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暗雲と罰

「白咲、今日は休みか」


 出社した私は、オフィスのホワイドボードの片隅を見て呟いた。

 社員の所在を見える化するために設置されたミニボード(丸文字で『きょうのよてい』と書かれている)には、『白咲:休暇』と示されている。

 他もざっと見ると『社長:しゃちょーしつ』『碓氷:みんなの心の中っす』と各々の字で書かれていた。白咲については、誰かが事務的に書いたのだろう。


「白咲の顔、見ておきたかったんだけどな」

   

 先日社長から白咲のスランプを聞かされていたというのもあるが、そうでなくとも彼女のことが気掛かりだった。

 休暇ということは、気分転換でもしているのだろうか。

 LINEや電話で白咲の様子を伺うという手もあるにはあるのだが、それがあまり有効ではないことを私は知っていた。

 白咲は表情に出やすい反面、顔を突き合わせていない場では本音を隠すのが異様に上手いのだ。

 声や文字では真意を掴めない──だから、何かを話すなら直接がいい。


「先輩、おはよーっす」

「おはよ、此葉」


 自分のデスクへ向かう途中、椅子に座ってクルクル回っていた此葉と挨拶を交わす。

 

「どしたんすか? 眉間に皺なんか寄せちゃって。美人が台無しっすよ」

「よくそんな歯の浮くようなセリフをさらっと言えるね。──白咲お休みなんだ、って思ってただけだよ」

「あ~、なるほどっす。やっぱり心配っすよね、今まで見たこともないくらいに思い悩んでるみたいっすし」

「そうだね……」


 同意し、はたと気づく。

 白咲は誰かに弱みや苦しんでいるところを見せるのを極端に嫌う子だったはずだ。常に自信たっぷりに振舞うのが彼女らしさであったはずなのに、それがどうだ? 昨日は人の目のあるオフィスで行き詰った顔をしていた。


 ……周りを見る余裕すら、なくなっている?


「……だとしたら、思った以上に深刻かもしれない」

「およ? どうかしたっすか?」

「いや、こっちの話。私、今日はちょっとバタバタするかもしれないけど、此葉はちゃんと今日のノルマこなしておいてね」

「よく分かんないっすけど、了解っす」


 此葉はピシッと茶目っ気たっぷりの敬礼をする。

 私は自分の椅子に座ってLINEで白咲に『時間がある時に返信ちょうだい』とだけ打って送信した。下手に気遣うと彼女はそっぽを向いて既読スルーすることもあるため、文面は敢えて淡白に。


 それから私は社内PCを起動してテノルテ共有フォルダから、ここ最近の白咲の成果物をドロップボックスとUSBメモリにコピー。次いで白咲のチームで作業を進めている社員に声を掛け、昼食の約束を取り付けた。

 更に、昔から仲の良いフリーランスの女性ライターさんに電話を入れ、私が抱えていたキャラクターシナリオをいくつか請け負ってもらった。急な依頼だったため報酬額を上乗せすると申し出たのだが、それより一緒にご飯食べたいとのことだったので、その方向で話を進めた。フリーランスだと人に会う機会が減るらしく、寂しいのだとか。


 一通り手回しを終え、LINEを確認する。

 白咲からの返事はまだなく、未読状態のままだった。

 


 ◇◇◇



「……不味いかもしれない」


 18時過ぎ、私は駅前で買ったシュークリームの箱を片手に難しい顔をしながら家路を進んでいた。

 白咲の現状は、私の想像以上に悪かった。

 そもそも、請け負っている仕事が多過ぎる。

 白咲のチームで補佐をしている三橋ちゃん(24歳、地味なメガネが似合う素朴な子)に話を聞いたところ、社内共有フォルダにアップロードしている以外にもいくつも個人でライティング業務を請けているうえに、夏の祭典──コミック・フェスティバルで同人ゲームを出すべく1人でシナリオを書き進めているのだとか。

 尋常ではない仕事量だった。

 食事や睡眠などを除けば、ほぼすべてをアウトプットに充てていると言っても過言ではない。何が彼女をそこまで駆り立てるのかは分からないが、これまで彼女がクオリティの高い成果物を上げていたのは圧倒的な執筆量故なのだろう。


 だが、常に全力疾走できる人間はまずいない。

 そして現に今、白咲はあらぬ方向へ全力疾走しはじめている。

 昨日社長に相談された案件は氷山の一角に過ぎず、やはりここ最近の白咲の成果物はどれも彼女らしくないものばかりだった。さすがに、水着イベントのシナリオ依頼にバッドエンドを書き上げる──というような極端なミスマッチこそなかったが……。


