灯鞠ハートブレイク 終の下
遅れてすまぬ……すまぬ……。忙しくてのう…。
「最初は、純粋な憧れだったの」
ゆっくりと、白咲は言葉をこぼす。
「あたしの狭い世界を抉じ開けてくれた人と一緒に仕事ができると思ったらワクワクして楽しくて、ずっと塔子のことばっかり目で追ってた」
「……知ってる」
よく覚えている。
やたらに綺麗で可愛い金髪の女の子が入社したかと思えば、やけに視線を感じたから。
入社したてで会社の人間模様でも観察しているのかなって思ってたけど、彼女は私ばっかり見ていて。
「でも、見れば見るほどあたしの中にあった塔子のイメージはどんどん崩れていった。きっと凄腕のトップライターなんだと思ってたのに、あんたはいつだってディレクション中心で働いてて、クレジットには個人名義じゃなくて会社の名前を載せるようにしてて……業界内で仲谷塔子を知ってる人なんて、ほとんどいなかった」
「出世欲とかなかったからね。今の会社、居心地いいし」
「……あんたが本気出せば、あたしより凄いシナリオだって書けるはずなのに」
「それは買い被りが過ぎるよ」
恨めしげな瞳を投げかけてくる白咲に、私は苦笑する。
「買い被ってなんかないわよ。ただ、あたしがそう思ってるだけ。……今までずっと『手本にしたり尊敬しているライターさんは誰ですか?』って聞かれたら、絶対にあんたの名前言ってるんだから」
「それはまた、なんというか……」
「……誰もあんたの名前にピンと来る人がいないから、毎度説明するのが大変なんだからね?」
「無名でごめんよ……」
半眼を向けられ、私は目を逸らした。
そっか……白咲、そこまで私のこと好きなのかぁ……。
「……とにかく、あたしはあんたにどんどん幻滅していったの。憧れた人がこんな奴だったのかって。失望したり、自分の見る目のなさに凹みもした。自分勝手な理想像を押し付けて何様のつもりだって感じだけど、それでもあたしはこんな仲谷塔子は認めないって苛立った。……苛立ったんだけど……でも……」
「でも?」
歯切れ悪く言葉を切った白咲に、私は聞き返す。
すると彼女は切なげに眉根を寄せ、複雑そうに切り出した。
「……でも、嫌いにだけはなれなかった」
そうして、困ったように笑う。
「確かに憧れた姿とは違ったけど、でも塔子は魅力的な人だった。サバサバしてて気配りができて優しくて……あたしみたいな面倒臭い拗らせ女にも嫌な顔せず付き合ってくれて可愛がってくれたし……」
言って、一息。
そうして、はにかんで。
「気づいたら好きになってたのよ。それを自覚したら、もう止まらなくなってた」
そこまで口にした白咲は、さすがに照れ臭くなったのか再び膝を抱えて体育座りになった。
白く綺麗なふとももと下着が露わになっていたけれど、気にする素振りも見せない。
「そっか……」
真剣に耳を傾けていた私は、息継ぎをするようにしてそれだけ呟いた。
まったく、いじらしいなぁ……。
ここまで素直に好きだなんて言われてしまうと、どうしたって意識してしまう。
「……もうぜんぶ言っちゃうって決めたから言うけど、あたし、あんたのこと考えて、その……自分でシテるんだからね……」
「えっ、ん? し、シテる?」
斜め上のカミングアウトに、私の声が上擦る。
私としては、シテるという言葉だけでその意味は充分に理解できたのだけれど、戸惑う私を見て白咲は『意味が伝わっていない』と感じたらしい。
彼女は膝頭に口元を埋めて、恥じらいながら解説してくれた。
「……自分で慰めてたの。……その……塔子のことを考えてオナニーしてたのよ……」
「えっと……それはその、ありがとう?」
真っ赤になった白咲に釣られるように、私まで恥ずかしくなってくる。
いや、待って待って。あなたで自慰してますって言われてうひゃー!?ってならない人とかいる?
間接的に私への羞恥プレイなのでは?
