摂政戦記 0104話 飛翔するカミサマ
1941年12月中旬 『日本』
横須賀海軍刑務所の重屏禁室。
そこは昼間でも真っ暗闇の独居房だ。
海軍刑務所には海軍で何かしらの重罪を犯した者が収監される。
その中で服役中に更に何かしらの問題を起こした者が罰として重屏禁室行きになる。
よくあるのは看守に反抗した者だ。
その重屏禁室のドアが開き、中でぐったりしていた囚人が看守達に引きずり出された。
そして、長くて暗い通路を運ばれ外に連れていかれる。
そこには1台のトラックが来ており、その荷台には既に何人かの囚人が載せられていた。
看守達に運ばれて来た囚人もその荷台に放り込まれると、トラックは走り出した。
同じ頃、横須賀海兵団のとある分隊がトラックに載せられ、やはりどこかに走り出した。
数日前から呉海軍刑務所と呉海兵団、舞鶴海軍刑務所と舞鶴海兵団、佐世保海軍刑務所と佐世保海兵団でも、同様な動きが起こっており、刑務所の囚人達と、とある分隊が船や列車で移動を開始している。
そして、彼らの連れていかれた場所は千葉の一宮にある陸軍基地。
陸軍基地とは言いながらも実際に基地を建設し管理し作戦を行っているのは閑見商会の軍属と桜華部隊である。
ここで遂行中の作戦は「ふ号作戦」
気球に兵士を乗せ太平洋を横断させる前代未聞の作戦である。
そしてこの作戦は成功しつつある。
この基地に連れて来られた海軍の囚人と海兵団のとある分隊は、睡眠薬入りの食事を出されて眠らされた。
眠っている間に、背嚢のようなバックを体の前でベルトで固定し、後ろ手に手錠を掛ける。
そして、気球に乗せ放球を開始した。
「な、なんじゃこりゃーーー」
呉海兵団のとある分隊に所属している鈴木三等水兵は目が覚め、暫くするとあまりの状況の変化に戸惑い驚きの声を上げた。
飯を食っていた所までは記憶がある。
急に眠くなって、それ以後の記憶は無い。
目覚めて見れば、腕は後ろで固定されているのか動かない。
身体の前には背嚢を小型にしたような物が括りつけられている。
何かの箱のような物の中にいるのは分かったが、身体を起こせない。
横向きになって寝かされていて、腕が動かないのと、前に括りつけられている荷物が邪魔で、身体をなかなか起こせない。
「おーーーーい」
叫んでみても何も返事がない。
「誰かーーーー」
全く反応が無い。
首を上に向けて目に映るのは何かわからない大きな物だ。
仕方なく、どうにかこうにか身体を捩り、四苦八苦の末、ようやく立ち上がった。
そして呆然とした。
空を飛んでいる……
そして周りは見渡す限りの海だ。
ようやく自分が気球のような物に乗っているとわかった。
だが、何故だ!
何が起こった!
うまく頭が回らない。
取り敢えず座り込んだ。
きっと飯だ。
飯に薬でも仕込んで眠らせたんだろう。
そして気球に乗せ捨てやがったんだ!!
畜生!!
海軍め!!
ふざけた真似をしやがって!!
俺達カミサマは邪魔者だから気球に乗せ厄介払いってか!!
なめやがって!!
今に見ていろ!!
まずは、この腕を何とかしなけりゃな。
鈴木三等水兵はそう考えると、何とか腕の拘束を解こうともがき始める。
しかし、それが叶う事は無い。
鈴木三等水兵を始め、横須賀、呉、舞鶴、佐世保から集められ気球に乗せられた彼らは、通称カミサマと呼ばれる海軍の厄介者達である。
海軍にも色々な者が入隊する。
入隊した新兵は各海兵団で基礎訓練を受ける。
そこでかなりきついシゴキを受ける事になる。
大抵の者はシゴキに耐え、一人前の兵隊に育っていくが、中には悪い意味で落ち零れる者も出る。
元から腕っぷしに自信があったり喧嘩に強く、海軍のシゴキに反抗する者もいる。どれだけしごかれようと素行の悪い者もいる。
そうした者達は懲罰を喰らい、それでも態度を改めなかったり、素行の悪い場合は海軍刑務所送りとなる。
しかし、海軍刑務所に服役しても、反抗的だったり素行の悪い者は出る。
結局、海軍でもそうした札付きは持て余す事になる。
そういう者は艦に配属されてもトラブルを起こし、結局は艦から降ろされ海兵団に戻される。
そんな札付きの厄介者達を集めた分隊が各海兵団に一つはある。
こうした分隊には任侠の徒も入れられた。
そして、そういう者達は階級が上の上官達でもなかなか御せない事から、いつしかカミサマと呼ばれ忌避されるようになった。
触らぬ神に祟りなしだ。
ただし、そんな者達だから昇進などしない。
