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灯鞠ハートブレイク 6

「……あたし、ご飯作ってほしいだなんて頼んでないんだけど」


 折り畳み式の小さな丸テーブルの前に胡坐を組んで座った白咲は、不機嫌そうに言った。

 テーブルの上には、ポカリのペットボトルと雑炊が入った器。

 洗顔を済ませ、ラフなパーカー姿に着替えた彼女は、野暮ったい眼鏡のレンズ越しに尖った視線を向けてくる。


「なら律儀にテーブルの前に座らなくてもいいんじゃないの?」


 白咲の対面で同じく胡坐を組んでいる私が若干茶化しつつ言うと、白咲はカッと頬を赤らめた。


「そ、それは……流れというか……!」

「食欲が湧かないなら無理にとは言わないけど、できれば食べてほしいな。……これでも白咲のこと考えて作ったんだし」

「う、うぐっ……!」


 わざと気遣わしげに言うと、白咲は言葉を詰まらせた。

 もう一押しといったところか。


「それとも雑炊は嫌いだった? 一応お鍋もあるけど……何か食べたいものがあるなら買ってくるから遠慮なく言ってね。なんなら出前でも取る? 好きな物なんでも頼んでいいんだからね? 今のあなたはめいいっぱい甘えてもいい立場なんだから」

「……っ! あ、あんまり子ども扱いするようだと怒るわよ!? 食べる、食べればいいんでしょ! 有り難くいただきます!!」


 白咲はプードルの赤ちゃんみたいにきゃんきゃん吠えながら、スプーンを引っ掴んだ。

 そこから一気に雑炊にスプーンを突き込む──かと思いきや、


「……いただきます」


 と、一度姿勢を正して両手を合わせて小声で言い、それから改めて雑炊を掬い始める。


 律儀だ。

 うっかり可愛いと思えてしまうくらいには、律儀だった。

 白咲の育ちの良さを実感する私をよそに、彼女は無言で雑炊を口に運んでいく。

 静かに咀嚼し、嚥下。

 そうしてまた無言で掬い、同じ流れで食べていく。  


 黙々と食べる白咲を眺めすぎるのも迷惑だと思い、私は適当に部屋を見回したりスマホを触って数分の空白を埋める。 


 やがて雑炊を半分ほど食べえた白咲は、静かにスプーンを置いた。

 ポカリのペットボトルの蓋を開け、こくこくと控えめに喉を鳴らして3分の1ほど飲んだところで「っはぁ……」と一息つき、胡坐から正座に座り直す。


 それから私とは目を合わせずに視線を斜め下へ向けて、もにょもにょと唇を動かす。


「…………と」

「と?」

「……ありがとうって言ったの。ご飯美味しいわ」

「そっか。よかった」


 依然として視線は床を向いたままだったが、彼女の頬はほんのり赤らんでいた。

 胡坐から正座に組み直してお礼を言ってくれたのは、白咲なりの誠意なのだろう。そういった些細な真面目さが愛おしくて、微笑ましい。


 しかし、まだ話したいことがあったらしい。

 白咲は伺うような上目遣いになり、


「……その、1つ訊いてもいいかしら」

「ん、なになに?」

「……今のあたしを見て、何か言いたいこととかないの?」


 不安げに、あるいは怯えるように言う白咲。

 至極真面目な話なのだと察した私は、ふっと軽く息を吐いてから返事をする。


「言いたいことは、それはあるよ。むしろ無いはずがないでしょ」

「……そう、よね」


 私の言葉を聞き、白咲は怯えの色を濃くする。

 だが今さら話を途切れさせる必要もないだろうから、私は続けた。


「無断欠勤の理由とか、最近仕事が上手くいってなかった理由とか、食生活のこととか衛生面とか──聞きたいことは山ほどある。でも、今はあなたが元気になることが何より大事だから、気にしなくていいよ。ほら食べな。面倒なことは後回しでいいからさ」

「あ、うん……そう、ね。うん。それについてはちゃんと説明しないと社会人として情けないっていうか、あんたにだけは言っておかないとって思ってるんだけど、その……」

「あれ? なんか違った?」


 まるで的外れなことを言われましたという風な白咲に、私は首を傾げる。

 今の白咲に言いたいことなんて、そのあたりしかないんだけれど……。

 すると白咲は躊躇う素振りを見せた後、恥ずかしそうにぽしょぽしょと言い出した。

 

「その……あたしって今、会社にいるのとは全然見た目が違うっていうか……地味でダサいし……だからその、ヘンでしょ……?」

「あ、そっちか」


 今のあたし、というのがまんま眼前にいる彼女についてという意味だったらしい。

 確かに普段の完全武装した白咲のイメージからすれば、今の姿はギャップが激しい……が。

 

