摂政戦記 0077話 空の旅②
1941年12月11日 『アメリカ モンタナ州』
いた! 敵だ! 馬に乗っている!
「エの39番」は初めてアメリカ人を見て興奮した。
殺さなくては!
そのために来たんだ!
「エの39番」はそう思い奮い立った。
2日間の飛行だったが、それは苦しい飛行だった。
頭が痛くなり、吐き気がしてだるくなった。手足が思うように動かなくなった時もある。何も食べれなかった。
酸素ボンベの酸素を吸って何とか乗り越えた。
そしてようやくアメリカ大陸にやって来た。
周りには一基の気球もいない。
日本を離れる時はたくさんいたのに……
それでもやる事は変わらない。
教えられた通りにアメリカ人を殺すんだ。この手で!!
早速、小銃を取り出して狙いを定めようとした。
アメリカ人はこの気球に気付いたのか、馬上からこちらにむけて帽子を振っている。
だけど……
駄目だ、気球の速度が速過ぎて狙いが定まらない。
あっあっあっ! だめだ! もう撃てない! 行き過ぎちゃった。あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ。
残念。次の機会を待とう。
「エの39番」と名付けられた16歳の少年がアメリカ人を初めて殺すには、まだ幾ばくかの時が必要だった……
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1941年12月11日 『アメリカ アイダホ州』
オレゴン州との州境から60キロしか離れていないアイダホ州の田舎町ボイシ。
この日の朝、人々が朝食を済ませ家を出て仕事に出向く時間、町の人々は東の空から飛んでくる物体に驚いた。
気球である。大きな赤い丸が描いてある。
本の中やニュースフィルムの中で見掛けた事はあっても、このような田舎町では実際にお目にかかる事は全くない代物である。
町の人々は驚き、見た者は家に戻り家族に話したり、職場に先に来ていた同僚に話したり、隣人や友人に気球の事を知らせた。
その気球は飛んでいる間にも高度を下げており、ゴンドラに人が乗っているのが見える。
そして町外れの辺りに来ると墜落したのである。
あまり娯楽の無い小さな田舎町にとっては大きな出来事であり、好奇心を搔き立てられた人々が墜落現場に向かって行った。近いのでみんな歩きだ。いや駆け足になっていた。
好奇心でなく職務における義務感から向かう者もいる。保安官と保安官助手だ。
墜落現場に向かった者は落ちた場所が近かったのでみんな歩きだ。いや逸る心に駆け足になっていた。
そして足の早い者が、墜落現場に到着したと思った時だ。
一発の銃声が鳴り響き、先頭にいた者が胸を押さえて崩れ落ちる。
だが、急にはみんな止まれない。
いや前にいた者は踏みとどまろうしたのだが、後ろの者に押されて倒れる。押した者も後ろの者に押されている。
まるで人間ドミノ倒しのような状況だ。
そこに次々と撃ち込まれる銃弾。
悲鳴と怒号が周辺に響き渡った。
「伏せろ!」「隠れろ!」と言う声も上がるが、人同士でもつれているのですぐにはみんな起き上がれない。
そこに更に銃弾が撃ち込まれる。
だが、そこに足の遅い保安官が駆けつけて来る。
既に銃を抜いていた。
腹は出ている中年男だが、銃の腕はいい。
墜落した気球の手前で膝撃ちで小銃を撃っていた男に狙いを定める。うまい具合に男は小銃に弾を込めている最中だった。
保安官は息を整える暇も少なくすぐに発砲し、その弾は見事に当たり男は倒れた。即死だった。
こうしてチェホールズで発生した朝の突然の惨劇は終了した。
銃撃による死者3人、負傷者2人、他転倒による怪我人多数。
この気球に乗って来て銃を乱射した男は、その服に縫い付けてある国旗のデザインと、東洋的な顔立ちから日本人と思われた。
既に田舎町ではあっても日本との開戦の話しは伝わって来ている。
だが、まさか気球に乗って日本兵が現れるとは思いもよらなかった。
この事件は直ぐに西部防衛軍と州に報告され、更には政府へと報告される事となる。
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1941年12月11日 『アメリカ ワシントン州』
シアトルより80キロ南東の小さな町チェホールズ。
昼頃チェホールズに住む住人は驚いた。
東の空より町に接近して来る2つの物体がある。
巨大な気球だ。
それはどんどん近づいて来て、一つはそのまま町の上空を飛び去り西へ向かって行った。
しかし、一つは高度を徐々に下げ町の中央通りに不時着したのである。
不時着する時、吊り下げられていたゴンドラが気球に地面を数十メートルもの距離を引きずられ引っ繰り返る。その時、中に乗っていた人が放り出されて転がった。
町の人々数人がその人物を助けようと近付いたその時だ。
その人物は起き上がり放り出されても手放さなかった小銃を構え引き金を引こうとした。
まだ若い、いや子供いえる年齢だろう少女だ。
町の人々がその少女の行動を見て驚き足を止める。
しかし、弾は発射されない。
少女はガチャガチャ小銃を操作しているがスムーズに動かないようだ。
作動不良だ。
