灯鞠ハートブレイク 1
ワンルームマンション、その3階の一室。
カーテンを閉め切った室内は、机に載ったノートPCが唯一の光源になっていた。
その曖昧な明かりによって、白咲灯鞠の輪郭が照らし出されている。
しかし、彼女の姿はいささか不穏だった。
普段入念なセットを施している金髪の縦ロールは、その面影を微塵も感じさせないほどに乱れていて。
常に華麗絢爛を極めていたメイクも今はなく、すっぴん。
コンタクトを外してやぼったい眼鏡を掛けており、寝不足と不摂生の合わせ技によってクマや肌荒れも酷い。
武装の如く纏っていたゴシック調の衣類は今は床に雑に放られており、代わりに着たるは無地のシャツとジャージ。
今の彼女を『白咲灯鞠』として認識できる者は片手の指ほどの数しかいないだろう。
しかし白咲は、今の自分の姿になど一切頓着せず、目の前のノートPCの画面を虚ろな瞳で見つめ続けていた。
テキストエディタを起動してから、どれほどの時間が経ったのか分からない。
机の端にはドリンク剤の空き瓶やコーヒーの空き缶などがいくつも並び、足元にはコンビニ弁当の容器が無数に転がっている。
だが、白咲が対面しているテキストファイルは空白だった。
書いては消して書いては消して……その繰り返しを延々と続け、今に至っている。
何を書くべきかは、分かっているはずなのだ。
とあるゲームで今後実装される水着イベントのための明るくキャッキャウフフ満載のシナリオ──以前先方にプロットを送り、OKを貰っている。だから、あとはプロットをなぞるように書くだけ。書くだけのはずなのだ。
「…………」
なのにキーボードをいくら打ち込んでも打ち込んでも、バックスペースキーに指が伸びて振り出しに戻ってきてしまう。
「…………」
ぐちゃぐちゃの、回らない頭のまま、ぼんやりと画面を見る。
すると、PC脇に置いてあったスマホが振動した。
画面を見れば、社長からの着信だった。
何度も何度も、意地を張るように震え続けるスマホを無表情に眺め下ろした白咲は、しかしスマホに手を伸ばそうとはしない。
やがて根負けしたかのようにスマホは動かなくなった。
液晶には、新規着信が二桁数あることを示す文字列が浮かんでいた。
「…………うるさい」
ぽつりと言って、白咲はスマホの電源を落とし、ベッドに放り投げる。
「のど、渇いた……おなかも、減った……」
ふらりと立ち上がり、冷蔵庫を目指す。
その途中、コンビニの袋を踏んで滑り、盛大に転んだ。
腕を強かに打ちつけてしまい、痛みで顔が歪む。「ははっ……」と渇いた笑みが漏れ、周囲に散乱した衣服やゴミを手で緩慢に押し退ける。
「なにしてんだろ、あたし」
靄のかかった意識のまま立ち上がろうとして──しかし白咲は、力尽きたかのように倒れ伏した。
◇◇◇◇◇
「白咲が無断欠勤?」
「ああ、何度電話を掛けても出なくてね。LINEもショートメールも反応なし。さすがにちとマズいと思わないかい」
出勤早々、私の机の前までやってきた社長は、複雑な顔をして言った。
「白咲が無断欠勤て、初めてですよね」
「そうなるな。ウチは勤怠については非常に緩く管理しているんだが……ひまりんに関しては状況が状況なだけに進捗管理のためにも出社するよう伝えてあってね。なのに連絡ひとつ寄越さないというのは、さすがに大事だろう」
社長は額に手を当てて眉間に皺を寄せ「私の判断ミスだ。……彼女なら1人で持ち直せるのではないかと、勝手に甘えてしまっていた」と呟き、ギリっと歯噛みする。
「今までの白咲を見ていれば、社長の判断が悪かったとは思いませんよ。今回はあくまで初めてのケース──であれば、今から最善を尽くしましょう」
「……そうだな。その通りだ」
珍しく弱々しい笑みを浮かべて頷く社長。
「打てる手となると──」
険しい表情のまま社長が呟く。
すると、キャスターをすすすーっと転がして、椅子に座ったまま此葉がこちらにスライドしてきた。
「そんなの、先輩が白咲さんと直接話すしかないっすよ」
そう言いながら彼女は、私と社長の間をそのままするーっと通り過ぎていった。
「あ、やべっ。行き過ぎたっす」
たははっと八重歯を見せつつ此葉が私たちのそばへ戻ってくる。
「あなたはまた……でもやっぱり、此葉もそう思う?」
不覚にも、少し和んだ。
今日も平常運転な後輩は、腕組みして深く頷く。
「そっすね。白咲さんだいぶ拗らせてるとこあるんで、塔子先輩が一発かましてやるしかないと思うんすよ」
「かますって……いや、なんとなく分かるけど。ただ、肝心の白咲に連絡つかないんじゃ、話せないんだよね」
「とりあえず白咲さんの家に凸ってみればいいんじゃないっすか?」
「凸るって……仮にいたとしても、居留守されたらお手上げじゃない?」
あっけらかんと言う此葉に、私は顎に手を当てて思案顔で返す。
「確かに、白咲さん意固地っすから先輩が家の前にいるって知ったら頑なに出てこなさそうっすね」
むぅ~~っと渋い顔をする此葉。
するとそこで社長が「その心配はない」と言い、鈍く光る何かを取り出した。それは、
「ひまりんの部屋の合鍵だ。これを使いたまえ」
「えっ、社長なんでそんなもん持ってるんすか?」
「随分と前に、ひまりんから渡されたのさ。一人暮らしで在宅業務の多い我々は、急病などのもしもが起こったとき何かと大変だろう? とくにひまりんは地方出身でこちらに親しい者も少ない──だから『あたしに何かあった時は、よろしくしなさいよ。それが福利厚生ってものでしょ?』と言われてね」
白咲の口調を真似て言い、社長は微かに笑う。
「そういうわけだから、託すよ。キミにだったら鍵を貸したってひまりんも許してくれるはずさ。……たぶん。いや、もしかしたら私がめちゃくちゃに怒られるかもしれないが、うん」
苦笑する社長から、私は鍵を受け取る。
「もしひまりんが自宅にいなかった場合は、連絡したまえ。その際は非常事態として、社員総出で彼女が行きそうな場所を虱潰しに探してやる」
「分かりました」
「白咲さんの仕事の遅れは自分がカバーするっすから、先輩はあの人のこと頼んだっすよ!」
此葉が力強く言い、拳を突き出してくる。
「オッケー、仕事は任せた。こっちは任せろ」
私も拳を突き出し、こつんとぶつけ合う。
気づけば、他の社員達も私のほうを見ていたり、頷いたりしていた。
「それじゃあ、ちょっと行ってきます」
オフィス全体に聞こえるように言い、私は外へ急いだ。




