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お泊り此葉 6 ── エトナ.2

 あたたかな微睡みは泡沫のように弾けた。


 エトナは、何かが身体の内側からノックしてくるような感覚とともに目を覚ます。

 まだ朝ではない。

 眠りに落ちてから、2,3時間が過ぎたあたりだった。


 常夜灯の中、大切な人の寝顔がすぐそばにあった。その向こうには、会ってすぐ親しくなれた太陽のように明るい人の寝姿もある。

 泣きたくなるくらい優しい寝床だ。

 追っ手に怯えて浅い眠りを繰り返した日々も、耐え難い空腹を誤魔化すために気絶同然で眠っていた日々も、遠い昔のように思える。


「…………」


 このまま塔子の胸に埋まって、再びの安寧ねむりに落ちてしまいたかった。

 だが、今の自分にそれは過ぎたる望みだ──そう理解しているから、エトナは2人を起こさないよう静かにベッドを抜け出して寝室を出た。

  

 息を、そして足音を殺して脱衣所兼洗面所へ向かう。

 電気を点けた後、エトナは鏡の前でパジャマのボタンを外し、塔子に選んでもらったフリル付きのブラを脱いた。僅かに膨らんだ胸の下、ちょうど心臓のあたりを中心にいつか見た黒々とした紋様が浮かび上がっていた。

 先日より確実に大きくなっている紋様は、茨の蔦が伸びるかのようにエトナの肌を蹂躙し、上は首元まで、下はおへそのあたりまで広がっている。


「ふぅ……」


 エトナは覚悟を決めるように一度息を吐いた後、おもむろに右手を自身の喉奥へと突っ込んだ。


「うぐっ……お、ごほっ……ヴあっ……」


 極力声を抑えつつ、それでも漏れるえづきを必死にこらえて。

 涙を滲ませながら、エトナは口から黒々としたものを洗面台へ吐き出していく。

 黒々としたものは、エトナの中に溜まった魔力の滓だった。

 先日は溜まり過ぎた魔力滓がエトナの体内という特殊な環境内で結合してしまい、意思を持ち襲い掛かってきたが──もうそんなヘマはできない。

 だからこうして定期的に、吐き出しているのだった。

 

 エトナの体内から出てしまえば、魔力滓が結合することはない。だからこうして、洗面所に流すことができる。

 

 何度か喉奥に手を突っ込んで無理やりな嘔吐を繰り返した後、ようやくエトナは息を落ち着かせた。大量の水で口をゆすぎ、洗面所を綺麗に流していく。


 それから顔を上げ、エトナは改めて鏡を見る。

 そして──絶望した。


 すべて吐き出したはずのなのに、まだ心臓を中心にこぶし大ほどの黒が残っていた。


「ふぐっ、おえっ……!」


 エトナは咄嗟に、縋るような思いで再び口腔内に手を突き入れた。恐怖に顔を歪めながら、必死に唾液と胃液を吐き出していく。

 だが、先ほどまでと違ってそれらは黒く染まっていなかった。


「あ……そんな……」


 エトナは、その場にストンと座り込んだ。

 見下ろせば、胸のあたりには変わらず黒々とした紋様が残っている。


 ──遂に、明確な終わりが始まった。


 役目を捨てて逃げ出した『魔術綴じの巫女まじょ』が辿る末路の果ての入り口に、今、自分はいる。いずれこの紋様は身体すべてに浸透し、酷い結末になることだろう。

 もしかしたら助かるかもしれないという現実逃避とイコールの奇跡に縋っていたけれど、そんなものはないとばかりに紋様は微かに蠢いていた。


「……もう、一緒にお風呂に入ったりできなくなっちゃいましたね」


 力なくつぶやき、洗面台の縁に手をかけてよろよろと立ち上がる。

 そうして何気なく目を向けた鏡に──自分の背後に立つ此葉の姿があった。


「えっ、あ、ひゃっ!?」


 エトナは慌ててパジャマで胸元を隠した。下着を着けていなかったが、そんなこと気にしている暇はない。紋様を見られていないかだけが、今のエトナにとっては重要だった。


「す、すみません……その、起こしてしまいましたか……?」


 おそるおそる振り返る。

 すると此葉は、どこから躊躇いがちに笑って、


「やぁ……ちょっと喉が渇いたなって思ったらベッドにエトナちゃんがいなくて気になったんすけど、そのぉ……なんだか、見ちゃいけないものを見ちゃったっ気分っすね」

「っ……!」


 此葉の言葉に、エトナは背中に冷や汗をかくのを感じた。

 唾を飲み込み此葉の次の言葉を待つ。

 すると彼女は、頬をかきながらどこか微笑ましげに、


「まさかエトナちゃんが、自分のおっぱいの小ささを気にして夜な夜な確認していたとは思わなかったっす……」

「へ?」

「いや、自分だって覗き見するつもりはなかったんすよ? でもほら、成長期って人それぞれっすからね? それに、塔子先輩があんなに大きいから羨ましがるのも分かるっすけど、エトナちゃんにはエトナちゃんの良さっていうか、小さいままのほうがいいって人もいっるすから。だから、あんまり気に病んじゃダメっすよ!?」

「あ、えっと……はい」


 エトナはきょとんとした後、こくりと頷いた。

 どうやら此葉の目には、自分の胸の慎ましやかさを気にする思春期の少女として映っていたらしい。

 胸の黒い紋様は見られていなかったらしい──そのことに拍子抜けし、同時に安堵する。

 エトナは話を合わせようと、ボタンを留めながら、


「……でも、やっぱり小さいままなのは気になります……。その、せめて此葉さんくらいは大きくなりたいです」

 

 小柄な自分より少し背丈が高いだけのわりにしっかりと丸みを帯びている此葉の胸元を見つめる。


「にゃはは、ならよく食べてよく寝ることっすね。エトナちゃんだって、もう数年すればきっと背もおっぱいも大きくなれるっすよ。

「そう、ですか……」


 数年後なんて未来は、自分にはない。

 エトナはイマイチ歯切れのよくない声で言い、俯いた。

 そして、俯いていたから反応が遅れた。


「──今のはちょっと、意地悪だったっすね」

「えっ?」


 気付いた時には距離を詰められ、此葉の腕に抱かれていた。


「あ、あの、此葉さん……?」


 塔子よりは大きくはないが、それでも充分に大きく柔らかい胸の感触。そして、塔子とはまた違った、おひさまをたっぷり浴びた布団のような匂い。

 それらを感じながら、エトナは戸惑った。

 その耳元に、此葉は囁く。


「もう、長くないんすよね。その身体、限界なんすよね?」

「えっ…………」


 エトナは息を呑む。

 胸の紋様を見られた? いやでも、それだけで自分の身体が限界に近いことまで分かるはずがない。じゃあ、どうして?


「慌てなくていいっすよ。単純な話っす。自分も、世界こそ違えど、エトナちゃんと同じ側の生き物っすから」


 諭すようにゆっくりと、此葉は言葉を紡ぐ。

 やがて腕の拘束が弱まって密着が解かれ、見つめあう距離になる。

 

 茫然とするエトナに対し、此葉の表情は穏やかだった。

 会って間もないながらも此葉に対して抱いていた底抜けに明るい人──というイメージとは掛け離れた、慈愛に満ちた雰囲気。

 

「少し話をしたいんすけど、いいっすか?」

「……はい」


 まだ現実感がぐらついていたが、エトナは頷いた。

 それに此葉は、普段通りの明るい笑みを浮かべて、


「にゅふん、じゃあしばらくエトナちゃんのこと独り占めしちゃうっすね」


 と、八重歯を覗かせた。 


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