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摂政戦記 0039話 進展

【筆者からの一言】


本日は第36話を午前4時に投稿。

第37話を午前5時に投稿。

第38話を午前6時に投稿。

第39話を午前7時に投稿。

第40話を午前8時に投稿。

第41話を午前9時に投稿となっております。


1940年春 『満洲』


 満洲に待望の外国資本が投下された。

「河豚計画」が進展しアメリカ系ユダヤ人の投資が満洲に行われたのだ。

 まだ、その額は大きくはないが、これが呼び水となり更に投資が進む可能性は大きかった。


「長かった。ここまで来るのに実に苦労した」


 満洲重工業開発株式会社の鮎川義介総裁は万感の思いを込めて、そう呟いた。


 大衆の興味は移ろいやすい。

「日華事変」が終了したばかりの頃は、アメリカ国民の反日感情も高かった。

 しかし、それから3年もすると反日感情も段々と収まって来る。

 日本とアメリカの関係が悪化するような事件がそれ以上起きなかった事と、欧州でのドイツの進撃に大衆の目が奪われたからだ。


 それに満洲に設立されたユダヤ人自治区で暮らすユダヤ人も著しく増加している事もあった。

 日本は満洲にドイツ系ユダヤ人を制限なく受け入れた。

 制限なくとはいっても流石にドイツからアジアに流れて来るユダヤ人は他の地域に流れたユダヤ人に比べ少数だった。

 それでも数万の人数にはなっていた。


 満洲に来たユダヤ人のうち技術者は高給で日系企業に雇用され、農民には土地が与えられた。

 差別は無く迫害も無い。

 関東軍が目を光らせているので白系ロシア人からの嫌がらせもない。


 満洲でユダヤ人迫害の先鋒となっていたロシア・ファシスト党は、閑院宮総長の指示で関東軍が軍事組織化しユダヤ人自治区から引き離していた。


 満洲のユダヤ人は平和な生活を享受した。

 特に日本の王族、閑院宮総長が満洲のユダヤ人に好意的であり後援している事は、この地に住むユダヤ人に大きな安堵感を与えた。 

 満洲でのユダヤ人社会の新聞は親日一辺倒になった。


 こうした日本が満洲でユダヤ人を制限なく受け入れ、しかも生活が成り立つよう配慮している事。

 日本での影響力がかなり大きいとみられる王族の閑院宮がユダヤ人を後援している事。

 そうした事がアメリカ系ユダヤ人に知られると、満洲への投資に踏み出そうという者も現れたのである。


 満洲へのアメリカ系ユダヤ人による投資はこの後も徐々に増加して行き、満洲重工業開発株式会社の鮎川義介総裁を更に喜ばせる事になる。


 ようやく「河豚計画」が軌道に乗り始めたのである……



【to be continued】

【筆者からの一言】


なぜ題名が「摂政戦記」なのか?

別に間違っているわけではありません。それは何れ……

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