「明日話して、解決できればいいけど」


 スマホでLINEを確認するが、結局白咲へ送ったメッセージに既読はつかなかった。


 とにかく明日だ──そう思いながら私はマンションに辿り着いて玄関ドアを開ける。


「ただいま」


 言って靴を脱ぎ、玄関に上がる。

 だが、いつもなら聞こえる声も足音もしない。


「あれ? エトナ……?」


 彼女が出迎えてくれるのがどこか当たり前に感じていた私は、少し心細くなりながらリビングへ向かう。だが、そこにもエトナの姿はない。


「…………」


 得体の知れない喉の渇きを感じながら、私は鞄やシュークリームの箱を置くのも忘れて寝室のドアを開ける。

 

 するとそこには、私が作業用に使っている机にノートPCを広げているエトナの後姿があった。見慣れた銀髪の頭にはヘッドフォンが乗っかっている。


 私は安堵の吐息をこぼした。

 そして同時に。自分が『エトナが忽然と消えてしまった』という可能性を無意識に考えてしまっていたことに気づき、言葉にできない息苦しさを覚える。

 

 ──いなくなるなんて、そんなことあるはずない。


 落ち着くために心の中でだけ呟き、荷物を床に置く。

 それからこっそりエトナに忍び寄って背後からヘッドフォンを外し、抱きついた。


「ただいま、エトナ!」

「はひゃっ!? と、トーコさん!?」


 予想通り、エトナは驚きの声を上げた。

 しかし彼女の声が思った以上に湿り、瞳が涙で濡れているのまでは予想していなかった。


「え、エトナどうしたの? 泣いてたの?」

「えっとこれはその、トーコさんのゲームが……!」


 そう言いながら、エトナは慌てて目元をくしくし指でこする。

 見ればノートPCには『最期の日までに』のメイン画面が表示されていた。画面下方に表示されているシナリオ回収率は98%。


「もう、ここまでプレイしてくれたんだ」

「その、先が気になってしまってつい……さっきトゥルーエンド2をクリアして、泣いちゃいました」


 まだ涙声のまま、照れ笑いするエトナ。

 シナリオを書いた張本人としては、面と向かって感想を言われるとむず痒い。

 98%ということは、バッド・グッド・トゥルーのシナリオをすべて開放したということだ。残る1つのシナリオは、私が無理を通して捻じ込んでもらったものなのだが……、


「どうしたの、エトナ?」


 涙を拭い終えたエトナがまじまじと私を見つめてくる。

 彼女は首をこてんと可愛らしく傾げて言った。


「えっと……、どうしてトーコさんがここにいるのかなって。あ、いえ、ここはトーコさんのおうちなので、何もおかしくないんですけど、お仕事は……?」

「……? 仕事が終わったから帰ってきたんだけど」

「えっ……?」


 きょとんとして言う私に対し、エトナはさっと青褪めた。

 慌ててノートPCの右端の時計を確認した彼女は「わっ、えっ? はわっ!?」と可愛らしい悲鳴をあげた後、私の胸に飛び込んできた。


「ごごご、ごめんなさいトーコさん!! わたし、時間を忘れてゲームに没頭してたみたいで、あ、あのあの、晩御飯の準備もお掃除も、それにお出迎えもできてなくて、あ、あの、ご、ごめんなさい!!!!」


 涙目になりながらエトナが必死に謝ってくる。

 別に責めるつもりは毛頭ないので、彼女の頭を撫でながら「いいよいいよ」と言ってやった。

 しかしエトナはよほど責任を感じているのか「ば、罰を……何か罰をください……!」と訴えてくる。


 潤んだ瞳で縋りついてくる彼女の姿を見ているだけでも充分にこちらとしては眼福なので、それでチャラにしたいくらいだったのだが……しかしそれではエトナの気が収まらないだろう。

 毎度ながら、真面目すぎるなと微笑ましくなる。


 私はしばし考えた後、


「じゃあ、罰を言い渡します」

「はい……!」

「今日1日働いてきた私を癒すこと。手段は問わないから、エトナの好きなように癒してね」

「わ、わかりました……!」


 エトナが力強く頷く。

 まるではじめてのおつかいを託された小学生みたいな愛らしさがあった。

 

「夕飯は今から作ったら遅くなるだろうし、ピザでも取ろうか」


 たまにはジャンクフードもいいだろう。

 そう思いつつ、家のどこかに残していたはずのピザ屋のチラシを探す。

 その一方でエトナは、私をどう癒すか真剣に考えているようだった。「マッサージ……あと、ハグは……いつもしてますけど……でも、何度してもいいでしょうし……」なんて呟くのが聞こえる。


 軽い気持ちで言っただけだったが、エトナがどんなことしてくれるのかちょっぴり楽しみだった。

次は癒し回に極振りしたい感じです。

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