「それだけじゃないわ……」
「ま、まだ何か?」
「……塔子とえっちなことする妄想を書き散らして保存してるの」
「それは私のこと好き過ぎるのでは?」
「……自分でもどうかと思わなくないけど、書きながら慰めるの……すごくキモチイイのよ……」
「そっかぁ……」
私は知らないうちに成長した孫娘を眺めるおばあちゃんみたいな表情になって、しみじみ相槌を打った。
「……ひ、引いた?」
さすがにカミングアウトし過ぎたと自覚したのか、白咲は不安げに伺ってくる。
「引きはしないよ。『ああ、本当に私のこと好きでいてくれてるんだなぁ』って嬉しいくらい」
「ほ、ほんと……?」
「嘘なんてつかないよ。好きな人のことを考えながらシちゃうのはおかしくないてないんだもの」
「そ、そうよね……! オナニーくらい、誰でもするわよねっ! ……えへへ、よかった」
白咲はふとももを擦り合わせてもじもじしながら、頬を朱に染めた。
なんだその可愛いをぎゅっと詰め込んだみたいなリアクションは。……ちょっと見惚れてしまうじゃないか。
「……とにかく、それくらい好きなのよ。今だって、すごくドキドキしてるんだから」
膝頭に顎を乗せて、白咲は熱っぽく言う。
カミングアウトの後のせいか、その『好き』という言葉は存外心に沁みた。
このまま白咲のことをきつく抱きしめてやりたいくらいに、愛おしく思えてしまう。
でも──、
どうしたって、エトナことが思い浮かんでくる。
私の帰りを待ってくれていて、明日なんて初めて一緒にお出掛けすることになっている異界からの来訪者。
もし私が白咲の告白に応じたら、どうなるだろう。
エトナはきっと、びっくりしたり祝福したり応援したりしてくれるだろう。あの子は、そういう子だ。そうして私に気を遣って距離を置いて我慢して……それで、出会った直後のような無理な笑顔ばかりを見せるようになるんだろうなぁ……。
それは、心底イヤだ。
「……あたしの話はこれで終わりよ」
考え込んでいた私を見て何を感じ取ったのか。
白咲はぽつりと言ってベッドを降り、立ち上がって笑う。
「やっと好きって言えたわ。付き合ってくれてありがとう、塔子」
「うん……私も、ありがとう」
「別にあんたがお礼言うようなことでもないじゃない。ヘンなの。──さてと、仕事しないとマズいわよね。社長にも連絡入れないと」
言いながら、白咲はパソコンに向かおうとする。
その横顔。
無理やりに笑顔を貼り付けたような、顔。
それが見えた瞬間、私は立ち上がり、白咲の手を掴んだ。
「っ……! な、なによ。びっくりするでしょ……?」
振り向いた白咲が、困惑気味に言う。
「ごめん。でも、ちゃんと言っておかないといけない気がしてさ」
私は決して逃すまいと白咲の手を握る力を強めつつ、
「告白ありがとう。でも、私はあなたとは付き合えない」
そう告げた。
瞬間、白咲が息を呑む。
「っ……! 返事はいらないって言ったはずよね?」
「そうだね。でも、私はそれを了承はしてないよ。白咲が勇気を出して告白してくれたんだから、私にはそれに応える義務がある。有耶無耶にしたまま、あなたを苦しめたくないもの」
「……今この瞬間が間違いなく一番苦しいんだけど」
白咲が険しい表情で睨みつけてくる。
「苦しみ続けるよりは、ずっといいはずだよ」
「……分かったふうに言わないで。あたしは、ただあなたに好きって言えたらそれで満足だったんだから」
「嘘。そのくらい分かるよ。何年も一緒に仕事してたんだから」
そう言うと、白咲は俯いた。
「……付き合えないのはあたしに魅力がないから? それとも、女同士なんてありえないから?」
「どっちも違う。あなたは可愛くて素敵な子だし、私は女同士ってことに抵抗はこれっぽっちもないよ」
「じゃあ、他に好きな人がいるの?」
