれる!』
「……わかった!」
何度も足や背中を攻撃されていれば、流石にサイクロプスも学習する。
大きな腕を振り回して背後を守り、地団太を踏んで足を蹴らせないようにする。
なんとも滑稽で馬鹿らしいが、しかしルーシーにとっては十分脅威だ。
『行動パターンが変わったな……』
「ど、どうしよう?」
『いや、大丈夫だ。少し離れて、息を整えよう』
まさかアクションゲームの敵キャラよろしく、倒されるための行動パターンをプログラムされているわけがない。
であればルーシーに都合よく相手が行動してくれるわけもない。
しかし、賢は勝算をもって相手を観察していた。
ゲームのキャラではないからこそ、生身の相手の動きは分かるのだ。
「で、でも倒さないと……」
『だから、大丈夫だって。そもそも、街を襲ってないだろう?』
「あ、そうか……」
『それに、あんな巨体で動き続ければ、すぐに息が上がる……』
なんのことはない、巨体で暴れていれば疲れて当然だ。
手が届かないところでおとなしくしていれば、勝手にサイクロプスの動きは鈍っていく。
『今だ! もう一度死角に回って攻撃するんだ!』
「だ、大丈夫かな? また動かないかな?」
『最悪捕まっても、力づくで抜けられる! 単純な力なら、君の方が上だ!』
「……それはそれでいやだな」
大きく口を開けて、息を荒くしているサイクロプス。
振り回している腕にも力がなく、ただ惰性で動かしているだけだった。
であれば、今のルーシーにとって脅威ではない。背後に回って跳躍し、無防備な後頭部へ一撃を叩き込んでいた。
「だあああああ!」
『よし! もういいだろう、街の城壁に避難するんだ!』
自分以上の怪力を持つ相手に、後頭部を思いっきり殴られる。
それは疲れ切っていたサイクロプスにとって、空腹以上の脅威となるのは必然だった。
一つしかない目をくらくらとさせながら、文字通り這う這うの体で這いながら逃げていく。
いよいよ暗くなっていく空の下で、哀愁を漂わせながら巨大な一つ目鬼は逃げていく。
それを見て城壁を守っていた大人たちは喝さいを上げた。
そして、彼らの隣に立つルーシーもまた、自分がやり遂げた結果を見て腰を抜かしていた。
「ケン……やったよ、私……街を守ったんだ……」
『ああ、よくやったぞ! 君は本当にすごい!』
緊張の糸が切れたことで気が遠くなっていくルーシー、そして彼女をねぎらう賢。
あざやかとは程遠い初陣ではあったが、彼女にとっては良くも悪くも意味の大きい戦いだった。
これが、ルーシーと賢にとって、大きな物語の始まりであった。