トーコさんのゲーム。
「おっ、あったあった」
寝室の本棚、その一番右上の端に差さっていた透明なCDケースを手にしながら私は言った。
中に入っているCDの表面には油性ペンで『最期の日までに』と書いてある。それが、私が大学2年生の時にシナリオ製作に誘われたゲームのタイトルだった。
「それじゃあ、早速やってみる? ちょっとシリアスというか重いストーリーだと思うから、苦手なら別のゲーム探してみるけど」
「いえ、それがいいです……!」
ベッドの端に腰掛けたエトナが、期待のまなざしとともに頷いた。
私はサブのノートパソコンを引っ張り出して、エトナの隣に肩を寄せ合って座る。
パソコンを起動し、CDをセット。インストーラーが正常に作動し、ゲームがインストールされる。
「これって、どういうゲームなんですか?」
「ノベルゲームって言って物語を読み進めるのがメインのゲームだよ。途中で選択肢が出てきて、それによって物語が分岐するから、選ぶ時は慎重にね」
「分かりました。──わぁ、綺麗で可愛い絵ですね」
ゲームが起動しメイン画面になる。
『はじめから』『つづきから』『オプション』というシンプルな項目の背景には、病衣を着た少女と真っ白なワンピース姿の少女がひまわり畑で手を繋ぎ、満開の笑顔を咲かせているイラストが表示されていた。
「それじゃあ、やってみようか」
そう言って手招きし、私の膝の上に座るように促す。
2人で画面を見ながらプレイするならエトナに膝上に座ってもらうのが1番だと思ってのことだったが、彼女は恥ずかしそうに首を振った。
「さすがにそれはその……わたし、重いですし……」
「いやいや、どの口が重いって言えるの」
「ひゃっ!?」
私はパソコンを脇に置き、ちょっと強引にエトナの腰を掴んで持ち上げ、膝に座らせた。小柄で軽い彼女の身体はすっぽりと私の膝にフィットする。
「ふふっ、全然重くないよ。っていうか、極楽」
後ろからぎゅーっと抱きしめつつ、ちょうどいい高さにある彼女の後頭部に顔を埋める。同じシャンプーとコンディショナーを使っているはずなのに、エトナの髪は特別いい匂いがするような気がした。
「あぅ……」
耳先まで赤くしたエトナは、私の膝の上でもじもじする。
その仕草がなんともいじらしくて、ちょっとキュンとした。それと同時に悪戯心が湧いてきて、エトナの耳にふっと息を吹きかける。
「ひゃうっ!?」
腕の中でエトナがびくびくっと震えた。
「と、トーコさん……!!」
情けなくて可愛らしい声で抗議された。
かわいい。
「ごめんごめん、つい」
「うぅ……ついってどういう意味ですか……?」
「反応が可愛いから、いじわるしたくなっちゃう感じかなぁ」
言いながら、エトナのほっぺをつつく。
ぷにぷにでやわらかい。
「あうあう……と、トーコさん、い、いつか……その、し、仕返ししちゃいますからね……!」
「へぇ、それは楽しみだな」
「ほ、本気ですからね……! わ、わたしだってんひゃっ!!」
せいいっぱい強がるエトナがたまらなくて、私はもう一度エトナの耳に息を吹きかけた。
「うぅ……トーコさんがいじめる……」
身体を捻って、潤んだ瞳でエトナが見上げてくる。
それに私は「ごめんごめん」と笑いを堪えながら謝った後、「さあ、ゲームしよっか」と言った。
「むぅ……」
エトナはまだご不満といった様子で、ムっとしている。
その素の表情を見て、私は嬉しくなった。
いつの間にかエトナは、とても表情豊かな女の子に変わっている。いや、戻ったと言うべきか。
ともかく私は嬉さのままに、エトナを再びぎゅーっと抱きしめた。
「エトナが可愛くてついついいじわるしたくなっちゃうんだよ。悪いお姉さんでごめんね。嫌だったら、もうしかないから」
「べ、べつに……嫌とかじゃ……。ただ、その……わたしばっかり恥ずかしいことをされるのは不公平といいますか……いじわるなトーコさんも、その……嫌いじゃないですし……でも、たまには反撃したいなって……」
