勇者殺人事件! 動機は痴情の縺れだ!
賢は倒れていた。
記憶の前後が欠落していたが、確かなことは自分の体に力が残っていないということ。
心身ともに疲れ切り、呼吸さえ億劫だった。
息苦しさで目を覚ましたが、そのまま失神してしまいたくなるほどに何もできない。
「満足ですか?」
仰向けになっている自分を見下ろしているのは、未だに立っている魔神だった。
「ああ、もう俺の冒険はここまでだな」
不思議と気安く返答ができた。
呼吸さえつらいのに、声を出すことが苦ではなかった。
「だがまあ、ここまで弱らせとけば、他の連中でもどうにかできるだろ」
「ほう」
「やるだけやったんだ、悔いはねえよ」
ボロボロで死にかけで、それでも表情は安らかだった。
「俺も楽しかったからな」
死の刃が振り下ろされようとしているのに、心には充実感だけがあった。
「こんなこと、他の連中には言えねえが……途中から国家とか民衆とか、どうでもよくなっちまったんだよ。ただ楽しくてさ……終わるのが寂しかったぐらいなんだ」
「では、もっと続けたかったんですか?」
「正直な。でもまあ……ほら、そりゃあ我儘だろ? しんどいのも本当だし、困ってる連中がいるのも本当なんだ。楽しんでいたのは俺だけなんだよ、きっと。俺一人楽しくても、楽しくはねえんだ」
ボロボロの、血まみれの口元は、それでも笑っていた。
「そうですか、それはよかった」
とても嬉しそうに、魔神は頷いていた。
「さっさと殺せよ。もっとも、お前が殺せるのは俺だけだろうがな」
「いえいえ、名残惜しいですが……私は結局、誰も殺せなかった」
賢は見上げるままに、それを見た。
「おいおい、第二形態とかはどうした?」
「それが……貴方たちを分断することに、そういう力も使っちゃいまして。だからもう倒されちゃったんですよ」
立っているままに、微笑んでいるままに、楽しそうに充実したままに、その姿が崩れて消えていく。
人間の姿をした殻だけではなく、その中身である闇もまた消えていく。
「負けました」
「……うそだろ」
信じられない、と目を開いている賢。
腫れあがってきちんと目が開かなくなっているのだが、それでも確かに両目が崩れていくシルエットを捉えていた。
「貴方一人に負けました。完敗ですよ、勇者ケン」
「……」
倒れている賢は、その現実が理解できなかった。
「大きな顔をしていいんですよ、貴方が勝ったんですから」
「いや、俺一人の手柄じゃねえさ」
だが、その言葉は受け入れられた。
賞賛と敬意が、魔神の言葉に込められていたのだから。
そしてそれは、自分一人に向けられるべきではないと知っている。
「俺一人だったら、ここに来るまでに死んでたよ。みんなに助けてもらったから強くなれたんだ、ここまでこれたんだ。だから……」
「そうですか。ですが、そんな貴方に一つお教えしましょう」
いよいよ消えていく魔神は、とても大事なことを伝える。
「貴方は、貴方が、貴方こそ、私を倒したただ一人の勇者。貴方が生きている限り、貴方の血族が生きている限り、私は復活することはない」
何度でも復活する魔神の、その復活の条件だった。
「真の勇者である貴方は、今後できるだけたくさんの子供をつくることですね」
「はっはっは! そりゃあしんどそうだな!」
「ええ、しんどいですよ。ですがこの世界の安寧を願うのであれば、そうした方がいいと思いますよ」
「死んだ後のことなんて知らねえよ……でもまあ、いい加減大人にならないといけないのかもな」
本当に、ここで終わりなのだ。
賢は達成感以上に寂しさを感じていた。
「この世界にとって、勇者とは二種類います。私に勝った勇者と、私に負けた勇者です。ですが私にとっては違う。記憶に残る勇者と、そうではない勇者です」
それは魔神も同じだった。
「貴方に会えないことは残念ですが、貴方と貴方の子孫の多幸と繁栄が続くことを願って、長く眠りにつくとしましょう」
「おう、寝とけ寝とけ。もう起きるんじゃねえぞ」
魔神の価値観は共有できずとも、魔神の感情には理解が示せる。
「俺の子孫は、この世界が滅ぶまで元気にやるさ」
「それはそれで、きっといいんでしょうねえ……」
「俺の子孫、舐めるんじゃねえぞ?」
消えていく魔神、それと同時に荒れ果てた荒野も霞んでいく。
「さようなら」
「……おう」
万感の思いを込めて、賢は別れの言葉に応えていた。
