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摂政戦記 0091話 大戦への誘い

【筆者からの一言】


敵を減らして味方を増やす方策をもう一つ、というお話。

 1941年12月15日 『メキシコ合衆国 首都メキシコシティ 大統領官邸』


 この日、日本の駐メキシコ公使がマヌエル・アビラ・カマチョ大統領と会談した。


 メキシコは日本に対し国交断絶を宣告した。

 本来なら日本の外交官はメキシコより退去する事になる筈だった。

 しかし、アメリカの状況がそれに待ったをかけさせた。

 そして、この日、日本の公使からカマチョ大統領に会談の申し込みがあり、この場が設けられていた。


「カマチョ大統領、会談に応じていただき有り難うございます」


「いえ、こちらこそ。貴国とはこの様な関係になってしまったが、どうか悪くは受け取らないでいただきたい」


「はい、カマチョ大統領のお立場は承知致しております。そこでなのですが、本国よりカマチョ大統領にある提案をするように、との指示を受けました」


「ほぅ。それはどのような」


「アメリカの現状はカマチョ大統領も把握しておいででしょう?」


「ええ、我が国にも影響が出る可能性が高いので注目しております」


「そこでです。もし、貴国がこれを好機とし、かつてアメリカに奪われた北メキシコ地方を奪回する気があるのなら、日本政府はこれについて手を貸す用意がございます」


「ほぅ」


 メキシコはかつてもっと広い領土を持っていた。

 それをアメリカ人により奪われた歴史を持っている。


 始まりはテキサスだ。

 1835年から1936年にかけて戦われた「テキサス独立戦争」から事は始まった。


 これはアメリカから見ればメキシコ領テキサスに入植したアメリカ人がメキシコ政府からの不当な搾取と迫害に耐えかね独立戦争を起こし勝利した戦争となる。

 この時に起きた「アラモの戦い」は、史実における後世、1960年に名優ジョン・ウェイ〇が映画監督兼主演で「アラモ」という題名で映画化されている。


 しかし、メキシコ側から見ればアメリカ人入植者がメキシコの法に背いて反乱を起こした戦争だ。

 

 その「テキサス独立戦争」から9年経った1845年、テキサスはアメリカとの併合を望み28番目の州となる。 しかしメキシコ政府はテキサスの独立も認めず、その後のアメリカとの併合も認めず、あくまでテキサスは自国領土だと主張をする。


 その翌年の1846年、国境線における問題からついにアメリカとメキシコは戦争に突入した。

 米墨戦争と呼ばれる戦争であり、約2年間続いたが、結果はメキシコの惨敗である。

 その結果、メキシコはテキサス州のアメリカへの併合を認め、国境線をリオグランデ川とする事なる。  その他に、現在におけるアメリカのカリフォルニア州、ネバダ州、アリゾナ州、ユタ州の4州の全域とニューメキシコ州、コロラド州、ワイオミング州の3州の一部領域を格安な価格でアメリカに売却する事に同意させられた。


 メキシコは米墨戦争により広大な領土を失う事になったのである。


 この事について21世紀になってもメキシコでは不当に領土を奪われたと認識している者は多い。


 その奪われた領土から後に金や石油が出たのだからメキシコとしてはやり切れないものがある。

 また、奪われた領土に残ったメキシコ人はアメリカ人から酷い人種差別を受け苦しめられた。

 

 メキシコとアメリカとの間には領土においてそういった歴史がある。


 カマチョ大統領は少しの間考え込むと公使に尋ねた。


「なるほど……それは我が国に日独伊三国同盟に参加を要請するものですかな?」


「いえ違います。大統領にも政治的なお立場がございましょう。

これは必ずしも同盟にお誘いするわけではございません。

ですが、もし、我が方の陣営に参加したいと仰るならば、我が国を始め他の国も喜んで貴国を歓迎いたしましょう」


「ふむ。仮の話しとして、もし我が国が貴国に支援を求めた場合、どのような助力をしていただけますかな?」


「その気がおありでしたら我が国は貴国に義勇兵を派遣する用意があります」


「義勇兵ですか?」


「はい。あまり多くは派遣できませんが、それでも武装した死をも恐れぬ日本兵の精鋭1万5千人を義勇兵として3週間以内に貴国へ派遣致します。後は資金援助となりましょう」


