Healing Night 4
ふぁふ、と欠伸をひとつして。
私はごろんとベッドに横になった。
ベッドの左側に移動して、空いている右半分をぽんぽんと手で叩く。
「おいで」
その短い一言で、エトナはほのかに嬉しそうな表情になって、そっとベッドに上がってころんと横になった。
すぐ目の前に、エトナの銀髪が寄ってくる。
私はそれに何気なく触れ、そのまま彼女の頭を撫でた。
彼女はくすぐったそうに目を細め、されるがまま。
「今日はありがとうね。私のわがままに付き合ってくれて」
「そんなことないです……わたしもいっぱい良くしてもらえたので、嬉しかったです」
花の蕾が綻ぶように、ふわりと微笑むエトナ。
ぽんやりした表情で見上げてくる彼女のことを「可愛いなぁ、もう」と撫でぐり撫でぐりしてから、私は「じゃあ、電気落とすよ」と言って枕元のリモコンを操作して豆球にする。
室内が薄明かりになった。
布団を被ってすぐに、私は右手をエトナのほうへ伸ばす。
すると指先が何かに触れた。エトナの左手だった。彼女の小さくてやわっこい指が私の指の感触を確かめるように控えめに絡んでくる。
たどたどしくて、くすぐったい。
私が思いきって右手をきゅっと握ると、エトナは一瞬びっくりしたように強張った後、左手をきゅっと握り返してきた。
顔を見合わせ、微笑み合う。
図らずしも恋人繋ぎになってしまったけれど……まぁいっか。
エトナは気づいてないみたいだし。
多少のむず痒さを感じつつも、私たちは互いの手を二度、三度と握ったり握り返したりを繰り返した。
「おやすみ、エトナ」
「はい……おやすみなさいです。トーコさん」
手を繋いだまま、私たちは目をつぶる。
……。
…………。
………………10分か20分か。
私は上手く寝付けず、ぼんやりと目を開けた。
理由は分かっていた。
白咲のことだ。
シナリオライティング会社のエースたる彼女の不調。
そして、その脱却。
社長から頼まれたというのもあるが、私自身、白咲に纏わる問題については自分が適任だと自負している。有能が過ぎる故に他のライターたちと衝突を繰り返してきた彼女の折衝役として、私は何度もフォローに回ってきた。
そしてそれを、手間だとか面倒だとはただの1度も思ったことはない。
適材適所というやつだ。
私はディレクション業務──指導に調整やフォロー、あとは世話を焼いたり──を中心にしてチーム全体を訓練しケアしていくスタイルで。
一方で白咲は実力──成果物の出来栄えやユーザーの高評価──を叩きつけてパワーレベリングのようにチームを引っ張っていくスタイルで。
傍からすれば私のチームのほうが丁寧に見えるかもしれない。
だが、白咲のチームは成果物を上げるスピードが段違いに速いのだ。
白咲と、彼女に感化され必死に喰らいついていくメンバーの筆力は相当なもので──白咲の荒々しいまでの仕事ぶりのせいで発生する衝突や歪みなどは社長や私がケアすれば事足りるし、結局白咲は『納期の中で最大限のクオリティをぶっ放す』ことしか考えていないわけで。
彼女の清々しいまでのライターとしての気高さに気づいた者は、たとえ一度「こんなやつと一緒に仕事なんてやってられるか!!」とキーボードをぶん投げたとしても、多少のケアだけで、後は自然と白咲のチームにも戻ってくるのである。
──だからこそ、今回のケースは異例だった。
白咲灯鞠自身が上手く書けなくなるケースは初めてなのだ。
入社から数年、全力疾走で物語を刻み続けてきた白咲灯鞠という天才が初めて明確に立ち止まっている。
そんな彼女を、自分は再び走らせることができるのだろうか?
