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摂政戦記 0076話 空の旅①

【筆者からの一言】


狗のお話です。


 1941年12月10日 『太平洋上』


「クの24番」はどうしたものかと困惑していた。


 日本から放たれた時、「クの24番」の乗る気球の近くには同時に放たれた仲間の乗る気球がたくさん浮いていた。


 だけど時間が経つにつれ仲間の気球が高度を上げるのに対し、「クの24番」の乗る気球はある一定以上の高度から上がらず、そのまま飛び続けた。


 そして太平洋上で一人ぼっちになってしまった。

 それでもアメリカまで行けるのならと思っていたけど、段々と高度が下がって来る。

 こんな時、どうしたらいいのか教官は教えてくれなかった。


 どうしよう……


 困った。気球の中から外を見る事ぐらいしかできる事はない。


 海を見るのは二回目だ。


 物心ついた時には山の中でたくさんの仲間と暮らしていた。

 その頃から既に名前は「クの24番」だった。

 仲間達もみんな「クの25番」や「クの26番」という風な名前だ。


 毎日、毎日、アメリカ人を殺す事を学んだ。


 アメリカ人はとても悪い奴らしい。

 殺さないとみんなが困ると教官が言っていた。

 

 訓練は大変だった。あまり楽しいものじゃない。

 それでもみんながやっているから頑張った。


 そしてようやくアメリカ人をみんなで殺しに行く日が来た。

 初めてみんなで住んでいた山を下りた。

 初めて列車というものに乗った。

 初めて海を見た。

 初めて船に乗った。

 そしてまた列車に乗った。

 それでようやくチバという所についた。

 初めて気球という乗り物を見た。

 初めて気球に乗った。

 初めて空を飛んだ。

 初めて一人ぼっちになった。

 

 初めての事ばかりだった。ちょっとワクワクした。

 

 でも今は、ちょっと心細い。

 誰かが傍にいてくれればいいのに……

 いつも仲間が大勢いた。


 さみしい……


 あっ、また高度が落ちている。

 どうしよう。

 

 どんどん気球が高度を下げている。

 

 どうしよう。どうしよう。どうしよう。

 

 だんだん海に近付いている。

どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。


 そう思っている間に気球が海に落ちてしまった。

 ゴンドラは海に浮いていると思ったらすぐに波でひっくり返った。


「クの24番」は海に放り出されてしまった。


 冷たい! と思ったのも束の間、体が海の中に沈んでいく。

 もがいて、もがいて何とか海面に顔を出そうとしたけどうまくいかない。

 海で泳いだ経験は無い。川で泳いだ経験もない。

 どうしたらよいかわからない。

 体が重い。

 どんどんどんどん重くなっていくようだ。

 喉に海水が流れ込む。

 顔を海面にださなきゃと思ってもうまくいかない。 

 手足をどれだけバタバタしても沈んでいくだけ。


 もう無理……


 まだ、アメリカ人を殺していないのに……

 くるしい……

 息、で、き、な、い……


 それが、最後に「クの24番」が思った事だった。

 そして暗くて冷たい海の底に沈んでゆく。 


 こうして故障の為に墜落した気球に乗っていた14歳の少女「クの24番」は、その儚い命を太平洋上に散らす事になった。

 それを知る者は誰もいない……

 その死を悲しむ者も誰もいない……



♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢



 1941年12月11日 『北アメリカ ロッキー山脈』


「タの48番」はゴンドラの中でうずくまっていた。


 気持ちが悪い。

 頭が痛い。吐き気がする。体がだるい。

 もう何度も吐いたのでお腹の中には何も残っていない。でも吐きたい。吐きたいけど何も出てこない。

 つらい。くるしぃ。


 酸素マスクを付けて酸素を吸っているけどよくならない。


 あぁつらい。もういやだ。


 山に帰りたい。

 みんなで暮らしていたあの山に帰りたい……


「タの48番」の目から一滴(ひとしずく)の涙が頬をつたった。


「タの48番」の症状は典型的な高山病だ。酸欠状態。 

 不運だった。  

「タの48番」の酸素ボンベは故障しており、酸素が充分に出ていなかった。初めて酸素ボンベを使った「タの48番」はその故障に気づかない。そういうものだと思っていた。

 それでも「タの48番」は生き永らえ太平洋を越えアメリカの奥深くまで到達していた。

 