「なるほど……」


 カマチョ大統領は暫し考え込んだ。

 カマチョ大統領の耳にもアメリカの戦況はかなり入って来ている。


 驚いた事にアメリカでは太平洋どころかメキシコ湾岸、大西洋岸の港湾大都市でさえ壊滅しているという話しだ。

 しかもアメリカはホワイトハウスまで襲われている。

 アメリカ本土奥深くの内陸都市で戦闘も行われているようだ。

 既に太平洋、大西洋の両艦隊は壊滅したとも聞く。

 何より日本は原子爆弾なる一発で大都市が全滅するほど強力な兵器を持ち、アメリカに使用したらしい。


 そんな兵器が、もし我がメキシコに使われたらメキシコ国民2600万人はどれだけ生き延びられるのか……


 正直、こうした情報が入って来るにつれ、日本に対し国交断絶を通告したのは早まったかもしれないという考えが頭に渦巻く。

 本当は国交断絶を撤回したかったが、流石にそれでは国際社会で物笑いの種になる。

 メキシコという国の信用と威信は地に落ちる。

 できる事は公使の国外退去を延期させる事ぐらいだった。


 今はもう日本がアメリカに勝てるわけはないと踏んで国交断絶をした事が裏目に出ないよう祈るばかりだ。


 しかし、公使の話しでは、それほど日本のメキシコに対する感触は悪くはないようだ。

 しかも戦争へのお誘いとは……


 通常ならアメリカを相手に戦争をする事は無謀でしかない。


 だが、しかし……

 これだけアメリカ本土が打撃を受けているのなら……

 旧北メキシコ領でも同胞ヒスパニックやインディアン、黒人が蜂起していると聞く。


 今ならば、もしや…… 

 それもこれまでに戦争に負けた事のない日本が、勇猛果敢とも聞く日本兵を送ってくれるならば……


「ふむ。では仮定の話しとしてですが、もし我が国が貴国の支援を受け北メキシコ領を奪還し、この大戦も同盟(日独伊三国同盟)の勝利に終わった時、貴国は我が国にどれほどの対価を求めるおつもりですかな?」


「何もありません」


「何も?」


「はい。我が国は今のアメリカは大きくなり過ぎたと考えております。

その大国故の傲慢さに我が国はこれまで何度も泣かされ、遂には今回の戦争となりました。

貴国も同じ立場でありましょう。

アメリカの干渉に苦しめられてきた歴史は。

我が国はアメリカという大国の横暴がこの世界から消えるのを望むのみ。

他にこの大戦から得られる物があったとしても貴国からはいただきません」


「なるほど……」


 カマチョ大統領は自国の歴史を顧みる。


 メキシコが近代国家を目指したのは1884年から1911年まで大統領だったポルフィリオ・ディアス大統領の時代からだ。


 ディアス大統領はメキシコを近代国家にする為に積極的にアメリカ資本の導入を行った。また支持基盤として地主階級の優遇を行った。

 この時期、中南米に投資された外国資本のうち約3割がメキシコに投資されているのだから相当な割合の投資があった事になる。

 それまでメキシコ国内の鉄道の距離は約700キロだったが、2万4千キロにまで延長された。

 石油の掘削も進み油田も増える。

 しかし、潤うのは一部の階級の者達だけで貧富の差は開いていく一方で格差社会が拡大した。

 農民の9割以上が貧困生活を送っている。

 石油があるのだから潤いそうなものだが、実際には利益の殆どはアメリカ企業に流れメキシコには石油の利益は1割以下しか入ってこない。


 結局、そうした格差社会の不満が爆発しメキシコ革命が発生する。

 この革命によりディアス大統領は亡命を余儀なくされ、ディアス大統領の政治的ライバルで革命を起爆させたと言える政治家マデーロが新たな大統領となった。


 その過程においてアメリカ政府はベラクルス港に6000人の兵士を派遣し、参戦こそしないもののアメリカ企業保護の圧力を政府と革命側の両方にかけている。この派兵はアメリカ企業の要請に応じて行われたものだ。