「……恋人同士になりたいと思ってるような人はいないかな。ただ、放っておけない子はいる」
「一緒に住んでる女の子のこと?」
「うん。エトナっていう名前なんだ」
「……そう、よね。だってあんた、そのエトナちゃんの話をする時、すごく楽しそうだったもの。だから返事はいらないって言ったのよ……! 初めから告白したって叶いっこないって分かってたから……! こっちは笑って誤魔化して終わりにしようと思ったのに……!! こんな、傷口に塩を塗るような……っ!」
溺れながらも懸命に息継ぎをするかのように白咲は言葉を吐き出し、それからきゅっと唇を引き結んだ。
これ以上口を開いていれば感情のままに吐き出してしまいそうだったのだろう。
代わりに彼女は私のことを睨み上げてくる。
その目尻には涙が浮かび、今にもこぼれ落ちそうだった。
「最後まで聞いて、白咲。私はエトナのことを放っておけない。──でも、それと同じくらいあなたのことも放っておけないの。何もないままでなんて、終われないよ」
「──ッ!! そんな、口から出まかせッ!! あたしのことなんて、どうでも──」
涙をこぼして叫び、白咲は私の手を振り解こうとする。
しかし私はそれを決して許さず、それどころか彼女の腕を引っ張って抱き寄せた。
「信じられないかもしれないけど、私はあなたのことをずっと見てた」
絶対離すものかときつくきつく白咲の身体を抱きしめながら、私は言葉を並べる。
白咲が関わってきた仕事などを確認していたこと。
シナリオライティングやユーザーからの評判、白咲がインタビューを受けた記事の確認、共通のクライアントからの白咲の印象など──それはテノルテに長くいる社員としての仕事という側面もあったが、それ以上に個人的に白咲のことを気に掛けていたからこそやっていることだった。
「嘘……そんな戯言、信じないんだから……っ!」
私の胸の中で白咲は抗議の声を上げる。
だが、彼女が仕事で関わったシナリオタイトルを古い順に列挙して簡単な感想などを添えていくと、7つ目あたりで「分かった、分かったわよ……! 信じる、信じるから……!」と言ってくれた。
そうして涙で濡れた瞳で私のことを見上げ、捨てられることに怯える子犬のような細く弱々しい声で訊いてくる。
「あたしのこと、ずっと見ててくれたの?」
「見てたよ、ずっと。それは見ちゃうに決まってるよ。何かと絡んでくるし、シナリオの腕は良かったし。社長から私の同人ゲームをプレイした子だって聞いてたし……まさか告白されるとは思ってなかったけどね」
そっと白咲の後ろ髪を撫でながら言う。
「告白を受けるとか断るじゃなくて、私はこれをきっかけに白咲ともっと素直な関係を築けたらいいなって思うんだ」
「素直な……関係?」
「恋人同士にはなれないけど、もっと白咲と仲良くなりたいのは本音だから」
我ながら勝手な物言いだとは思う。
でも、エトナとも白咲とも此葉とも仲良くやっていきたいというのは偽らざる本音だ。恋人という言葉に縛られず、もっと曖昧だけれど心地よい関係を積み上げていきたい。
「……なら、めいいっぱい甘えるわよ?」
「え?」
「今までずっと我慢してたもの……友人として、いっぱいいっぱい、素直になるわよ?」
そう呟くと、白咲はぐっと体重を預けてきた。
押し倒される形になった私は、彼女を抱いたままベッドに背中から倒れ込む。
「このままぎゅってして」
胸に顔を埋めたまま、白咲が言う。
「えーっと、切り替え早すぎない?」
「……だって、付き合えないのにウジウジしてたって恰好悪いじゃない」
「だから友人の範疇で可能な限り甘えるってわけ?」
「そういうことよ。……ほら、早く」
多少の恥じらいを含んだ声で催促される。
私はやれやれと嘆息しつつ、左腕を彼女の腰に回し、右手で頭を撫でてやる。
