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泥酔のち、魔女 前編

 自棄酒をした。

 涼しい風吹く5月下旬のことだ。

 

 抱えていた仕事が泥沼になって残業を余儀なくされ、3つ年下の妹(婚約済みの恋人持ち)から『2人で温泉来ちゃった♪』と浴衣姿のラブラブツーショット写真がメッセージアプリで飛んできて、陰鬱な気分で1LDKの自宅マンションに辿り着いたかと思えば郵便受けに『仲谷塔子(なかたにとうこ)様へ』と高校時代の同級生から結婚式の招待状が届いていたのである。


 28歳(独身)の私の心に、こう……渾身の一撃がクリティカルヒットし、プチっと何かが切れた。


 私は「めでてぇなぁ、ちくしょうが」と唸るように言って招待状を鞄に捻じ込むと、踵を返して最寄のコンビニへ向かった。

 アルコール度数の高いチューハイを10本と適当なつまみ、翌日用のサラダなどをカゴにぶち込んでレジへGO。顔なじみの若い女性店員とアイコンタクトだけで「何も聞かないで」「ご自愛ください」と意思疎通した後、電子マネー会計で足早に退店。

  

 帰宅した私はジャケットを投げ捨て、暑苦しいんだよクソッタレがとシャツのボタンを二つ開け、チューハイ片手に有料ネット配信サービスの映画を開いた。

 

 映画はスプラッタホラー。

 複数の若い男女のカップルが山奥の別荘で乱痴気騒ぎをしている中に殺人鬼が現れ、次々惨殺していくという映画である。


「へっ、ざまぁみろ」


 所構わず恋人とキスを繰り返していた尻軽女が惨たらしく死んだところでそう吐き捨て、チューハイを流し込んだ。

 

 だがその直後、涙が出てきた。

 なにしてるんだ自分──と、ふと我に返ってしまった私は己の惨めさと虚無感を自覚してしまい、心が耐え切れずに自然と泣いてしまったのである。


「ふっ、ふふふっ、ははは、あっはっはっはっは!!!」


 滑稽さで、笑いが込み上げてくる。

 涙も、後から後から溢れてくる。

 寂しさで心が挫けそうだった。


 だが、今ここで挫けてしまえば負けだと思った。

 酔え。酔ってしまえ。べろんべろんに。

 そうすれば、現実なんて考えずに済む。

 アルコールよ、すべてを流し去ってくれ。

 

 恋人どころかまともな出会いすらない仕事一辺倒の惨めな独身アラサー女という現実を忘れるため、私は冷蔵庫に残っていたビールやワインまで持ち出し、片っ端から空けた。 

 リビングに空き缶と空き瓶、そしてつまみの袋が散乱したが、もはや散らかすだけ散らかしてしまえの精神だった。


 いいんだ、明日は休みなんだから。

 好きなだけ飲んで、潰れてしまえ。


 ──くたばれ、現実。 


 そう願いながら、私は新しいチューハイを開けた。



 ◇◇◇◇◇



 ソロ酒盛りを始めてから数時間、2本目のスプラッタホラーを見終わった頃には深夜3時過ぎだった。

 

 私はすっかり酔っ払い、ぽへーっとフローリングに寝転がっていた。

 頭はふわふわし、視界はぼんやり。身体はぽかぽかに火照っている。


 二日酔い確定だ。

 明日が休みでよかった。


「ふふっ、寂しくなんかないんだから……ふふふっ……くそぅ……」


 うつらうつらしながら、つぶやく。

 

「べつに恋人なんていつだって作れるし……ただ一緒にいたい人が見つからないだけだし……お姉ちゃんだって恋人くらい……恋人くらいなぁ……! 10年以上いねぇけど……でも……あー、やっぱダメかもしれないなぁ」


 人生が険しい。

 ちょっと泣きそう。

 

「何でもいいから出会いがほしい……」


 これは涙か飲みすぎの嘔吐か。

 とにかく何かが込み上げてきそうで、気持ち悪かった。

 ……ちょっとトイレでリバースしてこようか。

 そう思った瞬間、隣室で何かが崩れる音がした。


「うえっ……?」


 隣室は、寝室兼書庫だ。

 積んであった本のタワーが崩れでもしたのだろう。

 会社から家賃補助されて住んでいるこのマンションは防音が万全なので物音自体は心配ない。


「ほっとこ……」


 だが、呟いた矢先にさらにもう一度本が崩れる音がした。

 ドミノ倒しのごとく負の連鎖が起こっているのかもしれない。 

 私はこれ以上の惨劇を阻止するために立ち上がった。


「ああ……めんどくさ」


 覚束ない足取りで歩き、ドアを開けて電気を点ける。

 すると予想通り、床に積み上げていた仕事で使う資料書や実用書、文庫やマンガなどが散乱していて。

 

 そして、その崩れた本の中心にはボロボロの布切れを纏った何かがいた。


「は?」


 その何かは人の形をしていて、もっと言えば女の子らしかった。

 くすんだ長い銀髪が無造作に広がり、整った目鼻立ちの顔は薄汚れている。整った目鼻立ちをした顔は薄汚れている。深海色の瞳には怯えと疲労の色が濃く、華奢過ぎる手足は擦り傷だらけで、震えていた。

 女の子だと断じたのは、身体の輪郭と胸の僅かな膨らみから。


 ボロボロの布切れだと思っていたのはどうやら衣服のようだが、汚損が激しい。

 長らく身体を清めていないのか、鼻につく臭いがした。


「……なにしてるの?」 


 酔いと独身アラサー女のドロ沼思考のせいで最低な気分だった私の声は、意図せずしてドスが利いていた。そのせいか、ボロ布の少女は悲鳴を漏らす。

 

 だがすぐに勇気を振り絞るように唇を引き結び、私の足元まで四つん這いで寄ってきた。

 立ち上がることはせず這い蹲ったまま。

 少女は顔を上げ、無理やりな笑顔を取り繕う。


「あ、あの、お騒がせしてすみません……その、決して怪しい者ではなくて……いえ、怪しいんですけど……少しだけ、少しだけ猶予と言いますかお話を聞いていただけたら嬉しいです……!」


 焦燥の滲んだ早口。

 それから彼女は縋るような声で、


「ここに住ませていただけませんか? ……なんでも、しますので」


 そう言った。

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