始まった冒険! 運命への挑戦!
人魂になっているルーシーの声なき声だが、魔神は当然の様に聞いていた。
待っていました、と言わんばかりに笑顔になって、足を止めた。
「なんでしょうか、勇者の宿主、ルーシーさん」
とても丁寧に返事をする。
『あの……レオン王子様はどうなるんですか?』
知りたくないであろう、絶対にろくでもないであろうことを、彼女はあえて聞いていた。
賢はそれを止めようかとも思ったが、止める資格がないと判断して黙る。
「体から魂を引き抜き、永遠の苦痛を与え続ける地獄へ幽閉します」
地獄に対する考え方は、この世界でも地球とそう変わりはない。
そして魔神なる超常の存在が地獄へ落とすというのなら、それは大人が子供を叱る以上の迫力があった。
脅しでも比喩でもなく、地獄で永遠に苦しむのだろう。
そう思うと、幼い少女の胸が痛んだ。人魂なので、気のせいなのだが。
『あの……それはその、かわいそうじゃないですか?』
とてもまともな考えだった。
いくら悪いことをしたとはいえ、地獄で永遠に苦しみ続けるのは『可哀そう』である。
もちろん、それはそれで、勝手な感想ではあるのだが。
「何をほざく、小娘が!」
その声を聞いていた第一王子は、正に怒髪天をつく勢いで怒っていた。
『あ、あの、その……』
「言うにことかいて、可哀そうだと?! そこの怨霊が、可哀そうだと?!」
『す、すみません』
「何も知らんくせに、何を偉そうに!」
賢の脇に浮かんでいる彼女へ、第一王子は詰め寄っていた。
その迫力に、胆力に、憤怒に、ルーシーは人魂のまま怯えてしまう。
そして、そのまま賢の後ろへ逃げていた。
「だ、第一王子様、どうかお許しください」
賢は自分の宿主を守ろうと、かばおうとする。しかし、そんなことで止まる第一王子ではなかった。
「誰が許すか! こんな腹の立つことはない!」
彼は正しく怒っていた。
賢はレオン王子を許したが、それは当人にも非があるという反省あってこそ。
純粋な被害者である第一王子は、とても普通に殺意を抱いていた。
「そこまで……」
「陛下、よろしいではありませんか」
制止しようとした国王を、魔神が遮る。
その言葉遣いは穏やかだが、その一方で断固たるものがあった。
第一王子は、そのまま発言を続ける。
「いいか、小娘! 何も知らぬとしても、この光景を見ろ! お前には見えないのか、衛兵の死体が! こいつがこの城で人を殺したのだぞ!」
高潔や寛容とは程遠い言葉だった。
だが、だからこそ、その場にいた兵士たちの心をうった。
そう、誰だって怒る。第一王子はその場の全員を代表して怒っていた。
「死んでいる兵士は、そこの怨霊やそれにたぶらかされた反逆者や亜人どもによって殺された! 奴らこそが、一番可哀そうだろうが!」
『は、はい……』
「奴らには子供がいたかもしれないし、妻がいたかもしれない。そうでなくとも恋人や友人だっていただろう! その連中は可哀そうじゃないのか!」
『はい……』
「もしもそこの怨霊やその一派を許せば! 極刑以外の刑を与えれば! むごたらしい死以外の何かだったなら! 誰もがこの国の法に絶望するだろう!」
過去につらいことがあったなら可哀そう。怨霊に騙されたのか可哀そう。まあそうかもしれない。
しかし、殺された者や、その彼らと親しい者のほうがよほど可哀そうだった。
「というのが、この国の判断であるべきだ! その法で裁けぬのは些か不満だが、その怨霊を呪っている魔神とやらが永遠の責め苦を与えるというのなら、それなりには納得してやるとも! だが、それは我らの与える罰よりも重いからだ! 軽くなることなど誰もが許さん!」
ここまで王子は、あくまでも国の後継者として話していた。
それをきっちりと言い切ったあとで、私情を語る。
「ルーシー!」
『は、はい!』
「お前は、お前に取り付いている英霊と、私を比べているのだろう!」
『そ、そんなことは……』
「ケンとやらに比べて、私は狭量で不寛容で! 非情で傲慢で騒がしいと思っているだろう! 国王としての器量に欠けると思っているだろう!」
人魂と、それを隠している体に怒鳴りつける。
「私がこんな性格になったのは、全部怨霊のせいだ!」
そう言って、地面に転がっているレオン王子の腹部へ蹴りこんでいた。
「お前、体を乗っ取られたのは初めてだな?! それどころか、英霊の存在を知ったのも最近だな?!」
『は、はい……ほんのちょっと前まで、ケンは何も言ってくれなくて……』
「なんとも羨ましい話だ! なるほど、現世に迷惑をかけない、必要な時だけ力を貸してくれる英霊とはすばらしいものだな! この怨霊とは偉い違いだ!」
何度も何度も、憎たらし気に踏んでいく。
未だに鎧を着ている彼には効果が薄いが、しかし意味はあった。
「いいか、ルーシー。この怨霊はな、我が弟の体を乗っ取るだけではなく、その魂に刻まれた力を自分の自己顕示欲を満たすために使い続けた!」
『そ、そうみたいですね……』
「そんな『弟』と比べられた私が、普段からどう思われていたと思う? 中身が成人の弟と比べられ続けた私が、どんな目で見られていたと思う? どれだけ頑張っても、何をしても、弟に及ばなかった私がどれだけ惨めだったと思う?!」
頭を踏んづけた。
その程度では足りぬと、更に力を込めていく。
「この怨霊が! 少しでも頭が回るなら! 私に気を使うつもりがあったなら! 多少拙くとも、私よりも劣った振る舞いをするべきだったのだ! それをせずに、優秀で天才的な子供のふりをし続けてきた! 実際には年下である私を貶めて、馬鹿にして、踏み台にして噛ませ犬にして負け犬にし続けてきたのだ!」