※
魔神の城が崩れていく。
あまたの強力なモンスターが突如として消滅し、堅牢な城が瓦礫に変わっていく。
その中で、分断されていた勇者たちは互いを呼び合っていた。
「誰か、誰かいないのか?!」
白い狼に乗り込んでいた桜花は、崩れていく建物の中で仲間を呼んでいた。
落下してくる天井の中で、白い狼はその鼻を動かして何かを見つけていた。
迷うことなく跳躍し、そのまま瓦礫に埋もれている賢を掘り起こしていた。
「賢!? 何があった?!」
勇者の中でも最も頑丈な賢が、瓦礫に埋もれたまま身動きが取れなくなっている。
その体にはあり得ないほどの傷が刻まれており、満身創痍と言うほかなかった。
「お、桜花か?」
「なんだ、元気そうだな」
「ああ、なんとかな……ちょいと転んじまった」
「減らず口を。それで、本当に何があったのか言え」
「ああ、魔神を倒した」
賢の眼も、脳も、体も、疲れ切っていた。
最後の敵を倒し、傷を癒せる仲間と合流できた。
それだけで、もう安心しきっていた。
「へへへ……魔神の野郎、分断したくせに俺を相手にするなんて馬鹿丸出しだよなあ」
余裕を取り戻し、油断しきり、警戒心も注意力もなかった。
悪い意味で、普段通りになっていた。
「お前が、一人で、魔神を倒したのか?」
「ああ、見ての通り余裕だったぜ。口ばっかりで、大したことのない奴だった」
自分の自慢話を聞いている桜花が、どんな顔をしているのか見ようともしていなかった。
「お前が……倒したのか、倒せるのか?」
「何度も言わせるなよ。お前が認めなくても……俺が、俺だけが真の勇者ってことだ。これで、お前が好きな王女様と結婚するのは、俺で決まりだな……へへへ……」
桜花は、正常ではなかった。
信じることができないとばかりに、ゆっくりと馬上槍を両手に持っていった。
「おいおい、桜花。俺に手柄をとられてショックなのはわかるけどよ、真の勇者様に労いの言葉とかねえのか?」
その切っ先を、傷だらけの賢の胸や喉の上でふらふらとさせていた。
「っていうか、未来の王様の傷をとっとと治せよ。お前のとりえって言えば、そんなもんで……」
「あ、あああああああ!」
その槍の先端が、賢の肉体にめり込んでいた。
普段なら傷を少々負うだけで、致命傷になるはずもない。
だが極限まで追い込まれていた賢には、最後の体力を削り切るものだった。
「?」
賢は、その眼で桜花を見上げた。
何が起きたのか、最初はわからなかった。
だがしかし、だんだん理解していく。
「 」
口を開いても、声はでなかった。
「お、お前が!」
さらに、桜花は槍を振るう。
「お前が! お前があああああ!」
何度も何度も、刺していく。
何度も何度も、貫いていく。
その中で、賢の生命が終わる。
蘇生できないほど肉体が破壊されていき、ただ死体を嬲っているだけになっていく。
「お前が、お前が、なんで、お前が!」
やがて、そのすぐ近くに闇の塊が浮かび上がっていた。
強大な力などなく、今にも消えそうなほど弱弱しかった。
「あ、あああああ!」
それに気づくことなく、桜花はただ正気に返った。
自分が何をしてしまったのか、助かるはずだった仲間に何をしてしまったのか。
その結果を前にして、頭をかかえて叫んでいた。
※
「か、関係ないから……俺たちの前世で何があったかなんて、この世界の人たちには何の関係もないから」
少女の姿をとっている賢は、改めてそう言った。
少し前にもいったことではあるが、その言葉への印象はだいぶ異なっている。
どうやら、大分本人も反省しているらしい。
『ケン……けっこういじめっ子だったよ……』
「違うんだよ、ルーシー! 俺も普段は、桜花から暴言を喰らってたんだ! だからほら、それへの反抗心というか……」
『いじめは良くないよ』
「そうだな、その通りだ」
反省しているので、ちゃんと非を認める。
最初から言い訳をしないのが一番ではあるが、そこはちゃんと謝れる大人であった。
なお、周囲からは誰に対して謝っているのかわからない模様。
「なるほど、事情はよく分かった」
しかし、国王はちゃんと把握していたので、話を進める。
「仲間殺しの詐欺師は分断されていたことをいいことに、魔王と英霊殿が刺し違えたとでも皆に語り、自分が玉座に座り込んだというわけだ。トロフィーが怒るのも頷ける、確かに名誉に関する事柄だな」
