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じゃあ、とりあえず一緒に住もうか

「お待たせ」


 ソファの前に小さい丸テーブルを置き、料理を並べる。

 冷凍ご飯で作った豚肉炒飯、昨日コンビニで買った蒸し鶏とレタスのサラダ、味噌を溶いて乾燥具材を投じただけの味噌汁。あと、お水。

 10分弱で完成した献立を前に、エトナはきょとんとしていた。


「どうかした?」


 食べられないものでもあったのだろうか。

 難なく会話が成立していたせいであまり意識していなかったが、彼女は日本人ではない──どころか、彼女の話が正しければ異世界人だ。

 食文化が根本的に違う可能性すらある。

 

 それとも単純に期待を大幅に裏切る質素なメニューだったのだろうか。

 あまり褒められた食生活を送っていない私なんかの雑メシではなく、ふわっふわのパンケーキや卵たっぷりのフレンチトーストをご所望だったとか……?

 などと心配になる私をよそに、エトナはおずおずと尋ねてきた。 


「……あの、これぜんぶ食べていいんですか?」

「そうだけど、もしかして多かった?」

「いえ、そうではなくて……こういう、ちゃんとしたご飯久しぶりなので、その……びっくり……そう、びっくりしてしまって……いい匂い……それに、湯気が立ってるご飯なんていつ以来でしょう……」


 テーブルに顔を近づけたエトナは、ふにゃっと笑う。


「……今まで何食べてたの?」

「カビた固い黒パンとか、たまにクズ野菜のスープ……とか。あとは、あんまり思い出したくないようなものばかりで……ちょっと色々あって貧乏だったので、その……あはは」

 

 今度は誤魔化すように笑った。

 笑い事でもないだろうに。

 彼女の細すぎる手足が、満足な栄養を摂っていなかったことを饒舌に物語っていた。

 だが、ここでこれ以上何か言うのは野暮だろう。

 言葉よりも、エトナには食事が必要だ。

 私は座布団に座りながら促す。

 

「早く食べなよ。温かいほうが美味しいから」

「は、はい。えっと──魔を統べし尊き御方よ、此の糧への導きを感謝致します」


 エトナは何かの映画で見た修道女のように目を閉じ、両手を組んで祈りを捧げた。

 それからスプーンを右手で掴み、炒飯をすくって口に入れる。

 どこかぎこちなく咀嚼し、こくんと飲み込んだ。


 それからエトナは、


「ほぁ……」


 と、吐息をこぼし頬を緩めた。

 かと思うと炒飯の皿を左手で持ち上げ、見た目にそぐわぬ豪快さで一気にかきこみ始める。


「おお……!」


 食べっぷりのよさに、思わずビビる。

 エトナは炒飯を一気に平らげ、フォークを持ち替えてサラダを黙々ともしゃもしゃ食む。味噌汁はお椀を両手で抱えて気持ちいいくらいに飲み干し、最後に喉を鳴らして水の入ったコップを空にして。


 嵐が過ぎ去ったかのようなテーブル上を見て、私はぽかんとする。

 だが、その驚きを上塗りするようにエトナは急に泣きじゃくりはじめた。


「え、ええ? どうしたの? ちょっと、急に食べてお腹痛くなったの?」


 それとも美味しくなかったとか? 

 

「あの、ごめんなさい……! ちがうんです、そうじゃなくて……!」


 エトナは銀髪を振り乱して否定する。

 それから両手の指で一生懸命涙を拭いつつ。


「ごめんなさい、びっくりさせてしまって……こんなおいしいご飯、本当にひさしぶりで……あたたかいご飯がこんなに幸せだなんて思わなくて……あきらめずに生きててよかったなって思ったら、我慢できなくなって……ぐすっ、ごめんなさい……ちょっとだけ、待ってください……」


 そう絞り出し、流れ出る涙を細い指で何度も拭う。 


「……なにそれ」


 私はエトナを見つめ、ぽつりとこぼした。

 喉の奥がきゅっと狭まり、息苦しくなる。

 胸が詰まるとは、こういう感覚なのかと初めて自覚した。


 身なりや言動から、ログな暮らしをしてこなかったのだろうとは察していた。

 だが食事1つで、それも私が即席で作ったお世辞にも立派とは言えないご飯でここまでのリアクションをされるのは、さすがに予想の範疇を超えている。

 

 きっと、よほど疲れていたのだろう。

 だから昨晩、ちょっと目を離した隙に床の上なんかで眠ってしまえたのだ。


 きっと、よほど腹を空かせていたのだろう。

 だから、アラサー女の雑メシごときでここまで泣いたりするのだ。


「……」


 ふと、思考が回る。


 疲れ果てて空腹で。

 なのに彼女は昨晩、それを一言も訴えたりはしなかった。

 あくまで私に事情を説明し、言葉を尽くすことだけに終始しようとしていた。

 今日だって私が起きるまでこの家にある食糧には一切手を付けた様子がなかった。


 律儀と言ってしまえば、それまでかもしれない。

 だが、そんな簡単な言葉で済ませていいことでもない気がした。


「……ねえ。どうして私が起きるまでお行儀よく待ってたの? そんなにお腹が空いてたなら、勝手に冷蔵庫なり棚でも漁って何か食べればよかったじゃない」


 疑問を、そのままぶつける。

 エトナはどうにか涙を止め、潤んだ瞳のまま答えた。


「そんなことできません……そんなことしたら、怒られて追い出されてしまいます……。トーコさんに嫌われたら、ここに住ませてほしいっていうお話も聞いてもらえなくなりますので……」

