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お泊り此葉 終 ── エトナ.3

 独り占めだなんて言ったものの、エトナは外に出られない。

 映画のように深夜の公園や歩道橋で秘密のお話──なんてことは無理で。


 そして、そんなエトナの状況をどうやら此葉は既に察しているようだった。

 だから彼女は何も言わずに洗面所から出てすぐの廊下に座り込んだ。


「ひとまずここが、先輩を起こさずお話できそうな場所っすかね」


 そう言って、手招きする。


「ささ、エトナちゃん隣にどうぞっす。あ、大丈夫っすよ。とって食べたり痛いことはしないっすから。自分、先輩が怒ったり悲しみそうなことは断固としてしない主義っすし」

「では、その……失礼します」


 エトナは迷いつつも、此葉の隣に──1人分の間を空けて腰を下ろす。

 此葉の正体が分からない今、それがお互いの距離感だった。

 

「…………」

「…………」


 束の間の沈黙。

 それからすぐに、エトナは申し訳なさそうに此葉との距離を詰めた。

 肩がぴったりくっつくくらい、身を寄せる。

 此葉が思わず吹き出した。


「くっ、くくっ。エトナちゃんのそういうところ、心から好きっすよ」

「……すみません」

 

 肩を竦めるエトナ。

 それを微笑ましげに眺めた後、此葉は切り出した。


「自分、昔いた世界だと魔王って呼ばれてたんすよね」

「魔王……?」

「あ、魔王って言っても魔物の王とか悪の権化ってワケじゃないっすよ。無茶苦茶強い魔法使いだったんで、いつの間にかそんな風に呼ばれてたって感じっす。で、まあとにかく強すぎて暇だったんすよ。だーれも寄り付かないしこっちが話しかけたら怯えるしで、どんな選択肢選んでもバッドコミュニケーション!! みたいな。で、この世界つまんないなぁって飽き飽きしちゃったわけっす」

「……それで、この世界に?」


 エトナの問いに、此葉はにんまりして頷いた。


「そういうことっす。10年くらい前っすかね。今の碓氷此葉って名前は2年前から使ってるっす。ほら、自分この姿から成長とか老いたりとかしないっすから、たまに怪しまれるんすよ。それで色んな場所を転々てーんとしてるわけっす」

「それで、今は……トーコさんと同じ会社に?」

「そっすね。エトナちゃんは『最期の日までに』っていうゲーム、知ってるっすか? トーコさんがシナリオを書いたゲームなんすけど」

「あ、えっと、今途中までやりました。トーコさんにお願いして、貸していただいてるんです」

「ほほう、それはそれは」


 いいことを聞いたとばかりに、笑みを深める此葉。

 

「自分は偶然あのゲームを見つけてプレイしたんすけど、一発で惚れちゃったんすよね。で、どうやらシナリオを書いた人は今はテノルテってところで働いているらしい──となれば、会ってみたくなっちゃったんで就職したわけっす」

「すごい行動力ですね……」

「それはお互い様だと思うっすけど……でも、どうせなら可能な限り近い場所にいたいじゃないっすか。興味を持った人間をより知るためには、近づくことが大事っすから。おかげでこうしてエトナちゃんとも知り合えたわけっすし」


 にゃはんと頬を緩める此葉に、エトナも柔らかな笑みを返した。

 それから此葉は、何故エトナの正体に気付いたのかに触れる。


 最初に違和感を覚えたのは、先週の日曜日。

 偶然買い物帰りの塔子に出会った時だったらしい。

 

 その際、塔子から魔力の残滓を感じたという。

 世界が違っても魔力という概念は似たような性質を帯びているものだが、そもそもこの世界に本来魔力は存在しない。なのにそれらしきものを感じたということは、塔子の周りに此葉の同類がいるという証左だった。


 そして、それと同じくして塔子の生活サイクルが変わった。

 以前はオーバーワーク気味だった彼女が、決まった時間に帰るようになった。まるで、誰かが家で待っているかのように。


 何かあると、此葉でなくなって分かる。 

 実際、白咲たちテノルテの社員たちも塔子に恋人でも出来たのではと噂し青褪めたり色めき立ったりしたものだ。此葉にしたって、魔力の残滓を感じていなければ白咲たちに混ざって塔子の恋人話で盛り上がっていただろう。 


