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沈まれ恋心、と魔女は願った

「外出……じゃなくて、えっと、で、デートの行き先ですけど……もしご迷惑でなければトーコさんに決めてほしいです」


 火曜日、出勤前の朝食時。

 半熟の目玉焼きやチーズが載ったピザトーストを齧っていると、エトナはそう言った。


 遠出ではなく近場──私が普段使っている駅周辺のスポットを巡りたいというのが彼女の希望だった。

 初めての外出が『その辺をぶらつく』なのは言葉にすれば地味かもしれないが、私たちらしいとも思えた。気負わず飾らず、自然な形で過ごすのが性に合う。


「でも、行き先まで私が決めちゃっていいの? この辺だってネットで検索すればオススメスポットがたくさん出てくるし、なんなら帰りにガイド誌とか買ってくるよ?」

「いえ……トーコさんにお任せしたいんです。……そのダメだったら、わたしも考えます。でも、その……」


 冷たいココアが入ったマグカップを両手で抱えるように持ったエトナが、上目遣いでこちらを伺ってくる。

その微かに不安げな表情を見てしまえば、まさかNOとは言えない。


「エトナがそれでいいなら、私は構わないよ。デートプランなんてシナリオの仕事でしか考えたことないから保証できないけど、恨まないでね」

「恨むなんてそんな……! ありがとうございます」


 ふわりと笑って、エトナはココアに口をつけた。


「それじゃあ、私はそろそろ行くね」


 残りのピザトーストを頬張り、牛乳で〆て立ち上がる。

 鞄を手にしてリビングを出て行こうとすると、

 

「あっ、待ってください」


 エトナも立ち上がって、私のほうへ歩いてくる。

 いつも通り玄関まで見送りに来てくれるらしい──そう思ったのだが、その手にはティッシュが握られていた。

 何をするんだろうかと思っていると、エトナはとととっと、私の前に回り込んできた。


 そうして背伸びをし、私の口元を拭ってくれる。


「牛乳でお髭ができてました。……はい、これでいつもの綺麗なトーコさんです」


 そう言ってふんにゃり笑うエトナ。


 私は「ごめん、ありがと」とちょっと気恥ずかしさを覚えながら言った後、彼女を抱きしめた。柔らかな銀髪の頭頂部に鼻を埋め、彼女を感じる。


「あー、なんだかもう今日は会社行かずに家で仕事しようかな……」


 エトナを膝に載せて仕事したいなぁ……なんてふわふわ思っていると、エトナが優しい声音で「いけませんよ」と諭してきた。


 ぽやんと柔らかな表情をして見上げてきた彼女は、


「会社にはトーコさんのことを待ってる人がいるはずです。……本当はわたしもこのままずっと、ぎゅぅってしてもらいたいですけど……でも、独り占めはよくないですから」


 そう言って、名残惜しそうにしつつ私から身体を離した。

 ──かと思うと、「で、でも、やっぱりもうちょっと……」と呟いて改めてぎゅっと抱きついてくる。


「えっと、エトナ……?」

「ご、ごめんなさい……いってらっしゃいって言うのが、まだちょっと寂しくて……」

「そっか……いいよ。まだ少し時間あるから」


 エトナの後頭部を優しく撫でた後、やわらかいほっぺたをさすり、そのまま首筋のほうへと指を這わせる。

 エトナはくすぐったそうに「んっ……」と吐息をこぼしながら心地良さそうに目を細めた。子猫のような愛らしい反応が可愛くて、思わず強く抱きしめる。


「なるべく早く帰ってくるから、待っててね」

「はい……」


 耳元で囁くと、エトナは甘えるような声で返事をした。

 それから今度こそ、身体を離す。

 パジャマ姿のままのエトナは、ほんのり頬を染めてどこか満たされたような顔をしていた。


 私は「いってきます」と言い、エトナは「いってらっしゃい」と返して。

 そうして今日が動き出す。


 ◇◇◇


 塔子が出て行った後、エトナはぽーっとした表情のままふらふらとリビングへ戻った。

 普段なら食べ終えた食器を台所へ持っていって洗い物をするのだが、今日はソファに倒れこむようにして身体を預ける。


「はぁ……」


 熱っぽい吐息をこぼし、エトナはきゅっと目を瞑った。

 もじもじと太腿をすり合わせ、持て余す感情をどうにか落ち着かせようと身をよじる。


 ──恋心が溢れてしまいそうだった。


 いつからかは、分からない。

 でも、いつからか自分は仲谷塔子に恋をしていた。


 最初は、感謝と恩返しをしたい気持ちでいっぱいだった。

 自分を優しく受け入れてくれた人に報いたくて、必死だった。嫌われたくなくて、捨てられたくなくて一生懸命だった。


 でも、塔子があまりにも優しかったから。

 エトナはつい欲張って、恋をしてしまっていた。

 そんな資格も時間もないくせに……。


「あつい……」


 ドクドクと脈打つ心臓に手を当てる。

 生涯の大半を軟禁と逃亡の日々に費やしてきたエトナは、身体を支配する悶えるような熱さの沈め方を知らない。

 とろんとした瞳をして、もどかしさにただただ耐える。


 やがて、


「……キス」


 エトナはぼんやりとした思考の中、塔子に借りた『最期の日までに』でアヤとユキがくちづけを交わしていたシーンを思い出した。

 互いの情愛を確かめるように何度も唇を重ねて満たされていく彼女たちの描写は、エトナの心に深く刻まれていた。


「トーコさんは……してくれる……?」


 自身の唇に触れながら、エトナは塔子とのくちづけを想像した。

 自分より背が高い塔子が少し屈んで、覆いかぶさるようにして唇を──、


 そこまで想像した途端、エトナの瞳からぽろぽろと涙がこぼれた。


「バカだ……叶ったとしても意味なんてないのに……」


 もうすぐぜんぶぜんぶ消えて無くなってしまうというのに、愚かにもほどがある。

 自分は異端者で、塔子にとっては本来現れるはずのなかった特異点のようなものなのだ。いまでさえ塔子の日々を侵食しているというのに、ましてや特別になりたいだなんて……度し難い。

 

「わたしは魔女……トーコさんとは、生きている世界が違ういきもの……」


 言い聞かせるように呟いて、エトナは立ち上がった。

 そうして食器を片付けないまま、救いを求めるように寝室へ向かう。


 ノートPCを開いて『最期の日までに』を起動する。

 シナリオ回収率92%。

 あと少し。


 エトナは何もかもから逃避するように、テキストに没頭した。 

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