「その住みたいっていうのが分からないんだけど。異世界から来たあなたには他にいくらでも行き場があるんじゃないの? こんな狭い部屋じゃなくて」

「……行き場なんてありません」


 力なく笑って、エトナは立ち上がった。

 どうしたのかと思えば、窓を開けてベランダへ出て行く。


「何してるの?」

「見ていてください」


 短く言ってエトナは、ベランダの手すりの向こう側に右腕を伸ばした。

 

 ──途端、手すりを越えた右腕が青い炎に包まれた。


「いぎっ」


 エトナが苦鳴を上げ、右腕をベランダ内に引っ込める。

 同時に、青い炎は幻だったかのように消えた。

 だが、焼け焦げた右腕はそのまま。

 肉が焼ける独特の匂いが、私にまで届く。

 吐き気がした。心臓が早鐘を打つ。


 ベランダで蹲ったエトナは、脂汗を浮かべて言う。


「『狭間跨ぎ(ウォルストラ)』という言葉は……覚えていますか?」

「……あなたがこの世界に来るために使った魔術だっけ」

「そうです。あれには莫大な魔力が必要で……でも、わたしにはそんな魔力ありませんでした。それでも無理やりに不完全な『狭間跨ぎ』を発動させたので……。その代償として、今のわたしはトーコさんが住んでいるこの部屋以外では、生きられないようになってしまっているんです」

「……あの炎はなんなの?」

 

 エトナの焼け焦げた右腕から目が離せないまま、震える声で尋ねる。


「わたしが持っていた文献には、『鉄槌の焔(マレスフィア)』と載っていました。……本来存在してはならない異物を跡形もなく排除する、浄化の炎だそうです。どの世界にも存在する、わたしのような異世界からの来訪者を消し去る世界維持機能だとか……。『狭間跨ぎ』を正しく発動させれば、世界維持機能を欺いてどこにでも行けたんですけど……」

「でも、あなたの魔術が不完全だったから、私の家から出ると燃やされるようになった……?」

「そうです……」

「だから、ここに住みたいってわけか」


 エトナが弱々しい微笑みとともに頷いた。

 ようやく合点がいく。彼女がこの家に固執するワケが、これ以上ないくらいに理解できた。あんな炎に焼かれる以上、出られるはずがない。


 ──そこで、ふと気づく。

 ベランダで蹲ったままのエトナの右腕が、いつの間にか元に戻っていた。

 いや、正確には戻り始めていたというべきか。

 まるで巻き戻し映像のように、焼け焦げていたはずの腕が透き通った肌へと復元されていく。


「エトナ、その腕……」


 唖然とする私に対し、エトナは曖昧に笑う。


「わたし、こう見えて不死なんです」

「……不死? 不死って、死なないってこと……?」

「……そうですね」


 私の言葉に、エトナは笑みに悲哀を滲ませながら言った。


「死ねなくて、魔女で……それで、元の世界で色々な面倒ごとになってしまって……だから、逃げてきたんです」


 エトナがベランダからリビングへ戻ってくる。

 そうして私の目の前に膝をつき、縋るように見上げてくる。


「もう、どこにも行き場がないんです」


 そう言って、額をフローリングにくっつけて。


「だから、どうか……わたしをここに置いてください」

 

 くすんだ銀色の長い髪が垂れて広がる。

 エトナは、頭を下げたまま震えていた。

 そのつむじを見つめ、私は。


「そっかー。……じゃあ、一緒に住もうか」


 至極あっさりと、そう言った。


「……あ、え、本当ですか?」


 エトナが拍子抜けを通り越えて、信じられないといった表情をして顔を上げた。


「だってさ、もし私があなたのことを追い出したらあの炎でたいへんなことになるよね」

「……全身火だるまになりながら、終わることない地獄を味わいます。……不死なので」

「それマズいよね。後味最悪だし、トラウマになりそう」


 私は立ち上がって伸びるする。

 それから柔和に微笑んで見せて、


「それにさ、まぁいいかなって気分なんだよね。一緒に住んでみてからあれこれ考えてみたって遅くないっていうか。ちょうど1人暮らし寂しいなって思ってたし、家事とかしてくれると助かるし。なにより、あなた可愛いし」

「……っ!?」

「可愛いっていうのは、結構大事なのよ?」


 くすくす笑い、頬を赤らめたエトナの前に屈んで右手を差し出す。


「そういうわけで、よろしくねエトナ」


 エトナは私の顔と手を交互に見た後、綺麗に復元した右手を伸ばしてきた。

 彼女の小さな手はほんの少しやわっこくて、温かかくて。


「……本当に、いいんですか?」

「あなたの事情とかまだよく分からないけど、ひとまずってことで。1人暮らしの寂しいおばさんの家にようこそ。なんてね」

「そんな、トーコさんすごく綺麗なお姉さんです……!! 優しいし、ご飯も美味しかったですし……だから、あの、その…………うあっ……」


 言葉の途中で、エトナがまたぽろぽろと泣き始めた。

 繋いだ手の上に、彼女の涙が落ちてくる。


「ごめんなさい……あの、ありがとうございます……! 本当に、ありがとうございます……!!」


 エトナは、涙まじりの笑顔でそう言った。


 くたばれ現実と呪い、出会いがほしいと望んだら異世界から小さな魔女が転がり込んできた。

 なら、まあ、それでいいかなって感じだ。


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