ぽそぽそと言った後、恥ずかしそうに呻くエトナ。
そんな彼女の言葉にピンときた私は、こう提案した。
「じゃあ、エトナも私の耳にふーってする?」
「えっ……?」
「それで公平ってことで、どう? まあ、エトナが私にそんなことできるならの話だけど」
挑戦的な声で言い、私はエトナを煽る。
彼女のことだから「そんなことできません……!!」と照れるだろうか。
もし実行に移せたとしても恥ずかしがりながら控えめな吐息を吹きかけるのがやっとだろうし、そうなればもっとからかって可愛がれる。
どのみち私の圧倒的勝利だ。
なんて思っていると、
「や、やります……!!」
そう言ってエトナは、私の膝の上で反転して私と向かい合う体勢になった。
一瞬見つめあった後、彼女は私の両肩に手を載せて身体を密着させてくる。それから右の耳元に唇を近づけてきた。
「い、いきますね……?」
耳元でエトナが囁く。
わざわざ吐息を吹きかける前に断りを入れるあたり、彼女らしいなと笑みがこぼれた。これでは待ち構えてくださいと言っているようなものだ。
ここは大人のお姉さんらしく余裕で受け止めてやろうじゃないの──と、エトナが吹きかけてくるであろう吐息を待ち構えて。
瞬間。
はむっ──と、私の右耳をエトナが甘噛みしてきた。
「はひゃっ!?」
私の口から、自分でも驚くほど上擦った声が漏れた。
急激に体温が上がり、動悸が激しくなる。
「え、エトナ!?」
甘噛みの余韻残る右耳を触りつつ、私は慌てる。
一方のエトナは顔を赤らめながらもどこか満ち足りた笑顔で、
「し、仕返し成功です……!」
と言って。
しかしそこで羞恥の限界だったのか、表情を見られまいとするように私の胸に顔を埋めてしまった。
何か言い返したかったが、結局私も恥ずかしさでいっぱいだったため言葉は出てこない。
結局、しばらくむず痒い沈黙が流れた。
それからエトナが顔を上げて照れ笑いを向けてくる。
私も笑いかけながら言った。
「まさかエトナが、あんなに大胆な子だとは思わなかったな」
「そ、それはトーコさんがいじわるしたせいです……!!」
「ふぅん。じゃあ、もっといろんないじわるしたら、もーっと大胆なお返しをしてくれるってこと?」
「っ……!! そんなことしません!!」
「あはは、ごめんごめん」
さすがにからかい過ぎたかと、謝罪の意味も込めてエトナの頭をぽむぽむ撫でる。
エトナもすぐに柔らかい表情になって、撫でるのを受け入れてくれた。
「ちょっと脱線しちゃったけど、ゲームに戻ろうか」
改めて座り直し、私たちは『最期の日までに』を始める。
このゲームはタイトルの通り、最期の日までを過ごすストーリーだ。
とある夏。死期近い入院患者の少女・ユキが、部活でケガをして病院を訪れていた少女・アヤと出会うところから物語ははじまる。
彼女たちはすぐに打ち解け、同時にユキの余命が幾ばくもないことを共有する。
そこから2人は死ぬまでどう過ごすかを考え、実行し、何かしらの答えや思い出などを得てユキの死を迎えるという内容だ。
ユキの死は避けられず、その死にどう向き合うかというのが物語の焦点だった。
私が趣味で文章を書いていることを把握していた友人(このゲームのイラストを手掛けた人物だ)が、とあるイベントでゲームを頒布したいとのことでシナリオ執筆の話を持ちかけてきたのがきっかけで。
私がムリを言って当初全く予定になかった隠しルートを組み込んだり、その隠しルートを大学のOBだった|三峰雪花(社長)が偶然読んだことで今の会社に誘われたりと思い出深いゲームでもあった。
だがまさか7年越しに、それも異世界から現れた魔女と一緒にプレイすることになるとは……。
エトナが食い入るように画面を見つつ、ワイヤレスマウスをクリックしてテキストを進めていく。私はそんな彼女の進行ペースに合わせて、昔の自分の拙くも瑞々しさのある文章を追った。