高度1万メートルの気温はマイナス50度だった。その非常に低い気温に長時間晒されたせいで撃発機構に異常が発生したのかもしれない。もしくは、ゴンドラから放り投げだされた時にどこか打ち付けおかしくなったのかもしれない。
少女は小銃を放り出すと、驚き足を止めている町民達に向かって駆けだした。
「八紘一宇の理想のために!!」
少女が叫ぶ事を町民は理解できない。
突然の事にどう対応したらいいのかわからずみんな狼狽えるだけだ。
そして少女は町民の集団の中に飛び込み自爆した。
派手な爆発が起こり町民の集団がなぎ倒される。
そこら中が血と肉片で赤く染まっている。
3人が即死した。
他に数名が負傷し血塗れとなり絶叫したり呻き声をあげている。
その有り様を見ていた他の町民達から悲鳴があがった。
負傷者を助けようと男達が駆けつける。
こうして平和だった小さな町チェホールズの平穏は、突然の惨劇に破られた。
町民達が、この惨劇を引き起こしたのが日本だと知るには、まだ幾日かの時が必要だった。
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対アメリカ決戦用強襲部隊「桜華丙班」の有人気球による北アメリカ大陸侵攻作戦は成功していた。
途中で生じた犠牲を顧みなければの話しだが。
その多くは北アメリカ大陸に到達する事なく消えた。
だが、それでも数は少ないが気球は到達し、それに乗って戦闘可能だった者は与えられた命令を忠実に守る。できる限り多くのアメリカ人を殺し、そしてアメリカ人に殺されるか、自爆した。
初日こそ2500基が放球されたが、以後は一日あたり400基が放球されている。
ただし、22日、23日、29日、30日には、それぞれ2000基が放球される計画となっている。
これはアメリカ人のクリスマスと大晦日と新年第一日目を恐怖に陥れてやれという考えからである。
ただし31日から翌年1月3日までは放球は無い。
これは摂政が「放球部隊も正月くらいは休ませてやれ」と自軍将兵を気遣う指示を出したからである。
こうした事から年内に1万7700基が放球される予定だ。
来年は1月4日から放球が開始され9日に「桜華丙班」最後の乙気球が放球される予定となっている。
その後はアメリカでの戦況次第である。
もし、内陸部や西海岸で戦っている「桜華」部隊がアメリカ軍との戦闘により全滅している場合は、第二段階の作戦に入る。
第二段階の作戦は甲乙混合の気球放球作戦である。
甲種の気球は史実でも使用された型の気球爆弾だ。
乙種の気球に乗せるのは、これまでとは違い「桜華丙班」ではない。
囚人だ。
全国の刑務所から囚人を連れて来て桜華の軍服と同じ物に着替えさせる。
そして睡眠薬入りの食事をさせる。
眠った後、担ぎ上げて気球に乗せる。
その後に関東軍防疫部隊から派遣されて来た軍医たちが眠りこけている囚人に天然痘やペストの注射をする。
そして眠っている囚人を乗せた気球を放つ。
つまりは気球による細菌戦だ。
それが成功しようが、失敗しようが、囚人達が生きようが死のうが、どうでもいい作戦だった。
はっきり言っておまけである。
もし、うまくいってアメリカ本土で疫病が流行れば幸運だ、ぐらいの考えである。
どちらかと言うと、囚人が減って刑務所経費の削減ができて税金を節約できればそれでいいという考えである。
史実における戦時中は、多くの者が徴兵された結果、看守まで不足した。
その代わりに囚人の一部を臨時の看守役として囚人の見張りに当たらせている。
看守の任務でもあくまで補助的役割にとどめられたらしいが、それでも囚人が囚人を監視しているのであるから本末転倒と言えなくもない。だが、戦時中の非常措置という事で致し方なく実行された策だ。
今回の歴史では、まだ日本はそこまで追い込まれていないし、追い込まれるかどうかもわからない。
それに、実際に囚人気球細菌作戦が実行されるかどうかもわからない。
しかし、囚人気球細菌作戦の準備が始められている事は事実である。
一方のアメリカの西海岸から中西部では徐々に気球への恐怖が広がりつつあった。
アメリカでは日本と戦争になった事は既に田舎町に住む一般市民でも知っている。
アメリカ内陸部の大都市では日本軍の潜入部隊が一斉蜂起し大混乱に陥れた。
海からも日本兵はやって来ている。
沿岸の大都市はかなりやられたようだ。
それに加えホワイトハウスさえ襲われた。
その上に今度は気球に乗って空から舞い降りて来るとは……
アメリカ人は驚愕した。
あまりにも常軌を逸したとしか思えない作戦に。そしてそれを実行し死んでいく兵士達がいる事に。
それは異質だった。
アメリカ人の考えている戦争とはあまりにも違った。
戦い方が普通ではない。
アメリカ人にとって戦争とは海の向こうで行われる出来事だった筈なのに。
軍人と軍人が戦うものであり、致し方ない状況で民間人が巻き込まれるものであった筈なのに。
それが今回は最初から民間人が目標にされている。
気球はいつ、どこに来るかわからない。
気球から降りて来る狂気の日本兵は民間人さえも容赦なく攻撃し、しかも自爆する。
アメリカ人からしたら正に異常で悪夢である。
その恐怖は徐々にアメリカ西海岸と中西部を蝕んでいく……
【to be continued】




