摂政戦記 0072話 開戦演説
【筆者からの一言】
ルーズベルトのターン。
1941年12月9日 『アメリカ ワシントンDC 議会議事堂』
開戦翌日。
ルーズベルト大統領が議会の演壇に杖を片手に立っていた。
これより重要な演説が始まる予定だ。
この模様はニュースカメラに収録され、ラジオでは生放送が行われる。
ルーズベルト大統領は一度、場内を見回すと徐に演説を開始した。
「副大統領兼上院議長、下院議長、並びに上院、下院の議員諸氏。
私は本日、実に残念であり、また恐るべき事を、怒りを胸にしながらお伝えしなければなりません。
昨日、1941年12月8日、日本は我が国に対し宣戦布告を行うと共に攻撃を仕掛けてまいりました。
これまでアメリカは、かの国とは平和的状態にあり戦争状態にはありませんでした。
しかし、日本は外交交渉で問題を解決しようとはせず卑劣なる攻撃を我が国に突如として仕掛けて来たのであります。
その結果、我がアメリカ市民の命と財産が奪われ、今なお多くのアメリカ市民が苦しめられ、多大なる犠牲を強いられております。
これは許し難い犯罪行為です。
この行為を断じて許してはなりません。
アメリカ陸海軍の最高指揮官として私は、全軍に対し我が国の防衛の為、あらゆる防衛措置を講じるよう指示を出しました。
そして、どれほどの時がかかろうともこの戦争で勝利を勝ち取り、アメリカの被った甚大な犠牲について、日本に正義の裁きを受けさせる事を大統領としてこの国に誓いました。
私はここに宣言いたします。
アメリカ合衆国と日本は戦争状態にある事を。
そして、軍とアメリカ市民の固い意思により必ずや勝利を得るだろうと!
主よこの国に祝福を!」
万雷の拍手が沸き起こった。
場内にいた全員が立ち上がり拍手していた。
前もってルーズベルト政権と民主党、共和党の両党上層部とは話しがついており根回しは終えている。
両党ともに上層部は日本との戦争には賛成だ。
本来、この演説は大統領が上下両院に日本への宣戦布告の認可を要請する為のものである。
しかし、ルーズベルト大統領の演説は要請ではなく通達といった趣になっている。
だが、それを指摘する者は皆無である。
そもそも大統領が何を言うかも事前に演説のコピーが配られているため全議員が知っていた。
故に驚きはない。その段階はとうに過ぎている。
今、多くの議員達の胸にあるものは卑劣な日本に対する怒りだけである。
この後、上院、下院においてそれぞれ
「アメリカ、ドイツの両国間に戦争状態が存在することを公式に布告する決議」についての投票が行われる。
上院、賛成82票、反対0票。可決。
下院、賛成388票、反対0票。可決。
可決された決議は文書となりホワイトハウスに届けられる。
これにルーズベルト大統領が署名しドイツへの宣戦布告は公式なものとなった。
時に1941年12月9日午後15時の事である。
これによりアメリカは公式に日本との戦争に突入した……
だが、しかし……
この時点においてルーズベルト大統領は、アメリカ全土における正確な状況を掴んではいない。
前夜と状況は全く変わっていない。
この日も朝からホワイトハウスは各地から寄せられる情報の奔流と救援を求める声に晒さられている。
混乱状況が続いている。
しかし、ルーズベルト大統領は開戦演説に踏み切った。
既に日本のアメリカ、イギリス、オランダに対する宣戦布告は世界中に喧伝されている。
それを放置しておく事はできない。
特にホワイトハウスと言うアメリカ合衆国の権威の象徴が攻撃されたのに、他にも正確な被害状況は不明なものの日本から攻撃されているのに、黙って時を過ごす事などできよう筈も無かった。
そんな事をすれば、対応の遅れとして野党に叩かれるだろう。
更には「日本の宣戦布告と攻撃に怯え、戦争の決断ができず、ためらいを見せた惰弱な大統領」と野党とマスコミから非難され突き上げを喰らうだろう。
当然、国民も批判する事になるだろう。
だからこそルーズベルト大統領は強いリーダーシップを発揮して国を率いていると国民に示す為にも、急ぎ開戦演説を行ったのである。
しかし、後日、段々とアメリカ全土における日本の攻撃による被害の程度が判明してくると、果たして強気な開戦演説が正しいものだったのかどうか、疑問に思う者も現れるのである。
だが、今はまだルーズベルト大統領も状況を把握しきれていない為に強気である。
ルーズベルト大統領が被害の程度を知り、顔面を蒼白にするのも、そう遠い日の事ではない……
【to be continued】
【筆者からの一言】
と、言う訳でアメリカは受けて立ちます。
しかし、あそこまでボロボロにされてはねぇ……