 新たに誕生したマデーロ政権も長くは続かなかった。

 マデーロ政権は当然の如くディアス政権の政策とは反対の方向に舵を取る。それはメキシコに資本を投下しているアメリカ企業にとって都合の悪い政策になる。

 アメリカ企業は癒着する関係にあった駐墨アメリカ大使を使う。

 マデーロ政権で軍の最高司令官だったビクトリア―ノ・ウエルタ将軍が駐墨アメリカ大使に唆されクーデターを起こしマデーロ大統領を暗殺する。


 ウエルタ将軍はクーデター後、政治家のペドロ・ラスクラインをメキシコ大統領に据えた。

 クーデターの正当化の為であり、自分の権力欲から行ったわけではないという事を内外に示すためである。

 ウエルタ将軍自身は内務大臣に就任する。ただし、その期間は短かった。

 ペドロ・ラスクライン大統領は就任1時間で辞任し、その座をウエルタ内務大臣に譲るのである。

 メキシコの大統領でこれほど在任期間の短い大統領は他にはいない。

 建て前にしても露骨である。就任期間については他にも説があり25分程だったという話しもある。


 こうしてビクトリアーノ・ウエルタがメキシコ大統領に就任する。

 しかし、その後が問題だった。

 ウエルタ大統領は自分に反対意見を持つ者を国会議員も含めて根こそぎ粛清する。

 その結果はまたもや大規模な反乱の勃発である。


 マデーロ政権で国防大臣だったベスティアーノ・カランサが反乱の旗頭となり戦い勝利した。

 ウエルタ大統領はスペインに亡命する。


 ベスティアーノ・カランサは大統領となり新憲法を制定したり改革を行おうとした。

 その中にはアメリカ企業による石油利権の独占を制限する政策もあった。

 しかし農業政策に関しては、地主階級の優遇を行った。

 言うなれば農民とアメリカ企業の双方から嫌われる政策を行ったと言える。

 しかも大統領の任期が切れる頃になると傀儡政権を作ろうとして有力な対立候補に弾圧を加えようとした。


 ここでまたもや反乱の勃発である。

 カランサ政権で一時は国防大臣をしていたアルバロ・オブレゴンが旗頭となり戦い勝利した。

 その後ろ盾はやはりアメリカである。

 カランサ大統領は地方で巻き返しを図ろうとしていたが暗殺され亡くなった。


 アルバロ・オブレゴンは大統領となったが、その政策はカランサ前大統領とは真逆である。

 アメリカ企業の石油利権を認め、地主階級から土地を取り上げて農民に分け与える農地改革を推進した。


 しかし、このアメリカ企業の石油利権を認める政策を不服とする者は多かった。

 またもや反乱の勃発である。

 オブレゴン大統領はこの反乱を鎮圧したが多くの血が流された。


 オブレゴン大統領の任期が切れ大統領選挙が行われると、当選したのは閣僚の一人だったプルタルコ・エリス・カリェスである。

 彼は取れる所から取るのが政策だった。

 アメリカ企業による石油利権の独占を制限する政策を打ち出し、メキシコの主要な宗教でかつては国教でもあったカトリック教会の財産を没収する。


 それで起こったのが宗教戦争のクリステーロ戦争である。

 複数のカトリック団体が連合して政府の政策に異を唱え反乱を起こした。

 このカトリック信徒達は「Viva! Cristo Rey!」(キリストが王なり!万歳!)と叫んで戦った事からクリステーロと呼ばれた。

 反乱は約2年半続きクリステーロでは最大兵力時には約2万8000人が兵士として前線で戦った。

 しかし、政府軍は常に7万人を超える部隊を動員して戦う。装備、資金、兵力数で劣る上に内部分裂をも起こしたクリステーロの劣勢は否めずついに降伏して戦いは終わる。

 カリェス大統領はこの戦争で4万人以上のクリステーロ兵士を殺して勝利したと言われる。


 こうしてカリェス大統領はカトリック教会を押さえ、アメリカの石油企業とも妥協してある程度の油田の権利を認めてアメリカ政府との対立を避けた。


 カリェス大統領は政権を維持し任期が切れた後は、配下のパスカル・オルティス・ルビオを大統領選挙で当選させて傀儡政権としメキシコの政治を裏から操った。

 ルビオ大統領が病気で任期を残し辞任すると、やはり黒幕のカリェス前々大統領が、配下のアベラルド・ロドリゲス国防大臣を大統領につける。


 次の大統領選挙ではロドリゲス政権で国防大臣だったラサロ・カルデナスが出馬し勝利する。


