倒せ! 最初のモンスター!
耳寄り情報
状態異常は複数存在し、『毒』一つとっても無数に存在する。よって、どんな毒でも治療できる魔法や薬というのは、極めて高レベルである。
能力低下は状態異常とはまた別種類であり、種類は相対的にとても少ない。しかしこれはこれで下げ幅がとんでもないため、これが有効な敵は簡単に倒せるし、逆にこれを使ってくる敵には注意が必要である。
能力低下とは逆の能力向上、いわゆるバフも複数存在する。基本的に能力低下の下げ幅のほうがずっと大きいので、能力向上で能力低下と相殺するのはほぼ無理。
しばらくすると、レイキが目を覚ましていた。
「う、ううん?」
「あら、レイキ。もう大丈夫なの?」
「大丈夫って……何が?」
どうやら混乱しているらしく、生い茂る草の上から起き上がりつつも、自分がどうしてここにいるのかわかっていないらしい。
巨大な猫科肉食獣に叩きのめされたことなど、思い出さない方がいいだろう。忘れられない冒険はあるが、忘れたくなる恐怖というものはあるのだし。
「ねえ……もしかして、その、なんかあったの?」
「忘れた方がいいわよ、レイキ」
「ウオウ……え、そんなに嫌なことがあったの……?」
皆が口を閉ざすほど怖いことが自分の身に起きた。
何が起きたのかと青ざめるが、しかし怖いので聞きたくなかった。ただ不安が募るばかりである。
「レイキちゃんが起きたことだし、そろそろ行くぞ」
『そ、そうだね……』
その不安を忘れてしまうほど驚いたのは、賢とルーシーが入れ替わっていたからだろう。
今のところは1000レベルの力を発揮していないようだが、それでも年下の少女とは思えない表情をしている。
「え、なに、ウオウ、どういうこと?!」
「これからケン殿が、モンスター退治の見本を見せてくれるらしいの」
レイキは覚えていないようだが、それなりに実戦を重ねた五人の少女が、一目散に逃げ出すほどの猛獣。
それを実際に、賢が倒して見せるという。確かに見本はありがたいが、その一方でルーシーの人魂はとても不安げだ。
『あのさあ、ケン……私の体、変なことにしない?』
「だから、大丈夫だって……」
『でもケンってさ、戦うとき、凄い力任せだし……』
「だから! アレは、ああいう戦い方ができる職業編成だからって言ってるだろ!」
『でも……』
「安心してくれ、ちゃんと無傷で返すから!」
賢に体を貸すことに、ルーシーはとても否定的だった。
なにせ一度貸した時には全力を発揮したせいでボロボロになってしまったし、賢の生前の戦い方を見てしまえば貸したいと想うわけもない。
「むうう……」
「オーリ! まさかまだ不満なの?!」
「仕方ないだろう、キリン。一人で実演すると言われても、納得できるものではない。これは私たちの冒険なのに……」
そうした心配を他所に、オーリはとても不満げだった。
「いいか、私たちが違う世界へ赴いて、私たちが自分の手で武勲を挙げるから意味があるんだ。ケン殿が討ち取った獣を見せて、もしも勘違いされてみろ。それこそ、私たちが手柄を横取りしたようではないか」
オーリの主張も尤もだが、それを否定するキリンは冷ややかだった。
「勘違いされたなら、違いますって言えばいいでしょ」
「そ、それでも勘違いされるかもしれないだろ……」
「その都度訂正すればいいのよ。とにかく、ケン殿に一回手本を見せてもらいましょうって話なんだし、黙ってついていきましょうよ」
「だ、だがな……」
キリンに対して強気になり切れず、しかし断固として反対するオーリ。
しかし、キリンもまた強気だった。
「うるさいわね。そんなに自分の力で戦いたいなら、そもそも力を借りなければいいじゃない。どうせ勝てないでしょうけど」
それを言われてしまえば、オーリも黙るしかなかった。
うっそうと茂る森の中を、一行は静かに歩いていく。
誰もが最初の陽気さを忘れて多くのことに警戒をしながら、先を歩く賢の後をついていく。
『ねえケン。すたすた歩いてるけど、どこにさっきの奴がいるのか知ってるの?』
「いや、全然わからない。多分歩いていれば、そのうち見つけられるだろ」
上級者過ぎる解答に、初心者たちはおののいた。
「見つからなかったら、諦めて帰ればいいしな。扉のある岩山は大分標高が高かったから、木に登れば見失うこともないし」