「こんな感じでいかが?」
「ん……文句ないわ」
お気に入りのポジションを見つけた猫のように大人しくなる白咲。
寂しがりの甘えたがりめと思いつつ、私は頭だけでなく背中までゆっくりと撫でる。
「はぁ……もう死んでもいいかも」
うっとしとした声音で白咲が呟く。
「さすがに大袈裟すぎない?」
「大袈裟なんかじゃないわよ。……好きな人にハグされてるのよ? ……しかも、初恋の……」
「……初恋なんだ」
「……ええ。もう何年も片想いしてたんだから」
「それは、うん。ありがとう」
しおらしく言う白咲があんまり可愛いものだから、私は両腕でぎゅぅぅっと抱きしめてやった。恋人にはなれないけれど、友人として、親愛を込めて精一杯に。
「塔子……それは、ダメ……」
「ごめん、可愛くってつい。痛かった?」
どこか苦しげな白咲の声に、慌てて腕を緩める。
「っ……そうじゃなくて……! えっと……あんまり優しくされ過ぎると嬉しくて……その……濡れちゃう……」
「……濡れるって、それはつまり、そういうこと?」
「ごめん……さすがに口にするべきじゃなかったわ。こんなの、ただのいやらしい子じゃない……」
「今更遅いでしょ。まあ、私はそういうの別に気にしないから、素直になっておきなさいな」
気軽に言って笑い、白咲の頬にそっと触れてやる。
「っ~~~~! そういうことされると、ほんとっ、我慢できなくなるからダメッ……!」
「これもダメなの!?」
熱っぽく潤んだ瞳で必死に抗議してくる白咲に、私は素で驚いてしまう。
エトナにはいつもやってることなんだけどなぁ……。
なんて思っていると、白咲が真っ赤な顔のままおねだりするように甘い声を出す。
「ねえ、塔子。もう1つお願いしていい?」
「なに……?」
「これからは名前で呼んでほしいの。……ずっと白咲って苗字呼ばれるの、なんだか寂しいし」
ああ、そういえばそうだった。
それならお安い御用である。
「いいよ。これからは灯鞠って呼ぶね。──灯鞠」
親しみを込めて名前を呼ぶと白咲──じゃなくて灯鞠はピクっと震えた後、私の胸に鼻頭を押し付けながら熱い息を吐き出した。
「やばっ……塔子に名前呼んでもらえるのすごい……どうしよう、キュンってきちゃったんだけど……濡れるの止まらない……」
「……それは我慢してね?」
「……分かってる。あとで、思い出しながら1人でする……」
声を震わせながらそう言って、白咲は何度か太ももをすり合わせた後、深呼吸を繰り返した。
そうしてようやく落ち着いたのか「ありがと……もう、大丈夫だから」と言って私から身体を離し、今度こそ無理のない純度100%の笑顔を見せてくれた。
「よかった。本当に心配したんだから。次からは何かあったらすぐに言ってね」
「うん、そうするわ……今まで我慢してたぶん、いっぱい甘えてやるから覚悟しなさいよね」
「ほ、ほどほどにね……?」
若干の苦笑いを残しつつ、二人してベッドから降りる。
「灯鞠、とりあえず社長に電話してね」
「そうね。……ちゃんと謝って、もし許して貰えるなら、仕事頑張らないと」
「大丈夫だよ。社長は灯鞠のこと、待っててくれてるはずだから」
少しだけ不安げな灯鞠を励ますと、彼女は頷いてスマホを手にする。
私はそれを見届けつつ、ぐっと伸びをした。
「ねえ、塔子」
「ん、まだ何かあるの?」
「……もし心変わりしたら、いつでも言ってよね。あたし、あんた以外を好きになるつもりなんてこれっぴぽっちもないんだから」
「ありがと」
はぐらかすような返事に、しかし灯鞠は何も言わず、スマホを操作して社長を呼び出し始める。
──この後社長が「資金が貯まったらから自社製作のオリジナルゲームをやろう!」と言い出して、私と灯鞠がメインライターに据えられるのだけれど……それはまた、いつかのお話だ。




