魔女は傷だらけ
「まずはお風呂ね」
エトナと一緒に暮らすと決めた私は、すぐさま言った。
「お風呂……ですか?」
「だって、あなた臭うし」
「あっ……」
私の率直な一言に、エトナは申し訳なさそうに縮こまる。
「すみません……わたし、汚かったの忘れてました」
「責めてるわけじゃないの。私の部屋だってご覧のありさまだし」
空き缶などが散乱した混沌たるリビングを見て、苦笑。
「シャワーの使い方は分かる?」
「たぶん、大丈夫です……。この世界のシャワーがどういったものかは、『狭間跨ぎ』の知識適応能力のおかげでわかりますので。……世界が違うと、ぜんぜん仕組みも違うんですね」
「エトナの世界のシャワーはどんな感じだったの?」
「魔石でお湯を出していました。魔石に火や水の魔術文字を刻んで、魔力を込めるだけで火や水が出せるようにして……この世界と違って、日常に魔術が根付いてたんです」
「ファンタジーだなぁ。じゃあ、エトナも魔術って使えるの?」
「わたしは、その……」
なんとなくの興味で尋ねただけだったのだが、エトナは言葉を詰まらせた。
それから誤魔化すように笑って、
「わたしはあまり魔術は得意じゃなくて……『狭間跨ぎ』だって不完全な状態で使ってしまうくらいに未熟ですし、そのせいで今は魔力が尽きていて……。しっかり休めば魔力は戻るはずなので、その時にはなにか魔術をお見せできればと……」
「そっか。無理はしないでほしいけど、ちょっと楽しみにしとくね」
エトナの様子に若干の違和感を覚えはしたものの、気のせいだろう。
「そうだ。お風呂、お湯張ってあげようか? ちょっと待ってもらうことになるけど、肩まで浸かりたくない?」
「い、いえ、シャワーだけでも充分です……!」
「そう? 気持ちいいと思うんだけど」
「お、お気持ちだけいただきます。臭いと迷惑になってしまいますし……はやく綺麗にしたいので……」
エトナは、自身の汚れた着衣や手足に目をやり、羞恥と申し訳なさから身体を縮こまらせる。
早く綺麗にしたいという気持ちはよく分かるので、私はそれ以上湯船を勧めることはしなかった。
「ゆっくりお風呂は、また次の機会にしよっか。浴室は廊下の右手、洗面所の奥ね。タオルは入り口のラックに置いてあるから、自由に使ってちょうだい」
そう言って、浴室の場所を手で示す。
しかしエトナは、すぐに向かうことはせずにその場でもじもじしながら躊躇いがちに視線を寄越してきた。
「どうしたの?」
「あの……実は、着替えがなくて……すみません……どうすればいいでしょう……?」
「あー、そうか」
私は、彼女の格好を見て苦笑する。
汚れた布切れ1枚でかろうじて肌を隠しているエトナは、身体1つでこちらの世界に渡ってきたため私物の類など一切持っていない。
「ちなみに、下着とかって付けてるの?」
「……(ふるふる)」
エトナは頬を赤らめ、無言で首を振った。
ノーブラなのはなんとなく察していたが、まさかノーパンツだったとは。
「よし、じゃあとりあえず私のを貸すから、ひとまずそれで我慢してもらうってことで。シャワー浴びてる間に用意しとくから。」
「我慢だなんてそんな……あの、ありがとうございます」
「いいのいいの。ほら、シャワー浴びてきなさい」
「はい……!」
エトナはぺこっと一礼した後、とことこと洗面所兼脱衣所に向かっていく。
その背中を見送り、私は寝室に入る。
昨晩エトナが使った寝具を洗濯しなければならない。
律儀なことに、布団は綺麗に畳まれていた。
だが、汚れたエトナが一晩使っていたためどうしたって臭う。
布団やシーツを外してそれぞれ予備の物に交換し、汚れた布団は大きなビニール袋に放り込んだ。後でクリーニングに出しておこう。たまに会社の後輩が泊まりに来るため、それ用に準備してあった布団がこういった形で役に立つとは思わなかった。
シーツなどの、自宅の洗濯機で洗えるものを抱えて洗面所へ向かう。
洗濯機に放り込み、スイッチを入れた──その時。
「ひゃうっ!?」
突然、扉一枚隔てた浴室からエトナの悲鳴が聞こえた。
それから、転んだらしき派手な音。
「すごい音したけど、大丈夫?」
私はとっさに浴室の扉を開けた。
途端に、顔面に冷水がぶっかかってくる。
「……何してんの、エトナ」
「あの、ごめんなさい! お湯を出したはずなのに冷たいお水が出てきて、びっくりしちゃって……」
どうやら冷水に驚いた拍子に転んでシャワーを手放してしまったらしい。
そして、タイミング悪く扉を開けた私にシャワーが向いたわけだ。
エトナは浴室の床に尻餅をついて涙目になっていた。ちょうど私と向かい合う形だったため、微かに膨らんだ胸やしなやかな腿などが目に映る。……だがそれ以上に、素肌にこびりついた汚れや手足の生傷、そして胸元や脇腹などに痛々しく残された傷痕が目に留まった。
「エトナ、その怪我……」
思わずこぼれた言葉に、エトナは慌てて身体を抱いて傷を隠そうとする。
だが、すぐに細い両腕だけでは隠しきれないと気づいたらしく、曖昧な笑顔を作る。
「すみません、お見苦しくて。……ちょっと色々あって、でも今は平気ですから」
「平気って、でも」
「……忘れたいものばかりなので。……すみません」
「っ……」
弱々しい笑みを作るエトナに、私は声を詰まらせた。
そんな顔をされてしまっては、これ以上訊くことなんてできやしない。
「……無理はダメだからね。痛かったり苦しかったら、ちゃんと言うようにして」
「ありがとうございます。……すみません、気を遣わせてしまって」
「別に」
気を遣ったわけではない。
本心から心配なだけだ。
だが、エトナの事情にいきなり踏み込みすぎたのも確かだった。
会って間もない相手に何もかもを語るほど、人の過去は軽くはない。
ましてや、見るからに過酷な日々を生き抜いてきたであろう彼女の過去なら、なおさらだ。
──いつか彼女の痛みを少しでも和らげてあげられるようになれたらなと、漠然と思う。
切り替えよう。
私は気を取り直して給湯器のパネルに目を向けた。
どうやら運転ボタンが押されてない。お湯が出ないわけだ。
知識として給湯器パネルの存在をインプットされていないのか、それとも単にそこまで意識が向かなかっただけなのか。
どちらにせよ、私がびしょ濡れになったことに変わりはないわけで。
であれば、取る手段は1つだろう。
「うん、こうなったら一緒にシャワー浴びよっか」
私も昨日は風呂どころか化粧も落とさず寝てしまったわけで。
スキンシップで信頼関係を築く第一歩になるかもしれないし、一石二鳥だ。