魔神の行動原理はよくわからないが、それでも自分に勝った男には幸せになって欲しい、という精神性には騎士道のようなものを感じる。
それでなくても、自分に勝った男へとどめを刺し、その手柄を奪うのは好ましくあるまい。
「あの後、どのタイミングかは知らんが、そこの詐欺師が一番幸福で充実している時にでも、その執政を脅かしたというところかな?」
「ご慧眼、恐れ入ります」
とても大きな声で、ご慧眼と言いきった。
やや慇懃無礼と言える所作だが、実際他に考えようもない。
「くだらん」
心底からどうでもよさそうに、国王は言い切っていた。
「馬鹿馬鹿しいにもほどがある」
軽蔑した視線をレオン王子に向けていた。
あるいは、先ほどまで見ていた桜花の姿と重ねているのかもしれない。
「英霊殿のおっしゃる通りだ、お前の前世などどうでもいい。確かに英霊殿にも誤解を招くような発言はあったのかもしれんが、だとしても死にかけていた戦友の手柄をとったことに何の変りもない。その後どれだけ苦しんだとしても、それは当然の報いだ。そして、その屈辱やら後悔やらを清算するために、我が国を巻き込もうとした罪は重い」
恥ずかしそうに照れている賢に対して、気にするなと言っていた。
「この怨霊を調伏するために協力してくれたことには感謝するし、その動機もよくわかった。だが、怨霊の魂を回収するだけでは足りないのであろう?」
「ええ、その通りです。私の目的は、その怨霊にしかるべき罰を与えること。最初はそのつもりでしたが、その間に私を倒した英霊を見つけてしまった」
全員の視線が賢に集中する。
余りにも堂々と魔神を倒した、勇敢にして不器用な男の魂を見た。
「彼には、幸せな人生があるべきだ。私は試練を課す魔神であり、人間とは相いれませんが……彼には敬意と友情と共感があった。勇者ケン、貴方には幸せになってもらう。私なりのやり方で、貴方を幸せにして見せる」
「我が国へ危害を加えるつもりはないと言っていたはずだが?」
国王は引く気が無かった。
命乞いが通じる相手ではないとわかっているし、むしろ苛立たせると見抜いていた。
だからこそ、その力を目の当たりにしたあとでも、矜持を示していた。
「もちろんです。少々迷惑をかけるかもしれませんが、危害を加えることだけはあり得ません。とはいえ、それもそこの怨霊は別ですが」
魔神はゆっくりと、レオン王子に向かっておりていく。
拘束されている彼に対して、最悪と言っていいことをしようとしていた。
それを誰も止めなかった。
魔神が強いとかそれ以前に、レオン王子を誰もが見限っていた。
「……我らは、ついていく相手を間違えた」
彼の配下たちさえ、拘束されたままもがこうともしていない。
それほどに、先ほどの記録は衝撃的だったのだ。
レオン王子は仲間を強くする力を持ち、彼らへその術を施していた。
本人には更に強大な力があり、不遇な彼らを救うつもりだった。
何もかもが嘘ではない。
ただどうしようもなく、その動機が、魂の所業が、罪深かった。
彼の被害者たちは、過去のことは関係ないと言っている。同情の余地こそあっても、この国を転覆させようとしたことは許せなかった。つまり、彼の過去は心証に多少の良い影響があった。
だが、彼を信じていた共犯者たちは違う。誰もが彼が高潔で、素晴らしい人物だと信じていた。だからこそ、強大な国家へ寡兵で挑んだのだ。
それが、完全に裏切られた。自分たちが信じていた英雄は、実際には少々の軋轢で戦友を殺し、その功績を奪うような外道だったのだ。
それは敗北以上に、どうしようもない裏切りだった。
「賢……」
「桜花……」
だが、それを最初から知っていた賢だけは違っていた。
自分を殺した友人を前に、自分が殺させてしまった友人を前に、どうしようもなく何かをしたかった。
「なんでだ、賢……なんでお前は、魔神には本心を明かしたんだ?」
「……」
「死ぬ間際だったからか? それなら、俺の時だってそうだったじゃないか!」
賢は全てを知っていた。
怒った魔神によって、桜花がどんな末路を辿るのか察していた。
だから許すことができていた。
だが、桜花は違う。
桜花にとって、賢は無能な悪人でなければならなかった。
そうでなければ、自分は戦友を討った悪党になってしまうのだから。