見つけられたら戦えばいいし、見つけられなかったら諦めて帰ればいい。
能天気な発言にも聞こえるが、退路のアテがある以上は大したことではない。
「こういう時に目当てのモンスターを探すのは、桜花か天の領分だったからな。俺には無理だし、君たちも専門外だろう? じゃあ地道に探すしかない」
改めて、不便な話である。
賢が純粋な前衛であり、戦うことしかできないからこそ、魔法が使えない以外にも効率的とは言い難い。
とはいえ全員が前衛であり、ある程度打たれ強いからこそ、さっきのように事故が起こっても笑い話で済むのだが。
『ねえ、ケン。いきなり強いモンスターが群れで来たりしない?』
「大丈夫だ」
『どんな理由なの?』
「理由は忘れた」
何も大丈夫ではないし、不安感がこみあげてくるだけだった。
頭がいいふりをしているだけの馬鹿に、先頭も戦闘も任せているこの状況。
素人五人は、いよいよ青ざめていく。
「ああ、見つかったな」
突然、賢が足を止めた。
全員がきょろきょろとするが、しかし何も見つからない。
「四人とも下がれ、敵が来るぞ」
とても小さな右手で、小さな左手の掌を叩く。
その直後に、騒がしい密林を黙らせる咆哮が響いた。
木々の合間をぬって、巨大な獣が疾走してくる。
巨大な牙を持つ猛獣、アーマーサーベルタイガーが、勢いよく駆けてくる。
「きゃああああ!」
それを前にして、何かがよぎったのか真っ先に逃げ出したのはレイキだった。
それに合わせて、他の三人も大急ぎで逃げて隠れる。
巨木の陰に隠れた四人だが、それが儚く見えるほどに目の前のモンスターは巨大だった。
『ねえケン! さっきの奴より大きいっぽいんだけど!』
「そうだな、さっきのはまだ若くて、こっちの方が大人かもな」
『勝てるの?!』
「誤差だ、気にするな。こっちよりもリザードマンのボスの方がまだ強いぞ」
荒ぶる猛獣の咆哮と共に、密林の鳥たちが逃げ出して飛び立つ。
他の細々とした獣たちも、悲鳴を上げながら逃れていく。
迎え撃つのは賢だけであり、それを見守るのは四人の少女だけだった。
『ケン、来てる、来てる!』
「見ればわかる、騒ぐなよ。君の冒険は、ここからだ!」
臆さずに飛び出す賢。
強大な獣を相手に臆さず突っ込む姿は、正に勇者のそれだった。
『ケン?!』
「まず一発!」
小さな足が、猛獣の額に直撃する。
ルーシーの視点からすれば、巨大な口のすぐ前に自分の体があるので気が気ではない。
猛獣の何が怖いのかと言えば、やはり大きな牙の生えそろった、自分を丸のみにできる口であろう。
その口に飛び込むのかと想い、人魂のまま目を閉ざそうとしていた。
「一発打ったら、即逃げる!」
それをよそに、賢は悠々と跳躍して、巨木の枝葉の中に逃れた。
【うううああああああがっがあああああ!】
痛烈な一撃を受けたことで、怒って叫ぶ巨大な獣。
しかし視界から消えた賢を捉えることはできず、ただ唸り声を上げるだけだった。
「肉食獣は視野が狭いからな。一度隠れれば、すぐには見つからない」
『すぐには?! じゃあしばらくしたら見つかるの?!』
「もちろん、しばらくしたら見つかるぞ」
『だめじゃん!』
人魂の声が聞こえないとしても、賢の声が小さくて聞こえないとしても、匂いなのかただ見上げただけなのか。
巨大な猛獣は木の枝につかまっている賢を見つけていた。
『もう見つかったよ! すぐだよ!』
「いや、全然遅いと思うぞ」
『そんなことないよ! もう来た!』
唸り声を上げながらゆっくりと距離を開け、わずかな助走をつけてとびかかってくる猛獣。
それを悠々と観察していた賢は、猛獣の爪が届くより先に降りた。
巨大な獣は自ら枝の中に突っ込み、それにからめとられながらももがき、何とか地面へ降りてきた。
「ほら、遅い」
そしてそのころには、既に攻撃の準備を終えていた賢がいた。
着地の体勢をとろうとしているアーマーサーベルタイガーの腹部へ、弾丸のように跳躍し強力な拳をねじりこんでいた。
【ああああああ!】
「な、簡単だろう?」
無防備だった猛獣は、地面へ無様に転がりながら悶絶していた。
その一方で、賢はゆったりと地面に着地し、そのまま他の四人の所へ歩み寄っていった。
「どうだ、こんな感じだよ。できそうかい?」
賢がやったことは本当に簡単だ。
相手の動きをよく見て、無防備な瞬間を狙う。
