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摂政戦記 0088話 逃避行

【間抜けで使えないウジ虫のような筆者からの心からのお詫び】


申し訳ございません。

昨日、一話抜いて投稿してしまいました。

第86話「誘拐」は第87話に移動となりました。


第86話の内容は新たに題名「方針」として中身を一新しております。

何とぞご容赦下さい。

誠に申し訳ございませんでした。


 1941年12月中旬 『アメリカ 西海岸一帯』


「お前のせいでぇーー!」

「や、やめて、た、たすけて」

 白人の男達が目を吊り上げ口から泡を飛ばしながら中年の日系人を殴りつけ蹴りつけていた。

 暴力を振るわれているのは彼だけではなかった。


「お前らが、お前らが悪いんだ!!」

「た、たす、けて……」

 殴りつけ地面に倒れた老いた日系人の頭を掴み何度も地面に叩き付けている白人もいる。


「俺の家族を返せぇ―――!」

「ギャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」

 殴る蹴るでは飽き足らず若い日系人の腹をナイフで滅多刺しにする者もいる。

 腹を刺された若い日系人はのたうち回って悲鳴を上げている。


 リンチが行われていた。

 シアトル周辺で、サンフランシスコ周辺で、ロサンゼルス周辺で、サンディエゴ周辺で、日系人に対する酷いリンチが頻発していた。

 難民キャンプの中でもリンチは行われていた。


 誰もそれを止めようとはしない。

 

 原子爆弾という強力な兵器で大勢のアメリカ人が死んだ。

 原子爆弾を使われた都市は地獄のような有り様だった。


 この惨劇を招いたのが日本の攻撃だとわかると、西海岸に住む少なからぬアメリカ人の怒りの矛先は日系人へ向けられた。

 

 原子爆弾に家族を殺されたアメリカ人は「復讐だ!」とばかりに日系人に容赦なく暴力を振るう。

 リンチの横行だ。

 家族を殺された者には怒りしかない。

 直ぐに一線を越えた。 

 何人もの日系人が無惨に殺されていく。


「や、やめ、やるてくれぇーーーうぐっ」 

 首にロープをかけられ吊るし首にされた者もいる。

 その死体が幾つも木に吊るされていた。


 警官も兵士も見て見ぬふりをした。

 いや、中には止めなければならない立場の警官の中にもリンチに加わっている者がいる。恐らく家族を亡くしたのだろう。


 気球により日本兵が空から舞い降りて来る事件が起きると、日系人へのリンチは更にエスカレートする。


 こいつらを殺さなければ空から来る日本兵と一緒になって俺達白人を殺し始めるかもしれない……

 そうした恐怖にとりつかれる白人が続出したのだ。

 日系人へのリンチ、いや殺人は日を追うごとに増加する。

 その中には日系人に間違われて殺された中国人も大勢いた。


 こうした日系人へのリンチは西海岸一帯にとどまらず、更には中西部にまで広がりを見せる。

 それだけ気球から舞い降りる日本兵が恐怖の的になったのだ。


 西海岸に住んでいた日系人はアメリカ人の敵視とリンチに脅え、生きた心地がしなかった。

 怯えて息を潜めて隠れ住むような暮らしになる。

 難民キャンプから逃げ出す日系人も増えて行く。


 日系人とて大勢が原子爆弾の犠牲になっているのに!


 実際、原子爆弾が爆発したシアトル、サンフランシスコ、ロサンゼルス、サンディエゴ周辺には大勢の日系人が住んでいた為、数万人がその犠牲となっている。


 閑院宮摂政は数万人の同胞を犠牲にする事に躊躇しなかった。

 同胞諸共アメリカの港湾大都市を殲滅したのである。


 アメリカに住む日系人からしてみれば、祖国日本に裏切られたと感じる部分もあった。

 だが、アメリカ人からも今や自分達は敵視されている。

 複雑な心境だった。

 どこにも居場所が無い……


 ともかく死にたくはなかった。

 家族共々どこかに逃げたかった。

 しかし、そのあてが無い。

 西海岸一帯の大きな港は破壊され外国に逃げ出す事もできない。

 内陸に行った所で白眼視され敵意を向けられリンチされるのは変わらないだろう。


 どうしたらいい?

 どうすればいい?

 このままでは家族が危険だ。


 日系人の苦悩は大きかった。


 そんな時だ。どこからともなく見ず知らずの日系人が現れた。

 良い隠れ家があるから同胞のよしみで一緒に逃げようと言う。

 他にも逃げる仲間は大勢いるとも言っていた。

 声を掛けたい人がいれば掛けてくれ。みんな連れて行くと言う。

 隠れ家は山の中にあり、戦争が終わってほとぼりが冷めるまで隠れていようと言う。


 藁にも縋る思いで、この話しに飛びついた。

 遠い異国で同胞の絆は貴重だ。

 知り合いの日本人にも声をかけ、逃避行が始まった。


 ワシントン州にいた者の目指す場所はシアトル北方約100キロにあるシャノン湖の南岸から更に16キロ北東にあるウェルカーピーク山だ。

 21世紀で言えば、ノースカスケード国立公園の南東の端の方にある山という感じだ。

 この時代には、まだ国立公園にはなっていない。


 ワシントン州はアメリカでも北にある。その中でも更に北。

 しかも山で今は冬だ。

 厳しい自然が敵となる。

 だが、だからこそ白人の目には止まりにくい。届きにくい。

 厳しい自然が隠れ蓑になってくれる。


 日系人達は山にあるという隠れ家を目指して人目を忍ぶように北を目指すのだった。



 同様な逃避行がオレゴン州でも起こっていた。

 オレゴン州の日系人もやはり隠れ家に誘う者達がおり、その者達に連れられてオレゴン州の中央よりやや東寄りにある現代で言う所のマルー国立森林公園の南西にあるスノー山を目指した。

 オレゴン州最大の都市ポートランドから約300キロの距離にある。



 カリフォルニア州でも同じだ。

 やはり日系人を隠れ家に誘う者達がいた。

 ここで目指す事になった隠れ家はネバダ州のデイビス山だ。現代で言うならカリフォルニア州とネバダ州の州境をまたいでいるインヨ国立森林公園のなかにある。

 サンフランシスコから約350キロ。ロサンゼルスから約400キロの距離だ。


 日系人達は同胞に導かれ隠れ家を目指した。

 そこに安住の地があると信じて。


 

 彼らを隠れ家に誘ったのは当然の事ながら摂政麾下の日系工作員である。

 彼らは白人系工作員と共同で、何年もかけてこの隠れ家を作り上げて来た。

 それはある目的の為である。


 今、そこに希望を求めて日系人達が集まろうとしている。

 日系人を集め何をしようとしているのか。

 それを知るのは限られた者達だけだった……


【to be continued】


【筆者からの一言】


いったいどれだけの日系人が生き延びているのか……

それは筆者にもわからない。


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