お泊り此葉 2
「トーコさんの後輩さんが、お泊りに来るんですか?」
チュニックの上からエプロンを着たエトナは、ぱちくりと目を瞬かせた。
彼女は両手に盆を持っていた。
盆にはポトフやオムレツ、バケットなどが載っている。
バケットは駅前の美味しいパン屋さんで買ってきたものだが、ポトフやオムレツはエトナのお手製だ。
カレーこそ失敗したものの、それ以降も彼女は夕飯を作ってくれている。
「まだ決定ってわけじゃないんだけど、来たいって言ってて……どうしようかなって」
「……何か問題があるんですか?」
テーブルに料理を並べながら、エトナは首を傾げる。
その可愛らしい仕草に一瞬口元が緩む。が、すぐに私は真面目な顔で言った。
「その問題っていうのはエトナのことだよ。あなたのこと、どう説明すればいいのか分からないし」
「あっ……」
「それに、そもそもエトナが私の後輩──碓氷此葉っていうんだけど、その子に会いたいかどうかもあるし」
「…………」
ふいに、エトナが柔らかく笑った。
不思議に思って視線を向けると、彼女はちょっと照れながら「トーコさんがわたしのことをちゃんと考えてくれてるんだなって思ったら嬉しくて、つい……」と言った。
「それは、なんていうか当たり前でしょう。一緒に暮らしてるんだから」
「……トーコさんにとっての当たり前が、わたしには嬉しいんです」
温かみのある声で言い、エトナはコップに麦茶を注いでいく。
「トーコさんの後輩さんには、わたしも会ってみたいです。トーコさんと仲が良い方でしたら、きっと素敵な人でしょうし」
「まあ、いい子だよ。たぶんすぐ仲良くなれるとは思う」
此葉のコミュ力お化けっぷりは尋常ではないので、そこは心配ない。この前一緒にお昼ご飯を食べに行ったインドカレー屋のネパール人店員と意気投合してチーズナンとかサービスしてもらってたし。
「となると、あとは私とエトナがどういう関係か……か。まさか正直に異世界から来た魔女を住ませてますだなんて言えないし」
「そうですよね……」
麦茶を注ぎ終えてエプロンを脱いだエトナが、やや曇った表情で私の対面に座った。
「まあ、とりあえず食べよっか。せっかくの料理が冷めちゃったらもったいないし」
私は気を取り直すように言った。
エトナも「はい……!」と明るく応じ2人で「いただきます」を重ねる。私はまず、果肉感たっぷりのトマトソースがかかったオムレツに箸を伸ばす。
「エトナって、料理上手だったんだね。昨日作ってくれたグラタンもだけど、見た目も綺麗だし美味しそう」
「そんなことないですよ……インターネットで調べて、上手く作るコツを試したのがたまたま成功しただけですし、お口に合うかどうか……」
「そこはもっと自信持っていいと思うな」
言いつつ、箸を口に運ぶ。
酸味がきいたトマトソースとバターたっぷりのふわふわオムレツが口の中でとろけた。
「う~~~~ん、美味しっ! 私、こんなに美味しいオムレツはじめて食べたよ」
「……っ!」
笑顔で本心を告げると、エトナはえぐぼを作って「よかったです」と言った。
それから彼女も遅れてスプーンを手にしてオムレツを食べ、
「美味しくできてました……!」
と、はにかんだ。
その初々しさがなんとも愛らしくて、食事中じゃなかったら思わず抱きしめているところだった。危ない。
ポトフも、大きめに切られたじゃがいもやにんじんが食べごたえ満点で、コンソメベースのスープは胡椒などの香辛料によって風味豊かに仕上げられていた。カリカリに焼いたバケットとの相性も抜群で、追加でバケットを焼くくらいに食が進んだ。
……なんか、幸せだなぁ。
新しく焼いたバケットにとろけるチーズを載せて食べながら、そう思う。
