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トーコさんのおしごと。

「トーコさんて、普段どんなお仕事をしているんですか?」


 水曜日の夜。

 2人でお風呂に入っていると、エトナがそんなことを尋ねてきた。

 浴室には柚子の香りが満ちている。

 入浴剤によって白く濁った湯船の中、私はエトナを背後から抱きしめるようにして足の上に乗せていた。彼女は首を回して私を見上げ、返事を待っている


 そういえば仕事の話はしていなかった。 

 するタイミングや暇がなかったとも言えるけれど。


「私の仕事は物語を書いたり纏めたりすることだよ」

「物語……小説家さんですか? トーコさんのお部屋には本がたくさんありましたけど、もしかしてあの部屋にトーコさんの本も……?」


 好奇と尊敬が混じった瞳で見つめてくるエトナ。

 私は苦笑し、どう説明したものかと一瞬迷う。


「小説は書いてないんだ。会社の同僚には書いてる子もいるんだけど、私はもっぱらゲームのシナリオかな。パソコンとか、昨日ちょっとだけ使い方を教えてあげたスマホでできるゲームの物語を書いてるの」

「わぁ……! それって、わたしも読めますか?」

「まぁ、読めるけど」


 そう返すと、エトナは案の定「トーコさんが書いたもの、読みたいです」と言った。

 だがそこで私は逡巡する。

 

 最近関わった仕事はスマホ向けゲームが大半で、どのゲームも無料ダウンロード可能なものばかりだ。ただ、関わったタイトルが多すぎるしメインシナリオを担当したものもあればイベントシナリオの一部や特定のキャラだけを担当したタイトルもある。メインシナリオを担当したものだって、まさか全てを私1人で書いたわけではないし、クライアントの意向が大なり小なり盛り込まれている。

 それに、私は関わったゲームをいちいちインストールしてやり込むほどのゲーマーでもないため、ほとんどのゲームは最初から始めなければならない。


 要は、私が関わったゲームのシナリオを読むのは時間がかかるうえに、クライアントや他のライターさんが関わった部分もあるため『私が書いたものを読みたい』というエトナの要望を100%叶えるのは難しいということだ。


 それを伝えるとエトナは、


「そうですか……時間もかかってしまうんですね……」


 と、正面を向いてしゅんと肩を落とした。


「でも、トーコさんが書いたもの……やっぱり、読みたいです。後でゲームのこと、教えてもらってもいいですか? できるだけ、トーコさんがたくさん物語を書いたゲームがしてみたいです」


 私に後頭部を向けたまま、エトナがぽつりと言う。

 それに私は「ん、いいよ」と言ってから、「あ」とふと1つのゲームを思い出した。


「ある……1つだけ、私が好き勝手書いたやつが」

「え?」


 エトナが、今度は身体ごと反転して私のことを見上げてきた。


「昔、私がまだ学生だった頃に趣味でゲームを作ってる友達がいてね。その友達に頼まれて書いたシナリオがあるんだ。素人が集まって作ったゲームだから出来は保証できないけど、私が今の仕事をするきっかけになったゲームだし……たぶん、部屋を探せば見つかるはずだよ」

「ほんとですか!?」

「うん。お風呂上がったら、探してみる」

「ありがとうございます!」


 エトナが、濡れた銀髪を頬に張り付けたままえへぇと笑う。

 私はその銀髪を指でそっと剥がしてやりながら、「もうだいぶ前に書いたものだから、クオリティは期待しないでね」と念を押す。


「でもどうしていきなり、私の仕事なんか気になったの?」


 そう訊くとエトナは「だって、トーコさんのこともっと知りたいですから」とほっこり笑った。

 それから私の胸に、そっと右の側頭部を預けてくる。


「ふふっ、くすぐったいってば」


 言いながら、私はエトナの頭をそっと抱きしめて撫でる。

 昨日のカレーの一件以来、どうにもエトナは甘えん坊さんになっている気がする。昨日は眠る前に控えめながらも足を絡めてきたし、今朝も目覚めてからしばらく甘えた声で私の名前を呼びながら、私の手にほっぺをすりすりしていたし。


 可愛いから、ぜんぜんいいんだけど。 

 

 これがエトナの素なのかもしれないと思うと、彼女との距離が狭まってきているように感じられて嬉しかった。


「のぼせちゃうから、10数えたら出ようか」

「はい」


 耳元で囁いてあげると、エトナも囁き声で返してくる。

 そうして私たちは、そのまま静かに10まで数えて一緒に浴室を出た。


 いつもそうするように、私は大きなバスタオルをいっぱいに広げて、エトナの華奢な身体をそっと拭いてやる。

 時折りくすぐったいのか、エトナが「んっ……」と吐息をこぼすのを聞きながら、足の先まで拭き終える。

 そうして普段なら、私は自分で身体を拭くのだけど。

 エトナが私を上目遣いで見つめ、両手を伸ばしてきた。


「今日は、わたしも……お返しに、拭いてあげたいです」

「じゃあ、お願いしちゃおうかな」


 そう言って、エトナのことを拭いたばかりのタオルを彼女に渡す。

 エトナは若干緊張した面持ちで手を伸ばし──しかし、身長差のせいで私の髪に上手く手が届かないようだった。背伸びをして、私がそうしたように頭にタオルを被せて優しく撫で拭きたいらしいが上手くいかない。


「あうっ……んっ……!」


 ぷるぷると爪先立ちでどうにか私の髪を拭こうとするエトナがいじらしくてもうしばらく見ていたかったが、いい加減湯冷めすると思い、私は姿勢を低くした。


「ごめんごめん、最初から屈んであげればよかったね」

「いえ、わたしが小さいのがいけないので……」

「そんなことないよ。エトナはちっちゃくて可愛いままでいいんだから」

「うぅ……」


 恥らって頬を染めながら、エトナは私の身体を丁寧に拭いてくれる。

 胸やお腹を拭かれると、くすぐったいやらもどかしいやらで思わず「んっ……」と声が漏れて、ああこれは確かに声が出ちゃうなと納得した。

 

「できました……!」

「うん、ありがとう」


 任務達成とばかりに満ち足りた顔をするエトナに微笑みを返し、私たちはそれぞれパジャマを着る。一着だけでは寂しいと思って仕事帰りに買ってきたキャミソールとニットパーカーは、エトナによく似合っていた。


「うんうん、可愛い可愛い」

「えへへ……」


 抱きしめてよしよししてあげると、エトナは照れ笑いを浮かべる。


「それじゃあ、リビング行こうか。髪乾かしてあげる。その後でゲーム探そう」


 私たちはどちらともなく手を繋いで、リビングまでの短い距離を歩いた。


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