魔神はそれをにやけながら見守っている。これはこれで、正しい罰だった。
「幼少のころから、国家の主になるべく必死で頑張ってきた私を、笑い者にしてきたのだ!」
「が、が……」
「それで、私に大器が育つと思うか? 私がこの弟モドキをこうしてやりたいと、夜ごと夢に描いても不思議ではあるまい!」
レオン王子は、はるかに年下の兄を相手に、大人げなく勝ち続けてきた。
それが子供の兄にとって、どれだけ心理的な重圧になるとも知らずに。
否、知った上でそうしてきたのだ。
「でだ、その好機が巡ってきたのだ! ようやく尻尾を出したのだ! とことん罰を与えてやるとも! そうでなければ、私が余りにも可哀そうだ!」
自分よりもはるかに勝っている弟に対して、兄がどういう感情を抱くかなど考えるまでもないことなのだから。
それを器量が小さいというのなら、子供を相手に優位性を示し続けてきたレオン王子の方がよほど大人げない。
「幸せになりたかったか? 王になりたかったか? ふざけるなよ、怨霊め! 私はお前の生贄ではない! せいぜい地獄で、永遠に後悔し続けるがいい!」
レオン王子は、その自尊心を満たすために兄を犠牲にし続けてきた。
兄が苦しむ姿を見るために、ひたすら兄に勝ち続けてきたのだ。
そんなことが分からないなどあり得ない、それ以外の意図などあり得ない。
兄からの怨嗟を込めた視線に気づかないわけがないし、周囲から向けられる賞賛に気づかないわけがないのだから。
「で、ルーシー! はっきり聞くぞ! どこの誰がかわいそうなのだ?!」
泣きじゃくりながら暴行を加えている第一王子。
彼に対して、人魂であるルーシーはためらいながらも答えた。
『その、ケンがかわいそうだなって……友達が地獄に落とされたら可哀そうだなって……』
なるほど、それは確かに可哀そうである。
自分の言動で友人に過ちを犯させ、さらに地獄へ落とさせることになったのだから。
実際、賢はとても悲しそうにしていた。
悲しそうにしているうえで、王子や魔神を尊重していた。
「ルーシー、気づかいは嬉しいよ。でも、これは仕方がないんだ。魔神を止めようとすれば、君やこの国が危険にさらされる。それに第一王子様が怒るのは無理もない、彼を止めることなんて俺にはできない。その資格がない」
「分をわきまえているな、流石は英霊だ! こいつとは偉い違いだ!」
第一王子は、改めて魔神を見る。
「さあ、こいつの魂を引き抜け! 地獄へ落としてやれ!」
しかし、ここで魔神は両手の掌を見せた。
「第一王子、しばしお待ちを」
魔神はルーシーと話を始める。第一王子の言いたいことが終わったので、彼女と話をするつもりになっていた。
「ルーシー、貴女は勇者ケンがかわいそうとおっしゃいましたね? なるほど、私もそう思います。友人が地獄行になるのを見ているだけなど、彼には耐え難いでしょう」
『そ、それじゃあ……その、どうするんですか?』
「私は詐欺師に罰を与え、勇者に体を返還したいし、それには試練を経由させたい。勇者ケンは生者に迷惑をかけたくないが、仲間が地獄に落ちるのも悲しい。そして……」
第一王子に対して、微笑んでいた。
「第一王子様。貴方はさきほど、『その法で裁けぬのは些か不満だが』とおっしゃいましたね。私が永遠の苦しみを与えるのも悪くはないが、出来れば自分の手で苦しめてから殺したいのでしょう?」
「……そうだな」
「ではこうしましょう。まず私が、ルーシーに試練を課します。彼女が途中で投げ出せば、私が詐欺師の魂を地獄に落とします。ですがルーシーが試練を突破すれば、詐欺師を罰する権利を貴方にお譲りします。もちろん、その力を奪ったうえで、です。そうすれば、貴方が殺しても生まれ変わることはない」
ルーシーが試練をあきらめれば、賢の仲間は地獄に落ちて永遠に苦しむ。
だが打ち勝てば、人としての死を迎える。その苦しみは、一生で終わる。
「その上で、この体も返却しましょう。それなら私も納得です」
「お、おい、勝手にルーシーへ試練を課すな!」
「勇者ケン、逆にききますが」
とても意地が悪い笑みを浮かべる魔神。
かつての自分と同じ顔をした仇敵に、賢は圧された。
「ここで貴方の友人を見捨てることが、彼女にとって幸福だと思いますか?」
「それは……」
「もうすでに、彼女は巻き込まれてしまっている。まあ私が巻き込んだわけではありますし、貴方へ更なる苦しみを課すのは不本意ですし……」
魔神は、この国の命運を誰よりも案じている国王のことも見る。
「この国に迷惑をかけることも、不本意ですしねえ」
なんとも押し付けがましいが、その一方でそれを自覚している所作をしていた。
「難易度はベリーイージーとしましょう。それなら一年もかかりませんし、この国へ被害は出ない」
魔神はゆっくりとルーシーへ近づいていく。
「ルーシー、貴女には私の試練に挑戦する勇気はありますか? 勝っても貴女にはたいして利益などないのに、それでも貴女の守護霊やその友を助けるために戦えますか?」
『……はい!』
「いい返事です」
そう言って、レオン王子に手をかざす。
すると、レオン王子は苦しみだし、その体から十一の塊が飛び出た。
「では、一端詐欺師とその魂はお預かりします。そちらにあっても困るでしょうしね。貴女が勝てば、これはお返ししますので……試練の最後にお会いしましょう」