改めて事の大きさを実感し、不安に駆られてしまう。
「……トーコさん?」
小さな囁きに、私はぼんやりしていた眼をぱっちりと開いた。
「起きてたの?」
「トーコさんが起きてるみたいだったので、気になって……」
そう言って、エトナが心配そうに見つめてくる。
「そっかそっか。ごめんね、ちょっと寝付けなくて」
私は誤魔化すように軽い調子で言った。
だがエトナは視線を逸らそうとはせず、それどころかますます心配そうな表情になる。
「…………本当に、だいじょうぶですか?」
言って、エトナは繋いだ手を少しだけ強く握ってくる。
「わたしには、トーコさんの悩みごとをどうにかする力はないですけど……でも、聞くことくらいならできます……だから、その……」
控えめに、困ったように微笑むエトナ。
それ以上は口を噤み、私がどうするか待っているらしい。
しばし考え──私は「じゃあ、お言葉に甘えて」と呟いてエトナの手を握り返し、訥々と語りだした。
数年間一緒に働いている白咲という同僚がいること。
入社のきっかけが、私がシナリオを書いた『最期の日までに』らしいこと。
何かとつっかかってくるけれどそれを自分は微笑ましく感じていること。自分なんかより遥かに実力があり期待していること。頑張りすぎだと常々思うくらいに努力家なこと……そして、今なにかしらの壁にぶち当たって悩んでいるらしいこと。
普段白咲に対して抱いていることを改めて言葉にするのは少し気恥ずかしかったけれど、同時に私の中の白咲という女性の輪郭がハッキリしていくような感覚があった。
エトナはずっと、真剣に耳を傾けてくれていて。
「まあ、そんな感じで危なっかしい子がいるんだけど……どう励ませばいいのか難しくてね。1人で勝手に立ち直りそうな子だから、下手に声掛けないほうがいいのかもしれないし……」
私は苦笑して歯切れ悪く言った。
するとエトナは、ほぅ……とひとつ吐息を漏らして。
「白咲さんて……きっと、とても素敵な方なんですね」
「どうしてそう思うの?」
「とても大切そうにお話してくれたので……トーコさんにそこまで想われているなら、きっと素敵な人なんだろうなって」
「私、そんなに白咲のこと大切そうに話してた……?」
「はい。聞いてるこっちまでぽかぽかしちゃうくらいでした」
ふんにゅりと笑って言うエトナ。
彼女がそう言うなら、きっとそうなのだろう……。
まあ、大切か大切じゃないかって二択なら迷わず大切だって言うだろうし、あのツンケンした年下の同僚を好ましく思っているのは確かである。
だからこそ、どうにかしてあげたいわけで……。
「きっと、だいじょうぶです」
吹っ切れない私の手を、エトナがぎゅっと握る。
「トーコさんならきっと、シラサキさんを助けてあげられます」
「……そうかな?」
困り顔の私に、私の何倍も密度の高い日々を過ごしてきたであろう彼女は、優しい声音で言葉を紡いでくれる。
「……わたしみたいなどうしようもない魔女のことを助けてくれたんです。だからきっと、だいじょうぶです。無責任ですけど……でも、トーコさんならきっとだいじょうぶです」
断言し、エトナはふわりと笑う。
それを見ていると、不思議と大丈夫なように思えてきた。
「ありがとう、エトナ。あなたがいてくれてよかった」
エトナの頭を優しく撫でて、微笑む。
もやもやと渦巻いていた濁った感情は、すっかり消えていた。
待ってろ、白咲──。
と、静かに気合を入れていると。
エトナが小さく「あとは……」と呟いた。
かと思えば、彼女は私のほうへぐっと身を寄せてきて。
そうして、繋いでいた手が離れ。
自由になった両腕で、エトナは私の頭を抱きしめてきた。
普段、私が自分の胸にエトナを抱き寄せるように。
今は、私がエトナの胸に抱かれる形になる。
「こうすると、悩みとか辛いこととか、ぜんぶ消えちゃいます……わたしは、その……いつもトーコさんにぎゅってしてもらって、安心できてますから……」
「ああ、うん……たしかにこれはいいかも」
エトナの薄い胸に抱かれ、私は目を細めた。
温かくて微かにやわらかくて、甘いミルクのような香りがする。
普段エトナのことを抱きしめてばかりで気づかなかったけれど、誰かの胸に抱かれることがこんなにも心地いいものだとは思わなかった。……クセになりそうだ。
「……エトナ。今日、このまま眠っていい?」
「……はい。こんなのでよければ……どうぞです」
羞恥を帯びた声音で、しかしエトナは承諾してくれた。
「ほんと? じゃあ、ずっと独り占めしてたいなぁ……」
「独り占めしてくれてもいいですよ……? でも、こうしてるとなんだか、トーコさんの頭をよしよししたくなっちゃいますね……なんて」
ぽつりと、耳元でエトナが言う。
私は段々とふわふわまどろみながら返した。
「いーよ。してして。むしろ撫でてほしい」
「いいんですか……?」
「うん。どーぞ」
「で、では……よしよし、です」
エトナの小さな手が、私の頭を撫でた。
ちょっとくすぐったくて、でも心の芯が温かくなってくる。
ずっとこうされていたいという甘美な欲求が湧いてきて、とろけてしまいそうだった。
「……エトナの心臓、ドキドキしてるね」
「それは……だって、トーコさんをこんなに近くで感じてるんですから……緊張しちゃいます……」
「そっかぁ。可愛いなぁ、エトナは」
「……今のトーコさんも、とっても可愛いです」
さっきまでより少しだけ強く抱きしめられ、優しく撫でられる。
「はぁ……きもちぃ」
まるで揺り篭にいるような気分のまま。
私はエトナのぬくもりと鼓動を感じながら、心地よい眠りに沈んでいった。
そうして翌朝。
今までにないくらいに良質かつ幸福な睡眠を経て職場に出向いた私は────、
白咲が無断欠勤なうえに音信不通であることを知らされた。