 だが、しかし……

 徐々に高度を下げている気球の目の前にはロッキー山脈のエルラド山が迫っている。

 それを「タの48番」は気付いていない。気付いてもどうしようもなかっただろう。


 そして遂に気球がエルラド山に勢いよく激突した。

 それも数百メートルの断崖絶壁の場所にだ。

 気球は壊れゴンドラも壊れた。「タの48番」はゴンドラの壊れた箇所から勢いよく外に放り出され落下していく。


 だが、「タの48番」には何もする事ができない。

 真っ逆さまに転落していくだけだ。


 救いなのは、こんな酷い状況に「タの48番」が気付いていない事だろう。

 酸素不足が悩から正常な認識力と判断力とを奪っている。


「タの48番」は山の家でみんなといつものように暮らしていた。

 朝早くに起きて、ご飯を食べてアメリカ人を殺す訓練をする。そしてまたご飯を食べて寝る。

 その単純な日課の繰り返し。

 その単調な日々を続けていた。

 

 それは夢、いや妄想、迷夢、記憶の混乱。

 呼び方はどうでもいい。酸素不足で正常に機能しない脳は「タの48番」に幻を見せていた。

 

 幻を見ながら「タの48番」は固い岩盤に叩き付けられ即死した。



 こうして北アメリカに到達しながらも不運に見舞われ山に激突した気球に乗っていた15歳の少年「タの48番」は、その儚い命をロッキー山脈に散らす事になった。

 それを知る者は誰もいない……

 その死を悲しむ者も誰もいない……



♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢



 1941年12月11日 『アメリカ アラスカ』


「トの83番」は大地に立った。

 凍てついた大地だった。


 とある山の山麓に気球が着陸した。軟着陸したというべきか。それとも静かな墜落だったというべきか。

 着陸時にはかなりの衝撃があり何十メートルもゴンドラが地面に引きづられたが幸い怪我をする事もなかった。

 

「トの83番」にはこの場所がどこかわからなかった。

 だがアメリカだろう。


 右を見ても左を見ても凍てついた大地と山々があるだけだ。

 街や村は見えない。道路も見えない。人のいる気配も無い。 


 こういう場合はどちらの方向を目指せばいいか指示されていた。

 太陽の位置を見て南を目指す。


「トの83番」は残り少ない食糧と武器を持つとテクテクと歩き出した。


 史実においてアメリカ大陸における気球爆弾の発見地は西海岸北部地域に多い。

 中には南部カリフォルニアで発見されているのもあるが、多いのはアメリカの北だ。


 それ故に摂政からは「桜華丙班」の教育係に、人気の無い所に降り立った者は南を目指すよう指示せよという命令が出されていた。 


「トの83番」が降り立った場所はアラスカだった。


 現代で言うならデナリ国立公園保護区とレイクラーク国立公園保護区の中間辺り。

 スノーキャップ山の麓だ。

 西に約80キロも進めばヘーズ氷河がある。

 周囲100キロ圏内に街は無い。道も無い。凍てついた大地と山があるだけの地域。

 ヘーズ氷河から南西に約160キロも進めばアラスカ最大の都市アンカレッジがあるのだが、残念な事に「トの83番」がそれを知る由も無い。


「トの83番」は南に向けてひたすら歩く。

 そちらには誰も住んでいない事を知らずに歩く。


 直線距離にして200キロも進めば海に出るだろう。

 だが、その周辺にもやはり誰も住んでいない。


「トの83番」は歩いて歩いて歩き続けた。

 山を越え川を渡り凍土をひたすら南に進む。


「トの83番」が、その後どうなったかを知る者はいない。

 少なくとも人と接触しなかった事だけは確かだ。


 どこかで怪我でもしてそのまま亡くなったのか、食糧が尽きて餓死したのか、それともどこかで凍え死んだのか、狼に襲われ食べられてしまったのか…… 


 15歳の少女「トの83番」は、その姿をアラスカで消した。

 それを知る者は誰もいない……

 その生死不明を悲しむ者も誰もいない……



♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢



 対アメリカ決戦用強襲部隊「桜華」の「丙班」は有人気球による北アメリカ大陸侵攻作戦を行った。

 だが、それは後世から見れば大きな犠牲を伴う狂気の作戦である。

 多くの命が無為に太平洋でアメリカ大陸で失われた。

 

 だが、それを実行させた閑院宮摂政は大きな犠牲とは露ほども思っていなかった。


「桜華丙班」全隊員の放球が完了したとの報告が為された時、閑院宮摂政は関心無さそうに「そうか」と一言返し、そのまま手にしていた書類に目を落としている。

 その後も、閑院宮摂政は「桜華丙班」について幾度か報告を受けるが、大して関心を示そうとはしなかった。


 閑院宮摂政にとっては「桜華丙班」はその程度の存在でしかなかったのである。


【to be continued】

【筆者からの一言】


「ゴミ掃除が済んだか」と言わないだけ、まだましじゃないかと……


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