海軍の場合、1941年の時点では、入隊して最初の訓練期間は四等水兵となる。
訓練を終了すると三等水兵となる。
真面目に勤務していれば1年から2年で二等水兵となれる。
しかし、このカミサマ達はいつまで立っても昇進せず万年三等水兵である。
その厄介者が気球で本当に厄介払いされたのである。
閑院宮摂政が直々に動いたのだ。
海軍省の上層部では、そんなカミサマ達の事までは把握していない。
上層部にいるのは言ってみればエリート軍人である。
そのような者達とは関りが無いし、そんな者達がいる事を知らぬ者さえいる。
そうした者達の処遇は、もっと下のレベルで処理されている事だからだ。
それ故に閑院宮摂政が「皇軍の面汚しを消去する」「皇軍の膿を一掃する」と言い出した時には驚いたものである。
だが、そうした者達を処分するのに反対はしなかった。
彼らの経歴を見て見れば汚点だらけで、時には町で横暴な振る舞いをして、一般市民から苦情が寄せられている事もあったからである。
こうした者達は陸軍にも当然おり、そうした者達も気球に乗せる為、既に陸軍内部で動きが始まっている。
こうして「皇軍の面汚し」認定された者達は気球で飛ばされ、誰一人、後に日本に帰って来る者はいなかった。
何しろ気球は高度1万メートル付近を飛ぶのだ。
富士山どころか世界最高峰の山エベレストの8850メートルよりも遥かに高い高度を飛ぶ事になる。
当然、空気も薄いし気温は低い。
それを2日もの間耐えなければならない。
「桜華丙班」の気球には酸素ボンベと酸素マスクが気球内に設置してあるが、これらカミサマ達の気球にはその様な物は設置されていないのだ。
どれだけの者が生きてアメリカ大陸に辿り着けたか全く不明である。
と、言うよりも例えアメリカ大陸に生きて辿り着けても、その命は長くはなかった。
鈴木三等水兵は生きてアメリカ大陸の上空に到達した。
身体はグロッキーになっている。
もう2日も飲まず食わずだ。
しかも高度1万メートルを何の装備も無しで飛んだのだ。
ゴンドラに蹲り酸素不足から来る高山病の症状、頭痛、眩暈、吐き気に耐えていた。
自分がどこら辺を飛んでいるのか何てどうでもよかった。
早く、この苦しみから抜け出したかった。
ある意味、その願いは直ぐに叶う事になる。
アメリカ大陸上空を飛ぶ気球のゴンドラの中で、鈴木三等水兵の前に括りつけられた荷物が突如、爆発したのである。
それは時限爆弾だった。
爆弾は鈴木三等水兵の身体をバラバラに四散させた。
痛みを感じる暇も無かった。
ゴンドラも吹き飛んだ。
気球は気嚢だけとなって上昇を開始する。
こうして鈴木三等水兵は誰が知るともなく亡くなった。
他のカミサマ達も似たような運命を辿った。
気球にトラブルが発生し太平洋上に墜落し溺れ死んだ者もいる。
1万メートルの高度で酸欠になり死んだ者もいる。
中には鈴木三等水兵同様にアメリカ大陸に到達したが時限爆弾により爆散した者もいる。
そうした中には、極少数であるが、地上に到達しアメリカ人に捕まった所で時限爆弾が爆発し、十数人のアメリカ人を死傷させながら死んだ者もいたのである。
これが「皇軍の厄介者」に対する閑院宮摂政の対処方であった。
邪魔者は殺せ。
ただし、彼らの家族達には閑院宮摂政はそれなりの温情をかけている。
家族の許には死亡通知書が送付される。
そこには、部隊名、階級、戦死場所が記載される。
これらの「皇軍の厄介者」については、実際の階級よりも二階級も上の一等水兵と記載さた。
既に何年も海軍にいるのに三等水兵だったのでは、他人に知られた場合、家族が恥ずかしい思いをする事になる。それへの配慮である。
戦死場所はアメリカ西海岸と書かれ、遠い異国の最前線でお国の為に亡くなった事にされている。
家族は、亡くなった息子、または兄弟が、万年三等水兵の皇軍の厄介者だったとは知らず、立派に御勤めを果たして名誉の戦死を遂げたと思い、そこに慰めを見出しつつ、その死を哀しんだのである。真実は知らずに。
これは真実を知らない方が良い事もあるという一例であっただろうか。
ともかく、こうして「皇軍の厄介者」は取り敢えずは消滅したのである。
しかし、徴兵制を施行している限りは、再び、こうした厄介者は出て来るだう。
なお「ふ号作戦」に紛れて行われたこのカミサマの処分について、後世、それを語ったり証言する者は皆無であった……
【to be continued】