幸い、エトナはこのシナリオを楽しんでくれているようだった。
笑うところではくすっと笑ってくれて、驚くポイントでは「わっ」と小さく呟いていた。狙った通りのリアクションがあると、書き手としてはやはり嬉しい。
物語1章が終わる頃には、すっかり時間が経って0時前になっていた。
「ふわぁ……」
私が時間を気にするのと同時に、エトナがあくびをする。
「ちょうどいいし、そろそろ寝ようか」
「えっ、でも……」
エトナが名残惜しそうな目で見上げてくる。
だがその瞳は眠気に負けはじめて、とろんとしていた。
「セーブすれば、この続きがすぐできるから大丈夫だよ。そのパソコンどうせ使ってなかったからエトナ専用にしていいし、明日以降暇な時にゲームしていいから」
「分かりました」
言って、エトナは「また明日会いましょうね」とゲームの中のユキとアヤに囁きかけた後、セーブしてパソコンを閉じた。
「それじゃあ、寝る準備しよっか」
私たちは歯を磨いたりした後、ベッドに潜り込んで電気を落とす。
特に何か言わなくても寄り添い、抱き合うような格好になる。まだ暗闇に目が慣れていなかったが、それでもエトナの頭がどこにあるのか分かるため、そっと手を載せて撫でた。
彼女も、お返しとばかりに私の頭に手を伸ばしてきて甘撫でしてくれる。
「ふふっ、くすぐったい」
「わたしは、きもちぃです……」
眠たげで、普段より甘いエトナの声。
私は彼女の頭を撫で続けながら訊いた。
「ゲーム、どうだった?」
「面白かったです……ユキちゃんもアヤちゃんも可愛くて、これからどうなるのか楽しみです」
「そっか、よかった」
声の様子からして本心らしいと感じ、私はほっとする。
「でも、ユキちゃんが心配です……病気が治りそうもなくて、もうすぐ死んじゃうって……助からないんですか?」
「……それは、ゲームを通して見届けてくれると嬉しいな」
私がムリを言って追加してもらった隠しルートなら……という言葉は引っ込めて、ゲームを作った人がよく言いそうな言葉をチョイスする。
エトナが隠しルートに辿りついてくれるといいなと思っていると、彼女はぽつりとつぶやいた。
「もし……わたしがもうすぐ死んじゃうって言ったら、トーコさんはどうしますか?」
「えっ……?」
撫でる手を止め、私は暗がりの中で薄っすらと見えるエトナの顔を見つめた。
その表情はハッキリとは分からないがやはり眠そうで、そして穏やかに微笑んでいるようだった。しばし私たちは見つめあう。やがてエトナがふわっと笑った。
「なんて、冗談です。わたしは不死なんですから、死んだりしません」
「…………」
「トーコさん……?」
不思議そうに私のことを呼ぶエトナ。
そんな彼女を、私は力いっぱい抱きしめた。
「あの、トーコさん……?」
「……冗談でも、そういうことは言わないで」
困惑するエトナに対し、私は胸の奥で渦巻く感情を絞り出すようにして言った。
「ごめんなさい……」
「……それとも、冗談じゃないの?」
脳裡に浮かぶのは、先日──エトナがカレーを焦がしてしまった日のこと。
彼女には何か抱えているものがあって、でも私にはどうすることもできなくて。
私が無遠慮に踏み込むべき領分でないと思ったから何も訊かずにいたけれど、実はエトナはもう取り返しのつかない何かへと転がり落ちているのではないだろうか。
だがエトナは、そんな私の不安を掻き消すように笑った。
「死ぬわけないじゃないですか。……だいじょうぶです」
その無理やりなくらいに明るい笑顔は、出会って最初の頃によく見たものだった。
でも、それ以上私が何か訊くことはなかった。
そんな勇気、私にはない。
代わりに私は、エトナの頭を優しく撫でて微笑みかける。
「そっか、よかった」
やがて、エトナはすぅすぅと小さな寝息を立てはじめた。
その穏やかで愛らしい寝顔を眺めながら、いつしか私も眠りに落ちる。
このままの日々が続けばいいなと、願いながら。