「変とか地味だなんて思わないよ。単に『あぁ、オフの白咲ってこんな感じなのかぁ』って納得してる。セットとかメイクに気合入れてるのは分かってたし。ていうか白咲って、すっぴんでも充分可愛いでしょ」

「ほ、ほんと……?」

「わざわざ嘘なんてつかないってば。野暮ったい眼鏡も似合ってるしいいんじゃない」

「そ、そうなの……?」


 指で眼鏡のツルに触れ、曖昧に照れる白咲。

 きっと、喜ぶべきかどうか計りかねているのだろう。気持ちは分かる。普段見せたくないと思っていた姿や一面を褒められると私だって戸惑うし。

 

 しかし、これだけは言っておくべきだろう。


「どんな恰好してたって結局あなたが同僚で可愛い後輩ってことに変わりないんだから、少なくとも私の前では気にする必要ないよ。楽にしなさいな」

「……うん」


 私の本心が届いたのか、白咲は力の抜けた自然な微笑を浮かべてくれた。

 

「……なんだか、色々考え込んでたあたしがバカみたいね」

「少しは楽になった?」

「ええ、だいぶ」

 

 どこか清々しさすら滲ませつつ、白咲は続ける。


「ところで、まだまだご飯食べたいんだけど鍋も貰っていいかしら?」

「いいよいいよ。持ってきてあげる。温め直すから、雑炊食べながら待ってて」

「ん、ありがと」


 どうやら白咲は調子が戻ってきたらしい。

 声に力強いものを感じつつ、私は立ち上がって台所に向かった。


 ◆◆◆


「ん、ありがと」


 あたしがそう言うと、塔子は背を向けて台所に歩いて行った。

 それを見届けた後、あたしは気づかれないように小さく息を吐き出す。


 さっきから、心臓がきゅっとなり続けていてどうにかなりそうだった。


 ワンルームの狭い部屋であり台所までそう距離がないため、大袈裟に突っ伏したりベッドに埋もれて身悶えできないのが辛い。自分が仲谷塔子という女性に憧れ、溢れんばかりの好意を持て余していることをどうにか抑えこまなければいけないのが、もどかしい。


 ──嫌われていてもおかしくない。

 

 そう、思っていのだ。

 普段からなにかと噛み付いたり、ウザやかましく絡んだりしている自覚はあった。

 入社して同僚になってからというもの、これでも近づき過ぎないように努力はしていたのだ。もし距離を縮め過ぎれば、きっとあたしは塔子に依存してダメになってしまったはずで。

 だから、面倒臭くて口煩い同僚──くらいの立ち位置にいるつもりだった。


 なのにあいつは、あたしを可愛い後輩だと言った。

 すっぴんの、地味でダサい白咲灯鞠をなんでもないように受け入れてくれた。

 なにより、グズグズになって現在進行形で醜態を晒しているあたしの元に一番に駆けつけてくれて、叱ることも問い質すこともなく、ただ温かいご飯を作って話を聞いてくれている。


 ……こんなの、もう、白旗を揚げるしかない。


 本当は、もっと喚き散らすはずだったのだ。

 情けなくみっともなく、今書けないのはぜんぶぜんぶあんたのせいだと責任転嫁して、抱えている仕事ぜんぶ丸投げしてやろうとすら考えていた。我ながら酷いヤツだと思うが、胸に渦巻く黒く暗い感情は、そうでもしないと消えないと思っていたのである。


 でも今はもう、バカな考えや苦しさなんてものはぜんぶぜんぶ綺麗さっぱり消えている。

 代わりに芽生えたのは、知ってもらいたいという欲だ。


 あたしのことを──仲谷塔子を追いかけて来たからこそ、今のあたしがいることを伝えたい。

 白咲灯鞠を、ぜんぶ見てほしい。


「……大丈夫、ちゃんと言える」


 小さく呟き、雑炊を一口食べる。

 出汁の利いた優しい味わいは、弱った身体を労わるように温めてくれる。塔子があたしのためだけに作ってくれたのだと思うと、今まで食べてきたどんな料理よりも美味しく思えた。


「……ずっと弱ったままだったら、塔子もずっと傍にいてくれるのかな」


 あまりに身勝手な願望が思わず口をつき、ハッとする。

 それと同じくして、塔子が台所から戻ってきた。

 その手には、鍋をいっぱいに盛った器。


「……食べ終わったら、ちゃんと話すから」

「うん、分かった。でも無理はしないでね」


 微笑んでくれる塔子を見て、また胸がきゅぅっとなった。

 それを紛らわせるようにあたしは箸を持ち、塔子が置いてくれた器からゴロっとした鶏肉を掴み上げた。


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