摂政戦記 0078話 市街戦
【筆者からの一言】
趣味に走って何が悪い!
好きな事を書いて何が悪い!
自分の作品をああしてこうして何が悪い!
と、言う事で今回は「皆さんの好きな銃は何ですか?」というお話。
1941年12月9日~12日 『アメリカ』
アメリカ沿岸にある17の小中港と内陸の中西部、南部の主要30都市では凄まじい市街戦が展開されていた。
17の小中港で戦う日本軍は「桜華甲班」
中西部、南部の主要30都市で戦う日本軍は「桜華乙班白桜隊」
対するアメリカ側は、警官隊、急遽臨時編成された民間人有志による自警団、アメリカ陸軍だ。
どちらも小銃、短機関銃、機関銃、拳銃が主要武器。
アメリカ軍は重火器を投入できないでいた。
どこの市や街も突然の戦闘の発生に、戦闘区域となった地域やその周辺に逃げ遅れた市民が多数残っていたからだ。
激しく銃弾が飛び交っている為に避難もできない。
逃げ遅れた市民は建物の奥や地下室に隠れ早く戦闘が終わるようにと祈る事しかできなかった。
一方の「桜華」は元から重火器は持っていない。
それ故に敵味方による激しい銃撃戦が市や街の中央で行われている。
この頃になると狗達の戦術は変化している。
敵は無力な多数の一般市民ではない。
戦闘力を持った敵が多数である。
その為に勢いよく前進する事も突撃もしない。
自爆も自粛していた。
しぶとく図太く強かに戦闘を展開する。
敵は多いが逃げ遅れた市民への被害を恐れて攻撃方法が限られている。
敵の躊躇はこっちの好機だ。
逃げ遅れた市民のいる建物や、建物に逃げ遅れた市民を連れて来て一つ一つを抵抗陣地として、粘り強く狗達は戦った。
逃げ遅れて建物内の片隅に怯えていた婦女子や、逃げ遅れたのを捕まえて連れて来た婦女子に銃を突きつけて、手を挙げさせて窓際や扉の開いた玄関に立たせ、その脇から敵に向かって発砲する。
所謂、人質の盾戦術である。
流石に婦女子に当たる事を恐れてアメリカ兵は発砲を躊躇する。
だが、狗達は撃ち放題である。
盾にされた婦女子は泣き叫ぶが狗達はお構いなしだ。煩過ぎると感じれば容赦なく殴りつける。
結局、アメリカ側は丁寧に敵の隙を見つけては建物一つ一つ攻略し、敵を一人一人排除していくしかない。
その結果はアメリカ側にとっての時間の消費と、敵に比べ著しい死傷者の増加である。
更に狗達にとって有利に働いたのはアメリカ側の編成、指揮系統、通信の混乱である。
アメリカ軍、警官隊、自警団と三つの組織が、いきなりスムーズに連携できるわけもない。
特に自警団は一般市民の寄せ集めである。
その中には我が強く指揮系統に服する事を嫌がる者達もいた。
それどころか周りの者に「俺についてこい」と勝手に動き戦闘を繰り広げる者さえいる。
警察でも軍の指揮下に入るのを拒否するところが出た。
何せ通信が混乱しているから市や郡、州政府、連邦政府とろくに連絡がとれないから指揮系統の調整がとれない。
「市民は我々が守る!」と軍は支援だけしていれぱいいと言い切り「地元警察の意地をみせてやれ!」と部下に発破をかける警察署長もいたぐらいである。
それで軍と警官隊の現場指揮官が衝突する事も珍しくない。
それにプラスして狗達に有利なのは、アメリカ軍にしても実戦経験のある者が少ない事である。
既に第一次世界大戦から20年以上経っている。その頃、軍人として戦場の第一線で銃をとっていた者の多くは退役している。
軍上層部はともかく、今の第一線で戦う戦闘部隊は戦闘未経験の兵士が殆どだ。
しかも、徴兵制を施行したばかりだから、急速に兵力を拡大したつけで、多くの兵士は軍人となってから日の浅いヒヨッコである。
それが緊急出動で戦場に投入されている。
アメリカ側は、謂わば全体が寄せ集めである。うまくいっている場所が少ないのも無理はなかった。
狗達はそうした烏合の衆とも言えるアメリカ側を相手に善戦した。
狗達は自分が負傷し動けなくなるまで受け持ちの陣地を守り続け。敵兵が陣地に突入して来たタイミングで自爆した。
狗達は下水道をも利用した。狭くて暗くて臭い地下下水道を利用して敵の後方に回り込み奇襲をかける。
アメリカ兵が同じ事をしようとしたら逸早く察知して下水道内で猛射を浴びせた。
アメリカ兵は地下下水道を鉄条網で封鎖し利用できなくするしかない。
市街戦はいつ果てるともなく続く。
熾烈な銃撃戦が朝から晩まで続いた。
激しく銃弾が飛び交い建物に弾痕を穿つ。
狗達は手榴弾が無くなれば火炎瓶を作って投げつける。
特にアメリカ軍が戦車を市街戦に投入した戦場では火炎瓶は役立った。
幾台もの戦車が撃破されている。
狗達は手持ちの武器の弾薬が無くなると、占拠した銃砲店にある色々な銃を利用して戦闘を継続した。
アメリカ製の古い銃が持ち出され使用されている。
