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泥酔のち、魔女 後編

「ごめん、ちょっと何言ってるのか分からない」


 突然ここに住みたいと頼み込まれた私は、当然のことながら困惑気味にそう返した。

 少女は、私の返答を想定していたのだろう。

 黒く汚れた指で頬に触れ、何かを誤魔化すように曖昧に笑う。


「そ、そうですよね……いきなり現れて住ませてくださいなんて、滅茶苦茶ですよね。ごめんなさい……あの、でも、わたしたぶんここ以外に行き場がなくて……それで、その……か、家事とかしますから! 内職も、さ、裁縫とか得意なので……! あと、あと、マッサージとか! 家の中で出来ることだったらなんだって……今はできないことだって、頑張って覚えますから、その……えっと……」


 少女は必死に言葉を並べる。

 彼女のみずぼらしい姿と相まって、それはただただ憐れみを誘う光景だった。

 私は彼女の言葉を、眉間に皺を寄せ黙って聞いていた。

 やがて、少女の笑顔が崩れる。 


「……ごめんなさい。いきなり、こんな……」


 這い蹲ったままの格好で、少女は顔を伏せた。

 言うべき言葉が見つからないのか、束の間の沈黙が下りる。

 私は酒のせいなのか今の状況に対してなのか分からない頭痛に表情を歪めつつ言う。


「少しいい? まず、前提がすっ飛びすぎ。あなたは誰? それにその格好はどうしたの? 銀髪だし明らかに日本人って感じしないけど、服とか怪我とか……何があったらそうなるの? 必要なら警察でも救急車でも呼ぶけど」

「あ、あの……それは、その……」

「おまけにここマンションの4階なんだけど、どうやって部屋に入ったの?」

「えっと……」


 顔をあげた少女は、喘ぐように口をぱくぱくさせる。

 目は泳ぎ、しどろもどろだった。

 一度に言い過ぎただろか。

 私は軽く咳ばらいをしてから、問いかける。

 

「ごめんなさい。まずは名前から教えてもらえる?」

「は、はい……! あ、あの、わたし、エトナって言います」

「エトナちゃんね。あなた、何があったの?」

「それは、その……」


 名前は聞き出せたものの、エトナはまた黙り込んでしまった。


「何か、言えない事情があるの?」


 彼女の惨状を見るに、会って間もない私には言えないようなことだってあるかもしれない。それならそれで仕方ないと思っていると、しかし彼女はおずおずと口を開いた。


「言えないわけではない……です。ただ、信じていただけるか……怖くて……」

「ほんとのことを話す意思はあるのね?」

「は、はい……!」


 エトナは必死に頷いた。

 この様子だと、嘘をつくような心配はないだろう。

 私はしゃがんで彼女と視線の高さを合わせ、穏やかな声で言った。


「なら、ちゃんと聞いてあげるから言ってみて」

「わかりました……!」


 エトナは、這い蹲った体勢からぺたんと座り込むような体勢になる。

 そうして私のことをまっすぐに見つめ、言った。

 

「あの、わたし魔女なんです」

「…………魔女?」


 私は思わずぽかんとした。

 この段階になって、お酒の飲みすぎで幻覚を見ているのかあるいは夢でも見ているのではないかと疑い出す。だがほっぺをつねっても痛いだけで、みずぼらしい銀髪の少女は変わらず目の前にいた。


「信じていただけないのは承知しています……でも、本当なんです。私は元いた世界では魔女と呼ばれる存在で……それで、この世界についさっき逃げてきたんです」

「……ごめん。さすがに『はい、そうですか』とは言えないんだけど、あなたが魔女だってこととか、別の世界の人だっていう証明はできる?」


 酔って頼りない頭をどうにか回し、尋ねる。

 だがエトナは、力なく項垂れて首を横に振った。


「それは……少し、難しいです。世界を渡る魔術──『狭間跨ぎ(ウォルストラ)』っていうんですけど、それを使ったばかりなので魔力が尽きてしまっていて……今は簡単な魔術1つお見せできません……


 ひどく申し訳なさそうにするエトナを見て、なんだか私まで申し訳なくなってくる。

 だが、だからといって質問を止めるわけにはいなかい。


「別の世界から渡って来たってことだけど、言葉が通じるのはどうして?」

「それは、『狭間跨ぎ(ウォルストラ)』の効果です。……術者が異世界で問題なく過ごせるよう、言語や一定の知識がインプットされるようになっているんです。えっと……異地適応(ステイル)と呼ばれてます能力だとか……」

「……この家に突然現れたのは偶然なの?」

「はい……。本当は行き先もある程度選べるはずなんですけど……私の魔力不足のせいか、不安定になってしまって……すみません、本当に。……迷惑で邪魔で厄介なのは、自分でも分かっています……


 エトナの声が、若干湿っぽくなる。

 

「…………」


 私は唇を軽く噛みつつ考える。

 話の内容は突拍子もなかったが、不思議なことに彼女が嘘をついている気配は感じられなかった。そもそも、嘘をつくならつくでもっと現実味のある嘘をつくものだろう。すべてを話したわけではないだろうが、今必要なことは引き出せたように思う。


 エトナは異世界から来た魔女で。

 私の家に、住みたいらしい。

  

 整理すれば、詰まるところこうなるわけで……はて?

  

 私は、ふと湧いた疑問を口にする。

「ねえ。あなたの話がほんとだとして、1つ訊きたいんだけど」

「は、はい」

「どうしてここに住みたいの? 異世界から逃げてきたとして、こんな狭ッ苦しい部屋なんかより快適な場所なんていくらでもある──うぷっ」


 言いかけたところで、マズいことになった。


「ごめ、ちょっ、待ってて」


 私は言うやいなや、トイレに駆け込む。

 このせり上がってくる感覚は──嘔吐。


 便器の前に蹲った私は、先ほどまで飲み食いしていたものをリバースした。

 涙と鼻水まみれになりながら、アラサーの独身女が吐き散らす惨状が繰り広げられる。


「うぅ……ぢぐじょう……」


 粗相を乗り越えいくらかスッキリした私は、洗面所でうがいをして冷水で顔を洗ってからエトナのもとへ戻った。


「ごめん、ただい──」


 言いかけて、止まる。


 エトナが、床の上で力尽きたかのように小さな寝息を立てていた。

 決して寝心地がいいとは言えない床の上で、すやすやと。

 よほど疲れていたのだろうか。 


「……まぁ、今日はもういいか」


 酔いと頭痛と眠気が、私を『何もかも保留』という選択肢に誘った。

 それにエトナの寝顔があまりに穏やかだったため起こすも忍びない。

 しかし、このまま少女を放置しては身体を痛めかねない。

 ベッドに運んであげよう。


「やっぱ臭うなぁ、って軽っ」


 少女をそっと抱きかかえた私は、思わず小声でつぶやいた。

 曝け出された手足の細さからして分かっていたはずだが、想像を上回る軽さだった。お世辞にもいい食生活を送ってきたようには感じられない。あと、やっぱり臭い。


「これどう考えても面倒ごとだよねぇ……」


 苦笑してぼやきつつ、エトナをベッドに横たえて布団を掛ける。

 この布団やシーツは後日洗濯だなと思いつつ。


「……私も寝よ」


 ふらふらした足取りでリビングへ向かった私は、風呂にも入らないままソファで眠りについた。

 ああこれ、起きたら身体バッキバキだなぁ……。


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