9 かつて守護者の塔にて
ヴァヴァロナは学問都市と呼ばれている。
ヴァヴァロナ大学校をはじめ、図書館、博物館、研究施設などが充実していて、自然や精霊、世界の歴史に関する研究が盛んだ。
さすが守護者のお膝元といえる。
王宮の背後には守護者の塔がそびえ、都市を見下ろしている。
世界の東西にひとつずつ建っている守護者の塔は、天から見るとこの世界のふたつの目のように見えるだろう。
精霊の瞳が常にこの世界を見守っている。
ヴァヴァロナ王家に生まれた俺たちは、小さいころから徹底的に精霊に関する知識を叩き込まれる。
守護者の塔に上る機会は少なくないし、王宮には精霊の働き手がごく当たり前のようにいるから、精霊はとても身近な存在だった。
けれど一歩王宮の外に出ると、精霊の姿は目に見えて少なくなる。
精霊の寄る辺や街の精霊堂を訪ねるときにはついつい精霊を探してしまうのだけれど、俺が子どものころと比べて、随分と減った。
次第にララス兄上が難しい顔をしていることが多くなった。
王宮の空気が少しずつ変わり始めていた。
姉上は幼なじみで、若くして大臣になった貴族の青年のもとへ嫁ぐことが決まっていたけれど、式は延期になっていた。
母上の婚礼衣装を直したドレスで、王宮の東庭園に親族が集まって祝うだけの挙式。
到底王女の婚礼とは思えないような質素な挙式を姉上は望んでいた。
俺たちも、それが姉上の希望ならと賛成した。
けれどそんな質素な式を挙げる余裕すら、今の王家にはなかった。
都市を前代未聞の危機が襲っていたからだ。
ヴァヴァロナの夏はもともと乾燥しがちだけれど、ここのところの雨の降らなさは異常だった。
かと思えば、まるで滝のような雨が集中して降り、これまで一度も決壊したことのない堤防が崩れ、川が氾濫したりする。
何もかもが極端すぎた。
しかもそれは極地的なものではなく、世界規模で起こっているのだという。
城の貯蔵庫を開放して市民に配給しているけれど、それも長くはもたない。
官僚に自由な時間はなく、姉上も王女として街に下りては自ら配給を手伝っている。
カリュー兄上は各地の視察のため、長く城をあけていた。
「こんなことが、いつまで続くんだ?」
『言葉遣いに気をつけろといつも言っているだろうが』
守護者の塔の最上階。
長い階段を上りきり、ようやく着いたそこで、俺は挨拶もなしに問いかけた。
すると、人の姿をした、守護者付きの精霊ツァルが眉を吊り上げる。
腰まで届く赤い髪を首の後ろでひとつに束ね、金色の瞳でぎょろりと俺を睨む。
背はそれほど高くないので、成長途中の俺といい勝負。
普段は色々と見逃してくれるのに、ヴァルヴェリアスに関することになると口うるさくなるのが難点だ。
『気にするな。今更畏まられても気持ちが悪い』
重厚な声が腹に響いた。
目の前に佇んでいるのは、世界の守護者ヴァルヴェリアス。
大精霊シュテフォーラから世界を託された精霊。
その本来の姿は竜に似た姿をしているのだというけれど、俺は人間の姿しか見たことがない。
巨大な竜の姿では塔の中に入れないからだろうと俺は思っている。
初めて会ったとき、もう何百年も世界を守っているというからどんなおじいさんかと思っていたのに、目の前に現れたのが二十代後半くらいの若い男の姿だったのには驚いた。
短く刈った青緑色の髪に灰青色の瞳、とがった耳と、長く鋭い爪が特徴的だ。
「だよな。ツァルだって普通にしゃべってるのにさ。で、なんとかならないのか?」
『俺はいいんだよ、長い付き合いだからな。それよりクルストラ、まずは挨拶をしろ!』
ツァルの鋭い声が飛んできた。
「うるさいな。えーと、遠く大精霊の世界より来たりて世界のため尽力してくださる貴方の存在に深く感謝を捧げ、我が身の全てをもって貴方にお仕えする決意に微塵の揺らぎもないことを今ここに示します」
定められた口上を述べ、ヴァルヴェリアスの前に片膝をつき、頭を垂れる。
『よくわかった』
ヴァルヴェリアスがそれに応える。
そこまでが守護者に拝謁するときの決まりだ。
ツァルがいないときなどは、ほとんどやらない。
型にはまったやりとりなんかより心の中でどう思っているかのほうが大事だと思うし、俺はこれでもヴァルヴェリアスのことが大好きだし、ヴァルヴェリアスのためならなんでもする覚悟がある。
王家の人間として当然のことだから、威張って言うほどのことじゃないけれど。
「あのさ、わかってると思うけど、相当やばいんだよ。もう、俺たちじゃどうにもできないかもしれない」
王宮にはもう、金も食料も残っていない。
この窮地を脱するにはどうすればいいのか。
一縷の望みをかけて、俺はヴァルヴェリアスに訴えた。