同じくチーズを載せたエトナは、チーズがとろけ過ぎて落ちそうになっているのをあわあわしながら口で受け止めていた。ほっそりとした喉を晒して上を向き、垂れそうになるチーズを食べている彼女の姿が、ちょっとだけえっちな気がしなくもない。
「誰かがご飯を作ってくれるのがこんなにも幸せだと思わなかったな。エトナのおかげだよ、ありがとう」
「はへっ!? ん、んぐっ……!!」
ようやくチーズとバケットを口に収めたところだったエトナが、喉を詰まらせたらしかった。私は慌てて麦茶を差し出す。
「ん、んくっ……! はぁ……! ご、ごめんなさい、びっくりしちゃって……!」
「なんかごめんね、びっくりさせちゃって」
ちょっと涙目になっているエトナに、苦笑いしながら謝る。
「あ、謝らないでください。……むしろその、嬉しいです。トーコさんのお役に立てているのなら、わたしもとっても幸せです。……こんなご飯くらいでよければ、いつだって作ります」
「ほんと? なら、いつだって作ってほしいなぁ」
エトナが来る前は夕飯はコンビニ飯か外食が大半だったし、自炊もせいぜいカレーや炒飯が関の山だった。寂しさを紛らわせるようにアルコールに溺れる日も少なくはなかったのだけれど、彼女がいるから今はそれすらない。
「ごちそうさま」
お互い食べ終えた後、私はエトナのぶんもまとめて食器を台所に持っていき、それから冷凍庫を開ける。そこには、ハーゲンでダッツなバニラアイスが2つ。スプーンと一緒に、リビングへ持っていく。
「じゃん! 今日のデザートはアイスクリームだよ」
「わぁ……!」
ドヤ顔でアイスクリームを掲げて見せると、エトナは胸の前でパチパチと控えめな拍手をしてくれた。可愛い。期待感からか、瞳もきらきらしている。
「ほら、こっちおいで。一緒に食べよ」
「はい……! じゃ、じゃあ失礼します」
私が正座して座り、その膝上にエトナがちょこんと座った。彼女の小さな頭がちょうど私の胸に寄りかかるような格好になる。
「はいどーぞ」
「ありがとうございます……!」
アイスを受け取ったエトナは慎重な手つきで蓋を開け、スプーンで掬ってゆっくりと口に運んだ。それから「はぁ……」と甘い吐息をこぼす。
「お気に召してもらえたようで」
「美味しいです……ずっと食べてみたかったんですけど、こんな味だったんですね……」
エトナが、どこか感慨深そうにつぶやく。
「向こうの世界では食べられなかったんだ」
「はい……アイスクリームの屋台があったんですけど、お金がなかったから眺めることしかできませんでした。……お父さんとお母さんに買ってもらって幸せそうに食べている女の子がいて、とっても羨ましかったのを覚えて──あっ、ご、ごめんなさい! わたし今、思い出さなくていいようなことまで思い出しちゃって……!!」
「気にしなくていいよ。……今度は、もっと美味しいアイスクリーム食べさせてあげるね」
「……トーコさんと一緒なら、どんなアイスクリームだって、いちばん美味しいアイスクリームです」
「嬉しいこと言ってくれるね」
「本当のことですから」
エトナが、さっきまでより少しだけ私に体重を預けてくる。
それを心地よく感じながら、私もハーゲンダッツの蓋を開けた。
結局エトナのことは、親同士で交友がある外国人の知り合いから預かっているという説明で通すことにした。外国人だけど日本生まれの日本育ちということにすれば、ボロは出にくいはずだ。
エトナのことを伝えたうえで泊まりに来ていいと此葉に連絡すると、すぐに返信が来た。『3人で遊べるようなゲームとか持っていくっすね! 明日が楽しみっす!!』とのことだった。
そういえば、明日でエトナと出会ってちょうど1週間だ。
まだ1週間。しかしその短い日々が、なんだかとても長かったように思えた。