 1934年からカルデナス大統領の時代が始まるが、ここからが大改革の時代だった。

 カルデナス大統領は農地解放政策を行い地主階級から土地を取り上げ農民に分配した。

 しかも地主階級が無法な手段で農地を奪い返せないように農民に小銃を供与し民兵組織を作らせた。

 外国資本の石油企業や鉄道を国有化した。

 共産党を合法化した。

 政界の黒幕だったカリェス元大統領とも対立しカリェス自身も含めてその一派を政府から追放した。

 これによりカリェス元大統領は外国に亡命を余儀なくされている。


 しかし、ここで面白くないのは当然アメリカ企業だ。

 油田や鉄道を国有化され大損害である。

 そして再びアメリカは反カルデナス派のセディーリョ将軍を唆して反乱を起こさせる。

 この反乱は半年続いたが政府軍に鎮圧された。


 カルデナス大統領はこうしたアメリカの動きにドイツとイタリアに接近し石油の供給協定を結ぶ。

 アメリカは譲歩し国有化した企業の補償金をメキシコが払うという形で和解する。


 その次の大統領選挙でカルデナス政権で国防大臣だった自分、マヌエル・アビラ・カマチョが出馬し勝利し今に至る。

 カルデナス大統領の政策はアメリカとの戦争一歩手前の綱渡りなものだった。

 政府内ではこれを危惧した者も多く穏健派であった自分、マヌエル・アビラ・カマチョが押されたのだ。


 そして今、自分は親米政策をとっている。


 だが、しかし……

 心の奥底にそれを面白くないと感じている自分がいるのも事実だ。


 これまでにメキシコはどれだけアメリカに干渉を受けて来たか。

 どれだけメキシコの大地からアメリカに利益を吸い上げられて来たか。

 今はアメリカ領となった北メキシコで、どれだけ同胞が差別と迫害を受けて来たか。



「いかかです。大統領。この大戦の流れに乗ってみませんか。

我が国は成算も無しに戦争を始めたわけではありません。

我が国は対外戦争で常に勝利して来た歴史を持ちます。

今回の戦争においても負けるつもりはありません」


 その公使の言葉に、大戦への(いざな)いにカマチョ大統領は乗ってみたくなった。

 だが軽々しく決断はできない。

 自分の決断によりメキシコ国民の未来がかかっているのだ。


「事が事だけに即断はできかねます。今暫く猶予をいただけますかな」


「勿論です、大統領。良いお返事を期待しております」


 そう言って、この場を辞去した公使の置き土産とも言うべき話しについて、カマチョ大統領は思考を巡らせた。

 どうしたものか……


 これはかつてないチャンスかもしれない。

 だが一歩間違えれば破滅に繋がる。


 通常ならアメリカに戦争など仕掛けられない。

 しかし今なら……


 日本の攻撃によりアメリカは大打撃を受け混乱している。

 既に日本軍は西海岸に上陸している。 

 アメリカ南部の旧北メキシコ領では同胞ヒスパニック、黒人、インディアンが蜂起している。

 我がメキシコ軍は国内で反乱が多発していた為に実戦経験豊富の者が多い。

 更には装備の近代化も進んでいる。

 今年、配備したばかりのCTMS-1TB1戦車は良い性能をしているようだ。


 これに、もし日本の義勇兵が加わるならば……


 それにしても旧北メキシコ領での同胞ヒスパニック、黒人、インディアンの蜂起か……

 まるで「サンディエゴ計画」だな。

 待てよ。まさか、まさか、彼らの蜂起の裏には日本が……



 カマチョ大統領の言う「サンディエゴ計画」とは1815年にアメリカのテキサス州で発覚したヒスパニックによる武装蜂起計画の事である。


 サンディエゴは太平洋岸の港町の事ではなく、テキサスの内陸にある同名の町の事である。

 そのサンディエゴで作られた「サンディエゴ計画」とは、かつて米墨戦争で奪われた地域に反乱を起こさせ独立させようという計画だった。


 この計画は15条の項目からなっていた。

 要約すると次のようになる。


1. 1915年2月20日、我々はアメリカ合衆国に対し武器を持って蜂起する。アメリカからの黒人の独立と個人の自由を宣言する。

同時にメキシコがアメリカに不正に奪われたテキサス、ニューメキシコ、アリゾナ、コロラド、カリフォルニアの独立を宣言する。


2. サンディエゴ最高革命評議会の下に然るべき軍団が編成され、その名前は「人民解放軍」とする。