無謀な連続攻撃は控え、安全な時だけ攻撃する。
普通ならそんなことはできない。だが、高レベルの前衛なら十分に可能だ。
なにせ相手よりも力があり、相手よりも俊敏で、なによりも圧倒的に小さい。
仮に被弾しても傷は浅く、リスクは小さい。だからこそ、こんな無茶も正しい戦術として成立する。
巨大な獣の断末魔の叫びが、森を揺さぶっていた。
その一方で、賢はとても普通に尋ねていた。
そのあたり、能力値を抜きにしても熟達した冒険者である。
この程度の相手は、ただの雑魚でしかない。
「す、すごい……これが魔神も認める勇者か」
「あんなにあっさりやっつけるなんて……」
「凄いわ、マネできるなんて思えない……」
「も、もうこのまま全部任せちゃってもいいような気が……」
熟練のモンスター退治の技を見て、新米たちは畏敬と感動の眼を向けている。
だがそれでは困るのだ、はっきり言ってあんなのは楽勝で倒せるようになってもらわねばならない。
「……よし、じゃあ後は君たちに頼もうかな。ルーシー、体を返すよ」
『えええええええ?!』
曰く、獅子は怪我をさせた獲物を子供に与えて、狩りの練習にさせるという。
もう十分弱らせた、という判断をした賢は少女たち五人に獲物を譲ることにした。
『大丈夫大丈夫、あと何回か殴ったら死ぬし』
「って、本当に体を返してるし! ケン、ちゃんととどめを刺そうよ!」
しかし少女たち五人からすれば、いきなり強大な敵を押し付けられたようなものだった。
悶えていたアーマーサーベルタイガーは、ふらつきながらも立ち上がり、少女五人を相手に憎悪の視線を向けていた。
一応五人が攻撃した事実はないのだが、怒りに燃えている猛獣にそんなことは関係なかった。
「よし、では私が行く!」
率先してオーリが刀を抜き、八相の構えをとる。
唸るものの走り出そうとはしていない猛獣へ向けて、切りかかろうとしていた。
「ちょ、ちょっと?! 一人で行くなんて無謀よ!」
それをキリンは慌てて止めようとした。
いきなり戦うことになったのは仕方がないが、だとしても一人で行く意味が解らない。
いくら手負いとはいえ、相手は猛獣。全員で戦うのが当たり前ではないだろうか。
「私は勇者になるんだ! この程度、一人で乗り越えてみせる!」
それでも、オーリは走っていた。
担いだ刀を信じて、平坦とは言い難い密林を駆けていく。
「やってみせる!」
猛獣と目が合った。
とても苦しそうで、今にも息絶えそうで、それでも戦うことを諦めない密林の王者がいた。
そのモンスターの威圧感に、膝を折りそうになってしまう。
しかし、それでも彼女は勇気を振り絞る。
意地を通すための蛮勇ではあるが、それでも彼女は果敢に挑んだ。
「はあああああ!」
ふらつきながらも、前足を振り回すモンスター。
丸太よりも太い前足には、鉄をも引き裂く爪がついていた。
それに対して、自分が持っている刀などあまりにも細く小さい。
だがそれでも、彼女は乾坤一擲の気迫を振り絞って、担いでいた刀を振り下ろす。
それは向かってくる前足と交差した。
「おおおおお!」
侍の刀が、猛獣の前足を切り裂いていた。
オーリは手ごたえを感じつつ、見事に打ち勝っていた。
「はああああ!」
返す刀で、跳躍しながら首を狙う。
密度の高い体毛と、その奥にある分厚い皮膚。
そのさらに奥にある太い骨格を、彼女の刃が切り裂いた。
【おおおおお……】
鮮血と共に、命が流れ出る。
強大な猛獣は、その命を終えていた。
無敵に思えた、自分たちでは歯が立たないように思えた獣が、音を立てて崩れる。
恐ろしかった怪物が、ただの死体に変わっていく。
四人の少女たちは、目の前で起きたことを信じ切れずにいた。
「や、やったぞ! 私でも、アーマーサーベルタイガーを倒せた!」
その一方で、オーリは達成感に震えていた。
あふれていた鮮血に身を染めながら、自分の力で巨大モンスターを撃破した事実に感動していたのだ。
「これを持ち帰れば、私は勇者だ!」
耳寄り情報
狭義におけるモンスターとは、人間の言葉をしゃべれず、かつ人畜に有害な存在のすべてである。
しかし一般的には、人語を話せる亜人や、人間よりも優れた知性を持つ魔族も、モンスターとして扱われている。
モンスターとは人間の敵、ぐらいの認識でもそこまで間違いではない。