中西部のコロンバス市では「スプリングフィールドM1873」ライフルを撃っている狗がいた。
このライフルは西部開拓時代にアメリカの騎兵隊が使用しており、1876年にインディアンとの戦い「リトルビッグホーンの戦い」で全滅したカスター連隊長率いる第七騎兵連隊も装備していた。
中西部のシンシナティ市では「ウィンチェ◯ターM1873」ライフルを撃っている狗がいた。
このライフルは西部開拓時代に民間人の間で大ヒットし、よく使用された事から「西部を征服した銃」と呼ばれている。ただし軍は採用していない。
中西部のクリーブランド市では「ウィンチェス◯ーM1887」ショットガンを撃っている狗がいた。
ウィンチェ◯ター社はレバー・アクションのM1873が大ヒット製品になったので、同じレバー・アクションのショットガンを造ってみたのがこの銃だ。何と世界初のレバー・アクションのショットガンである。
発表されたのはその名にある通り1887年だが、史実における後世、100年以上経った1991年に公開されたアメリカのSF映画の中で、未来から1994年に来たアンドロイドが、とある親子を他のアンドロイドから守るために使用していた事で有名だ。その時は銃身とストックを短くした型で、レバーを利用して一発撃つごとに銃をぐるっと回転させながら排莢、装填、発射を繰り返すシーンが印象的だった。
中西部のルイビル市では狗達は何と銃砲店に骨董品として展示されていた旧式な「ガトリングガン」を持ち出し戦闘に利用している。
元はリチャード・ジョーダン・ガトリングが開発した物で、複数の銃身を円形に繋いで纏め機関部に付けられたクランクハンドルを回すと次々に弾が発射されていく手回し式回転機関銃だ。機関銃の部分台座に固定されており両脇には移動用の大きな車輪が二つ付いている。
現代においては、たまに西部劇の映画で見掛ける武器だ。
技術が進み一人で持ち運べる機関銃が登場した事により姿を消していくが20年ほど前までは実戦で使われていた兵器。
それを持ち出し盛んに撃っている。よく大量に弾があったものである。
旧式ではあるが、その威力は馬鹿にならない。
アメリカは銃の国であり色々な銃器メーカーがあるが、銃砲店では外国製の銃を販売している店も多い。
そうした武器も狗達は使用した。
中西部のレキシントン市では「ラドムM35」ピストルを両手に持って撃っている狗がいた。
ポーランド軍正式採用のオートマチック拳銃だ。
ドイツ軍はポーランド占領後、この「ラドムM35」を正式採用し「ラドムP35」として使用している。
このMタイプとPタイプの見分け方は簡単で、Mタイプはポーランドの造兵廠のマークが入っているが、Pタイプは入っていない。
更にドイツ占領時代の最後期型になってくると分解用スライドフックが省略されグリップは木製になっている。
中西部のミルウォーキー市では「シューボM1907」ピストルを撃っている狗がいた。
デンマークのオートマチック拳銃だが、この銃の設計開発者のシューボ氏は世界的に傑作兵器となったマドセン機関銃の設計開発者だった人物でもある。
しかし、マドセン機関銃とは違って残念ながらこの拳銃はそれ程高くは評価されず、生産数は100程度という話しもある。貴重な銃だ。よくもまぁこんな都市にあったものである。
中西部のマディソン市では「Cz1936」ピストルを両手に持って撃っている狗がいた。
史実における後世、それも冷戦時代の一時期、チェコのCz75が世界最高のオートマチック拳銃という風評が立ち世界的にも有名になった。
戦前ではこのCz1936がチェコを代表する小型拳銃として名前が知られているダブルアクション機構の拳銃だ。
中西部のオーロラ市では「ブラガ」ピストルを撃っている狗がいた。
チェコの初めての国産拳銃として1921年に発表された小型のオートマチック拳銃だが、変わっているのはトリガーで、何と折り畳み式で使わない時はフレーム内に収納されているという変わり種の拳銃だ。
中西部のロックフォード市では「ヨヴァノヴィッチM1931」ピストルを撃っている狗がいた。
この銃は1918年から1941年の23年間しか存在しなかったユーゴスラビア王国において製造されていた将校用のオートマチック拳銃だ。23年間しか存在しなかった国だけに国産兵器は少ない。
当然、この拳銃も生産数は少ない。
何故、それがアメリカの銃砲店で売られていたのかは謎である。恐らく今年の4月にドイツ侵攻で国が滅んだ時に、将校の一人がアメリカに亡命するか逃げて来た時に密かに持ち込み、後に売り払ったのだろう。
南部のナッシュビル市では「フロンマー・ベビー」ピストルを両手に持って撃っている狗がいた。
ハンガリーの銃器開発設計者のルドルフ・フロンマーにはフロンマー・ストップ・モデルと呼ばれる一連のオートマチック拳銃があり、この拳銃はそれを小型化したモデルだ。
