買い物
マンションから徒歩十分。
最寄駅の周辺は日曜日ということもあって賑わっていた。
行き交う人々の流れに合わせて進み、駅ビルの中に入る。
「まずは洋服かな」
道中あらかじめスマホで調べて目星をつけていたショップに向かう。
照明が淡く灯った落ち着いた雰囲気の店内には、5月中旬ということもあって春物と夏物の服が半々ほどの割合で並んでいた。
私は店内を見回し、眉間に皺を寄せる。
「……まずい」
何がまずいって、いざ店に入ったはいいが何を買えばいいのか分からないのである。
普段着飾るよりも機能性重視で洋服を選んでいる私にとって、エトナに似合う服を選ぶだなんて難易度が高過ぎる。あの子ほどの美人さんなら、きっと何を着ても似合うのだろうが、せっかくなら申し分ないコーディネートをしてあげたい。
おまけに、下着選びまであるのだ。
「可愛いのを買ってきてあげる」だなんて茶化してはみたものの、自分以外のために下着を買うだなんて初体験。エトナの前で情けない姿は見せられないという年上の見栄を張ったはいいものの、ノープランだった。
……悔しいが、今年の流行を検索しよう。
そう思い、スマホを取り出したところで誰かが近づいてきた。
「なにかお探しですか~?」
亜麻色の髪をゆるく巻いた私と同い年くらいの店員が、朗らかに笑う。
この店の商品らしいニットとスカート姿の彼女のたわわな胸元には、『稲本』という名札がピンで留められている。
餅は餅屋……私は、渡りに船だと思って言った。
「えっと、何着か服が必要になったので探してて。ああ、私が着るんじゃないんですけど」
「どなたかにプレゼントですか~?」
「プレゼント……とはちょっと違うんですけど、とびきり可愛い女の子なんです。似合う服を選んであげたいんですけど、私お洒落に無頓着だから何を買えばいいのか分からなくて」
「そうなんですか~、ちなみにそのとびきり可愛い女の子というのは~、どのくらい可愛いのでしょ~?」
「……28年間生きてきて、1番可愛くて綺麗だと思いました」
「将来お客様よりも美人になるとおもいますか~?」
「必ずや」
私は間髪入れずに頷いた。
……ん? ていうか、話の流れおかしくない?
「あらあら~、それはたいへんですね~。困りましたね~~♪」
一方で店員さんは両手を合わせて、ぽわぽわと言った。
あれ? この店員さん大丈夫?
私は微妙に不安になり、辺りを見回して他の店員を探す。だが、声を掛けられそうな人は見当たらない。
こうなったら、一度退店するべきか……。
「すみません、ちょっと別のお店も見てから──」
改めて来ます──という言葉を発するよりも先に、店員──稲本さんはスカートのポケットから赤縁のメガネを取り出して掛け、さらにメモ帳と小さいボールペンを取り出した。
先ほどまでのゆるふわな雰囲気はそのままに、彼女の瞳が鋭くなった気がする。
「では~、そのとびきり可愛い女の子の特徴をできるかぎり教えていただけますか~? 身長や体型、お客様が抱いているイメージなどなんでも構いませんので~。わたしの全霊で~、この店のすべてのお品物から最高のコーデをお選びいたします~~~♪」
にこにこと、お日様のような笑顔で彼女が言う。
その後方で、いつの間にか集まった他の店員さんたちが「店長が本気モードだ」「……圧がやばい」「っていうか、あのお客さん美人じゃない?」と何やら言い合っていたが、一体何が始まるのか私にはさっぱりだった。
◇◇◇
「お買いあげ、ありがとうございます~♪ いまお包みしますね~~♪」
30分後、私は清々しい気持ちでお会計をしていた。
稲本さんの手際は見事の一言に尽きた。私が伝えたエトナの情報をもとに、春物夏物問わず何通りものコーデを提案し、時には背格好の似た店員の女の子に試着までさせて服選びに付き合ってくれた。
