灯鞠ハートブレイク 3
白咲の住むマンションまでは、タクシーで20分ほどの距離だった。
マンションの1階エントランスに入った私は、電子ロックされたガラス製のスライドドアの横に設置されているインターホンで白咲の部屋番号305を押し、呼び出す。
「……出ないか」
3回ほど呼び出したものの、応答はなし。
とはいえ、ここですごすごと帰るわけにはいかない。私の手には社長から預かった鍵があるわけで、留守にせよ居留守にせよ白咲の足取りを掴むのが役目だ。
私は鍵の柄の部分をインターホンの隣に設えられたパネルに押し当てた。電子ロックが解除され、スライドドアが開く。エトナと一緒に住んでいる私のマンションより数段ハイテクだな、と思いつつエレベーターへ乗り込む。
3階へ向かう間、私は少しばかり思案する。
任せろだなんて言って白咲を探しに出たはいいものの、彼女がどうしてスランプに陥り音信不通になったのか分かっていない──だから、もし白咲と会ったとして、何を言い、何をすべきかハッキリしないのだ。
「もしも家族の問題とか……踏み込めない事情だったら、困るな」
それならそれで、会社全体として力になれる方法があるかもしれないが──いや、そもそも白咲の家族ってどういう人なんだろう。兄弟とかいるのかな。それなりの月日を一緒に働いてきたけど、そういえば彼女の人となりなんて私は表面的にしか知らないな……。
「普段から距離が近いから気づかなかったけど、見ていたつもりで全然見てなかったのかな……」
あるいは、見ていたはずなのに見逃していたか。
自省していた社長同様、自分にも省みる点はあるのだろうと感じつつ、エレベーターを降りる。白咲の部屋の前に立ち、ドアをノック。
……反応はない。
そっとドアに耳を当ててみるが、特に生活音なども聞こえてこない。
……やはり、踏み込むしかないらしい。
そう思いポケットから鍵を取り出した矢先、白咲の部屋から何かが倒れるような物音が聞こえてきた。家具か、あるいは人が倒れたような……、
「えっ、白咲いるの? ねえ、白咲?」
私は咄嗟にドアをノックしつつ、呼びかける。
だが、反応は返ってこない。物音自体が気のせいだったのか……いやでも、さっきの音が幻聴の類とは思えない。
「不法侵入って怒りたきゃ、後でたっぷり怒られてあげるからね白咲」
言って、私は鍵を使ってドアを開け、踏み込んだ。
「うわっ……」
カーテンを締め切り、明かり一つつけていない室内は昼間だというのに薄暗かった。
おまけに、微かに異臭が鼻をつく。臭いの元凶は玄関から少し先にある台所だ。シンクの中にはどうみても1週間分以上の洗い物が溜まり、ゴミも積み上がっている。
「……ここって、本当に白咲の部屋だよね?」
社長に渡された鍵で開いた以上、ここが彼女の部屋で間違いないはずなのだが……しかし、普段の華やかな白咲の装いからは思いもよらない劣悪な台所環境に戸惑ってしまう。
だが、引き返すわけにもいかないため奥へ進む。
すると、コンビニの袋や弁当の空き箱などが散乱した、足の踏み場もほとんどないようなリビングで倒れている人影が目に入った。
「……っ!」
思わず息を呑み、慌てて駆け寄る。
抱き起こして見ると、それは間違いなく白咲だった。化粧をまったくしていないスッピンでメガネを掛けているし、服装なんてラフなジャージだったが……しかし、顔の輪郭や体型から彼女が白咲灯鞠であることが察せられた。部屋に無造作に転がっている衣類にもどこか見覚えがある。
「ちょっと白咲、大丈夫……じゃなさそうだけど、大丈夫!?」
呼び掛けて軽く揺すってみる。
だが、白咲は目を開けない。
私は一度白咲を床に横たえて、カーテンを開けた。日が差し込んで明るくなった室内で改めて白咲を抱き起こし、よく観察する。
クマは酷いものの、顔色自体はそこまで悪くないように思う。
彼女の首に手をあてて脈を測ってみるが、正常と言っていいだろう。胸も規則的に動いているし、すぅ……すぅ……呼吸も……。
「……これ、単に眠ってるだけ?」
机の上には開きっぱなしのノートPCと1本1000円以上する栄養ドリンクの空き瓶が数本……徹夜を続けて力尽きたといったところだろうか。
「んっ……まだ、寝かせて……まだ……」
「えっ、白咲起きて……ない?」
急に白咲の声が聞こえて慌てるが、彼女は依然としてすぅすぅと眠ったままだった。
どうやら寝言だったらしい……が、心なし私の腕にしがみつくような格好になっているような気がする。
「とりえあず、ベッドに寝かしとこうか」
私は白咲を抱いたまま立ち上がり、ベッドに寝かす。途中で私の腕から離れるのを嫌がるようにしがみついてきたようにも思えたが、気にしない。
「話は起きてからにするとして、それまでどうしてようかな」
眠りやすいように再びカーテンを閉めた後、社長にLINEで白咲を発見した旨と、寝不足のようなので寝かして様子見するということを伝える。すぐに了解の返事が来て、「後は頼んだ。何かあれば、すぐに言ってくれたまえ」と締め括られた。
その社長からの返信を確認したのと同時に、くぅ~~~~きゅるるぅ……と異音がした。
訝りながら耳を澄ませると、再びくぅぅ……という音。
どうやら白咲のお腹が鳴っている音らしい。
「この子、ちゃんと食べてたのかな……?」
悪いとは思いつつも台所に向かい、白咲家の冷蔵庫を開けてみる。
「これは……」
ミネラルウォーターと栄養ドリンク数本、あとはマヨネーズなどの調味料……それ以外はなにもない、悲しいほどに殺風景な冷蔵庫内に私は顔を顰める。
冷凍庫にも、使いかけのミックスベジタブルの袋が入っているだけ。
「ご飯も作っておいてあげないとだな、これ」
やれやれと小さくため息をつきながら、私は台所の調理器具を確認する。
どうせ白咲もしばらくは起きないはずだ。
近くのスーパーで適当に何か買ってこよう。幸い鍋やフライパンはあるので、煮るなり焼くなりができる。ついでに、掃除道具も必要だ。このゴミ屋敷と化した部屋も、文字通り一掃してやらねばならない。
「手の掛かる後輩だな、まったく」
微笑みながら言って、私は一旦白咲の部屋を後にした。