 だが、同類の気配を認識してしまった以上は見過ごせない。

 もしも悪意ある異世界人が塔子に接触し脅迫或いは篭絡でもしていようものなら、叩き潰してくれよう──そう決意して、お泊りに乗り込んできたという。


 そうして、現れたのは|壊れかけた身体の少女で(エトナ)──、


「いやぁ、戸惑ったっすよ。だって、魔力の流れを視たらもう身体中真っ黒でぐちゃぐちゃなんすもん」


 此葉の声は愉快そうだったが、しかしその目は笑ってはいなかった。

 魔法や魔術──いわゆる魔力を扱う者は、大なり小なり魔力を身体に巡らせている。

 身体中を満ち巡る魔力は、魔力に通じる者が視ようとすれば簡単に視ることができ、白く輝いて可視化されるのが常だった。

 その輝きの眩さや密度によって、魔力量を推し量るのだが──。


 しかし、エトナの身体を巡る魔力は黒かった。

 いや、最早巡ってなどいなかった。

 エトナの身体に詰まった魔力はあまりに膨大で、そのせいで上手く循環できずにいるらしい。そうして巡れず澱んだ魔力は濁り固まり腐り果てて……挙句に、エトナの身体を蝕んでいる。

 

 そしてそれはもう、手遅れの域だった。


「エトナちゃんが何者なのかは、聞かないっす。聞いてもどうもできないっすから。ただ、聞いておきたいこともあるんすよ」

「……なんでしょう?」


 エトナは唾を飲み込んで、問いかけを待った。

 此葉は一度すっと息を吸い、ふっと吐いてから言った。 


「あと、どれくらい生きられるんすか?」


 ああ、やっぱり──と、エトナは思った。


「……あと1週間もつかどうかです」

「そのことを、塔子さんは?」

「知りません。言ってませんから……」

「……最後まで、言わないつもりなんすね」

「…………」


 断定的な言い方に、エトナは目を逸らし俯いた。


「……言ったら、トーコさんを困らせちゃいます」

「でも、言わなかったら絶対めちゃくちゃ怒られるっすよ?」

「それは……ちゃんと、どうするか考えていますから」


 言って、エトナは儚げに笑った。

 その笑顔の意味を上手く解することができず、此葉は「そっすか」とだけ相槌を打った。


 それから、少し沈黙があって。


「……死んじゃうの、怖くないっすか?」


 ぽつりと呟かれた此葉の言葉に、エトナは小さく首を横に振った。


「怖くはないです。……全部受け入れて納得して、ここにいますから」

「トーコさんと二度と会えなくなってもいいんすか?」

「……それも、平気です。平気なんです」


 少し間が空いたものの、エトナは言い切った。

 それはある程度本心だった。

 覚悟はとうの昔に、それこそ塔子と出会う前からついていた。今は死に際のロスタイムでしかない。

 死ぬと分かっていたからこそ、図々しくも塔子のお世話になっているのだ。


「だから、死ぬのは怖くありません」

「……そっすか」


 エトナの宣言に、此葉は寂しそうに言った。

 それから彼女はゆっくりと立ち上がり、エトナに背を向けたまま訊く。


「エトナちゃんが死んじゃうのは避けられないとして……でも、この家から出られないまま死ぬのって、イヤじゃないっすか?」

「え?」

「一度くらいここから出て遊んでみたくないっすか? もっと言えば、塔子先輩と2人っきりでデートとか、したくないっすか? 『鉄槌の焔(マレスフィア)』を気にせず、自由に」

「デート……ですか?」


 此葉の背中を見上げ、エトナは考える。

 デートだなんてこと、思いもしなかった。

 たしか、『最後の日までに』に登場するユキとアヤが手を繋いで街を歩いたり、ソフトクリームを食べたり水族館に行ったり猫カフェで猫と戯れたり、そういうのをデートと呼んでいた。