結果、店名とロゴが入った紙袋にはニットやワンピース、ブラウスにパンツ、チュールスカートやレギンスなど様々な服が包まれることになった。
「お店の外までお持ちしますね~」
稲本さんがふわふわと言い、私たちは並んで歩く。
「ありがとうございました。下着のアドバイスまでしてくれて、ほんと助かりました」
「いえいえ~、お気に召していただけたようでうれしいですよ~~。袋のなかにカタログを入れておきましたので~、よろしければまたお越しくださいね~。ネット通販もできますから~」
その言葉に、カタログやネット通販ならエトナと一緒に選べるじゃないかと気づく。
今回は急な買い物になったが、次はエトナの好みを把握するためにも二人で選びたいな。
「それでは~、お品物です~~」
「ありがとうございます」
差し出された紙袋を右手で受け取る。
するとそのまま、稲本さんの両手が私の右手を包み込んだ。
「もしよろしければ~、次はお客様のお洋服もコーディネートさせてくださいね~~。わたし~、綺麗な女のひとがだいだいだいすきですので~~~♪」
「あ、えっと、はい。ぜひ、お願いします」
にっこりと甘い声で言われて、私は思わずドギマギしながら返した。
それから手を離され、するりと距離を取られる。
余裕たっぷりで小さく手を振る稲本さんに会釈をし、私はショップを後にした。
◇◇◇
稲本さんにオススメしてもらったランジェリーショップでめぼしい下着を買い揃えた私は、歯ブラシなどの細々した日用品をドラッグストアで揃えた後、駅ビル地下の食品売り場へ向かった。
夕飯前の売り場は、この日のイチオシ商品を宣伝したり手を叩きながらタイムセールをアピールする店員や買い物客で大盛況である。
「……肉しかないな」
エトナの薄く細い身体を思い浮かべ、私は心に決めた。
ステーキだ。とびきり美味しいステーキを、たらふく捻じ込んでやろう。
「エトナの歓迎も兼ねたいし、豪勢にしよっと」
地下食品売り場は生鮮食品を取り扱う店々と惣菜や生菓子などを扱う店でエリアが違う。私は先に生鮮食品フロアへ向かい、荷物が多くなりそうだけどどうにかなるかと思いつつ買い物カゴを手にした。
ジャガイモやブロッコリー、玉葱など普通のスーパーで買うよりも割高だが色艶や大きさが立派な野菜をカゴに入れ、『ミート・ミート・ミート!』という看板が掛かった精肉店でサシがほどよく入ったステーキ用の肉を多過ぎるくらいに頼んだ。エトナがどれくらい食べるか分からないし、余っても明日以降食べればいい。
包んでもらった肉には今まで見たこともないくらい高額の値札が貼られていたが、ちっとも気にならなかった。これを食べたエトナの顔を想像するだけで、早く帰りたくなる。
「あとはデザートっと」
フロアを移動し、有名店や老舗などが数多く出店している惣菜・生菓子エリアへ。
明日以降のことも考えて日持ちするクッキーやフィナンシュ、そして今日食べる用にケーキも買う。イチゴにチョコ、モンブランにフルーツタルトとエトナが好きなものを選べるようにバラバラに。それから、ふと目に入った絶品とろける卵プリンも2つ買う。
「こんなに買い物したの、いつ以来だろう」
駅ビルの出口に向かいながら、ひとりごちる。
両手には買い物袋がたっぷり。正直、重い。
「近いけど、タクシー使うかな」
エトナのためにも早く帰りたいし、このまま徒歩で帰れば筋肉痛の恐れすらある。
そう思ってタクシー乗り場へ足を向けようとした矢先、背中に声が掛かった。
「あれ? 先輩じゃないっすか? 塔子先輩なにしてるんすか?」
「え?」
聞き馴染んだ声に振り返る。
するとそこには、『自堕落』と豪快な筆文字がプリントされたパーカーに黒いショートパンツ、そして茶色いリュックサックを背負った見慣れた女の子が立っていた。
「やっぱり先輩だったっす。奇遇っすね」
碓氷此葉、21歳。
私がいる会社の部下は、ちろっと八重歯を覗かせて明るく笑った。