3. 指揮官は占領した町で武器と資金の調達に最善を尽くす。


4. 指揮官は占領した町で市当局者を速やかに任命する。


5. 捕虜をとる事は禁じる。


6. 武器を所持し、その所持する正当性を証明できない者は即座に処刑する。


7. 16才以上のアメリカ人は全て殺害する。女性、老人、子供のみ殺害の対象外とする。


8. インディアンには我々の大義への同調を促し、アメリカに奪われた彼らの土地は返還するものとする。


9. 我が軍に属する兵士の任務と階級は全て軍団幹部により決定される。


10. 我々の闘争が成功し、前記諸州を支配した暁には独立した共和国とする。その後、メキシコへの併合を求める。


11. 我々が諸州の独立を勝ち取った暁には、それに隣接するアメリカの六つの州を黒人が獲得する事を支援する。黒人はその六州をもって共和国を形成し独立するものとする。


12. 部隊指揮官は最高幹部会の判断無しには敵と如何なる協定を交わす事も許されない。またヒスパニック、黒人、日本人以外の者を兵士に採用してはならない。


13. 当軍団に属する者は反乱を起こしたり背いたりしてはならない。


14. 各地域は可及的速やかに代議員を選出し常任幹部会設立の為の会議に参加する。


15. 当行動に参加する者は我々が黒人独立を旗印にし、メキシコ政府からは物心何れの支援も受けない事を了承する。


 この「サンディエゴ計画書」を持っていたのは、ウエルタ元大統領のシンパのメキシコ人だった。

 たまたま別件で逮捕した所、所持品の中からこの文書が見つかった。

 アメリカ陸軍は国境周辺の警戒を強めるが2月20日になっても何も起きなかった。 


 しかし、7月4日のアメリカ独立記念日になって突如、破壊工作が始まった。

 大規模ではなかった。

 しかし、アメリカ国民の白人が襲われ、鉄道が破壊されるというテロ行為が10月まで頻繁に続く。


 アメリカの白人社会は大騒ぎとなり、自警団が編成され、怪しいと思われるメキシコ系の人々を即決裁判で裁く挙に出る。

 これにより500人とも5000人とも言われるメキシコ系の人々が犠牲になった。


 このテロ行為は、アメリカ政府が内乱状態のメキシコで領土の大半を制圧しつつあるカランサ大統領の政権を承認した事でストップする。

「サンディエゴ計画」書を持っていた、ウエルタ元大統領のシンパのメキシコ人にしても、釈放された後は同地のカランサ派に合流したと言われる。

 それ故に、この「サンディエゴ計画」は実際にはアメリカ政府にカランサ政権を承認させる為のものだったのではないかという説がある。


 その一方で復権を望むウエルタ元大統領が、カランサ派とアメリカ政府の関係を悪化させる為に計画したものとの説もある。


 更には、全ての黒幕はドイツであるとする説もある。

 当時は第一次世界大戦の最中であり、ドイツはアメリカの参戦を懸念していた。

 そこでメキシコを使いアメリカ政府がアメリカ南部とメキシコに手を取られヨーロッパに介入できないようにしようと動いたという説である。

 スペインに亡命していたウエルタ元大統領に接触し、アメリカに潜入させたまでは良かったが、そこでアメリカに捕まり計画は潰れた。

 しかしドイツはカランサ派と戦っていたパンチョ・ビリャに目をつける。

 パンチョ・ビリャは後世、メキシコ革命の英雄として知られその活躍を映画化もされている。

 ドイツはパンチョ・ビリャに武器を提供し石油供給地タンピコの占領を要請したが、パンチョ・ビリャはその要請には動かなかった。

 次にドイツはカランサ派に接近したが、カランサ派もドイツの思うようには動かなかった。

 結局、ドイツのメキシコを利用するという思惑は外れ、後にアメリカは大戦に参戦する事になる。


 ところで、パンチョ・ビリャはアメリカ政府がカランサ政権を承認した後、それを不服として1500人の兵を率いて国境線を越え、ニューメキシコ州のコロンバスを襲っている。

 これに怒ったアメリカ政府は約1万2000人の兵力をメキシコに送り込みパンチョ・ビリャを捕えようとしたが失敗し撤退している。

 その過程においてはパンチョ・ビリャと敵対関係にあるメキシコ政府軍の小部隊とアメリカ軍小部隊が偶発的に戦った「カリサルの戦い」が発生しているが、アメリカ軍が24人の捕虜を出し敗退している。