 ああいうことを塔子としてみたいかと問われれば、答えは決まっている。


「……それは、したいです。してみたいです」


 そして、それが叶わぬことも分かっている。

 だからエトナは「そんなの、したいに決まってます……」と苦しそうに絞り出した。


 すると頭上から、声が降ってくる。


「じゃあもし、外に出られるとしたら?」

「え?」


 思わず顔を上げる。

 すると、いつの間にか目の前に此葉の笑顔があった。


「言ったっすよね。自分、滅茶苦茶強い魔法使いみたいなやつだったって。だから、そうっすね……半日……いや、10時間くらいだったら、エトナちゃんを『鉄槌の焔』から守って外に出られるようにしてあげられるっすよ」

「…………ほんと、ですか?」


 茫然とするエトナ。

 対して此葉は、すべてを包み込むような優しい笑みを返した。


「こんなことで嘘なんてつかないっすよ。どうっすか? デートしたくないっすか?」

「……っ!」


 改めて問われ、エトナは黒く染まってしまった胸のあたりに両手を当てた。


「いいんですか、そんな……でも、何かの魔法ですよね……?」

「まあ、そうっすね。エトナちゃんを守る結界みたいなのを作ってあげるんすけど」

「それって、此葉さんの魔力をたくさん使わせてしまうんじゃ……」

「……エトナちゃんはほんと、優しいっすね」


 此葉はふっと脱力する。

 

 この世界において、魔力は貴重だ。

 元いた世界ならば魔力を宿した食べ物や場所などからいくらでも摂取・補給ができた。

 だがこの世界では睡眠に伴って体内で生成される魔力だけが唯一の補給手段だ。だから、余程のことがない限り魔法なんて使うものではない。


 その貴重な魔力を自分のために使ってしまうなんて──と、エトナは不安がっているのだ。

 

 それが、此葉はおかしかった。

 おかしくて、悲しかった。


 もう死ぬ間際にいてもまだ、この幼い女の子はわがままになれない。

 それが悲しくて、そして同時に、彼女をここまで追い込んだ顔も知らぬ誰かたちを捻り殺してやりたくなかった。エトナの代わりにお前達が死に晒せと、叫びたい気分だった。

  

「なぁに遠慮してるんすか。いいんすよ、そんなこと。ほら、自分今まで魔力なんてロクに使ってなかったっすから溜まりに溜まってるわけっすし。どうってことないっす」


 そう言って此葉は廊下に膝立ちになって、エトナを抱きしめた。



「きっと、これも何かの縁なんすよ。だから、自分の魔力使ってほしいっす。……きっと、塔子先輩もエトナちゃんとデートしたいはずっすから。ね? それでももし後ろめたいようなら、デートの思い出を自分に話してほしいっす。楽しかったこと嬉しかったこと、ドキドキしたこと、たくさん。……自分、そういうの聞くの大好きっすから」

「…………はい」


 エトナも此葉の背中に手を回し、ぎゅっと抱きしめ返す。


「……なんてお礼を言えばいいのか、分かりません」

「いいってことっす。少しでも長く生きてくださいっすよ」


 ぽつりと言い、此葉はエトナの頭を撫でた。

 それにエトナはしばしの間を置いた後、涙声で「はい……」と頷いた。


 それから此葉はエトナに魔法を掛けてやった。

 10時間──それは魔法の効果時間というよりも、エトナの身体の限界時間だ。

 此葉の魔法ならもっと長く外に出してやることもできるのだが、壊れかけたエトナの身体では、10時間以上魔法に耐えられる保証がなかった。


 魔法を掛け終えた此葉は、エトナに言った。


「この魔法は外に出た瞬間から発動するっすから、デートの日まで気をつけるっすよ? 発動したら最後、きっかり10時間で切れるっすから、後戻りも待ったも無しっす」


念を押した後、此葉はさらについでとばかりにこう付け足した。


「もし時間があればっすけど、先輩のゲームは是非隠しエンドまで見てほしいっす。きっとそれは、エトナちゃんにとって大切なモノになるはずっすから」

「分かりました」


 もとより最後までプレイすると決めていたエトナは、どうして此葉がそんなことを言うのかイマイチ分からなかったが、しっかりと頷いた。

 

 そうして2人は、塔子が眠るベッドに潜り込んだ。

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