しかし、自分が知らなかった魔神との記録は、どうしようもなくそれを否定していた。
「なんで俺に、ああ言ってくれなかったんだ!」
「悪かった……俺は甘えていたんだ、お前に、お前たちに甘えていたんだ」
魔神は地面に降り立った。
だがしかし、そこから歩みを進めることはなかった。
「お前たちになら、どんなことを言ってもいいと思ってた。だってそうだろう? 俺たちは嫌なことや辛いことがあっても、治るとはいえ深い傷を負っても、蘇生できるとは言え死ぬことがあっても。それでも一緒に旅をしてきたんだから」
充実した冒険だった。
振り返ってみれば、とても素晴らしい思い出だったのだ。
それは、仲間がいたからこそ。
「途中で逃げることもできたのに、仲間を見捨てることができたのに、俺たちは最後までいられた。それは俺たち全員が、勇者だったからだ。役割りこそ違っても、全員が他のみんなの為に頑張れたからだ。だから……本当の仲間だと思っていた」
ルーシーが、オーリが、キリンが、ウオウが、レイキが。
あるいは、彼へ敬意を抱いている全員が、賢の声に耳を傾けていた。
「本当の仲間だから、何を言っても許してくれるって思ってたんだ」
自分たちの過去は関係ないと言っていた。
賢がレオン王子を、桜花と止めるのは、それが間違っているからだと言っていた。
「でも違ったな。天の言っていた通りだ……俺がお前の小言に腹を立てていたように、お前も俺の軽口に対して本当に傷ついていたんだ……」
賢は桜花に対して怒っていた。
そりゃあ怒りもする、殺されたんだから。
なんで殺したんだと腹を立てていた。
軽口を言った程度で、我を忘れるほど怒るなんておかしいと思っていた。
だが、それだけではない。
あの時だけではなく、あの時に至るまでの多くの場面で。
賢は桜花へ言ってはいけないことをたくさん言っていたのだ。
「俺は、恥ずかしかったんだよ。本当のことをわざわざ言うのが、恥ずかしかったんだ」
言うべきだったことは、伝わってこそいても、口にすることが無かったのに。
「お前の為に、お前が王女様と結婚するためにも頑張っていたなんて。冒険が楽しかったから、手柄とかがどうでもよくって、お前に王様になる権利を気前よくくれてやるなんて、恥ずかしすぎて言えなかったんだ。俺はお前に頼んで欲しかったんだ」
男にしかわからない理屈だったのかもしれない。
男だからこそわかってしまう不器用さだったのかもしれない。
『いやあ、俺一人で魔神を倒しちまったよ! これで王女様と結婚するのは俺で決まりだな!』
『ま、待ってくれ!』
『どうしたんだ、桜花? 俺になにか言いたいことがあるのか?』
『お、お、お……王女様と結婚したいんだ……だからその、俺が倒したことにしてくれないか?』
『えええ~~?』
『いや、その……俺も一緒に倒したってことで……』
『しょうがねえなぁ……この貸しはでかいぜ?』
そんな会話をしたかったのだ。
そうでもしないと、なかなか言い出せなかったのだ。
「完璧主義で傲慢ちきで失敗や自分の非を認めたくなくて、メンタル弱いくせにいつでも偉そうにしているお前に、頭を下げさせたかったんだ」
浅ましい自尊心を、素直に明かしていた。
「素直じゃないのは、俺も同じだったのにな……」
「もう、遅いだろ……」
「悪かった、桜花。俺にも悪いところがあったんだ」
「もう……本当に遅いんだよ、お前は……いつだって、遅いんだ!」
行き違いがあった。
そしてそれが賢の人生を終わらせ、桜花の人生を狂わせていた。
「俺も悪かった。それも言いたかった……それは言いたかった……それだけは、ちゃんと伝えたかった」
「くそ! くそ! くそ……!」
話が終わった。
伝えるべきことは、今度こそ伝え終わった。
今度こそ、魔神が歩み寄っていく。それを賢は止めようとしない。
今の賢に魔神を止めるほどの力はなく、ルーシーの体を危険にさらしてしまう。
それに加えて、魔神がレオン王子を殺さなかったとしても、この国の誰もが彼を裁くだろう。
危険なだけで、無駄で無意味で傲慢なのだ。たとえどれだけ手を差し伸べたくとも、それを今の賢はできなかった。
『あの、魔神さん!』
だからこそ、声をあげるのは彼女にしかできなかった。
人魂になっているルーシーは、勇気を振り絞って叫んだ。
それは、チュートリアルの終わりを示し……本当の冒険を始める言葉だった。