「サンディエゴ計画」の真実は新しい新資料の発見でもなければ解明できないだろう。

 ただ、一つ言えるのは、旧北メキシコに住むメキシコ系の人々が白人に敵視され迫害を受け受難な時を過ごしたという事実である。


 カマチョ大統領の思いついた通り、閑院宮摂政は「サンディエゴ計画」を知っていた。

 それを全て踏襲したわけではないが、今回のアメリカ本土強襲作戦におけるアメリカ南部での計画において参考にしている。

 元になった「サンディエゴ計画」はあまりにも現地の人々の力に頼り過ぎていた。

 成功すれば現地のメキシコ系の人々とメキシコは満足するが、失敗すればメキシコ系の人々は犠牲の羊だ。実際、史実ではそうなった。

 だからこそ今回はメキシコ軍を投入させようと外交的に動いており、現地では工作員による武器の供給を行った。ただし、これらは失敗する可能性も念頭に置いた上での計画だ。

 

 それにしても「サンディエゴ計画」の中で第12の項目にある「ヒスパニック、黒人、日本人以外の者を兵士に採用してはならない」と言うのは注目に値する。

 日本人を兵士に採用して良いと言っているのだ。

 

 この時代、日本人はそれほどアメリカ南部には進出してきていない。

 1910年の時点でテキサス州にいた日本人は約340人、ニューメキシコ州は約300人、アリゾナ州は約370人である。

 彼らは人種差別に苦しめられた。

 彼らの残されたわずかな記録を追うと同情心しかわいてこない。


 メキシコ人も黒人も日本人も同じように白人に差別され苦しめられていた。

 それ故の第12項の「ヒスパニック、黒人、日本人以外の者を兵士に採用してはならない」なのだろう。



 カマチョ大統領は日本の誘いに悩む。

 政策を180度転換させる事に思い悩む。

 戦争に参加して勝てば良いが、必ず勝てる保証は無い。

 しかし、チャンスである事も事実なのだ。


 史実においてカマチョ大統領は太平洋戦争ではアメリカに味方した。

 政策もアメリカ寄りだった。

 しかし、必ずしもアメリカの言い成りになってばかりいたわけではない。


 史実における第二次世界大戦においてアメリカは巨大な軍隊を編成したが、それは国内での労働力不足を生む事になる。

 その労働力不足を埋める為にアメリカはメキシコ人労働者を大量雇用したいとメキシコ政府に要望した。

 当初、この要望にカマチョ大統領は乗り気ではなかった。

 メキシコ人はアメリカ国内では人種差別にあい、賃金はアメリカ人労働者よりも安くなっていたからだ。

 そこでアメリカ政府と交渉し、メキシコ人への人種差別の禁止とアメリカ人と同一賃金の支払いを要求している。


 また、メキシコでも日系人の収容所への強制収容が行われたが、アメリカ政府がその日系人の引き渡しを求めて来た時、これを拒否している。


 そういう訳でカマチョ大統領は必ずしもアメリカのイエスマンでは無かった。

 アメリカと闇雲に角突き合わせる事は得策ではないと考え、親米政策をとってはいるが、それは盲従するものではなかったのである。


 そういう人物なだけに、今回の歴史においてカマチョ大統領はメキシコの置かれた立場に思い悩んでいた。


 アメリカ合衆国と戦端を開き、旧北メキシコ領を奪回するか。しかし、勝てる保証は無い。

 それともこのままアメリカ側についたままでいるか。その場合は日本から原子爆弾による攻撃を受けるかもしれない……


 カマチョ大統領は難しい選択を迫られていた……


【to be continued】

【筆者からの一言】


カマチョ大統領はCTMS-1TB1戦車を良い性能と思っているようですが、ただ単に他を知らないだけです。

ソ連のT34を見たらCTMS-1TB1戦車が旧式に見えるでしょう。

ドイツでさえ約半年前に始まった独ソ戦でT34を知ったばかり。メキシコにはまだそうした高性能な戦車の情報は入って来ていません。

知ったらショックでしょう。配備し始めた戦車がもう旧式とは。

だが、しかし、この時点ではアメリカ軍もまだM4シャーマン戦車の生産は始まっていません。

果たしてメキシコ軍のCTMS-1TB1戦車が活躍する時は訪れるのか……

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