口径7.65ミリのハンガリー警察用と口径6.35ミリの市民向け用があるが、狗は右手に警察用、左手に市民用を持って撃っている。
南部のメンフィス市では「ステ◯M1912/17」ピストルを撃っている狗がいた。
第一次世界大戦中、オーストリア・ハンガリー二重帝国の銃器メーカー、ステ◯社で開発されたオートマチック拳銃だ。元は「ス◯アM1912」のシングル・アクションのオートマチック拳銃だ。
それを改良し飛行機のパイロットの自衛用としてフルオートを可能にした。16発収納している長弾倉が特徴だ。だから元になった「◯テアM1912」のグリップに比べ、二倍近い長さのグリップが付いている。
中西部のミネアポリス市では「◯スライフルMk3」ライフルを撃っている狗がいた。
カナダのロ◯・ライフル社が生産し第一次世界大戦で使用されたが戦場での評判は良くなかったライフルだ。
塹壕戦となった西部戦線では、埃と泥と泥水が友達になる。その過酷な環境にこのライフルは耐えられず作動不良を頻発し使用を中止された経歴を持つ。
ただし、そうした過酷な環境でなければ、決して悪いライフルではない。狩猟やスポーツならば充分に役に立つ。
中西部のダヴェンポート市では「モンドラゴンM1908」ライフルを撃っている狗がいた。
このライフルの設計者はメキシコの軍人モンドラゴンだったが、メキシコの技術力では生産する事が難しく、スイスのSI◯社に生産を依頼した。
しかし、その分コストが高くつきメキシコでは大量配備する事ができず、S◯G社は各国に売り込みをかけドイツが採用し第一次世界大戦で使用されている。
どうやらそのドイツに輸出したモデルを狗は使っているようだ。
南部のアトランタ市では「Mle1936」ライフルを撃っている狗がいた。
この銃はフランス軍制採用のライフルだが、何と安全装置を付け忘れるという欠陥があり、兵士達から不評だった銃である。
南部のタルサ市では「M1904」ライフルを撃っている狗がいた。
ポルトガル軍正式採用ライフルだが、オーストリア・ハンガリー二重帝国の銃器メーカー、ステ◯社のライフルと、ドイツのモーゼ◯社のライフルの良いとこ取りをしたようなライフルだ。
弾倉や引き金等はモー◯ルから取り、遊底等はス◯アから取ったような形をしている。
他にも色々な国の色々な銃が戦闘に使われた。
だが、逆に言えば狗達はそれだけ追い詰められているとも言える。
武器の不足、弾薬の不足は戦闘力を低下させる。
それは狗達の損害が増すという事でもある。
武器と弾薬の不足に激戦に次ぐ激戦で狗達の兵力は低下の一途をたどっていた。
一人、また一人と死んでいる。
しかし、狗達の抵抗が止む事は無い。
都市には拳銃、小銃、機関銃の発射音が絶えまなくこだまし、負傷者の悲鳴があがる。
凄絶な市街戦はまだ終わりの時を迎えない。
流血の時は終わらない。
今暫し戦いの時は続く……
【to be continued】
【筆者からの一言】
時代的にCz75やグロック17を出せないのが痛いところ。一番好きなのに……
対物ライフルのバーレットM82A1も好きだけど時代的に無理だし……
【筆者からのちょっと一言】
私の作品では拳銃を撃つ時「引き金を引く」と書いています。
これを見て中には「引き金は絞る」もので「引く」のは間違いだと思っている方もいらっしゃるかもしれません。
だが、しかし……
実際に太平洋戦争で戦い生き抜かれ、戦後に回想録を書いた人の中には「引き金を引く」と書いておられる方もいらっしゃるわけです。
また、現在の防衛省が一般に公表している「防衛省規格 火器用語(小火器)」の中でも「引き金を引く」という表現は幾つも見られます。
幾つか例をあげると……
「引き金けん引力……引き金を引くために必要な力」
「シングルアクション……撃鉄を起こした後で、引き金を引いて、撃発を行う方式」
「ダブルアクション……引き金を引く事によって撃鉄を起こし、更に引く事で撃発を行う方式」
この他にも「引き金を引く」という表現は幾つもあります。
商業作家さんの中にも「引き金を引く」と書いていらっしゃる方はいます。
そもそも「絞る」物なら「引き金」ではなく「絞り金」になる筈でしょう。
「引き金を引く」は現在では転じて別の意味にも使われるぐらいに昔から広まっている表現です。
「引き金を絞る」という表現は、自衛隊がそう教えているとか、某有名クリエーターが使用した事から広まったとか、諸説あるようですが、私には必ずしもそれが絶対的に正しいただ一つの表現とは思えません。
私の中では「絞る」よりも「引く」方がしっくりくる表現なのです。
そういうわけで「引き金を引く」と敢えて書いています。
不満のある方もおいででしょうが、ご了承下さい。




